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作品名:時の隙間の小さな話 作者:待井久仁子

第10回 アイちゃん (テーマ:裏切り)
 ふわふわのフリルとレースの華やかなドレス。ぴかぴかの靴を履いたお姫様みたいな着せ替え人形。
 ――大好きな私のお友達。

 穴の底に人形を置き、じっと見つめる。
「……ごめんね」
 きらきらとした目を手で覆って隠した。私の手は土で真っ黒に汚れている。
「さよなら、アイちゃん」
 自分で名前を付けてあげた大切な人形だった。
 夕暮れの公園には誰もいない。これから埋められるアイちゃんと埋める私以外ーー誰も。

 その人形を「一生のお願い」とねだり倒して買ってもらったのは小さい頃。とても嬉しかったのを憶えている。
 友達と遊ぶ時は必ずアイちゃんを連れて行った。たくさん着せ替えをさせて髪を飾って遊んでいると、あっという間に時間が過ぎていった。
「そのリボン可愛い!」
「ラッピングに付いてたのよ」
 そんな友達を真似て、包装紙をくしゃくしゃにして大胆にアイちゃんに巻き付けて、「パリコレの流行なのよ」なんて言ってみたりした。
 アイちゃんの髪を切ってしまった事もある。だからアイちゃんだけ他の子の人形と違って少し髪が短い。「どうして大事にしないの」と怒られたけど、アイちゃんにはこの方が似合うのよ、と反論した。

 お人形は女の子達の手の中からいつの間にか消えていた。アイちゃんを連れて友達の家に行っても、「まだお人形遊びなんてするの?」と呆れられた。
「この指輪可愛くない?」
「お揃いのブレスレットしよ!」
 そんな会話が増えていく。着飾る対象がお人形から自分へと移り変わっていく中、私だけ切り離された所にいるような思いがした。あの子達の中のお人形はどこへ消えてしまったのだろう――と。
「私はずっとアイちゃんのお友達よ」
 そう囁いてアイちゃんを抱きしめる。きらきらした目が私を信頼して見つめてくるようだった。

 窓辺に置いたアイちゃんを忘れてしまうようになったのはいつからだろう。何ヶ月も同じドレスを着せたままになっていた。
 中学では部活を始めた。頭の中は難しくなっていく授業と複雑化していく少女達の関係でいっぱいになっていたけれど、部活中は憧れの先輩の笑顔が見られて、それだけで心はいっぱいになれた。
 頭の中にも心の中にも、アイちゃんの棲む場所がだんだんと無くなっていった。
 小学生の頃はこっそりアイちゃんを学校に持って行った事もあったのに、もう荷物の中にもそんな隙間は無い。
 辞書や参考書の間にかろうじて作った隙間には、ポーチを入れた。部室に入る前に色つきのリップを塗り、綺麗な色のシュシュを結んでさりげなく自分を飾るようになっていた。
 中学二年生で初潮を迎えた。鞄の中にポーチがもう一つ増えて、思い煩う種も一つ増えた。アイちゃんを思う隙間がますます減っていく。
 家に帰っても窓辺にアイちゃんがいる事すら忘れている。時折目が合うと、遊んでくれないの、と問いかけられているようで罪悪感が募っていった。

 高校生になり、箱の中にいる人形と目があってどきりとした。そこに仕舞い込んでいる事すら忘れていた。窓辺の居場所はとっくに違うものに明け渡していた。
 付き合い始めた人は大人っぽい服装が好きだった。だからフリルのついた物は全部捨ててしまった。私もそういう物はさほど好きではなくなっていた。
 まるで違う生き物になっていくようね……と、箱に見つけたアイちゃんを見つめてぼんやりとした。ふわふわのスカートでお人形とおしゃべりをする小さい女の子はどこへ消えてしまったのだろう。
 ねえ、とアイちゃんに問いかける。遊んでくれないの、とあなたは言うかしら。
「……もう遊んであげられないわ。あなたを思い出してあげられそうにないの」
 アイちゃんの入る隙間がどこにもない。窓辺にも、頭にも心にもどこにも。もう思い出しもしないくせに、アイちゃんの事を忘れていく自分が許せない。
 のうのうと忘れ去る事を自分に許したくなかった。記憶に置き去りにする前に、この子を棄てるひどい自分を心に刻みつけたい。
 私は箱を抱え上げ、人気のない場所を探して外へ出た。

 薄暗い木の下を掘り、アイちゃんを穴の底に置く。白いドレスも金茶の髪も黒く汚れて、星の散りばめられた瞳は土で見えなくなっていく。
 それでも両腕は私を求めるように天に向かって伸ばされていた。
 ――遊んでもらっていたのは幼い私の方だったのにね。
「ごめんね……」
 土を何度も上からかける。
 ――アイちゃんが私に埋められていく。

「名前はね、アイちゃん」
「あら、このお人形にはもう名前があるでしょう?」
 大量生産の人形には販売用に名前が付いていた。
「それだとみんなと同じ名前になっちゃう。この子は特別な人形なのよ。私だけの一生のお友達になるの」

 ――それを裏切って棄てる日が来るなんて、想像もしていなかった。


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