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作品名:時の隙間の小さな話 作者:待井久仁子

第12回 ブックス・シー (テーマ:本屋)
 電車に揺られてふと目を開けると、窓の外に知らない景色が広がっていた。
「え――」
 海の中のように見えた。
 澄んだ青の中に海の生き物たちが泳いでいる。ゆっくりと止まった電車から、誘われるようにしてその世界へ出た。
 明るく光に満ちた海底の白い砂を踏んで歩く。頭上高くに水面があり、そこから差す光がゆらゆらと帯のように揺れていた。辺りを見回し、広がる光景に息を飲んだ。
 ――広く白い海底には、とんでもなく大きな本棚が見当もつかない程たくさん並んでいたのだ。
「その本はあっちだ! 分類を間違えないでくれ」
 大きな声に我に返ってそちらを見たが、私以外に人間は見当たらない。威勢よく声を上げているのはクマノミだ。何やら指示を出している。
「――君、まだ開店前だよ。お客さんは入っちゃいけない」
 私は慌てて手をぶんぶんと振った。
「いえっ、私、お客さんじゃなくて……えっと、ここは一体……?」
「ここを知らない奴がいるとは驚きだ」
 クマノミは自慢げに両腕――両ひれを広げた。
「ここは本屋ーー『ブックス・シー』だ!」
 その瞬間、光の帯が立ち並ぶ本棚をどこまでも見渡せる程に大きく揺らめいた。途方もない本の海に圧倒され、くらくらする。
 クマノミは驚く私に満足すると、今度は私を検分し始めた。
「君は人間なのか?」
「そ、そうです」
「お客じゃないなら見学者――それも人間の見学者か。よし、案内するから付いてくるといい」
 そう言うとクマノミは近くに浮かんでいた本を口の先に当てた。そうして、――ぽぅ、ぽぅ、と大きめの泡を吐いて本を乗せた。器用にそのまま運び始める。
「仕事をしながらですまないね」
 いいえ、と答えながら好奇心のままに辺りを見回した。エビや亀なども働いている。クマノミは本を尻尾で弾くエビに「本を乱暴に扱ってくれるな」と注意し、のそのそと本を運ぶ亀には「もっと早くは動けないか?」と声をかける。亀が精一杯ですよぉぉ、とい言うと「丁寧なのはそりゃ有り難いけどね」と諦めた口ぶりで返していた。
「こっちだ」と案内された本棚の上方から全体を見渡すと、それはもう見事に壮観な眺めだった。
 いっぱいに本が詰まっているはずの本棚は不思議に重さを感じさせず海藻のようにたゆたっている。水中に漂う本や、それを見つけては運ぶウミヘビや貝などが色とりどりにひしめき合っていた。
「わぁ……!」
 一人感嘆していると、「来るぞ」とクマノミが呟いた。
 ふっと頭上に影が差し、何だろうと見上げた瞬間――、
 ばしゃああぁぁん――!
 とてつもない大きな音がして、海面から空気の泡を纏った本たちが降り落ちてきた。「入荷だぞー!」という報せにイワシの群れが集まって本を一斉に海底に運んでいく。
「これは……」
「クジラが空から本を運んでくれるんだ。――料理の本、用意しといたよ!」
 上空にいるらしいクジラに叫ぶ。
「自分の体内を利用して移動本屋もしているから、今度はここから仕入れるって寸法。ほっ、と」
 ぽぅ――ぽん! と泡を吐くと、泡に押されて本は海から上空へ送られる。海上へ跳べるトビウオも本を運んだ。海の上の様子は見えないけど、たぶん空まで届いたのだろう。どうもなぁー、と朗らかな声が聞こえた。
 運ばれ損ねた一冊を手に取る。半透明のそれは、ぷるぷるとしてゼリーみたいな触り心地がした。
 曲線的な文字は知らない言語だ。読んでみたいのに残念、と本を撫でると、不思議と読める気がしてきた。
「あれ? ーー読めるかも!」
 縦横斜めに文字や絵が散らかっていて、何とも賑やかな本に心がはしゃぐーーが、触れている部分の色が変わっていく事に気がついた。
「おーっとっと、長く触るとダメだ、本が傷む。人間は皮膚に水気が足りないんだな。以前うちで働いていた人間が使っていた水手袋がある」
 小さな水流に乗って水色の手袋が運ばれてきた。
「これをすれば大丈夫だ。ーーん? しまった、もうあんなに膨れてる」
 クマノミは何かに慌て始めた。
 視線を辿ると、本棚の向こうにハリセンボンがいるのが見えた。それが、大きく丸く膨らんでいる。
「ハリセンボンがどうしたの?」
「時間を報せてくれる。さあ、ブックス・シーの開店だ。ぜひ君もお気に入りの本を買っていってくれ」
 ハリゼンボンはぷぅぅー、と膨らみ続ける。そして――

 ぱぁぁぁん!

 がたたん、という揺れで目が覚めると、いつもの電車の中だった。
 夢……。
 溜息を吐いて視線を落とすと、自分の手が手袋している事に気付く。何かのカードを両手で包むように持っていた。

『本のお好きな方、どなた様でもおいで下さい
 ブックス・シーへの行き方――』

 笑みが零れた。
 次はお客さんとして本を買いに行こう。――きっと素敵な物語に出会える、そんな予感がした。


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