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作品名:時の隙間の小さな話 作者:待井久仁子

第25回 火星の穴 (テーマ:304号室)
 ブラジルの穴、というものがある。地面をどこまでも掘っていくと、地球の裏側のブラジルまで辿り着けると言う話だ。もちろんこれは作り話でどこにもそんな穴は存在しない。
 だが、俺の部屋にはそれ以上の穴がある。
 古びたアパートのじめじめとした和室に住んでいる。敷きっぱなしの布団の下が何やらら湿っぽくかび臭くなったのは夏の頃。そのまま数ヶ月放置していたが、さすがに耐えられなくなってようよう布団をどかすと、黒いカビが生えていた。
 布団と畳の黒カビは一畳分に広がっている。どうにかする案は無かったが、このままではまずかろうととりあえず畳を持ち上げてみた。
 するとそこに黒い穴があった。
 初めは畳の下にもカビが広がったのかと思ったが、どうやらそういうわけでもないらしい。
 黒く丸いそれは、まぎれもなく穴だった。
「何だ、この穴は」
 試みにカップ麺の空容器を放ってみる。それは底につく音も聞こえずに落ちて行った。もっと音のする物を投げてみようと、目覚まし時計を放り込む。放ってから、しまったこれでは朝目覚める事ができないぞ、と気付いた。まあ、いい。
 問題の目覚まし時計はがちゃんとも言わずに消えて行った。底なしだろうか。
「入ってみるか」
 そんな事を思った。手始めに食べ物を放り込む。底があった場合、しばらく餓えずに済むようにと考えたからだ。どれもやはり音も無く吸い込まれていった。
 着古したスウェットのまま穴に飛び込んだ。落下音もせずただただ静かに落ちていく。

「おや、あなた」
 頭に直接響くような声をかけられて、気付けば穴の外にいた。
「今度は生き物ですか。はた迷惑な」
 俺に向けて言うような、独り言のような呟きをするそいつは、腕を何本も持っていた。いや、やけに細長くて水気のあるそれは、腕と言うより触手に近い。頭部はいやに大きい。およそ自分の知る「人間」とはほど遠かったが、知性のある事は伺い知れた。
「ここは穴の反対側か」」
「そうですよ。姿形から類推するにあなた、地球人ですね。私たち火星の者と会うにはまだ早い生命体ですよ」
「お前は火星人なのか」
「ええ。あなた方から見た、火星という星に住んでいますよ。我々はそうは呼びませんがね。まったく、空間移動は失敗だ。まさか文明未発達の地に繋がってしまうなんて」
 実験動物ほどの価値もないくせに、と火星人は何本もの触手を使って俺を穴に押し戻す。
「さ、帰って下さい。そしてお忘れなさい」
 穴の淵に腕をかけ、火星人に問いかける。
「この穴はどうするんだ」
「埋めますよ。我々の存在を知れば、あなた方は宇宙人発見、などと下品に盛り上がるのでしょう」
「秘密にすればいいのか」
 何ですって、という返答。
「俺の部屋にこんな穴があっただなんて驚いた。いや、感動した。誰にも言わなければ時折ここへ来ても良いだろうか?」
 ふうん、とじとりと鋭い目のような器官で俺を眇めた。
「……そうですね、あなたと交流しても構いませんよ。――色々試すのも面白そうだ」
 火星人は俺の腕に体液で何か書きつけると、「番号ですよ。『友達』の」と笑った――ように見えた。
 そうして穴に突き落とされて、俺はカビ臭い部屋に戻ってきたのだった。

「それ以来あの火星人と友人として交流を続けている」
「……そうなんですか」
「今日もそろそろ来る時間だ」
「あ、ではこれで失礼しますね。他人がいてはいけないですものね」
 看護師は病室を出てナースステーションに戻ると、先輩に話しかけた。
「あの人、まだあの妄想が続いているんですね。ここが自分の部屋で、火星人が遊びに来るんだって信じてる。薬を飲んでも経過は良くならないし、あの話をする以外は壁を見つめて笑うばかりで」
「病気が治るまで長くかかる人もいるのよ」
「そう……ですね」
 ただの妄想だとは理解はしていたが、どうしてもあの話が気にかかる。
 ……秘密にしなければいけなかったのに。
 あの患者は火星人との約束を破り、人に話してしまった。彼女があの話を聞いたのは彼がここに入院してからだが、家族などの話から察するに思慮深いとは言えなさそうなあの患者が、それよりも前に人に話さずにいられたとは思えない。
 何の気なしに人に語り、その報いを受けているのだとしたら――。
 何を馬鹿な事を。不安を払うように頭を振る。
 火星人があの患者の正気を奪い、「何かをしている」のかもしれないなんて、そんな事。
 ――それでも夜の見回りの時、病室から聞こえてくる何かの音が彼女を不安にさせた。
 ぺちゃ、ぴちゃりと水気を持った何かが這うような音。
「……誰かいるの?」
 患者の腕にある番号と同じ304の病室に声をかける。
 そうして開けてみても、そこにはいやに細長い舌を出して虚ろに笑う患者以外には、誰もいないのだけれども。


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