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作品名:時の隙間の小さな話 作者:待井久仁子

第17回 平和の小部屋 (テーマ:平和)
 学校から家に帰るなり、酒で顔を赤くした父親にいつもの小部屋に放り込まれた。階段の上、小窓とテレビしかない部屋だ。無抵抗のまま縄で縛られ、足がつかないよう吊るされる。
 父は僕の顔近くで酒臭い息をいっぱいに吐きながら、ものすごい剣幕で怒鳴りたてた。
「ニュースを見てみろ!」
 父の太い指が指すテレビの中では、日常の一コマのように事故や事件のニュースが流れていた。
「これは何のニュースだ」
「……殺人事件」
 チャンネルを変え「これは」と同じ問いをする。
「海外の、紛争」
 感情を乗せないように努めたが、頭を引っぱたかれて反射的に父を睨んでしまう。
「反抗的な態度を取るな! お前の悪い心根が世の中を平和から遠ざけるんだ!」
 怒鳴り声と共に汚い唾が飛ぶ。うるさい。耳を塞ぎたくとも手は縄に縛りこまれている。目を強く瞑った。
 もういつの頃からだったか、父は悪いニュースを見つけてはそれを理由に僕に暴力を振るった。世界が平和にならないのは僕のせいだと憂さ晴らしの種にする。そんな事、僕にはまるで無関係だというのに。
「今日も人が死んだんだぞ! 争いがなくならないはお前のせいだ!」
 そうして僕をサンドバッグのように殴りつけてくる。僕は謝罪を唱えながら、早く追われと時間の過ぎるのを待っている。
 いつまで経っても流れ続けるニュースは悪いものばかりで、鬱憤の溜まっている父は「これもお前のせいだ」「あの事件もお前が悪いんだ」と言って僕を責めた。終いにはぜぇぜぇと肩で息をして憎々しく、けれど何処か消沈したように呻いた。
「俺はこんなに頑張ってるのに、お前の心持ちが良くないせいで台無しだ……!」
 どんな仕事をしているのだかもよく知らない。その仕事の憂さを僕にぶつけるばかりだ。
 最後に蹴りを入れられ、そこで疲れ果てて父は眠った。
 交通事故、内乱、殺人、裏切り、等々、等々……見飽きるほどに毎日見させられている。自由を求めて戦う民衆。親が子供を殺したり、子供が親を殺したり。
 ――ある頃を境に、成長する子供は親の力を超えてそれまでの関係を覆すものだと学んでいた。
 僕は小さなナイフをポケットから出し、縄を切る。テレビの裏に隠しておいた大きめのナイフを手に取って、贅肉だらけの体を前に立ち尽くす。
 ああーー今こそ逆転の時なのだと知る。

 朝。部屋に立つ僕を見て、起きたばかりの父は激昂した。
「どこまで反抗的な奴だ!」
 平手を頬に喰らう。
「俺は神なんだ。お前を導いてやってるんだ。なのにいつまで経っても平和にならない! お前が反抗的で恨みがましいから争いが無くならない!」
 そんなの僕のせいじゃない、と考えながらごめんなさい、と呟く。……そして、ナイフを脂肪のついた肉体に突き刺した。
「……世界の平和なんて知ったことか」
 誰が苦しもうが悲しもうが関係ない。僕に平和がもたらされないのが何より不公平で理不尽だ。
 耳鳴りがする。ごうごうと僕の中で怒りが駆け巡っている。けたたましく、警報のようにごうごうと、がんがんと世界を揺らめかすほどの音。
 刃を振り上げ、何度も降り下ろす。
 ぐぅ、という声が聞こえて怒りが増した。ごうごうと――うねりを上げて鳴っているのは何なんだ! 体の内ばかりでなく外からも音がする。窓の外に稲光が走るのを捉えながら、父に馬乗りになって顔を滅茶苦茶に殴りつけた。
 爆音がする。雷鳴が轟く。ぎゃあぎゃあと何かの生き物が叫んで、世界ががたがたと崩れていく。

 ……静かだな……と赤黒い体を踏みつけ、凪いだ心で部屋を見渡す。
 テレビはもう何の映像も流していない。飛び散った血がべっとりとついていた。視線を小窓に映して、そこに広がる光景に「……あ」と声が出た。
 住宅が立ち並んでいたはずの町が一変していた。
 暗く荒れた海原が激しい波を立てて広がっていた。吹き荒れる竜巻が海と天を繋ぎ、水飛沫が上がっている。
 ところどころに崖のように聳え立つのはビルの残骸だろうか、爆撃で壊されたような形跡もある――。
 強い風に木端が鋭い速さで窓に飛んできたが、直前の空間で爆ぜて消えた。
 ……この小部屋が特別なものであるかのように。

 *

 神は息子に重い天秤を持たせ、乗せているものを零さぬようにと言いつけた。
 傾けぬようあることが使命なのだと。
 神の息子は使命を軽んじ、荷を持たされることに不満を抱いて神を殺した。
 取り落とされた天秤から零れた災厄は地上を苛み、命はことごとく嵐にのまれる。

 *

 ……聞いたこともないはずの神話の一編。

「……そんな」
 血濡れた両手をだらりと垂れる。
 汚れることのない白々とした小箱が動く。そのように思った。
 ごご、ごご、と軋むように揺れながら、僕のいる小部屋は雲の切れ間へーー天空と運ばれていく。


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