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作品名:青い鳥の家 作者:異邦人

最終回 なぜ、泣く 親でも子でもないのに
               亀野利子
 
 強い日差しの中を隣市まで、乗客を送り、何時もの食堂に飛び込む。
 ほっと大きく息を吐き、あたりを見回す。
 昼食時が過ぎているせいか、会社の連中の姿はない。
 日よけの朝顔の広がった窓辺のテーブルに、老夫婦が食後のお茶を飲んでいる。
 おやじさんが、定番の壁際の席から、手を上げている。
 頷く。
 カウンターに並べである大皿の中から、残り少ないさばの味噌煮二切れ、ほうれん草のおひたし、わかめと豆腐の味噌汁は、白髪頭の店主がお椀に注ぐ。
 中年の髪を後ろにたばねたおかみさんが、サービスのたくあん二切れを小皿に入れてくれる。
 お膳を持って、おやじさんと向かい合って座る。
「一つと思ったのが、二切れ取ってしまっってさ、食べてよ」
 余分に取った味噌煮のさばを、おやじさんのどんぶりめしの上に置く。
 何時も、天かすうどんと、大盛り飯しか注文しないおやじさんに、時時、余分に取ったおかずを上げる。
 おやじさんは、
「有難う、旨いなア」
 わるびれず旨そうに食べる。それが嬉しい。
 親子程、年の違いがあるのに、自分に声を掛けてくれるおやじさんに、暖かいものを感じる。
「有難う。だが、今日はめしは喰いたくないんだ」
 大盛りのどんぶりめしも、サービスの天かすのふんだんに入れたうどんにも箸をつけていない。
「具合いでも悪いのかね」
 空き腹のせいか、さばの味噌煮が旨い。
「どこも悪くない」
 浮かぬ顔でいう。
「それなら、早く食べなさいよ。うどんがのびるよ」
 味噌汁を一滴も残さずすする。
「心配ごとがあるの?自分でよかったら相談にのるよ」
 満腹になると、気持ちが大きくなる。
「有難うな。あんたも知っている通り、俺、今月いっぱいで会社を辞めるだろう。寮を出なくてならんのだ。会社は、急がなくてもいいといってくれているんだがな」
 おやじさんは、自分が相談に乗るというと、途端に元気になり、大盛りのどんぶりめしにかぶりつく。
 初めて、おやじさんと顔を合わせた時を忘れない。
 施設育ちの自分が、高校を出てから、いろいろな仕事についたが、一人仕事のタクシードライバーが一番性に合った。
 タクシー会社に面接に行き、すぐ、採用される。
 会社が紹介してくれた勘定が月払いの、会社の隣りの大衆食堂に、昼めしを食べるつもりで、店に入った。
 ところが、運転手達の溜り場になっている食堂は、食事時はさほど広くない、店内のテーブルがほとんど塞がる。
 勝手が分からず出直そうかと帰りかけると、
 壁際のテーブルから、
「兄貴、ここが空いているぜ」
 と、手招きしてくれたのが、おやじさんだった。
 それから十年余り、親子程、年齢が離れているのに、昼食には、互いに顔を合わせて毎日逢っている。
 自分は常勤だが、おやじさんは定年後、勤務時間が自由なバイトを選んでいる。
 あとで分かったのだが、おやじさんは運転歴は、今のタクシー会社に入社してからも、三十年が経つが、若い時から、大型トラックや長距離バスなどに長年乗っていたのに、事故をおこしたことがない。
 会社は、無事故のシンボルとしておやじさんを大切にしている。
 ドライバー仲間も「おやじさん、おやじさん」と一目を置き,尊敬している。
 おやじさんは、自分のどこが気に入ったのか、初対面からひいきにしてくれた。
 内気で人つき合いの下手な自分に、名前を呼ばず、
「兄貴、兄貴」
 と、日焼けした浅黒い顔のおやじさんが、目を細めて気軽に声を掛けてくれる。
 自分も年の差を忘れて、同僚と同じように
「おやじさん」
 と、親しみを込めて呼んでいる。
「実はな、俺も七十になったからな。腰も痛くなったし、目もショボショボという感じでな。事故をおこさないうちに、運転をやめようと決心したのよ」
 無事故は、おやじさんの誇りだ。
 おやじさんは、味噌煮のさばをしゃぶり、残りのめしをうどんの汁の中にあけて、一気に食べ終わる。
「ところがさ、いざ、住む部屋を捜したところ、どのアパートも貸してくれないのよ」
 面白くない顔をする。
 独り身のおやじさんが、会社の寮で暮らしていることは知っていた。
 会社を辞めることは、おやじさんから、直接聞いていたが、部屋を捜していることは知らない。
「どうしてなの?ちゃんと家賃を払うのにね」
 不審に思い尋ねる。
「理由は簡単だ。俺が高齢者で、おまけに保証人なしだということよ」
 おやじさんは、いまいましげにいう。
 ふと、頭に浮ぶ。
 六畳二間のアパート住まいだが、北向きの六畳間は、物置き同然に、ガラクタを放り込んで使っていない。
「おやじさん、自分のところで一緒に暮らさないか」
 気の合うおやじさんが、部屋捜しに苦労している。
 力になってやりたい。
「そうか、そうか。あんたのところに空いた部屋があるのか?ぜひ、頼むよ。決して、金のことで迷惑をかけないからな」
 後先を考えず、とっさの思いつきでいったことが、後日、とんでもない抜き差しの出来ない縁になる。

 会社を退職したおやじさんは、古ぼけた布団一組と、薄汚れた大きな枕と、着替えを入れた、壊れかけのダンボール二つを持って移って来た。
 北向きの部屋は、自分が仕事を早めに切り上げて、いらない物を片付けて、ざっと掃除してある。
 台所兼用の狭い居間のテーブルに、スーパーで調えた赤飯や、小さいが鯛の焼き魚、刺身などを並べる。
 おやじさんの好きな焼酎の一升ビンもテーブルの上に置く。
「豪勢だな。済まん、嬉しいよ」
 自分は、アルコールに弱いが、引っ越し祝いだ。
 焼酎の水割りを作る。
「乾杯しよう」
「一寸、待ってくれ」
 おやじさんは急いで立ち上がり 、自分の部屋に行く。
 手に紙包を持って戻る。 
「兄貴、受け取ってくれ、部屋代と俺の食費だ」
 紙包みを開き、取り出した一万円札の銀行の帯封のままの百万円を、ポンと、テーブルの上に置く。
 アパートは、タクシー会社に就職した時、会社やスーパーに近いのが気に入り、新築で部屋代が高かったが、迷わず決めた。
 年寄りの不動産屋は、会社の名前をいうと、すんなり貸してくれる。
「一年分だよ」
 と、おやじはいうが、百万円は多すぎる。
 最初は、部屋代は半分でいい、食事は、好きなように自分で作ったらいいといった。
「俺は、これから毎日家にいるんだ。賄いは俺がするよ」
 おやじさんは即座に反対する。
 狭い台所で、めいめいが勝手に食事の仕度をするより、おやじさんのいう通りにした方が、手間がかからない。
「じゃ、任せるよ」
 喜んで、賛成する。
「部屋代は、もともと、自分で払っているのだから、おやじさんが半分出してくれるのなら、おやじさんの食費は自分の食費に回すよ。賄いに使ってよ」
「心配するな。こうみえても、俺は金を持っているんだ」
 おやじさんは胸を張る。
 ドライバー仲間が、毎日のように、サービスの天かすを入れたうどんと、大盛りのどんぶりめしを、食堂で済ませているおやじさんを、陰で「天かすおやじ」とひやかしていた。
 食事代を倹約して、金を貯めていたのかと、しみじみ、シワの多い日に焼けた顔を眺める。
「ハハ・・ 天かすおやじと皆がいっていたのを知っているさ」
 おやじさんは笑う。
 金を返そうとしても、
「これから世話になるんだ。遠慮しないで取ってくれ」
 おやじさんは受け取らない。
「折半にしよう」
 自分の食費は毎月出すといって、説得する。
 おやじさんは、やっと、承知する。
 渡された半分の部屋代は、すぐあとで役にたつのだが....
 おやじさんは、寮にいた頃から、焼酎の水割りをコップ一杯ときめて、晩酌を楽しんでいた。
 コップ一杯の水割りの焼酎を、チビチビ飲みながら、おやじさんは雄弁になる。
 両親は早く亡くなり、伯父の家で大きくなった。
 中学を卒業すると、郷里を出て上京する。
 いろいろな職についたが、車が好きで、運転免許を取ると、トラックやバスなどを乗り回して、各地を転転とする。
 四国の玄関口の市のタクシー会社で働き出した時、一念発起して、飲み放題に遊び放題の生活を、キッパリ改めたという。
「結婚はしなかったの?」
 と、聞く。
 二十二歳の時、飲み屋の娘と結婚した。
 相手も若かったせいか、半年程で別れる。
 子供はない。
 独り身の気楽さで、したい放題の気儘な暮らしをつづけた。
 おやじさんは、久し振りに、遠い昔を思い出したと、鼻をすする。
 おやじさんの身の上話を聞きながら、自分を捨てた両親を思う。
 へその緒のついたまま、公園の桜の木の下に毛布に包んで捨てられた。
 桜木の姓と、幸多かれと名前を幸多と市役所が付けた。
 首にぶら下げてあったお守りの袋の中に、生年月日の紙片が入っていた。
 今、自分は三十二歳。
 目の前で、空のコップを名残り惜し気に手に取って眺めている、おやじさんは七十歳。
「今日は特別の日だよね。もう一杯、飲みなさいよ」
「そうか、そうか。特別の日だな。もう一杯、張りこもうか、ヘヘ・・・・」
 浅黒い顔が相好を崩す。
 父の顔も、母の顔も知らない。
 父が生きていたら、おやじさん位の年齢だろうか?
 生まれてすぐ、へその緒をつけたまま、捨てた位だ。
 余程、生活に困っていたのだ。
 なぜ、自分は赤の他人のおやじさんに、親しみを感じるのだろう?
 意識せずに、父親に焦れているのか?
 目に涙が滲じむ。
 高校迄いた児童養護施設で、男だ、泣くな!と。ことあるごとにいわれた。
  泣くものか!
  自分は男だ!
  涙なんか出さんぞ!
 飲み馴れない水割りの焼酎を、ゴクリゴクリと喉をならして飲む・・・・
「明日から、俺が全部オッケーだからな。今日は早めに休ませてくれ」
 二杯目が終わり、赤飯も鯛も刺身も綺麗にたいらげたおやじさんは、上機嫌で自分の部屋に引き揚げる。

 おやじさんがこれ程、こまめな人間だと知らなかった。
 会社にいた頃は、担当の車を洗う以外は、身体を動かすのを見たことがない。
 それが、居間のベランダ側のガラス戸や、部屋の窓ガラスなどが、ピカピカになっている。
 めったに掃除しない、風呂場やトイレにも見違える程、手入れしている。
 食卓の上には、コーヒーの空ビンに、白や赤のバラの花を四、五本、ごちゃまぜに入れて飾ってある。
 おやじさんのために買った茶碗や皿の食器類と共に、自分の使っている茶碗や箸なども、洗剤で洗い上げてカゴに入れてある。
 洗剤は、流しの上の棚に置いてあったが、自分一人の食器だ。つい、面倒になり、あまり使っていない。
「見違いる程、部屋の中が綺麗になったね」
 目を丸くして、あたりを見回す。
「俺は小さい時から、他人のめしを喰ってきたからな。掃除、洗濯はお手のものさ」
 おやじさんは、得意顔だ。
 洗濯物は何時も、ハンガーやベランダの手摺りにひっかっけて干していた。
 夜勤の時は、下着類を洗濯機に放り込んだまま出掛ける。
 おやじさんは、洗濯ひもに、くたびれたシャツやパンツと並べて、自分の下着も干してある。
 おやじさんは料理も上手だ。
 それに始末やだ。
 料理といっても、朝夕のおかず作りだ。
 大根一本を葉付きのまま買ってきて、味噌汁や、炒めものに、浅漬けに利用する。
 根付きのネギの根を、ベランダに置いてあった瀬戸物の鉢に、どこから持ってきたのか、土を入れて植え,米の磨ぎ汁などを、こまめにかけて育てる。
 のびてきたら彩りに使う。
 自分が渡した食費の金に手を付けず、食器棚の引き出しにしまってある。
「俺の年金で、二人のめしは喰えるからな。引き出しの金は自由に使ってくれ」
 気前のいいことをいう。
 仕事に行く時も、帰ってきた時も、食事は自分が 作らなくてもいい。助かる。
「外でめしを喰わなくてもいいぞ」
 弁当を持たせる。
「おやじさんは器用だね。帰る足が早くなるよ」
 褒める。
「ふふ...俺はな。若い頃、料理屋の下働きをしたことがあるんだ。旨い物を作るコツを知っているのよ」
 年下の自分に褒められて、おやじさんは照れる。
 家に、自分を待つ人間がいると思うと、毎日が楽しい。
 だが、この楽しい毎日も案外、早くハプニングがおきる。

 おやじさんと同居して、はや、一カ月が経つ。
 スーパーに夕食の総菜を買いに寄ることもない。
 今日は早出だから、帰りが早い。
 風呂から出て、おやじさんが用意した食卓に座る。
 居間にだけあるクーラーが湯上りの身体に心地よい。
 ひとりで食事をしていた頃は、殺風景な食卓の上も、コーヒーの空ビンに、今度は、ヒマワリの大きい花を一本投げ入れてある。
 おやじさんと自分が身体を動かず度に、ヒマワリの花は、コーヒーの空ビンの口でクルリと回る。
 玉ねぎと人参とさつまいものかき揚げを、頬ばる。
 小エビが入っている。
「旨いなア」
 顔に笑いが広がる。
「今日、シルバーセンターに行って来たんだ」
 おやじさんは、晩酌の焼酎の水割りを口に運びながらいう。
 毎日、家にいると退屈で仕方ない。
 腰が痛いといっても,たいしたことでない。目は、車の運転は気を付けねばならないが、日常生活は差し支えない。
 それで、何か軽い仕事がないかと、シルバーセンターに行った。
「それがさ、運よく、市の住宅の庭木の剪定の仕事が一週間あるというんだ」
「早速、明日から仕事に行くよ」
「植木の手入れなんかしたことがあるの?」
「俺は若い頃、植木屋の手伝いをしたことがあるんだ。住宅の庭の植木の形を調えることはお手のものさ」
 おやじさんは苦労したのだと、張りきっている姿を見て思う。
「家で、一人でいるのは退屈だろうね」
 賛成する。
「おやじさんが働きに出るのなら、これからは家の事は自分もするからね」
「いや、いや、アルバイトだからな。つづけて何時も仕事があるというわけでないんだ。家の事は今迄通り。 俺が受け持つよ」
 おやじさんは、肩をそびやかす。
「遊んでいたら、身体がなまになって、早く老け込むからな」
 焼酎を一口一口味わいながら飲んでいるおやじさんが頼しい。
 毎朝、おやじさんは二人分の弁当を作り、そわそわ嬉しそうに、バイトの植木やの剪定に歩いて通う。
 寮住まいの長かったおやじさんは、車を持っていない。
 今日は、遠方の客の都合で昼食が遅くなる。
 会社の休憩室で弁当を済ませ、お茶を飲んでいた。
 若い女事務員が、バタバタと足音をたてて傍にくる。
「おやじさんが倒れたから、すぐ、病院に来てほしいと電話があったのよ」
「おやじさんが?」
 朝、首にタオルをきりっと巻き、意気揚揚と出掛けたおやじさんが病院に!
「午後から休ませて貰うからね」
 女事務員に頼み、教えられた市民病院に車を走らせる。
 個室のベッドにおやじさんは、仰向けに寝ていた。
 腕は、点滴の管につながれている。
 傍に、マスクをした年嵩の看護師がいる。
「どうしたの?」
 薄く目を開ける。
「今日で仕事が終わると思ってな。気がゆるんだのか、梯子から足を踏みはずしたんだ」
 別人のように、弱弱しい声だ。
「骨折していませんのでね、足首を捻挫して腫れているので、腫れさえひけば退院出来ますよ」
 といって、看護師は部屋を出て行ったが、すぐ戻ってくる。
「これに記入して下さいね。取りに来ます」
 看護師は書類を渡すと、一寸、点滴の管にさわり出て行く。
「住宅の人が呼んだ救急車で、病院に運ばれたが、家族に知らせるようにと看護師にいわれてな。会社に電話して、兄貴を呼んで貰ったんだ」
「済まん、済まんな」
 おやじはうなだれるように枕から首を下げる。
「心配しなくていいからね」
 おやじさんにいって、書類に目を通す。
 身許引き受け人の欄に、住所と自分の名前を書く。
 続柄のところで、チラリとおやじさんの方を見る。
 おやじさんは天井を向いている。
 ためらわず長男と書く。
 先のマスクの看護師が入ってくる。
「歩けませんのでね、おむつが必要ですよ」
「おむつ?」
 大柄でないが、がっしりとした身体のおやじさんが、おむつをする!
 驚くより戸惑う。
 おやじさんは、看護師の声が聞こえたのか、目を閉じた。
「よろしくお願いします」
 看護師に書類を渡す。
 看護師が出て行くと、おやじさんは申し訳なさそうにいう。
「済まんなア、買物は引き出しの金を使ってくれ」
 食器棚の引き出しの金は、自分が出した食費だ。
「倹約したら、俺の年金でめしは喰えるよ。この金は、引き出しに入れて置く。自由に使ってくれ」
 気前よくおやじさんが引き出しにしまった金だ。
「分かった。自分に任かせてよ」
 おやじさんを安心させて、病院を出る。

 スーパーは、会社とアパートの中間にある。
 車で、どちらからも十分程の距離だ。
 書類にある入院生活に必要な品を集めなくてはならない。
 始末やのおやじさんは、人前に着るような着替えがないことを知っている。
 スーパーで取りあえず、パンツやシャツ数枚、パジャマも洗い替え用に二着カゴに入れる。
 アパートの洗面台に、おやじさんが使っている歯ブラシや、歯みがきがあるが、新しい洗面道具をフンパツする。
 さて、おむつの売り場はどこかと、キョロ、キョロ、売り場を回るが分からない。
 丁度、何時も列をつくるレジが珍しく人が少ない。
 後につく。
 レジ係の幸子さんは愛想がよくて、親切なので、他のレジより幸子さんのレジは行列が出来る。
 自分の番になり、カゴをレジ台に置く。
 カードを出す。
 今は、引き出しの金は手をつけたくない。
「どなたか、入院なさったのですか?」
 カゴの中の品をレジに打ちながら、幸子さんが目を見張る。
「どうして分かったの?」
「おじいちゃんが入院した時に、揃えたのとそっくりですもの」
「そうか、実はね。おむつの置いてあるところが分からなくて困っているんです」
 つい、愚痴をとばす。
「ちょっと、お願いね」
 隣のあいているレジ係にいって、
 持ち場を離れて、先に歩く。
「ここですよ」
 寝具売り場の下の段を指差す。
 ここは、二度、通ったところだ。
「気がつかなかったなア」
 苦笑する。
 おむつの袋を一つ取る。
「分厚い方が便利ですよ。それにパットも一緒に使えば、夜は安心ですわ」
 別のオムツの袋と、パットの袋を渡す。
「有難う、助かった!」
 幸子さんの後ろについて、レジに戻る。
「困ったら、何時でも相談して下さい。介護はベテランなの」
 幸子さんは明るい声で、
「いらっしゃいませ。どうぞ・・・・」
 次の客に、応待している。
 大きなレジ袋をいくつも持って、車に乗る。

 数年前、レジ係の幸子さんと話を交わすようになったのは、偶然だった。
 仕事の帰り、スーパーに行っても、大抵、すいているレジを選んだ。
 たまたま、何時も列を作っているレジに客が少ない。
 すぐ順番になり.レジ台にカゴを置く。
 目の大きい色白の顔の小柄なレジ係の胸元に目が止まる。
 名札の幸子の名前に。
「自分と同じ字だ!」
 思わず、口に出た。
「あら!失礼ですけれど、どんなお名前ですか?」
 レジ係は首をかしげる。
「幸せ多かれの幸多というです。あまり、幸せでないけれどね、ハハ・・・・」
「本当だわ。名前は幸子ですけれど、あまり、幸せでないですもの」
 同じことをいう。
 客が並びはじめたので、すぐ、レジ台を離れた。
 相変わらず、スーパーに行っても空いているレジを選ぶ。
 独身だから、自炊している。
 仕事の帰りに寄るので、空腹だ。
 早く帰って、食事の仕度をしたい。
 幸子さんとたまに顔を合わせても、手を上げるだけだ。
 幸子さんは笑顔で、頭を下げる。
 ただ、それだけの知り合いだった。

 おやじさんは、一週間で退院した。
 血圧が高くなっている。
 通院しなければならない。
 足首の腫れがひいたといっても、完全に歩けない
 杖をついている。
「俺は大丈夫だ。仕事に行ってくれ」
 少し、痩せたが、元気なおやじさんに、
「困ったら、すぐ、電話してよ」
 久し振りに、会社に出る。
 おやじさんのことが気になる。
 昼食を一緒にするつもりで、アパートに寄る。
 玄関に入る。
 何か匂う!
 トイレの匂いだ。
 北向きの部屋の襖が開いている。
 おやじさんは、布団から這い出て、畳の上に転がっている。
「トイレに行こうと思ってな。布団につまずいてな・・・・」
 あとは声が出ない。
 杖が傍におちている。
 大も小もたれ流しだ。
 布団も、畳も、めちゃくちゃに汚れている。
 居間に駆け込む。
 制服を脱ぎ、椅子にひっかける。
 食卓の上は、朝、用意したおやじさんの朝食がそのままだ。
 下着姿で、おやじさんを抱き起こす。
 汚れたパジャマを脱がせる。
「親でも子でもないあんたに、下の世話をして貰うのが辛い!情けない!」
 両眼から、大粒の涙をポロポロ落とす。
「仕方ないよ。充分、治っていないのに無理するからさ」
 大変なことになったと思う。
「腰が痛い!」
 と、おやじさんがいう。
 痩せたといっても、おやじさんは骨太で重い。
 自分は背丈があるが、体重が軽い。
 ヨイショといいながら、おやじさんを背負って風呂場に行く。
 頭や背中をシャワーで洗う。
 九月になれば、肌寒くなる。
 裸のままでは、風邪を引く!
「動かないでいてよ」
 洗い台に座らせ、急いで、おやじさんの部屋に行く。
 そろり、そろりと汚れた畳に、足許を気をつけながら、押し入れを開ける。
 病院から持って帰ったままの風呂敷包みの中から、下着とはパジャマを取り出す。
 袋のままおむつとパットの袋を、自分の部屋に運ぶ。
 押し入れから布団を引きずりおろして、敷く。
 鼻をすすっているおやじさんに、バスタオルをかぶせて背負い、布団に寝かせる。
「当分の間、おやじさんの部屋は使わないからね。今日から、この部屋で二人で寝ようね」
 すると、おやじさんは、
「俺の枕は?」
 と、 いう。
「枕?うんちはついていないけれど、匂いがついてくさいかも知れないよ。新しいのを買ってくるから、この枕で一寸の間、待ちなさいよ」
自分の枕を頭にあてがう。
「あの枕でないと、俺は寝られないんだ。頼むから、俺の枕を持って来てくれ」
 半身を起こして、赤ん坊のようにせがむ。
 年寄りは、つまらん物にこだわるんだなアと、おかしくなりながら、ソバガラの入った薄汚れたタオルを巻いた大きな枕を、おやじさんの部屋から持ってくる。
 押し入れに、おむつの袋をしまう。
「済まん、済まんなア!親でも子でもないのに、兄ちゃんに、下の世話までして貰って・・・・恩は忘れんぞ!」
 兄貴が兄ちゃんに変わっている。
 涙が、浅黒い顔を濡らす。

 腹が空いている。
 おやじさんも、朝ご飯を食べていない。
 とりあえず、炊飯器のご飯を、朝作った小松菜と油揚げの味噌汁の中に入れる。
 玉子を二つ入れる。
 おやじさんが買ってあった特売のさば缶を皿にあける。
「お腹が空いたろうね」
 自分で食べると、起き上がるおやじの枕もとに、お膳を置く。
 居間で、大急ぎで雑炊をかっ込む。
「お腹が空いていると、何を食べても旨いなア」
 満足だ。
 お代わりを持って行く。
「旨いなア、生き返るよ」
 顔を合わせる。
「ハハ・・・・」
「ハハ・・・・」
 おやじさんと声を出して笑う。
 目頭が熱くなる。

 汚れたおやじさんの布団や、衣類をいくつもの大きなゴミ袋に入れて、ベランダに置く。
 ゴミの集荷日に出さなくてはならない。
 溜めた湯船のお湯をポリバケツに汲み、何回も運ぶ。
 畳の上を、ありったけのタオルを持ち出して、洗剤で拭く。
 窓を開ける。
 扇風機をつけ放しにする。
 おやじさんの部屋の掃除を済ませる。
 下着を脱ぎ、洗濯機に放り込む。
 シャワーを浴びる。
 Tシャツとパンツ姿になる。
「スーパーに行くけど、欲しい物ないの?」
 目を開けない。
 網戸の窓から、風が入るせいか、おやじさんは、気持ちよさそうに、いびきをかいて寝ている。

 日がかたむいている。
 外はまだ暑い。
 夕方のスーパーの混む時間帯だ。
 先に、会社に寄る。
 欠勤届を出す。
「一人で抱い込まなくてもいいじゃん」
 事務員達は、最近迄、仲間だったおやじさんの身の上よりも、同居人に同情する。
「なんとかなるさ ハハ・・・・」
 笑ったが、歩けないおやじさんをどうすればいいのか、考えがつかない。
 幸子さんのレジは、列が出来ている。
 今夜、寝る布団がない。寝具売り場に真っ直ぐ行く。
 おやじさんに、布団をやっても毛布がある。
 夜はまだまだ暑い。
 敷布団だけにしようか?
 おやじさんも毛布の方がいいかと、思案しながら、おむつの予備がいるなと、下段のおむつの袋を取る。
「退院なさったのですか?」
 後ろで、幸子さんが立っている。
「自分の来たのが、よく分かったね」
 衣料コーナーの方に、急ぐ姿が目に入ったので、レジを替って貰ったという。
「十数年も、介護に苦労したので、お客さんが病人のことを何も知らないので、気にしていましたの」
 大きな目がはにかんでいる。
 そうだ!
 介護のベテランだといっていた、幸子さんに話してみよう。
「実は、同居しているおやじが、突然、歩けなくなってさ」
 おやじさんがおやじになっている。
 今迄のいきさつを手短に話する。
 幸子さんは、真剣に耳を傾ける。
「血のつながりのないおやじさんでしょう?」
「うん。年は親子程違うが、気が合ってね、部屋捜しに困っていたから、自分のいるアパートに呼んだのだけれどね」
「他人なら、特老の施設に預かって貰った方がいいと思うけれど・・・・」
「施設に!」
 驚いて鸚鵡返しにいう。
 思ってもいなかったことだ。
 幸子さんは、しみじみいう。
「父は早く亡くなったけれど、母と祖父を十数年、自宅で看病して大変だったの」
「昼も夜も、病人を一人娘の私が介護するのですもの。民生委員の方が見かねて、施設に入れたらといって下さったのですけれどね」
 母も祖父も、老人ホームに行く位なら、死んだ方がましだと嫌がるので、かわいそうで辛抱して看ましたけれど、結婚も出来ず三十四歳のオールドミスになりましたわ」
 五年前、祖父と母がつづいて亡くなり、一年間はポッカリ心に穴があいたように、毎日、ぼんやりと家に閉じこもっていた。
 気を取り直して、家の近くのこのスーパーで働くようになった。
 と、幸子さんは、目をうるませる。
「優しいなア、自分より二つ上だ。とても、そんな年には見えないけれどね」
 ふっくらとした色白の顔は、二十代後半位しか見えない。
「有難う。嬉しいわ」
 敷布団、毛布二枚、おやじの通院用の色もののポロシャツと、ゴムの胴まわりの長パンツ、幸子さんのすすめでシーツ、おむつとパットの袋を二人で持ち、衣料コーナーのレジ台に並べる。
「私の家に、おやじさんと一緒に移っていらしたら...」
 祖父が建てた昔風の古い家だが、部屋数があり、介護に都合がいいように、手摺りをつけ、段差をなくし、車椅子も使えるように改造してある。
 市の福祉課に相談したら、ケアマネージャーやヘルパーを派遣して貰えるから、在宅介護が出来る。
 幸子さんは、更に、
「広い家を持て余して、いい人がいたら、部屋を貸したいと思っていましたの」
「明日でも、家を見にいらっしゃらない?私、お店を休んでもよくてよ」
 と、いう。
 意外な申し出に、渡り舟とばかりに乗る。
「ぜひ、頼みたい。おやじも施設に行きたくないと思う。お願いします」
 どんなところでも、施設と聞いただけで、心が暗くなる。
「明日、必ず行くからね。よろしくお願いします」
 何時迄も、売り場で立ち話が出来ない。
 急いで住所を聞く。
 アパートと反対のスーパーから車で二十分程だという。
「待っています」
 足早に持ち場に戻る幸子さんの後ろ姿に、
「有難う。助かった!」
 何度も頭を下げる。
 車に荷物を運ぶ。
 引っ返して、食料売り場で、野菜やリンゴなどの果物と、魚のコーナーでカレイのトレイをカゴに入れる。
 空いているレジに行く。
 カードを出す。
 外は、薄暗くなっている。
 車に乗り込む。
 おやじは、目を覚ましているだろうか?
 アクセルを強く踏む。

 おやじは起きていた。
 布団から身体を起こす。
 自分を見て、嬉しそうに笑う。
 冷蔵庫に食料を入れる。
 敷布団や毛布を押し入れにしまう。
「兄ちゃん、俺な、あんたに甘えているのが辛くてな」
「俺を老人ホームに入れる手続きをしてくれ。入りたくないけどな。これ以上、あんたにおむつの世話をかけられん」
「おむつ?」
 おむつが濡れている。
 情けなさそうにしている、おやじのおむつを替える。
「済まん、済まんなア」
 浅黒い頬に、涙をポロポロ流す。
「施設に行かなくてもいいように考えているからね。あまり、心配しなさんな」
「本当か?あんたと一緒に暮らせるのか?」
 おやじの目が光る。
 急に、薄汚ないタオルを幾重にも巻いた枕の糸目を、前歯で喰いちぎる。
 おやじは、年に似合わす、歯は丈夫だ。
 枕の中から、茶色の布で包んだ細長い封筒を取り出す。
「兄ちゃん、聞いてくれ。タクシー会社で働く前、いろいろな土地を転転としていたんだが、大阪でトラックに乗っていた時に、郷里が同じ北海道だという運転手と気が合ってな」
 同じ、アパートに住むようになる。
 この運転手は、郷里に妻子があるのに、音信不通のまま、自分勝手に遊び惚けていた。
 その日も、仕事から帰ると、アパートの住人達が、部屋の前で騒いでいる。
 頭が痛いと仕事を休んでいた運転手が、部屋で倒れているのを、隣りの部屋の若い男が、入口のドアが開いているので、何気なく覗くと、玄関先で倒れていたという。
 救急車で、病院に搬送された。
「今、息を引き取った」
 付き添った町内会の会長から、連絡がくる。
 住人等は、同居の運転手の勤め先が分からないので困っていたと、口口にいう。
 大酒飲みだった。
 本人も俺も蓄わえなんかない。
 一文無しだ。
 市役所が郷里に知らせたが、家族から返事もない。
 遺骨が、無縁仏の納骨堂におさまるのを見送る。
 その時、俺は一念発起したんだ。
「こんなみじめな死に方はしたくない!」
 大阪から四国の玄関のこの市のタクシー会社に移ったのも、今迄のだらしない生活を精算したかったからだ。
「天かすおやじ」と、陰でいわれても、一心に金を貯めることに専念する。
 新入りのあんたを一目見た途端、どうしたことか、子供がいたらこれ位の年かと、とっさに思った。
「俺は、長い間、極道をしたおかげでな、人を見る目がある」
「兄ちゃんと親しくなるにつれ、兄ちゃんの人柄に生みもしない我が子を思うのよ」
「どうせ、最後は他人サマの世話だ。老人ホームに入っても、特老なら、年金でどうにかなる」
 しっかりした口調だ。
「親でも子でもないあんたに、これ以上、迷惑をかけたくない」
 親でも子でもないと、おやじは口癖のようにいう。
 自分も思う。
 親でも子でもないのに、何故、赤の他人のおやじに、仕事を休んでまで世話をするのか?
 ふと、気付く。
 顔も知らない父親に、おやじを重ねているのではないか?
 捨てられたことを恨んだことはない。
 闇に流さずに、生んでくれたからこそ、今の自分がある。
 生活に困った両親は、へその緒をつけたまま捨てたのだ。
 首にかけてあったお守り袋に入っていた、生年月日の紙片は、親の情けだと思う。
 お守りは、へその緒と共に、今も大切に持っている。
 もし、奇跡がおき、生みの親とめぐり逢えて、暮らしに困っていたら、助けてやりたいと、無駄遣いをせず、貯金をしている。
 おやじは、手に持った枕から出した細長い封筒を、いきなり、両手に握らす。
「・・・・?」
 おやじを見る。
「開けてくれ」
 真顔でいう。
「なかを見てくれ」
 銀行の預金通帳と印鑑が入っている。
 家が一軒建つ金額だ。
「受け取ってくれよ」
 おやじは、鼻をすすり上げる。
「おやじ、急にいわれても返事に困るよ」
 気付かず、おやじと呼んでいる。
「兄ちゃんを、生みもしない我が子のように思えてな。最後迄一緒に暮らしたいと思っていたよ。だがな、世帯も持っていないあんたに、このまま、面倒をみて貰うのはかわいそうでな。俺は、施設に入る覚悟をしたんだ」
両手で、ポロポロ落ちる涙を、しきりに拭く。
「この金は、兄ちゃんに上げる。その代わり、死に水は取ってくれよな」
 おやじは、涙を拭いた手で、両肩をゆする。
 傲慢で気儘な過去のある人間でも、老いると、こんなに涙もろくなるのか?
 自分は泣かないぞ!
 涙なんか出すものか!
 心が叫ぶ。
 乳児院から児童養護施設育った。
 子供の頃は、自分を捨てた両親を恋しがって泣いた。
 男だ。
 めそめそ泣くな!
 といわれて、反抗することも知らず、素直に育った。
 高校を卒業して、施設を出る時、成績のよかった自分を惜しんで、奨学金で進学しろとすすめてくれた。
「働きたい」
 初めて、自分の意志を告げる。
 誰の指し図も受けず、自分の考えで生きたい。
 内向的で人見知りのする性格のせいか、いくつも職を変えた。
 誰にも支配されない一人仕事のタクシーの運転手が一番性に合う。
 初めから、おやじさんに好感を持った。
 おやじに、父親を感じていたのだろうか?
 なんのこだわりもなく、同居人にすぎないおやじのおむつを当然のように替えている。
「おやじを施設に入れないよ。一緒にいられるいい方法があるんだ」
 幸子さんと相談した結果を説明する。
「そうか、そうか!俺は運のいい男だ!」
 今度は、声を出して泣く。
「泣きなさんな。自分までしめっぽくなるからさ。おやじの世話は引き受けるから、安心してよ」
 手に持たされていた通帳を封筒に入れる。
「今まで通り働くからね。なんとか喰えるからさ。心配しなくていいよ」
 自分も貯金がある。
「あんたに、金の苦労をさせたくない」
 又、封筒を押し返す。
「任かせてよ。自分を息子と思ってさ」
 施設育ちはいわなかったが、身寄りのないことは、おやじは知っている。
 息子と聞いて、おやじの顔に喜色が走る。
「そうか、もう、何もいわん。息子よ、よろしく頼む」
 芝居かかった声が震える。
「おやじ、自分もよろしく」
 生まなかった我が子を思い、顔も知らない親を慕う・・・・
 天涯孤独の二人だ。
 俄か親子は、血のつながりがなくても、頼り、頼られる家族になったのだ。
 通帳と印鑑をもと通り、枕の中にしまう。
「よく、枕を金庫代わりに思いついたね」
 古びたソバから入りの枕を、入院していた時も、
「俺の枕を持って来てくれ」
 と、せがんだ。
「すぐ、退院するのだからさ、病院の枕で辛抱しなさいよ。あんな古くさい枕をしていたら、看護師さん笑われるよ」
 と、いってなだめた。
「全財産の通帳をしまうところは、薄汚れた枕が一番安全なんだ。身体に持っているより、毎晩、一緒の枕の方が誰にも気ずかれないからな」
 久し振りに、胸を張る。
「落とすことはないだろうけれどさ」
 枕とはよく考えたと感心する。

 おやじを背負い、居間の食卓の椅子に座らせる。
 天井の電燈が明るい。
「少しなら大丈夫だよ」
 水割りの焼酎のコップを、おやじに持たせる。
「これを飲むと元気が出る」
 顔をほころばせる。
 食卓に、ヒラメの煮付け、きゅうりとかまぼこの酢の物、大根と油揚げの味噌汁が並ぶ。
「おやじのねぎ、役にたつよ」
 椀にベランダの青いねぎが、入れてある。
 おやじが、ねぎの根を鉢植していたのが、伸びている。
「リハビリに精出したら、又、家のことが出来るからな」
 機嫌がいい。
「急がなくてもいいからね。腰痛をこじらせないようにしなさいよ」
 おやじは、血圧も高い。
「全く、年をとるとロクなことがないや」
 今度はぼやく。
「ハハ・・・・皆、年は平等に取るからね」 
 明日は、幸子さんの家を見に行く。
 話がまとまり次第、すぐ、引っ越ししたい。
 幸子さんの話をする。
「そうか、そうか。親切な人だなァ独り者か?」
「うん...」
 幸子さんのはにかんだ顔が浮かぶ。
「兄ちゃんが、独身だと知っているのか?」
「何時も一人で行くし、買う量も少ないからね。気づいていると思うよ」
「・・・・」
 おやじは無言だ。
 引っ込み思案の性分は、異性に気が回らなかった。
 親切なレジ係の幸子さんに、声をかけられて、積極的になる。
 気軽に、おやじさんのことを相談出来たのも、幸子さんが優しいからだ。
 親がいて、妻のいる家庭....
 夢にも思わなかった、幸せな家庭....
 身体が熱くなる。
「兄ちゃん、もう一杯くれんか。なんだか、嬉しくてなア」
 空のコップを突き出す。
「ハハ・・・・おまけは今度だけだからね」
 笑いながら、薄めた焼酎の水割りを注ぐ。
「兄ちゃんも飲めよ」
 うながされて、コップを持ってくる。
「乾杯!兄ちゃん頼んだぞ」
 おやじは、コップをカチンと合わせる。
「乾杯!おやじ楽しく暮らそうな」
楽しい思い出はない。
 親でも子でもないのにと、泣いた他人同志が、不思議な縁に結ばれる。
 ベランダから虫の声が聞こえる。
 天井の灯りがまぶしい。
 幸子さんは、今、どうしているかな・・・・


 読んで下さいまして、誠に有難うございます。
  来月末で、96回目(1921、大正10、10、30日
 生)の誕生日を迎えさせて頂けると思いますが、全身の痛たみのめ、思うように書けません。
  秘そかに応援して下さる方がいらっしゃるような気がします。
     有難うございます。
  厚く厚く御礼申し上げます。
     有難うございます。
  読むご縁を下さいました方の限りないご多幸と
  ご健康をこころより
     お祈り申し上げます。
                         合掌
              29.9.21しるす


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