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作品名:青い鳥の家 作者:異邦人

第2回 2
 空港近くの料理店で、同級生達が待っていた。
 旧友たちと久し振りに交わす酒に、話が弾む。
「随分、地元も変わったねえ」
 タクシーの中から見た小中学生の頃、通った田んぼの畦道が、コンクリートの立派な道路になり、新しい住宅が並んでいる。
「市と合併になったからね。大手スーパーや、いろいろな業種の店が入り込んでさ。今に、田んぼなんかなくなってしまうよ」
 クラスメートの一人がいう。
「お陰て、おれの商売は大繁盛さ」
 不動産業の旧友が笑う。
「今度、公園の傍の古い住宅の跡地を売りに出しているがね。商店街に近いし、高く売れるよ」
 公園の傍と聞いて、奥さんの家の近くでないかと気付く。
「東の出入口の方なの?」
「いや、西の方だ。二軒分の更地だから広いよ」
 奥さんの家は、東の出入口の前だ。
「僕に、その土地を売ってくれないか!」
 先生の口から、思いがけない言葉が出る。

 先生の妻は、四国行きに反対した。
 准教授の先生は、順調にいけば教授の道が開かれている。
 何を好んで、地方に、診療所を開業するのかと、都会育ちの妻はいう。
 上司のすすめる見合結婚の妻との間に、息子が一人いる。
 大学を卒業すると、旅行会社に就職する。
 社長の娘と結婚して、旅行が同じ趣味の嫁と、海外のツアーを手広く扱い、社運を盛んにしている。
 先生の妻は、明るい積極的な性格だ。
 その頃の先生は、大学生活も病院勤めも大事な時期で、家庭のことは一切、妻に任せていた。
 息子が、父親と同じ医師の道を選ばなかったことも、旅行好きの妻の影響が大きい。
 先生が、郷里に戻る気持ちになったのは、奥さんのことが心にあったからだが、最大の原因は、大学の人事関係に疲れていた。
 息子は、学生結婚をして落ち着いている。
 妻と二人の生活だ。
「君の好きなことをしたらいいからね。住めば都というじゃないか。これから、気楽に暮らそうよ」
 妻をなだめて、地元にクリニックを開業して、十年程経っている。
 移住した頃は、妻は奥さんとすぐ仲良くなり、互いの家を出入りしていた。
 妻は、地方の生活に馴染まないというより、退屈する。
 初めは、おとなしい奥さんを誘って、小旅行などに出掛けていたが、息子夫婦に誘われて、だんだん、国内ばかりか、海外ツアーに行くようになる。
 先生は、妻に傍にいて貰いたい時もあったが、何時の間にか留守が当然になっている。
 妻が長期間、家を空けても文句をいわない。
 妻は、自分の我儘を夫が許してくれると思っている。
 ところが、何を思ったのか、四国のツアーに加わっていた妻は、途中から家に帰る。
「あなたのお顔が見たくなったの」
 万更、お世辞でもなく甘えた態度で、居間のソファに座ろうとして、 無造作に傍の椅子に置かれたエプロンに目が止まる。
 胸もとに、薔薇の模様のあるエプロンは、薔薇の花の好きな妻が、旅先で見付けて自分とお揃いで、奥さんに土産に買った物だ。
「やっぱり、そうだったのね。信用していたのに。ドロボー猫だわ」  
 先生と同じ背丈位ある妻は、二重の目を大きく開き、口をゆがめる。
「君に、そんことをいう資格があるか!」
 先生の何時も穏やかな口調に、怒気がこもる。
「勝手なことをしても、何もいわないんだ。僕達のことを干渉するな!」
「僕達の?まあ!」
 妻は、一瞬、言葉を失う。
「好きなようにしたらいい。これからも、何もいわないからね」
 先生は冷たくいう。
「分かったわ。好きなようにさせて貰います!」
 置いたばかりのスーツケースを取り上げる。
「あなたも好きなように、なさったらいいわ」
「・・・・・・」
 先生は返事をしない。
「息子夫婦は、何も知らないのですから、上京した時は、息子のところに寄って下さいね。私のたった一つのお願いよ」
 ドアを荒荒しく開け、振り向いた顔に、涙が落ちているのを、敏捷な先生は見る。
 子供のいない息子の家に、居着いた妻は、二度と自宅に戻らなくなる。
 離婚したいといえば、承諾するつもりだった。
 妻は別れるといわない。
 先生は不思議に思う。
 涙が出る程、結婚生活を願うなら、何故、、一緒に暮らそうとしないのか。
 子育ての終わった時間を、自分のために自由に使いたいと、夫婦の日常生活を犠牲にしても悔いはないのか?
 先生は自分から別れるといわない。
 息子を生んだ妻への情けか・・・・
 上京すれば、妻の懇願どおり、息子の家に一泊する。
 息子夫婦は、両親の不和を知っているが、干渉しない。
 互いに、好きなように暮らしたらいいと、割り切っている。
 妻は、息子夫婦の旅行会社のメンバーに加わり、ツアーに参加することが多い。
 旅行先で、土地の特産品や、名物などを先生に贈ってくる。
 必ず、二人分を送る。
 メールも電話も寄こさないが、唯、一行、「上げて下さい」と書き添えてある。
 先生は、一切返信をしない。
 品物は、黙って奥さんに渡す、
 奥さんは、素直に受け取る。
 先生は、妻と別居している原因が、自分にあると自責に囚われている奥さんを不憫に思う。
 奥さんは、勝手気儘な生き方をしている妻の代理でない。
 先生が、心から愛しているひとだ。
 初めから、温和な控えめな奥さんに惹かれた。
 初対面の時から、先輩の妻を奥さんと呼び、奥さんも、周囲の人々と同じように先生と呼ぶ。
 名前をいわなくても、互いに、夫婦以上の存在だ。
 先生は慰める。
「僕達は、出会うのが遅かったのだ。運命によって結ばれたのだと思えば、どんな境遇にも耐えられる」
 最初、奥さんは先生との仲をこばんだ。
「年が違い過ぎますわ。独りの方が落ち着いて暮らせます」
 年の差にこだわる。奥さんは七歳上だ。
「僕が嫌いなのだね」
 先生は、意地悪くいう。
 奥さんが、自分を好きなのは分かっている。
「年を取ってゆく姿をお見せしたくないの」
 奥さんは泣く。
「僕だって年を取るんです。年齢の違いなど問題でない。今後は、責任を持つからね」
 町内の人達や、クリニックの患者の多くからは、二人が連れだって公園の廻りを散歩したり、互いの家を行き来しているのを見て、夫婦同様に思われている。
 先生は正式の仲でない自分についてきてくれる奥さんのために、出来限りのことをしてやりたい。
「将来のために、土地は広い方がいい。工事代や経費は僕が援助して上げる」
 先生は目を細めて、テーブルの上の花瓶から白百合の花を抜き取ると、奥さんに向って投げる。
 心の中でつぶやく。
 好きだ。愛している!
「有難うございます」
 奥さんは嬉しそうに両手で受ける。
「シャワーを浴びてくるよ」
 先に入浴を済ませていても熱いすき焼きを食べて、汗をびっしりかいた先生は、浴室に行く。
 その間、奥さんは流しで食器類を洗う。
「洗い物なんか、バイトのひとに任かせなさいよ」
 先生がいうが、奥さんは先生の家で食事をした時は、必ず、後片付けをする。
 毎日、近所の中年の主婦が、バイトで掃除や洗濯にくる。
 食事の用意もするが、先生は朝はパン食に、昼間は仕出し弁当で済ませる。
 夕食は散歩のあと、奥さんの家で食べる。
 たまに、今日のようにバイトの主婦に材料を買って貰い、奥さんを呼んで食事する。
 奥さんは、夕食を先生のところで取った時は、先生の家で夜を過ごす。
 シャワーで汗を流した先生は、寝室に行く。
 片付けの終わった奥さんは、冷房をとめ、電灯を消して後につづく。
 スタンドの灯がともる。
 パジャマに着替えた先生は、ベッドに入る。
 奥さんは、服を脱ぎ下着姿でベッドにすべり込む。
 奥さんの枕はクッションだ。
 先生がバイトの主婦にいって購入した枕は、クローゼットに入れたままだ。
 帰らなくなった妻の枕は、捨てたのか無い。
 置き忘れたエプロンを見付けた妻が、姿を見せなくなってから七、八年経っている。
 奥さんの家には、先生の着替えや、パジャマなどが揃えてあるのに、先生の家には、自分のものは一切置かない。
 別居の妻に遠慮しているのではない。
 自分は、先生の家の者でないとこだわる。
 一人娘で。祖父母や両親の愛情を一身に集めて育った奥さんは、素直でおとなしい性格だが、頑固な一面がある。
 先生と、半同棲のような暮らしになった時、先生は、二人分の生活費を渡そうとした。
「お金を頂かなくても食べていけます」
「僕達の生活費だ」
 といっても、
「夫の遺族年金や、私にも少少年金がありますもの。大丈夫ですわ」
 といって受け取らない。
「じゃ、僕は絶食する。居候でないんだ!」
 先生は強気に出る。
 奥さんの従順な性分を知っている。
 実際は、三食とっているのだが、奥さんの用意する料理に一切手を出さない。
「このままだと餓死するなあ。それでもいいの?」
 食卓の上を見ながら、溜息をつく。
「済みませんが、お水を下さい」
 わざと、他人行儀にいう。
 奥さんは、先生の身体が心配になる。
 根負けした奥さんの銀行口座に、やっと、二人分の生活費を振り込むことが出来た。
 先生は、妻の口座にも一定の金額を振り込んでいる。
 妻は時時、新聞や週刊誌に旅行記などを書いて、多少の収入があるのだが、離婚していない義務感から、毎月実行している。
 奥さんは、先生を誠実な方だと、逢った時から信頼出来た。
 先生は何時もいう。
 七歳年上のハンディを悲しむと、
「出会いが遅かったんだ。こうして二人でいられるだけでもラッキーだよ」
 みち子さんの相手の店長も
「出会いが遅かったね」
 と、いったという。
 奥さんは、自分にいいきかせる。
 今が幸せなら,余計なことは考ええないようにしよう・・・・
 先生は、奥さんの身体を引き寄せる。
 寄り添い、みつめ合う。
 今、ひとときの愛に燃えるふたりの影が、淡いスタンドの灯に静かに揺れる・・・・

 改造工事が始まる。
 奥さんは、ホームセンターの店長のお兄ちゃんこと幸多くんの、きびきびした仕事振りに感心して、要点だけを話して一任する。
 祖父が半世紀前に、秘蔵の木材で建てた家だが、年寄りの住む造りでない。
 連日、幸多くんは職人達と、部屋や廊下の段差をなくし、薄暗い中廊下の外に面したところは、ガラス窓を付け、東西の出入口に厚い一枚板の引き戸の上部にガラスはめ込む。
 奥さんの要望通り風呂場とトイレは、広く数を増やす。
 奥さんが幼い頃、正月や盆に山から大勢の作業員達が下りて泊まった時、朝など、西の端に一つしかないトイレの前に並ぶ男達が、
「早くせんか!もれるわ」
 叫んでいたのを、幼ごころに異様に感じていた。
 家族用の東の方のトイレを使っても、朝夕混む。
 西の古い和式のトイレを洋式にして三カ所増やし、東の渡り廊下の曲がり角の傍に二カ所に新しくもうける。
 浴室は、西の五右衛門風呂を除き、全員が一緒に入れる浴槽に段と手すりを付け、洗い場も皆が使えるよう広げ、シャワーを付ける。
 各部屋の畳や障子や押し入れの襖も、みち子さん母娘の住む離れも新調する。
 畳屋が倉庫に入れてある古畳を見て、畳床がしっかりしているから、表を替えたら使えるといったが、先生がこの際、新しくしたらいいという。
 仏壇のある奥座敷や中の間と次の間は、奥さんが暮らしている部屋だが、三間の部屋のうち、中の間を洋室にしてベッドを入れる。
 奥座敷と台所に近い次の間は、畳や襖、障子なども新しくする。
 先生は何もいわなかったが、自宅ではベッドで寝ている。
 奥座敷の北側に、生垣に囲まれた坪庭がある。
 小さい石灯籠が置いてあり、青もみじや椿が植えてある。
 縁側のガラス戸を開けると、涼しい風が入る。
 広い台所も、奥さん一家が使うようになってから、大きい食器棚などは取りはらい、流し台も湯冷水のじゃ口に替え、二つあったかまども除け、市ガスになっている。
 電気工事の資格を持つ幸多くんは、台所や各部屋に、電気製品が使えるようコンセントを多く付ける。
 中廊下に面した部屋の杉の板戸の引き戸の上部に、明かりとりのガラス窓を付ける。
 七月中旬から始めた工事は、予定より長くかかり、木犀の香りの漂いはじめた九月半ばに修理が終わる。
 みち子さんは、毎日のように新しい職場になった家に来て、広い庭の雑草を刈り、花の手入れをするので、庭は見違える程奇麗になる。
 幸多くんから、無事に工事が終わりましたと告げられる。
 翌日、奥さんは木曜日が休診の先生と一緒に、久し振りに我が家に戻る。
 奥さんは、改造中ほとんど、先生の自宅で暮らしていた。
 家の中を見て回る。
 先生は、北側の縁側のガラス戸を開け、
「ここは涼しくていいね。だが、冬は寒いなハハハ・・・・」
 中の間のベッドを見た先生は、上機嫌だ。
 アパートの住人達は、二、三日中に引っ越してくる。
 今日は散歩をやめて、ゆっくり早目に夕食を済ませた奥さんと先生は、新しく替えた大きいソファでお茶を飲む。
 幸多くんに請求書をいってある。
 浴室やトイレなどに、特別に注文したので、多額になると奥さんは覚悟している。
「費用は僕が引き受けているんだ。心配しなさんな」
 先生はいうが、奥さんは少しでも手許の金を出したいと思っている。
 九月に入れば、日の暮れるのが早くなっている。
 五時過ぎだが、外は薄暗くなっている。
「新しい風呂に入ろうか。一緒にどう?」
 奥さんは頬をふくらます。
 先生は、いやいやをする年を感じさせない、奥さんを可愛いと思う。
「ハハ・・・・ すぐ本気にするんだから」
 玄関のブザーが鳴る。
 新しく付けたインターホンに
「遅くお邪魔して申し訳ありません」
 福永さんが立っている。
 背後に、幸多くんとみち子さんがいる。
「先生もいらっしゃるのよ。どうぞ、上がって頂戴」
 福永さんは、居間に入ってくると、先生に丁重に頭を下げる。
「この度は、奥さんと先生に並並ならぬお世話になりました。有難うございます」
 後ろの幸多くんとみち子さんも深くお辞儀する。
「目出たい話があるようだね」
 先生は、三人に笑顔を向ける。
 福永さんのコーヒー好きを知っている奥さんは、コーヒーを入れてテーブルに置く。
「どうぞ、お構いなく・・・・」
 福永さんは恐縮する。
「実は、幸多くんとみち子さんの結婚について、ご相談に上がりました。丁度、先生もいらっしゃいますので、よろしくお願い致します」
「幸多くんとみち子さんの結婚?」
 奥さんは、すぐ合点する。
 みち子さんが毎日来て、庭の手入れをしているのを知っている。
 母親の姿が見えないので
「お母さんを一人置いてきて大丈夫?」
 聞くと、
 高橋さんが預かって下さって、不思議な位、おばちゃんの部屋でおとなしく帰りを待っているという。
  みち子さん母娘が住む離れの別棟は、幸多くんが親身になって 手を加えていた。
 楽しそうに話している二人の様子を見て、奥さんは、一緒になれば似合いの夫婦なのにと、思っていた。
「話せば、知っている人間もいるでしょうが、今まで誰にもいわなかった幸多くんの出生を初めて、奥さんと先生にうち明けさせて頂きます」
 福永さんは前置きする。
 三十五年前、市役所の職員専用の玄関前に、捨てられていた赤ん坊の幸多くんを、役目ながら名付け親になり、当時、面倒を見た縁で、十年程前に突然幸多くんが訪ねてくる。
 地元に就職した幸多くんは、福永さんをおやじさんと呼んで慕う。
 幸多くんがいう。
 どんな理由で自分を捨てたか分からないが、ダンボール箱に新聞紙を敷き、厚いバスタオルで包んで、雨に濡れないようビニールの風呂敷をかぶせた、親ごごろを想うと逢いたい。
 どうしているだろうと成長するにつれて、心から離れなかったという。
 アパートの人達と行き来しても、隣家に住むみち子さんと、顔を合わせる機会は余りなかったが、みち子さんの働いているスーパーに買物に行った時など、レジ係のみち子さんの客に対する親切な応待に好感を持っていた。
 幸多くんは、奥さんの家の改造工事で、一緒にいることが多くなるにつれ、みち子さんの優しさに惹かれる。
 みち子さんに思い切って求婚する。
 みち子さんは泣きながら、妊娠していることを告げたという。
「俺は、それを聞いて嬉しかったんです。自分に親と呼ぶ人がいない。兄妹もいない。一ぺんに妻と子と母親が出来たんです。母と呼べるひとが出来たことが、どんなに嬉しいかったとことか!なんでも話せる相手のいる幸せを思うと、みち子さんのお腹の子は、自分の子供だと思う程、有難いのです」
 幸多くんは涙声でいう。
「幸多くんのいうのには、お腹の子供の実の父親の許可を取って欲しいというのです」
 福永さんは、幸多くんが自分の出自を知らないことを悲しんでいる。生まれてくる子供が大きくなった時に、真実を知らせたい。
 捨てた親でも自分は恨まない。
 闇に葬らず、生んでくれたからこそこの世に自分は存在する。と、幸多くんは奥さんと先生の前で号泣する。
 福永さんは、みち子さんのお腹の子の父親は、最近、閉店したスーパーの店長だという。
「先方に、話を通したいのですがー」
 福永さんは、奥さんと先生の顔を交互に見る。
「あの店長なら知っていますよ」
 先生は、店長が風邪をひいた時や、子供が熱を出した時などに診察している。
「みち子さんと幸多くんなら、お似合の夫婦ですよ。店長さんに正直にうち明けた方が、生まれてくる赤ちゃんのためにいいでしょうね」 
 みち子さんの妊娠がネックで、二人の結婚をためらっていた奥さんは、先生の方を見る。
「子供にも自分の出自を知る権利がありますからね。先方に連絡したらどうかね」
 先生の賛成で話がすすむ。
 奥さんと福永さんが、隣県の大もとのスーパーのチェンの店長になっている、赤ん坊の父親に逢いに行くことで話が決まる。
「幸多くんなら、みち子さんをきっと幸せにしますよ」
 奥さんは、みち子さんの手を握る。
「有難うございます。夢を見ているようです。」
 みち子さんの声は明るい。
「奥さん、先生、有難うございます」
 幸多くんは、椅子から立ち上がり、奥さんと先生に、深深と頭を下げる。
 公園で泣くみち子さんに、お家のことも、働くところも心配しなく
ていいですよ。といった咄嗟に頭に浮かんだ考えも、赤ちゃんのこともきっといい方法がみつかりますよと励ました、そのいい方法が思いがけない幸多くんの出現で、早く解決出来て、奥さんは我がことのように嬉しい。
 みち子さんの母親は、不思議に正気に戻ったように、幸多くんを、
「お兄ちゃん、お兄ちゃん」
 と、呼んで歓迎しているという。
 みち子さんは、幸多くんを初め、奥さんや先生や福永さんに、自分達母娘の身の上話をする。
 みち子さんの父親は、みち子さんが大学を卒業すると、銀行に就職した直後に急死する。
 みち子さんは、母親の姉の夫との間に生まれた。両親を早く亡くしたみち子さんの母親は、姉の嫁ぎ先の酒造会社の社長の家で暮らしていた。
 勝気な姉に、長い間、お手伝いのように扱われているみち子さんの母親を、哀れに思った姉の夫は、みち子さんの母親を別に住まわせる。 やがて、みち子さんが生まれる。
 父親は、経理を握っている妻から、どうやって工面してくるのか、生活費を毎月持って来た。
 みち子さんの母親は、姉から絶縁されるが、日陰ながら、母娘は幸せだった。
 みち子さんは、優秀な成績で大学を卒業する。
 銀行に就職もきまり、そのお祝いに父親は、毎月の生活費の他にお祝いだといって、少しまとまった金を持って来た。
 父親はその日に限って、祝い酒も口にせずに、母娘がいくら引き留めても帰る。
 みち子さんの父親は、車が自宅に着いたとたん倒れ、救急車で病院に運ばれたが、そのまま、息をひきとった。
 葬儀に、母親はみち子さんを連れて駆けつける。
母親の姉は、母娘が土下座して泣いて頼んでも、父親の亡骸にあわせにないばかりか、塩を投げつけて追い帰したという。
 それから母親は口数が少くなり、みち子さんを傍から放さなくなる。
 銀行に勤めずらくなり退職する。開店してまもないスーパーのアルバイトの募集に行き、事情を話すると、店長が同情して採用してくれた。
 惣菜売り場で働く店長の妻も優しく、何かと面倒をみてくれるので働きつづけられた。
 県庁の所在地の市に合併された町に、次次と大手スーパーのチェンが入り、みち子さんの働く中型スーパーは撤退を余儀なくされる。
 みち子さん母娘の事情を知った、奥さんや先生や福永さんは感無量になる。
 話終ったみち子さんは、大粒の涙をポタポタおとして泣く。
「おやじさんのお陰で、奥さんや先生が応援して下さるんだから、安心しなさいよ」
 幸多くんはみち子さんに優しくいう。
「万事、うまくいくようにするからね。心配しなさんな」
 福永さんもいい添える。
 幸多くんは、上衣のポケットから封筒を取り出す。
「奥さん、どうぞ、受け取って下さい」
 奥さんは、何気なく手に取る。
 家の改造費の領収書だ。
 先日、幸多くんに請求書を持ってくるように依頼してあった。
 代金はまだ払っていない。
「・・・・・」
 奥さんは、不審気げに幸多くんを見る。
「みち子さんと相談して決めました。おやじさんも賛成してくれましたので、ぜひ、収めて下さい」
 福永さんが話する。
「幸多くんは、生みの親が、へその緒のついたままの赤ん坊の自分を捨てたのは、余程、生活に困っていたからだと思うと、もし、後日、自分を訪ねて来た時、お金に困っているようなら助けて上げたいと、倹約して貯金をしていたそうです」
 福永さんは一息入れる。
「運よく、みち子さんと結婚出来、思いがけなく母親と呼ぶみち子さんのお母さんもいる。おまけに、みち子さんのお腹に赤ん坊までいて、家族が一挙に増え、これ以上、望むものはないというのです」
 幸多くんがいう。
「お金は働けば、また、どうにかなります。みち子さん母娘も自分もこの家で、一緒に住めると思うと、改造に多額な出費をされる、奥さんのお役にたちたいのです、それに・・・・」
 幸多くんは、はにかみながらいう。
「この家で、結婚式を上げさせて頂きたいのです」
 奥さんは、意外な申し出に驚く。
 たしかに、大がかりな浴室の工事や、将来、車椅子でも入れるように広いトイレや、洗面所を多く作り、年寄りに便利なように、各部屋
にこまかく配慮したため、予想外の費用がかかっていると分かっていたが、領収書の金額は思いの他低い。
 幸多くんが休日も出勤して、他の従業員の二、三倍働き、実費近くにおさえている。
 福永さんが幸多くんの代わりにいう。
「幸多くんは、奥さんや先生にお願いして、みち子さんにウエディングドレスを着せさせて上げたいというのです。私も親代わりのつもりで、二人の結婚を祝福したいのです。ぜひ、領収書を結納と思って収めていただけませんか」
「私も、この家で住まわせて頂くのですもの。幸多さんの気持ちを受け取って上げて下さるようお願いします」
 みち子さんもいう。
 奥さんは迷う。
 結納代わりといっても、折角、長年かけて貯めた幸多くんのお金で支払った領収書を受け取っていいものかと、奥さんは、先生の方を見る。
 先生は、即座にいった。
「頂きなさいよ。いずれこの家は、幸多くんやみち子さんが主になって、皆の世話をして貰うようになるからね。年寄りが集まって暮らすのだから、健康上の出費がいろいろある。その時に、幸多くんの好意に助けられるよ」
 先生は、コーヒーをぐっと飲み干す。
「工事費と同額の金を僕か、この家には寄付しますよ。初めから、改造費は出す約束でしたからね」
「世の中が変わったんだ。最後まで自立して暮らしたいと思う高齢者が多くなったんですよ。幸い、奥さんの大きな家があったから、理想的な共同生活が出来るんでね。僕もしっかり協力しますと」
 先生の声は力強く頼もしい。
「結婚式のことは任せて下さいね。先生や福永さんと相談して、幸せな門出をして上げますからね」
 奥さんは、胸をおどらさせる。
 外は何時の間にか暗くなっている。
 奥さんはみち子さんに、公園で約束していたことが案外早く、スムーズに果たせたことに安堵する。
  庭の木犀の甘い香り中を、足取りも軽く帰る三人を見送る奥さんのもとに、みち子さんが駆け戻る。
「幸多さんと、きっと、幸せになります。店長さんとの思い出では、私の青春のすべてです」
 頬を紅潮させ、奥さんに告げると、みち子さんは足早に幸多さんと福永さんの後を追う。
 人を愛した喜び、愛された人のいた喜びは、みち子さんのいう唯一の輝いた青春のあかしだったのに違いない。
 奥さんは、生まれてくる子供の幸せを、病む母親を抱えたみち子さんが、不遇の中から自分の生きる道を選択したことに、胸を熱くする。
 みち子さんもまた、今様に生きる新しい女なのだー
 居間で先生は、ワインを出してグラスを口に運んでいる。
「みち子さんの問題がラッキーに終わって本当に嬉しいですわ」
 奥さんは、ソファに座りながら、大きく息をつく。
 先生はつぶやく。
「人の縁は出会った時に、運命は既にきまっているのだね」
 奥さんは先生のいう運命は、人との縁ばかりでなく、物的にも運命の出会いのあることをあとで知るー

 アパートの住人やみち子さん母娘が、引っ越しして来てから一週間が経った。
 幸多くんは、結婚式が済んでから同居するが、荷物は、空いている奥さんの息子の洋室に運んである。
 別棟は、居間と座敷の二つしかないので、別棟に行く廊下の角の洋室が、幸多くんの部屋になる。
 住人達は、申し合わせたように、家財道具類を処分して、最少限の荷物しか持たない、気軽さで移った。
 年寄り達が一番喜んだのは、風呂とトイレだ。
 アパートにも風呂はあったが、古くなり故障が多く不自由していた。
 洗い場や浴槽に手すりや段のついた広びろとした浴場に、高橋さんなどは、
「ゴクラク!ゴクラク!」
 といいながら、湯船に浸かっている。
 初めの一日目は、男女別だったが、
「斎藤さんも福永さんも、一緒に入りましょうよ。もう、恥ずかしいお年頃でもないでしょう!」
 中島さんが、あからさまにいう。
 ものおじしない斉藤さんは、嬉し気に前をかくしながら入ってくる。
「混浴温泉としゃれますかな」
 入浴剤は、クリニックの出入りの薬品会社から、全国の温泉の入浴剤を格安に購入出来るので、各地の温泉気分が満喫出来る。
 福永さんも女達の声におされて、照れながら入浴するようになる。
 明日は、幸多くん とをみち子さんの結婚式が居間であるので、式場の準備に忙しくなる。
 ゆっくり、風呂に入ったあと、夕食を済ませると、皆は早目に床につく。

 今日は朝から忙しい。
 正午から始まる、幸多くんとみち子さんの結婚式の準備に、式当日をクリニックの休診の日曜日に選んだ先生は、朝早くから、福永さんや斉藤さんの手伝いをしている。
 新郎新婦の席の丸テーブルの両側に、ホームセンターから運んだにわかこしらえの長テーブルに白布をかけ、向い合わせにパイプ椅子を並べる。
 丸テーブルに花屋に注文した蘭の大きな盛花を飾る。
 祝膳は、大倉さんの仕出し料理店の息子が無償で提供している。
 大倉さんが先になって、高橋さんや和田さんと折詰め料理を卓上に置く。
 ホームセンターの老社長からのお祝いの乾杯用の酒も用意する。
 居間の式場の準備が調うと、男性達も女性達も自分の仕度にかかる。
 先生と幸多くんは、奥座敷でスーツに着替える。
 幸多くんのスーツは、先生からのプレゼントだ。
 福永さんも斉藤さんもスーツ姿だ。
 簡素な結婚式だ。
 男達は、特別な服装はしない。
 女達は違う。ハレの日こそ、精いっぱいのおしゃれがしたい。
 しまい込んであった若い頃の、お気に入りの着物や帯を取り出す。
 中島さんの娘の美容院から手伝いに来ている美容師から、髪をセットして貰い、眉を描き口に紅をさす。
 和田さんの部屋に集まり、美容院が持ち込んだ大鏡を、かわりがわりに覗く。
「帯の柄いいねえ」
 白いブラウスに、黒のパンツ姿の高橋さんが、和田さんの着物姿を褒める。
「少し派手ですけどね。高橋さんのブラウスの襟もとの花のししゅう素敵だわ」
 小豆色の着物に、黒地に福助模様の帯の和田さんが、高橋さんのブラウスを褒める。
 大倉さんの松の裾模様の黒の留袖に銀色の帯に、
「今頃のと違って、布地がしっかりしているね」
 高橋さんと和田さんが褒める。
 年齢より若作りして、互いに褒め合ってはしゃいでいる。
 次の間では、もと美容師の中島さんが、若い美容師二人と、みち子さんの化粧やドレスの着付けをしている。
 奥さんも、みち子さんの母親と一緒に髪をセットして貰い、淡いブルーのドレスに着替えて、紺の上下のパンツ姿のみち子さんの母親と、椅子に座り、みち子さんを見守っている。
 ウエディングドレスは、奥さんがみち子さんのお祝いに贈るため、知り合いの洋装店に特別に誂えたのだが、お腹回りがゆったりとした、頭のベールを取ると、外出着になるよう仕立ててある。
 花嫁の支度が出来上がる。
 高橋さんが、みち子さんの母親を迎えにくる。
 式場には、新しい住人達の身内も、顔合わせを兼て出席している。
 ホームセンターの老社長夫婦。
 福永さんの息子夫婦。
 大倉さんの息子夫婦。
 斉藤さんの甥夫婦。
 和田さんの妹夫婦。
 中島さんの娘の美容師は、店が忙しいのだからと、中島さんが呼ばれないので来ていないが,助手の若い美容師二人が手伝いに来ている。
 隣県の店長夫妻も来て末席にいる。
 身寄りのない高橋さんは、みち子さんの母親の手を握って、花嫁の席の近くの椅子に座っている。
 奥さんに手をあずけた花嫁のみち子さんが式場に入ると、招待客は立ち上がり、拍手で迎える。
 福永さんの傍に、花婿の幸多くんが立っている。
 進行役の先生がいう。
「幸多くん、みち子さん、お目出とうございます。先に、婚姻届に
記入して下さい」
 テーブルの上に用意してある、婚姻届に、揃って記入、押印をする。
「結婚指輪をお願いします」
 サイズをはかってあるので、指輪はすんなりと互いの指におさまる。
「二人の新しい出発に、祝杯を上げたいと思います。お手許の杯をお取り下さい」
 酒の注がれている杯を一せいに上げる。
「お目出とう!」
「お目出とうございます。お幸せにね」
「楽しく暮らすのよ」
 三十敷きの居間が狭く感じる程、人々の熱気があふれる。
 祝膳に箸をつける間もなく、新郎新婦は席を立つ。
 頭のベールを取り、ワンピースに早替りしたみち子さんは、高橋さんの傍にいる母親に走り寄る。
「高橋さん。どうぞ、母をよろしくお願いします」
 高橋さんは、我が娘のようにみち子さんを惚れ惚れと眺める。
「お母さんのことはおばちゃんに任かせて安心して行っておいで」
 高橋さんは、みち子さん母娘を身内同様に思っている。
「有難うございます。お母さん、おばちゃんと帰りを楽しみに待っていてね。お土産を沢山買って来ますからね」
 娘の晴れ晴れとした声に、母親は頷き、幸多くんの方を見て、無言のまま頭を下げる。
「お母さん!」
と呼ぶ幸多くんの声が震える。
「お母さん、身体に気を付けて待っていて下さい」
 幸多くんは、母と呼ぶ人をひしと抱く。
 幸多夫妻は、見送り客の中に、ひっそりと立つ店長夫婦と、目礼を交わして車に乗り込む。
 二泊三日の新婚旅行に出発する。
 料理に手を付ける間もなく出発する二人に、中島さんは、大倉さんが差し出す赤飯のお握りを、車の窓からみち子さんに渡す。
 軽自動車は、幸多くんがこの日の旅行のために、奮発して購入した新車だ。
 途中、前を通る三時まであいている市役所に婚姻届を出す。
 クラクションの音も高らかだ。すべるように車は走り出す・・・・
 高橋さんに、付き添われたみち子さんの母親が、嬉しそうに手を振っている。
 奥さん初め、住人達は、顔を見合わせる。
 うつ病は治ったのだろうか?
 みち子さんの父親の急死で、実の姉からじゃけんにされたのが病気のもとだった。
 娘の花嫁姿を見て心の傷は癒されたのか?
「原因がなくなれば、うつ病は治る」
 先生の言葉に納得するが、人人は、人間の心の微妙さを思う。
 新婚夫婦を見送った客達は、式場に戻る。
 車を運転する者は、酒をひかえ、もっぱら料理に箸を動かす。
 飲む人は杯を重ねる。
「いいですなあ。私等も老後はこのお家にのようなところで、自由に楽しく暮らしたいですな」
 それぞれ、肉親から共同生活の主旨を聞いている。
 肩の荷が下りたように、親達の新しい生活を喜んでいる。
 店長夫妻が椅子から離れる。
「隣県に車で帰りますので、一足早く失礼させて頂きます」
「残念ですなあ。遠いところに車でお帰りではお止め出来ません。お気を付けてお帰り下さい」
 もとアパートの住人達は好意的だ。
 閉店したスーパーの店長夫妻が、みち子さん母娘に同情的で親切だったことを知っている。
 みち子さんのお腹が目立ちはじめると、
「目出度いことだ。幸多くんは早早とお父さんになるんだね」
 人びとはむしろ、二人の仲を大喜びしている。
 今は、福永さんと奥さんと先生の三人以外は、事情を知らない。
 いずれ、住人達に分かる時がくるだろうが、赤ん坊の賑やかな泣き声に、年寄り達はおせっかいを楽しむのに違いない。
 店長夫婦は、先生の傍に寄り、
「いろいろと、お世話をお掛けして申し訳ございません。お心遣いは決して忘れません」
 二人は更めて、深深と頭を下げる。
「子供さん達を連れて、時時、遊びにいらっしゃい」
 先生のまなざしは温かい。
 奥さんは、店長夫婦を玄関ポーチまで見送る。
「お手数をお掛けしますが、みち子さんに渡して頂けませんでしょうか」
 店長の差し出すのし袋を見て、奥さんは目を見張る。
「・・・・?」
「出産費用に使ってほしいのです。自分の思慮の至らなさから、みち子さんに重荷を背負わせる結果になり、懺悔に耐えません。せめてものお詫びのしるしです」
 店長につづいて、妻がいう。
 事情を知り,驚いたが、夫やみち子さんの気持ちがよく分かりましたので、
「子供達のために、少しずつ、預けてあったお金が一寸まとまってありましたので、みち子さんのお腹の子供に使って貰いたいと、夫と話合って決めました」
 妻の声は穏やかだ。
「お子さん達の大切な教育費でしょうに・・・・」
 奥さんは考え込む。
「子供達の将来のお金は、共稼ぎですもの。どうにかなります。みち子さんへの罪ほろぼしです。奥さんからみち子さんに、よろしくお取りなし下さるようお願い致します」
 店長の妻はいう。
「お気持ちはよく分かりました。お預りします。赤ちゃんも実の親の愛情を知り、お腹の中で喜んでいますわ」
 たとえ、一時の出来ごとでも、相手の愛を受け入れ、宿った小さな生命に、親としての責任はあるはずだから・・・・と、奥さんは思う。
「いろいろと、ご迷惑をお掛け致しました。奥さんや先生に、こころから感謝しています。ご恩は一生忘れません」 
 店長夫妻の車が走り去ると、奥さんはしばらく、木犀の香りの漂う玄関先にたたずむ。
 夫の過ちを許し、同性としてみち子さんを支える店長の妻も、変わりゆく世相の新しい夫妻の在り方なのかと、奥さんは、自分の身の上を思うと辛くなる。

 賑やかな宴席は、早早と終わりに近ずいている。
 来客達は、引っ越をして間もない慶事に、家の人達が、疲れているのを知っている。
「今後共、幸多くん夫婦をよろしくお願い致します。久し振りに、楽しませて頂きました。」
 にこやかにホームセンターの老社長夫妻が、挨拶して退席する。
「結構な集まりでしたな」
「祝い酒は、旨いもんですなあ」
 次次と、満足そうに、客達は腰を上げる。
「面倒をお掛けしますが、おふくろをよろしくお願いします」
 仕出し料理店の主人の大倉さんの息子が、奥さんと先生に御辞儀をする。
「父をよろしくお願い致します」
 同居していた頃より、元気な父親の姿見て、温厚な会社員の福永さんの息子は安心する。
「何かありましたら、すぐ、駆けつけますので、姉をよろしくお頼みします」
 姉との年の差が、二十歳近く離れているせいか、呉服店を営む和田さんの妹は活気がある。
 商売柄、和服姿がよく似合う。
「叔父をよろしくお願いします」
 といって、斉藤さんの肩をポンとたたくのは、
「叔父さん、時時、顔を見せに来てよ。また、新米が出来たら届けるからね」
 実家の農業を継ぐ、斉藤さんの甥だ。
「心配するな。俺は、この通り元気だ。ハハ・・・・」
 斉藤さんは、日焼けした甥っ子を見て笑う。
 来客達は、肉親等に、自分の将来を思うのか、痛い程、奥さんと先生の手を握って帰って行く・・・・

 式場の後片付けは、明日、ホームセンターの従業員が来てする。
 皆は取りあえず、普段着に着替える。
 折詰めの料理の残りは、客達は持ち帰ったが、住人達は半分位しか食べていない。
 なんといっても、七十歳過ぎ、八十歳を越えた人達だ。
 身体がしんどい。
 料理の残りは、夕食用にと話がまとまり、中島さんと和田さんが台所に運ぶ。
 折詰めのまま、新しい大型冷蔵庫に入れる。
 奥さんがお茶を入れ、長手テーブルに並べる。
 先生と奥さんを真ん中に、向い合わせに人達が座る。
 茶を啜り、やっと落ち着く。
「みち子さんのお母さん、疲れたでしょう?」
 奥さんは、高橋さんの横に座っている、みち子さんの母親をねぎらう。
「お陰様で、みち子も幸せな結婚をさせて頂きました。奥さんや先生や、皆さんに厚くお礼を申し上げます。有難うございます」
 みち子さんの母親の、しっかりした言葉に、皆は感心する。
 それぞれ、心の中でつぶやく・・・・
 うつ病が完全に治っている!
「元気になって何よりだね。もう、大丈夫ですよ」
 先生は微笑する。
「奥さんのご決断や、先生のご尽力で、私等は一つどころで自由に暮らさせて頂けるのですから、有難いことです」
 福永さんの思いは深い。
「全く、有難いことですなあ」
 斉藤さんがいう。
 中島さんが声を張り上げる。
「幸せいっぱい、胸いっぱい!」
「だって、若いんだもん!」
 大倉さんがまぜ返す。
「若くないが、元気だもんね。ハハ・・・・」
 高橋さんが大笑いする。
 何時の間にか、皆は、気持ちを浮き浮きさせている。
 家族と一緒にいても淋しい。一人暮らしは自由でいいが、やはり一人は淋しい。同じ世代が寄り添い、残りの日を楽しく過ごしたいー
「皆さんに喜んで頂いて嬉しいですわ。若いみち子さん夫婦もお仲間さんですから、明るく暮らせますよ」
 家の運営方針は、代表の福永さんと相談して基盤は出来ている。
 幸多くんの支払った改造費と、同じ金額を先生が出してくれ、新しい住人の身内等がお祝いの名目で、まとまった金額を寄付している。
 中島さんの申し出で、福永さんを初め、斉藤さんや、大倉さん、和田さん、高橋さんは、部屋代の保証金替わりにと、応分の金額を奥さんに預ける。
 予想外の出費のあった時は、皆が金の心配をしなくてもいいように、まかなえることが出来る。
 みち子さんの給料は、各自、二万円ずつの負担だが、もと市職員の福永さんと共に、�美容院経営者だった中島さんが、倍額の四万円にあとの斉藤さん、大倉さん、和田さん、高橋さんは各二万円ずつ出す。
 少ない年金から、食費の三万円と雑費一万円を出しても、少少の小遣いが残るように計らってある。
 みち子さんの給料は、会社の正社員並に、奥さんの金額も加えて、余裕を持たせたある。
 みち子さん達一家が入り、大勢になるが、先生は、一ぺんに生活方針を決めずに、徐徐に、工夫しながら改善したらいいと助言する。
 先生は改まっていう。
 皆の視線が先生に集まる。
「医療のことは、僕が全面的に引き受けます。足腰が弱り、寝込むようになっても、この家で介護して貰えるようにして上げます」
 戦後、世の中が変わり、個人主義になっている。
 老いも若きも自己を主張して、他人のために、たとえ、肉親であっても、自分の生活を犠牲にしたくない。
 子供達が巣立ち、仕事が定年なると、働いていた時に出来なかった、夢や希望を実現させたい。
 家庭の有り方が変化している。
 先生はつづけていう。
「これからは、肉親に頼らず、病気になっても、互いに、助け合う共同生活を望む高齢者が多くなると思いますよ」
 先生の話を聞いた皆は思う。
 寝込んでも,住み馴れた自分の部屋で、仲間に見守れて、子供達に面倒をかけずに、安らかに、あの世に旅立ちたい。
 子供の数が少なくなり、子孫の絶えた家も、一つところに親達がまつられていれば、仲間の誰かの血のつながった人間が参ってくれ、こころの寄りどころにしてくれるー
 やはり、奥さんは女神さまだ。
 先生は、われわれの救世主だ!
 皆は、感激する。
「奥さん、先生、私達はもう迷いません。お二人にお縋りします。どうぞ、私達を見捨てないで下さい」
 高橋さんは、オイオイ泣く。
「ハハ・・・・大袈裟に考えなくていいんですよ。仲良く笑顔で暮らしたらいいんです」
 先生は苦笑する。
 奥さんは、優しく口添えする。
「家族も遊びにいらっしゃっていいのよ。ゆっくり出来るように、泊まれる部屋も用意してありますからね」
 台所の横の、もと賄いのおばさんが使っていた六畳間に、新しい畳や障子を入れ替えてある。
 年をとった人間は、無邪気だ。
 寝込んだ時の心配がないと知ると、すぐ、楽しいことを考える。
 季節は、秋に入って日が暮れるのが早いといっても、まだ、4時前だ。
 夕食前のひととき、和気あいあいに過ごしたい。
 皆は、家族になった気分だ。
「何ごとも、笑顔で、譲り合えば、争いごとなどありませんからなあ」
 福永さんがいう。
「長いようでも、短い人生ですからね。くよくよと、ものごとにこだわるのは損ですよ」
 神妙な顔で、斉藤さんがいう。
「先生が、折角買って下さったんですから、今日のような嬉しい日こそ、皆で陽気に歌って、われわれの前途を祝福しましょうよ」
 中島さんは、カラオケをやりたい。
 斉藤さん手伝って貰って、居間の片隅に寄せてあった、大型テレビとカラオケを引っぱり出す。
「大きな声で歌えば、健康にいいし、同じ趣味を持てば、仲間同志のコミニュケーションになりますがらね」
 といって、先生が、大型テレビをカラオケ一式を新調してくれた。
 居間にあるテレビは、ベッドを入れた洋間に改造した中の間に移してある。
 中島さんは、老人クラブや、養護施設などに、ボランティアで歌っている。
 カラオケ大会に何回も優勝している。
 社交ダンスで足を捻挫してからは、カラオケに熱中している。
 皆にすすめられて、一番先にマイクを持つ。
 七十三歳の中島さんは、若い時に離婚して一人娘を育てながら、美容師一筋に働いた自分を愛しむように、切々と歌う。
 もと葬儀社の営業マンの七十七歳の斉藤さんがつづく。
 皆に親切な斉藤さんは、ドラ声を張り上げて歌う。
 うまくなくても、皆は拍手する。
 仕出し料理店を、亡夫と一代で築き、息子に店を譲った七十八歳のしっかり者の大倉さんは、亭主と熱烈に恋愛した頃を思い出す。
「お父ちゃん!愛しているよ!」
 マイクを持つ手を、上げえて叫ぶ。
「幸せな夫婦だったんだね」
 先生と奥さんは,一際、大きな拍手をおくる。
 もと仲居の七十五歳の和田さんがマイクを受ける。
    あなたが好きで
    好きで 好きで
    夢は見るの
    今は遠い
    あなた
    逢いたい 逢いたいわ
    本当に大好きな
    あなたに逢いたい
 和田さんは、古い流行歌を歌いながらすすり泣く。
 あの世の人となった、自分を愛してくれた旦那を思い出す。
 衣料問屋の社長が世話をしてくれたからこそ妹に大学を卒業させ、呉服店に嫁がせさせられた。
「お前の歌う声を聞いていると、日頃の憂さが忘れる」
 膝枕で、和田さんの甘い歌声を楽しそうに聞いていた、旦那の優しさを思うと胸がうずく・・・・
 八十二歳の高橋さんが、酔うと馬鹿覚えの歌を、怒鳴るように歌っていた。亡き亭主を思いながら歌う。
 うちわ職人のいい腕を持ちながら、何時も飲んだくれて仕事を休みがちな亭主が、何を思ったのか、安物のカーディガンを買ってきた。
「これを着てみい。暖かいぞ」
 寒さに手を赤くしながら、内職のうちわの紙張りをしている高橋さんの肩に、ふわりと掛けてくれたオレンジ色のカーディガンは、今も大切にしまってある。
 ガミガミいわずに、優しくして老ればよかった。あんた、ご免よ。歌いながら、高橋さんの目に涙がにじむ・・・・
「みち子さんのお母さん、どうぞ、あなたも歌って下さいな」
 奥さんが、みち子さんの母親を誘う。
「声を出して歌ったことがないの」
 みち子さんの母親は尻込みする。
 でも、実の姉から冷淡にされた自分を、救ってくれたみち子さんの父親が恋しい!
「今に、皆と一緒に歌いたくなりますよ」
 先生が労わる。
 外は何時の間にか、夜のとばりがおり暗くなっている。
 あかあかと、灯のともった居間で、人人は歌うのに夢中になっている。
 もと市役所職員の八十歳の福永さんは、」歌が得意でない。
 中島さんに、無理にマイクを握らされる。
 見合い結婚した亡妻が、何十年も弁当を作ってくれたことを懐かしみながら、やっと、一回歌い終わると、先生のテーブルに逃げる。
「どうも、歌は苦手でしてな」
 頭を掻く。
「同じですよ」
 先生も身体を動かす方が好きだ。
 学生時代は、テニスで団体に出たこともあり、現在も、テニスの同好グラブの顧問をしている。
 奥さんは聞くのが好きだが、あまり歌わないが、これから皆とカラオケを楽しんでもいいと思う。
 福永さんが、奥さんに替ってコーヒーを入れる。
 和田さんがテーブルに運ぶ。
 福永さんはコーヒーが好きだ。
 先生も奥さんもコーヒーをよく飲む。
 三人共、コーヒーの種類にこだわらない。
 インスタントコーヒーでも結構満足している。
 福永さんはカップを置くという。
「われわれは、一人一人が幸福のしるしの青い鳥でありたいものですな」
 奥さんは首をかしげたが、すぐ、小さい時に読んだチルチル、ミチルの物語を思い出す。
「本当にそうですわね。幸福の青い鳥の住む家でありたいですわ」
「ブルーバードハウスか!この家で老後を暮せることは、素晴らしいことだね」
 先生はコーヒーに、喉を潤しながら同調する。
「嬢に残してやれるのはこの家くらいかも知れんな。じじいが一生をかけて建てた百年も二百年も持つ家だ。譲よ、大切にしておくれ」
 幼い奥さんを膝にのせ、おかっぱ頭を撫でながら、機会あることに祖父がいった。
 昼間でも明かりをつけたい程、薄暗い武骨なまでに頑丈な家が、老いた人びととの終生の住み家に甦ったことに、奥さんは、アパートの住人達から始まった縁が、物的な家にも、運命的な出会いのあることを悟る。
 かわるがわわる歌っている人達も、さすがに空腹を感じる。
「お腹も空いてきたことだし、そろそろ、お開きにしましょうか。お決まりの「星の思い出」でお終いにしましょう」
 中島さんの呼びかけに、お腹は正直だ。

 たちまち同意する。
 地元のアイドル歌手が、チャリティーコンサートや養護施設などで、リクエストされる「星の思い出」は、高齢者の愛唱歌だ。
「奥さん、先生、福永さんとご一緒にお願いします」
 中島さんに促される。
「星の思い出」は三人共好きな歌だ。
 誰かが、何時も口ずさんでいるので、自然に耳に入る。
   夜空にさ迷う
   あの星は
   わたしの涙
   ぼくが見付けた
   すがれ花は
   秘かに揺れる
   思い出を残して
   走りゆくひとよ
   夜空に
   星はまたたく
   わたしの
   そして
   ぼくの
   思い出が漂う
   明日を夢見る
   星よ
   今宵もきらめく
 カラオケの伴奏にのった人びとの歌声が居間にひろがる・・・・
「星の思い出」の最後を、何回も繰り返して歌っている。
 ・・・・
   明日を夢見る
   星よ
   今宵もきらめく
 哀しいまでに、歌声は居間にひびき渡る。
 さまざまな人生を歩んだ人達の返らぬ日のノスタルジアなのか・・・・
 先生は、奥さんの手を握りしめる。
「僕が君を守るからね」
 目が語る。
「信じています」
 自分もまた、正規の道からはずれた愛に生きる女なのだと、潤む目で答えるー
 祖父が遺した家が、移りゆく世と共に、形を変えながらも存在しつづけ、老いてゆく人等の幸せな家であって欲しいと、奥さんは、先生の手を強く握り返しながら切に願う。
 ブルーバードハウスよ永遠に・・・・・




 読んで下さいまして、誠に有難うございます。
 来月末で九十五回目(1921、大正10、10、30生)の誕生日を迎えさせて頂けると思いますが、毎日、ベッドの上で天井を眺めて暮らしていますので、書きたい気持ちがありましても、身体が自由になりません。
 どなたか元気つけて下さっているような気がして、涙が出る程、嬉しうございます。
有難うございます。
 読むご縁を下さいました方の、限りないご多幸とご健康をこころより
     お祈り申し上げます。(28年9月18日しるす)
合掌


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