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作品名:青い鳥の家 作者:異邦人

第1回 1

 切迫した状況だ。
 もう,一刻の猶予もない。
 どうしたらよいだろう? どうすればいい・・・・
 なかなか眠れない。
 奥さんも、あの人達と同じ問題を抱えているので、悩みは深い。
 真夜中は、とっくに過ぎている。
 お腹に掛けていたタオルケットを目の下までひっぱり上げる。
 薄明かりの中に、どっしり構えた仏壇を恨めしげに眺める。
 広い天井を見上げる。
 朝になれば、また、あの人達がくる。
 夜よ、明けないで!
 夜よ、明けないで・・・・ 口の中で繰り返しているうちに、考え疲れた奥さんは、何時の間にか深い眠りに落ちるー

 玄関のブザーが鳴っている。

 やっとブザーの音が耳に入った奥さんは、足をふらつかせながら玄関に出て行く。
「朝早くから来て済みません」
 ドアの外の声の主は、顔を見なくても分かる。
 近所のアパートに住む、一人暮らしの高橋さんだ。
「ずいぶん早いのね。今、目を覚ましたところよ。どうぞ、上がって頂戴」
 外は、明かるくなっている。
 開けたドアから涼しい風が入る。
 奥さんは、両頬をパンパンとたたいて、自分を元気づける。
 高橋さんは、居間の椅子に座ると、茶色の小さな手提げから、郵便局の貯金通帳を出した。
「奥さんに決して迷惑をかけません。これを見て下さい。まとまった預金がこの通りありますのでな。僅かでも年金もありますし、私一人は食べられます。奥さん、私も皆と一緒にお願いします」
 高橋さんは、いきなり、椅子から下りると、
 床に白髪頭をすりつける。
 奥さんは驚く。
 通帳には、千円、二千円の金額が並んでいる。
 総額五百万円余りだ。
 八十二歳の高橋さんは、五十代で、地元特産のうちわ職人だった夫と死別している。
 うちわの紙張りの内職をしながら、これだけの貯金をしたのかと思うと、奥さんの胸が痛む。
「分かっています。高橋さんも皆さんと一緒ですよ」
 高橋さんの手を取って、椅子に座らせる。
「皆さんのいいようにして上げたいと思っていますからね。あまり心配しないでくださいね」
 頭を下げつづける高橋さんをなだめて、午前中にくるといった人達に、昼過ぎに来て欲しいとを頼んで、高橋さんに帰って貰う。
 高橋さんが帰ると、手早く広い居間を掃除する 
 ここ数日、来客つづきで買物に行っていない。
 冷蔵庫の中が心細い。
 ブラウスのまま、パンツをスカートに替えて、買物に出掛ける。
 奥さんの家は、公園の東出入口の道をはさんだ前にある。
 町が県庁所在地の市と合併してから、急速に市のベッドタウンになり、商店街に、さまざまな業界が入り、賑やかになったが、以前からあったスーパーなどは、次々、閉店に追い込まれ、大手スーパーが進出してくる。
 家の近くにあったスーパーも四月末に閉店になり、本拠地の隣県に引き上げてから数カ月経つ。
 奥さんは、少し遠くなったが、近道の公園の真ん中の遊歩道を七、八分歩いて、みち子さんが新しく働いている大型スーパーに向かう。 
 同じ町内に住むみち子さんは、明るい気だての優しい娘なので、町内の人はみち子さんのいるスーパーに、公園の近道を通って買物に行く。
 公園の西の出入口の向う側に、先生のクリニックがある。
 店に、みち子さんはお休みなのか姿がない。
 七月に入ると暑さも本格的になり、午前中から日差しが強い。
 額に汗が滲む。
 みち子さんに逢えなかったのは、ものたりなかったが、何時もより多目に食料品を買い込んだレジ袋を両手に下げて、今度は、ゆっくり遊歩道を歩く。
 四季折々の樹木や花に囲まれた公園は、近くの住人はもとより、他の地域からも憩いにくる。
 奥さんも毎日、自分の家の庭のように散歩する。
 一休みしたいと、花の終わったふじ棚の下のベンチの方を見ると、思いがけなく、みち子さんが腰掛けている。
「あら!みち子さん、今日はお休み?」
 呼ばれて、みち子さんは笑顔を向けた。
 ベンチの近くに、あじさいの花が暑さに重そうにうなだれている。
「暑いわね。一寸、一服したいわ」
 みち子さんの横に座る。
 ふと見ると、みち子さんの両目が濡れている。
 泣いていたのか知ら?
「今日は、お母さんと一緒でないのね」
 何時も、みち子さんから離れない母親の姿がない。
「高橋のおばちゃんにお願いして預かって貰いましたの」
 みち子さんの住まいは、高橋さんのいるアパートのすぐ隣りにある。
 七十歳近い母親は、うつ病を患っている。
 みち子さんは、母親と二人で暮らしている。
「実は、奥さんのところにお願いに上がろうと思っていましたの」
 みち子さんは、思いつめた表情でいう。
「丁度いいわ。これからうちにいらっしゃいよ。貰い物だけど、美味しい羊羹があるの」
 奥さんはすぐ立ち上がる。
 みち子さんも、慌ててベンチから立つ。
「お持ちします」
 レジ袋を二つ共取ろうとする。
「一つでいいわ」
 という奥さんの両手から、茄子や胡瓜が入った野菜袋と、 玉子や牛乳や魚や肉の入った袋を取ると先に歩く。
 奥さんは、願いごとは何か知ら?と思いながらつづく。

 居間のソファにみち子さんを座らせ、冷房を入れる、
 冷蔵庫に食料品をおさめる。
「みち子さん。アイスコーヒーがいい?それとも熱いお茶がいいか知ら?」
 奥さんは、暑い時でも熱いお茶を好む。
「済みません。私はどちらでもいいです」
 みち子さんは遠慮がちにいう。
 クリニックの先生から貰った、土産の羊羹を厚く切る。
「この羊羹、名物に旨いものなしというけれど、東京の老舗のは
 やはり美味しいわ。二本入りなので、あとの一本、お母さんに
 上げて下さいね」
 皿の羊羹と、紙に包だ一本をテーブルの上に置く。
「有難うございます。甘い物好きの母が喜びます」
 みち子さんは、熱いお茶をふうふうしながら、二口、三口飲む。
「久し振りに美味しい物を頂きます」
 礼をいって、みち子さんは改まる。
「奥さん、私もアパートの人達と同じように、こちらに住ませて
 頂けないでしょうか。大家さんから出るようにいわれています
 の」
「みち子さんのお家も、アパートの大家さんと同じだったわね。
 アパートの人達も出て行くようにいわれて困っているのよ」
 みち子さん母娘は、アパートの隣りの古い小さな借家に住んでいる。
 アパートの大家は、年を取ったため、息子一家が戻って来た。
 古びたアパートや貸家を壊して、高層マンションに建て替えるといって、数年前から住人達に出て欲しいといっている。
 住人達は、このアパートに長く住み、高齢になり、一人暮らしをしている。
 木造二階建ての上下十二部屋は、半数以上が、すでに空室になっている。
 大家の息子は、数年前からいっているのに、出て行かない残っている人達に、三カ月と期限を切る。
 マンションに建て替たら、戻って来たらいいのだから、その間、他に移ってほしいという。
 新しいマンションに入れてくれても、少ない年金暮らしの年寄りに無理な話だ。
 奥さんの家は、父親の代から町内会長をしている。
 アパートは、奥さんの家の横の細道の突き当りにあるので、住人達は外出の際は、奥さんの家に寄ることが多い。
 広い大きな家に、一人暮らしている奥さんは、退屈しのぎに皆と話をするのが楽しい。
 アパートの人達は、大家から立ち退きをせまられて困っている。
 住み馴れた土地を離れたくない。
 アパートの人達は、親しい奥さんに、部屋を借してほしいと頼む。
 奥さんの家は、製材会社を経営していた祖父が建てた古い家だが、間数が多い。
 昨夜、眠れぬ程奥さんが悩んだのは、アパートの人達の願いと自分の将来のことだ。
 奥さんには、息子が一人いる。
 会社員の息子は、同僚と結婚して、嫁の実家の近くに家を建てて、東京に住んでいる。
「家を始末してこちらにおいでよ。元気なうちに一緒に暮らそ
 う」
 と、息子がいう。
 奥さんは、生まれ育った地元を離れたくない。
 祖父が、父にいったという。
「この家は、百年以上持つ。おれの唯一残す財産だと思って大切
 にしてくれ」
 戦後、景気のよい時代は盛大だった会社も、安い外国産の木材の輸入で、国産の材木の売れゆきがにぶり、同業者同志の融通手形の損失をかぶり、後を継いだ父の代で会社は倒産する。
 祖父の言葉通り、家だけが残る。
 病弱だった父も母も、心痛の余り早死にする。
 一人娘の奥さんに迎えた高校教師の夫が、難病を患い急死してから十年余り経つ。
 晩年の祖父が、幼い奥さんを膝にのせ、おかっぱ頭を優しく撫でながら、
「じじいが、嬢に残してやれる財産は、この家だけだ。大事にす るんだよ」
 といった言葉が奥さんには重荷になっているのだが、故郷を離れたくない理由は他にもう一つあった・・・・
 奥さんは、アパートの人達の願いをかなえて上げたいと思うが、高齢者ばかりに部屋を貸すことに迷う。
 今は元気な人達も、だんだん、年を重ねるにつれて足腰が弱くなる。
自活がつづけられるだろうか?
身寄りのない高橋さんを思う。
「大家さんは、マンションが出来たら、また、戻って住んだらい
 いといって下さいますけれど、とても高額なマンションに住め
 ません。母の僅かな年金と私の給料では、今の家のお家賃さえ
 精いっぱいで・・・・」
 お茶を飲み終えたみち子さんは、淋しそうにいう。
「アパートの皆さんが奥さんのお家のお部屋をお願いしている
 と、高橋さんから聞きましたので、私もお願いしたいのです」
「それに・・・・奥さん、私・・・・妊娠しているんです!」
 みち子さんは、いきなり、テーブルの上に泣き伏した。
「妊娠?」
 奥さんはビックリする。
 みち子さんは、結婚していたのか?
 子供が生まれることは目出たいことなのに、何故泣くの? 
 ふっくらとした体型のみち子さんのお腹に目をやる。
 まだ、目立っていない。
「みち子さん、詳しく話して頂戴。力になりたいわ」
 日頃から、病む母親を抱えて働いているみち子さんに奥さん
は同情している。
 みち子さんは、しばらく、声を出して泣いた。
 奥さんは黙って、みち子さんの傍に寄り、背中をさする。
 みち子さんは、ひとしきり泣くと、頭を上げた。
「お腹の子を生みたいんです。お店を休んで病院に行き、診て貰い
 ましたら、四カ月だといわれました」
「授かった生命ですもの。生むのは当たり前だけれど、赤ちゃん
 のお父さんは・・・・」
 と、奥さんはいいかけて口をつぐむ。
 みち子さんがハッキリいった。
「お腹の子の父親はいません」
「えッ!だって赤ちゃんはひとりで出来ないでしょう?」
「赤ん坊は私が育てます。でも、辛いことばかり多くて・・・・」
 みち子さんは、四月に閉店したスーパーのレジ係を開店当時からしていた。
 うつ病の母親を連れての勤務だったが、店長や総菜売り場の店長の妻も、真面目に懸命に働くみち子さんに温かった。
 同僚も、みち子さんから離れない母親を、事務所や従業員の休憩室などで、仕事の合間に目をかけてくれる。
 みち子さんは気兼ねしながらも、精いっぱい働いたが、大手スーパーが地元のスーパーを買収して開店する。
 みち子さんの働いている中規模のスーパーは、十数年で撤退を余儀なくされる。
 店長の妻は、先に子供達を連れて本拠地の隣県に帰郷したが、店長は、お別れ会を従業員達がしてくれるため残った。
 ほとんどが、開店当時から働いていた人達だ。
 誰もが、店長の優しい人柄に感謝して別れを惜しむ。
 みち子さん達従業員は、大手スーパーに再就職が決まっていたが、もう、母娘をかばって貰えない。
 お別れの会は、名残りを惜しみながら散会する。
 みち子さんはあとに残り、店長に今まで親切にしてもらった礼をいう。
「君に上げる物がある」
 といって店長は、車の中から紙袋に入れたワンピースをくれた。
 スーパーの商品にしては高価な、レースのついたワイン色の春着だった。
 みち子さんが、
「一度でもいいから、こんな素敵なワンピースを着てドライブし
 てみたい」
 同僚に、売り場に飾ってあったワンピースを見ていっていたと、店長は店員から聞いた。
 つましく、母親と暮らしているみち子さんの娘らしい願いをかなえてやりたいと、問屋に返品せず、よけて置いた品だ。
 丁度、帰郷すると道が、みち子さんの家の近くを通るので、ついでだから送って上げると、乗用車に乗せてくれる。
「ドライブしようか」
 店長は一時期、働いていた町を懐かしそうに一巡する。
「じゃ、ここで別れようね」
 公園前に車を止める。
 みち子さんは
「店長さんとお別れするのが辛いです」
 思わず、口に出した。
 みち子さんは、何時も母娘をかばってくれた店長を慕っていた。
店長はと惑う。
「みち子さんがはいくつだったかな?」
「三十二歳です」
「そうか、五歳下か」
 三十七歳の自分には妻があり、中学生と小学生の男の子が二人いる。
「自分もみち子さんが好きだけれど、出会うのが遅かったね」
 という店長に
「店長さんとこのままお別れしたくないの」
 店長は、しがみつくみち子さん受けとめてくれたという。
 たった一度の切ない出来事だった。
 人気のない夜更けの公園で、風に散る花の桜の木陰で、店長の走り去る車を見送りながら、しばらくベンチで泣いていたという。
 みち子さんは思い出して、さめざめと泣く・・・・
「出会うのが遅かった」
 といったという店長の言葉に、奥さんは我が身を重ねて涙ぐむ。
 可哀相なみち子さん!
 なんとか、望み通り赤ん坊を生ませて上げたい・・・・
 奥さんは問う。
「店長さんは、赤ん坊のことを知っているの?」
「知らないです」
「店長さんに迷惑を掛けたくないのです。責任は私にありますもの」
 健気なみち子さん!
 奥さんは、みち子さんを娘のように愛しくなる。
 新しいスーパーに皆と移ったが、同僚達は各売り場にわかれ、今までのように母親の世話をして貰えない。
 母親は、馴染みのない店内の雰囲気におびえて、尚更、みち子さんから離れない。
 新しい店長は、営業に差し支えるから、母親を連れてくるなと、冷たくいう。
「やがてお腹も人目につくようになったら、働きずらくなると思うと、覚悟をしても、前途が真っ暗になりいます」
 みち子さんは嘆く。
 その時、奥さんの頭に、パッと閃いたものがある。
 家の処理に困っていることも、アパートの住人の願いも、泣いているみち子さんの苦しみも、一挙に解決出来る案が浮かぶ・・・・
「みち子さん、お家のことも、働くところも心配しなくていいですよ。赤ちゃんのことはよく考えましょうね。きっと、いい方法がみつかりますよ」
そのいい方法が、案外、早くおとずれるのだがー 

 奥さんは,早目に昼食を済ませる。
 アパートの人達がくる前に、自分の考えをまめておきたい。
 昨夜、一晩中悩んでいたことが、みち子さんの話を聞いて、とっさに名案が浮かぶ・・・・
 祖父の遺した唯一の財産のこの家の有効な使い方や、自分自身の行く末も、一ぺんに解決出来る。
 奥さんは、食堂兼用の広い居間の片隅のソファに座り思案する。
 午後一時きっちり玄関のブザーが鳴る。
「どうぞ、上がって頂戴」
 インターホン越しの奥さんの声に、八十二歳の福永さんを先頭に、アパートの住人達が居間に入って来た。
 ソファの傍に、集めた食卓の椅子や台所の丸椅子に一同が座る。
 この中に、唯一人、中島さんはマンション住まいだ。
「年嵩ということで代表にさせられましてな。奥さん、改めてお願い致します。ぜひ、ご当家のお部屋を私共にお貸し下さらんでしょうか」 
 礼儀正しい温和な福永さんは、もと市役所の職員だ。
 奥さんは笑顔で答える。
「決心しました。皆さんに、この家で私と一緒に住んで頂きます。皆、大勢で暮らすとなると、どんなことが大切なのか、話合いをしなくてはなりませんわね」
「ごもっともです。長年住んでいたところで、気ごころの知る者達が、同居出来るだけでも有難いです。お部屋をお借り頂けるだけで充分です。他に何も私共は望みませんです」 
 福永さんはいう。
「そうですとも。奥さんに決してご迷惑を掛けるようなことはしませんよ」
 朝早く来た高橋さんが、椅子をきしませていう。
 八十二歳の高橋さんは、女では一番年長者だ。
「息子達の家にいても、ちっとも楽しいことがなかったですよ。年取ったらなんといっても、優しくしてくれることが、何よりも嬉しいですからね」
 大倉さんがソファから身を乗り出す。
 大倉さんは七十八歳、息子夫婦は仕出し料理店を手広く営んでいる。
 大阪で修業を積んだ亡夫と始めた小さな店を市内でも指折りの仕出し料理店に仕上げたしっかり者だ。
 黒ぐろと髪を染めパンツ姿の大倉さんは、逞しさがある。
「息子が毎日弁当をアルバイトの男の子に持たせてよこすのだけれど『おばあちゃん、残さず食べなさいと大将がいっていたよ』
と、どんと、上げ口に置いて、さっさと帰るのよ。夜も忙しいから遅くなるといって、また、仕出し弁当を持ってこさせて、いくら、旨い料理でも、これでは美味しく頂けませんよ。優しい言葉一つないんですからね、それにさ・・・・」
 大倉さんは、面白くない顔をする。
「第一、わたしや、おばあちゃんと呼ばれるのが気にいりませんよ。店の若い者達ばかりか、息子夫婦までいうんですからね。わたしは息子にいってやったの」
「わたしは親だよ。お前のおばあちゃんでないんだから、おかあさんと呼んで貰いたいねと、いってやったのよ」
「そしたら息子は変な顔をして、おばあちゃんじゃいかんのか。じゃ、おふくろと呼ぶといって、おばあちゃんといわなくなったんですけれどね」
 大倉さんの話を聞いて、皆は笑い出す。
「全くだわ。我が子は勿論だけど、他人さんまでに、おばあちゃんなんっていわれたくないわね。お母さんといわれるのはまだましだけれど、名前を呼んで貰いたいわ」
 といったのは、連中で一番若い七十三歳のもと美容師の中島さんだ。
 茶色の染めた髪にパーマをかけ、口紅を赤く塗り濃い化粧だ。
 七十歳で、一代で築いた大きな美容院を、同じ美容師の娘に譲り、マンションで好きなように暮らしている。
「私が娘一家と別居したのは、やはり、年寄り扱いにされたくなかったからですよ。店をやめたとたん、近所の人達が『お宅のおばあちゃんは何時も奇麗にお化粧して、若く見えますね』って、陰でいっているのを知ったからですよ」
「マンションでは名前を呼んでくれますからね。年寄り気分なん
 か、吹っとびますよ」
 中島さんは、目鼻だちの整って若若しい。
 器量自慢の中島さんは、年寄り扱いを嫌う。
「大切にされるのも、どうかと思いますね。私などは、妹を手塩にかけて育てたせいか、大切にしてくれます」
「妹夫婦は、呉服店をやっていますので、昼間は店の方に出ますのでね。私が奥で家事をすると『姉さんは今まて、苦労したのだから、家のことは一切しなくていいのよ。自分の好きなことをしてのんびり暮らして頂戴』といって、何もさせないのです」
「店の仕事があるので、炊事など手早く済ましましてね。すぐ、食器類を割ったり、欠けさせたりするんですよ」
 大切に使っていた茶碗を割った時も、すぐ高価な茶碗を買ってきた。
「姉さん、古い物より新しいのが気持ちがいいわよ。高かったけれど、フンパツして買ったのよ」
 手柄顔をする。
 思い出のある大切に使っていた物なのに、気持ちを分かって貰えないと辛そうにいう。
 七十五歳のおとなしい和田さんは、今日は珍しく多弁だ。
 両親を早く亡くして、年の離れた妹を結婚もせず、料亭の仲居をして育てた。
 仲居をしていたと思えない程、髪こそ黒く染めているが、何時も地味な着物姿で控えめだが、若い頃の美しい容姿は、七十歳を超しても残っている。
「昔は、じじい、ばあばと呼ばれるのは当り前でしたからね。今は、若い者と考え方も生活のパターンも違いますからな。家族と暮らしていても侘しいものですよ」
 福家さんがしみじみという。
 息子一家と揃って食卓を囲んだ日常がなかったことを思い出す。
 背の高い福家さんは痩せているが、品がある。
「まだ、身体も動くし、僅かでも年金があるから、子供に頼らなくても暮らせますからね。若い頃は。家族のために働くことで精いっぱいだったが、身軽になった老後こそ、自由に暮らしたいと思う高齢者が多くなったんでしょうな」
 黙って皆の話を聞いていた斉藤さんが、口を開いた。
 斉藤さんは七十七歳、もと葬儀社の営業マンだ。
 古くからアパートに住んでいる高橋さんと同じように、斉藤さんもアパート住まいは長い。
 十年程前、妻に先立たれ、子供の無い斉藤さんは、独り暮らしだ。
 大柄ながっしりした体格の斉藤さんは、腰が低く明るい性質で、皆に親切なので住人達に好かれている。
「若い者には、年寄りの淋しい気持ちは分かりませんよ。食べ物さえ不自由させなければ、親孝行と思っているんですからね」
 大倉さんがいう。
「同じ世代だと話も合うし、好みも似ていますからね」
 中島さんがいう。
「クリニックから帰る途中、奥さんのおうちにお邪魔して、話するのが楽しみでしてね」
 クリニックで知り合った高橋さんの紹介で、大倉さんや和田さんは同じアパートに住んでいる。
「空いている部屋を、われわれに借して貰えたら、今まで通り、一緒に暮らせるのにと、顔を合わせる度にいいあっていたんですよ」  
 斉藤さんがいう。
「奥さんのご英断で、皆と一緒に暮らせるのは有難いですなあ」
 福永さんは感無量だ。
 奥さんの用意したお茶を啜り、有り合わせのかりんとの茶菓子をつまみながら、話が盛り上がる。
 木造二階建てアパートの十二部屋は、もとは全部塞がっていたが、大家さんから立ち退きをいわれて、若い世帯は次次と出て行く。
 あとに、階下の一人暮らしの年寄りが五人残る。
 町内会の会長だった奥さんの夫が亡くなったあとも、気立ての優しい奥さんと、町内の人達は親しく付き合っている。
 奥さんの家は、広い宅地に建つ大きな家なので、一際目立つ。
「私が、マンションで一人暮らしを始めてたのも、皆さんと一緒に奥さんのところにお世話になりたいと思ったのも、実は、亡くなった母親の言葉が今も忘れられないからですの」
 突然、中島さんがいった。
「自由な一人住まいを望んだのは勿論ですが、二十年前、亡くなった母親を充分看病してやれなかったとが最大の理由なんです」
  中島さんはその頃、美容師を四、五人雇い、美容院を拡張したばかりで、年の暮れの猫の手でも借りたい程忙しく、予約客をこなすだけでも大変で、病床の母の相手になって上げられなかったという。
「夜遅く帰ってくる私の手を握り、『もう長くないよ。お願いだから傍にいておくれ』と、いった母のか細い声が、今も耳に残っていて、辛いのです」
「母はまもなく亡くなりましたが、自分の経験から、働き盛りの子供に老後の負担をかけたくないと思いましてね。別居に踏み切ったんですよ」 
派手で気儘に暮らしていると思っていた中島さんに、こんな悲しい思いがあったのかと、皆は静かになる。  
 アパートの住人達の話を、頷きながら聞いていた奥さんは、世の中が変わったのだと思う。
 昔は,老いては子に従えと、たいていの年寄りは、いいたいこともいわず、若い者に同調して自分を表に出さなかった。
 今は違う。
 子供に依存せず、自由に生きたい。
 家族に支配されず。若い時に果たせなかった自分の好きなことをして暮らしたいと願う高齢者が多くなっている。
 奥さん自身が、祖父の遺した大きな家と共に、これからの我が身の振り方に悩んでいる。
 奥さんは六十五歳、一人息子は東京の大学を出て就職し、会社の同僚と結婚して、孫が二人いる。
 息子は郷里に戻らないという。
 古い家を処分して、一緒に暮らそうと、機会あるごとにすすめる。
 奥さんは、夫が亡くなった当時は、息子一家と同居することを考えた。
 ところが、東京の大学病院を辞めた先生が、地元でクリニックを開業したことや、町内のアパートの人達が大家から立ち退きをせまられ、奥さんの家の空いている部屋を借して欲しいという。
クリニックの先生も、地元を離れることに反対している。
 中島さんの話はいい例だと思う。
 我が子に老後の世話をさせたくない。
 祖父の思いのこもったこの家で、奥さんは決心をあらたにする。
 昨夜の深刻な悩みをふっ切るように、明るい気持ちになる。
「取りあえず、家の中を見て、自分の部屋を決めて下さいね」
「早速、われわれの願いを承知して頂き、有難いです」
 奥さんを先頭に、嬉しそうにいう福永さん達がつづく。
 冷房のきいた居間から出ると、たちまち、皆の額に汗が滲む。
 部屋は、玄関ホールを真ん中に、左右、東西に分かれ、すべて南向きだ。
 ベランダ側に、普通の倍もある広い廊下が、各部屋の前につづいている。
 東側に、クローゼット付きの七畳の洋室が三間あり、西に押し入れの付いた六畳の和室が四室並んでいる。
 玄関脇の和室から中に入る。
 雨戸を閉めてあるので、部屋は暗い。
 奥さんが時時、部屋の空気を入れ替えるので、余り、埃っぽくない。
 畳は取り払われて床板のままだ。
 網戸も障子も取り除けてある。
 ガラス戸と雨戸を開ける。
 フェンスに囲まれた庭の片隅に、もと材木置き場の小屋の一棟が、古い建具や家具類などを入れる倉庫代わりに残っている。
 重苦しい板塀で囲まれていたのを、奥さんの代にフェンスに替えて、道路がよく見えるようになった。
 垣に、朝顔のつるが広がり、赤や黄色の花を咲かせている丈長のカンナや、青いあじさいの花などが、僅かな庭の一隅を彩どっている。  
 祖父は果物が好きで、実のなる木を沢山植えていた。
 奥さんが、東京に仮住居をしていた一年余りの間に、虫が付きほとんど枯れたが、枇杷や無花果や柿が数本残り、奥さんと先生が食べても余る。
 近所に上げたり、毎日のように寄るアパートの人達に、茶菓子代わりに出して喜んで貰うが、三百坪もある軟地だ。
 奥さんが、少少、花作りをしても雑草が一面に茂る。
 時折、シルバーセンターに除草を頼むが、草の方が早くてと、奥さんは愚痴をこぼす。
「庭を遊ばせておくのはもったいないですよ。野菜を作ったらい
 い。百姓の息子ですからな。胡瓜や茄子でもトマトでもお手のものですよ」
 感心して、広びろとした庭を眺めていた斉藤さんが、新しい仕事を見付けたとばかりに張りきる。
 斉藤さんの生家は,亡兄の跡を継いだ甥が米作りをしている。
 新米が出来ると、叔父の斉藤さんのところに持ってくる。
 奥さんには米で届け、アパートの人達には大きなお握りを作って配る。
 農協に出せない規格外の米だというが、店で買う上等米より美味しいと、評判がいい。
 斉藤さんは、畑仕事に馴れている。
「結構な話ですなあ。私も手伝いますよ」
 福永さんが賛成する。
「いや、いや、自分一人で充分です。楽しみが増えましたよ」
 斉藤さんは、手を横に振る。
「新鮮なお野菜が頂けますわね」
 奥さんは笑いながら、
「次に移りましょうか」
 四間ある和室のおくの部屋は、西の出入り口の傍だ。
 その前の北向きに、使っていない和式トイレと風呂場がある。
 赤錆た五右衛門釜のある洗い場は、板戸で仕切られている。
 高橋さんが段差に躓く。
「古い構えですからね。足もとに気をつけて下さいね」
 奥さんが注意する。
 風呂場の横の勝手口の傍に、祖父の代に住み込みで働いていた賄いのおばさんの六畳の部屋がある。
 この部屋も畳を取り除き、締め切ったままだ。
 次につづく台所は、二つあったかまどを取り壊し、大きな調理台や食器棚などは倉庫に入れている。
 奥さんが使いよいように、ガス台や換気扇をつけ、流しの上に、広くガラス窓をつけたので台所は明かるい。
 食堂を兼ねていた居間との間は、杉の板戸で仕切られていたが、取り払い、カウンター式にしたので、台所と両方を見渡せる。
 各部屋の前には長い広い中廊下がつづき、居間は玄関ホールから直接入れる。
 洋室は七畳が三間並んでいる。
 一番奥の洋室は、息子が使っていた。
 横の渡り廊下の角を曲がると、両親が住んでいた別棟がある。
 八畳の座敷と、六畳の居間、狭いが台所に風呂場もトイレもある。
 長い間、開けることがなかったが、ここは、みち子さん母娘に住むように、みち子さんに話してある。
 東の出入口の傍に、奥さん一家用の浴室とトイレがあり、檜の湯船だったのをタイルの新しい浴槽に代え、シャワーもある。
 洋室の前の中廊下の向いに、仏壇のある奥座敷に中の間と次の間がある。
 現在、奥さんはこの三間で暮らしている。
 一通り、家中を回って居間に戻る。
 奥さんをはじめ、皆、汗をびっしょりかいている。
 一同は、冷房のきいた居間のソファや、寄せ集めの椅子に座る。
 奥さんが作る冷たいアイスコーヒーのコップを中島さんが、気軽に立って運ぶ。
 ホッと一息ついた福永さんがいう。
「しっかりした造作の立派なお家ですな」
 斉藤さんが、あたりを見回す。
「こんな広い部屋は珍しいですな」
「食堂兼用でしたからね。祖父の頃は、居間に畳が敷いてあって、薪ストーブをどんどん燃やして、山から下りて来た人達がテレビなどを見てくつろいでいましたわ」 
 祖父が建てたこの家は、六十年余り経つ。製材会社を経営していた祖父の全盛代に、惜しげなく良材を使い、
「百年はおろか、二百年でも持つ位の仕事をさせて頂きますぜ」
 祖父と意気投合した大工の頭領が豪語して建てた家だ。
 山の飯場で暮らす作業員達が、正月や盆に、また、病気の時などに山を下りて来て、ゆっくり休めるようにと、部屋を多くしたのだという。
 地震嫌いの祖父は、平屋にふんだんに国産の木材を使い、玄関はもとより、東西の出入口も各部屋もすべて板の引き戸で、長い広い中廊などは、昼間でも薄暗い。
 奥さん一家は、自分達の住むところは、便利に改造して、玄関や出入口の板戸は、ガラス戸に代えてある。
 奥さんは、年寄り達が住みやすいように、リフォームしたい。
「お部屋を決めましょうか」
 尋ねる。
「おしっこが近くなりましたんですよ。トイレの向いの一番端のお部屋にお願いします」
 八十二歳の独り者の高橋さんがいう。
 つづいて、妹夫婦が呉服店を経営しているもと仲居の七十五歳の和田さんがいう。
「お風呂場が近い、高橋さんの隣のお部屋をお願いします」
「わたしは、出入りするのに便利な玄関脇の部屋がいいです」
 七十八歳の大倉さんは、始終、仕出し料理店の息子のところに出掛ける。
「自分は。大倉さんと和田さんの間の部屋に入らせて貰いましょうかね」
 もと葬儀社の営業マンの七十七歳の斉藤さんが、
「女性達に囲まれるようで、光栄ですな」
 楽しそうに笑う。
 斉藤さんは、誰、彼となく親切で優しいので、住人達に人気がある。
 マンション住まいの中島さんは、
「私は、ベッドで寝ていますので、洋服箪笥に入りきれない服が沢山有りますでしょ。クローゼットのある洋室に入らせて頂きたいわ」
 東の玄関の傍の洋間を注文する。
 もと美容師の中島さんは、経済的に恵まれているせいか、持ち物を自慢したい。
 中島さんは七十三歳で住人の中で一番若い。
「私もベッドでしてね。アパートに移る際、大分、整理したんですが、まだ、残っている本が有りましてな。洋間の方が都合がいいので、中島さんの隣にお願いしたいです」
福永さんが頭を下げる。
 八十歳の福永さんはもともと市役所の職員で、アパートの住人達に、何かと頼りにさっれている。
 離れに行く中廊下の角の息子の洋室だけが残る。
 それぞれの部屋が決まる。
「古い家ですから、不便なところが多いので、皆さんの住みよいように、手直しをしたいと思いますの」 
 「今は元気でも、お互い年を取りますものね。足腰が弱くなっても安心して暮らせるよう、この際、改造しますわ」
 奥さんは重ねていう。
「そりゃ、有難いですわ。元気そうでもわれわれは半病人ですからね」
 中島さんが苦笑する。
 中島さんは血圧が高い。高橋さんと和田さんは頭痛持ち。大倉さんは、
「わたしはお陰で今のところは、別に、悪いところはないけれどね」
 というが、この頃、両膝が少し痛い。
 斉藤さんは、糖尿の気があり、福永さんは、心臓病の薬を飲んでいる。
 皆、クリニックの常連だ。
「改造するとなると、かなりの費用が必要になりますな。多少と
 も、分担させて頂かねばなりませんな」
 福永さんが思案顔でいう。
「心配いりませんわ。少し、手を加えるだけです。段差を無くしたり、板戸にガラスを入れて、家の中を明かるくする程度です。古いけれど、大きな調理台や食卓などの台所用品は、倉庫に入っていますのでね。皆さんに心配をかけないで済みますわ」
  奥さんは、工事費よりも、他に、大切な出費の頼みがある。
「奥さんにだけ、もの入りさせて済みませんな」
 斉藤さんも、申し訳なさそうにいう。
「お兄ちゃんに、改造のことを相談したらどうだろうね」 
 高橋さんがいい出した。
「ホームセンターのお兄ちゃんなら、きっと、安くしてくれます
 よ」
 すぐ、大倉さんがいう。
「幸多くんなら、良心的にやってくれるね」
 応じた福永さんは、
「奥さんに、お心当りがおありになるなら別ですが、よろしかった
 ら、私どもと懇意のホームセンターの店長に、依頼した如何で
 しょうか」
 と、申し出る。
「まだ、決めていませんの。皆さんとお親しい店長さんなら、安心ですわ。ぜひ、お願いします」
  改造工事は、アパートの住人達のすすめるホームセンターに決まる。
 福永さんは、皆からお兄ちゃんと呼ばれている幸多くんとは、深い因縁がある。
 五十代で妻を亡くして、一人暮らしをしていたが、市役所を定年退職すると、息子のすすめで息子一家と同居する。
 かねてから、興味のあった地元の扇形の美しい石垣のあるお城を中心に、郷土の裏面史を書きたいと思っていた。
 毎日が日曜日になると、自分なりの日課表を作る。
 ところが、自由に使えると思っていた時間が、自由に使えないことに気付く。
 大学生の孫息子と孫娘は、自分勝手に行動しているので影響がないが、会社員の息子夫婦は、福永さんが応分に生活費を渡しているせいか、律気に、身の回りや食事の世話をする。
 息子夫婦は、入浴でも父親に先に入って貰い、自分達は好きな時にゆっくり湯船に浸かりたい。
 食事も熱いものは熱いうちに食べて貰いたい。
 たしかに、熱いものは熱いうちに食べた方が美味しい。
 福永さんは、現役時代と違って、身体に無理をしたくない。
 在職中から集めていた郷土史の資料を調べていて、夜更かしをした時などは、朝はゆっくりベッドにいたい。
 少少まずくても、食事も自分の時間に合わせて食べたい。
 何事につけても、息子達のスケジュールに合わせているのが苦痛になる。
 十数年前のことだ。
 三月に入り、ようやく寒気も薄らぎ、花たよりの聞こえる月半ばだった。
 温泉の多い県内故か、息子夫婦は、休日によく温泉に行く。
 日曜日の今日も二人は留守だ。
 孫達も、朝早くから出掛けている。
 福永さんは、満ちたりた気持で、昼食後のコーヒーを味わっていた。
 突然、福元幸多という青年が訪ねてくる。
 懐かしい名前が、記憶を呼び戻す。

 夜通し降った梅雨がやんだ朝早く、市役所の職員専用の出入口の傍に、へその緒の付いたままの男の嬰児が、ダンボール箱に入れられ置いてあった。
 せめての親こころか、赤ん坊は、厚いバスタオルに包まれ、雨に濡れないように、頭から大きなビニールの風呂敷きをかぶせ、小さな顔だけを覗かせている。
 当時、福永さんは戸籍課長だった。
 出自のものは何一つ身に付けていない赤ん坊に、役目柄、名付け親になる。
 出会ったのも縁と思い、自分の姓の福の一字に元を加え、幸多かれと、こうたと名付ける。
 赤ん坊は、市の乳児院に預けられる。
 福永さんは、時時、公務を兼て、幸多に逢いに行く。
 その後、県外の児童施設に移されてからは、消息が絶える。
 幸多青年は、高校を卒業すると施設を出て、大阪の電機メーカーで働いているという。
 出生地は、施設を出る時、職員からへその緒と共に、発見された時身に付けていたバスタオルとビニールの風呂敷を渡され、四国の玄関口の市だと知らされる。何時か、その市に行ってみたい。
 就職して五年程経ち、仕事にも自信が出来た頃、自分に名前を付けてくれた人に逢いたいと思い、市役所に問い合わせた。
 既に、福永さんは退職していたが、自宅に逢いに行き、福永さんに一目で親近感を持った幸多は、電機メーカーを辞め、当地の廃業寸前の家電器店に就職する。
 地元の古い店は、修理より新品を買う方が安上がりという世相に、店はさびれ、後継ぎのいない老店主は、幸多に経営を任かせる。
 大阪で身に付けた技術と、セールスの手腕で、県庁所在地のベッドタウンとして発展しているこの町で、十年余りで潰れかけた家電器店から、生活用品一般や、水道、電気などの工事、家の改造などの一手に扱う、従業員十数名の働くホームセンターに成功させる。
  幸多は、福永さんの日常生活を聞いて、古いアパートだが、年寄りが多く、家賃も手頃な、今、住んでいるアパートを紹介する。
 福永さんは、息子夫婦の了解を得て、アパートで一人暮らしを始める。
 幸多は、福永さんをおやじさんと呼び、アパートの住人達とも親しくなる。
 ちょっとした水道の水もれや、電気の故障など、勤務の終わったあとや、休日を利用して無料で修理する。
 アパートの人達は、幸多を身内のように思い、何時の間にか名前ではなく、お兄ちゃんと呼ぶ。
 福永さんは、幸多のことは当時の地元の新聞に大きく出たので、覚えている者もいるだろうが、今更、出身を明かす必要はないと思う。
 奥さんには、機会があれば話すつもりでいる。
「私も、皆さんと一緒に暮らしたいと思っていますの」
 奥さんがいう。
 皆は、当然だという顔で頷く。
「共同生活といっても、難しく考えないで下さいね」
 奥さんは、公園でみち子さんの事情を知り、頭に浮かんだ事柄を詳しく話する。
 私達は、責任のない身軽な年齢だが、だんだん老いてゆく。
 世帯を子供等に譲って、誰にも束縛されない自由に暮らしていても健康なうちはいいが、身体が不調になった時、働き盛りの子供達に迷惑をかけたくない。
 気こころの合う高齢者同志が一つ家に住み、共に生活を楽しみながら、身体が衰えた時、元気な者達が助け合って看護する。
 寝込んでも、かかりつけのクリニックの先生に、往診をして貰える。
 最後もこの家で、仲間に見守られて終わりたい。
 介護の主役は、あくまでも仲間だ。
 子供等は、親の世話から解放され、自分一家の生活が安定する。
「理想的な発想で、安心して皆と最後まで暮させて頂けますが、生活費はどう負担したらよろしいでしょうかな」
耳を澄ませて聞いていた、福永さんが尋ねる。
 年金暮らしの年寄り達は、家賃が大きなネックになっている。
「奥さんに、お金の苦労をお掛け出来ませんよ」
 大倉さんが、ソファから身体を乗り出す。
 大倉さんは、息子からの援助があるから余裕がある。
「毎月、食費に三万円、電気、水道、その他の雑費をふくめて一万円、全部で四万円でよろしいわ」
   アパートの人達は、クリニックや買物に家の横の細道を通る度に寄り、世間話をする。
   奥さんは話ぶりから、皆のふところ具合は大体分かっている。
「お部屋代はおいくらでしょうか」
  和田さんが心配そうにいう。 
「部屋代はいいです」  
  奥さんは、笑顔で答える。
「え!部屋代はいらない?」
 一同、大声を上げる。
「しかし、お家の維持費が大変でしょうに・・・・」
 福永さんが慌てていう。
「ひとり暮らしをしていても、維持費はいりますわ。古い家ですし、税金もそれ程多くありませんしね。人数が増えても大丈夫ですよ。
それより、お部屋代を頂かない代わりに、折り入ってお願いがありますの」
 奥さんは、みち子さん母娘に離れを貸すことにしているという。
 みち子さんの家も、同じアパートの大家なので、立ち退きをせまられている上、新しく就職した大手スーパーで働くことが、母親のため難しくなり、みち子さんが困っていると打ち明ける。
「お母さんが、一時もみち子さんを手離さないのですからね」
 高橋さんがいう。
 母親は、高橋さんに懐いていて、独り者の高橋さんは、みち子さん母子を親類のように思い、よく面倒をみている。
 今後のみち子さん母娘の生活は、奥さんと話がまとまっている。
 今日はみち子さんは、母親の守りをして来ていない。
「皆さんに、部屋代のかわりに、月に二万円ずつ出して頂いて、みち子さんにこの家の世話をして頂こうと思いますの。お部屋は自分達で掃除しても、共同の風呂場やトイレ、廊下、台所など広いし、数も多くなりますしね。毎日のお掃除だけでも大変ですもの」
 奥さんは力をこめていう。
 みち子さんの新しく働く場所を考えたことが、頭に浮んだ名案だった。
「結構な話ですなあ。幸多くんといい、みち子さんといい、若い人がわれわれ年寄りの仲間入りしてくれれば、毎日、活気が出ますがな」
 渡辺さんは大いに乗り気になる。
「大賛成ですよ。ぜひ、みち子さんに手伝って貰って下さい」
 中島さんが意気込む。
「息子一家と暮らしていた頃は、気が重かったですが、アパートに移ってからは、人生観が変わりましたな」
 福永さんは感慨無量だ。
 アパートで一人暮らしを始めてから、違った意味で自分の時間がなくなったという。
 市役所に長い間勤めていた福永さんは、福祉などに詳しい。
 アパートの連中は、ちょっとした事でも、もの知りの福永さんに相談にくる。
 おすしを作ったからお福分け、甘酒が出来たから飲んでみてと、子
供の頃のなじんだ食べ物を持ってきて話込む。
 とうとう、社交ダンスに熱中している中島さんに引っ張り込まれて、他の女年寄り達とダンスのレッスンンをするようになる。
 同じ世代だから話が合う。
 皆、家族と離れて自分の生活を楽しんでいるから、嫌味がない。
 福永さんは、ダンスの方は腰が痛くて、すぐやめる。
 指導役の中島さんが、足首を捻挫してダンスが出来なくなる。
 高橋さんも、和田さんも、大倉さんもやめてしまう。
 もともと、中島さんに誘われて社交ダンスの練習を始めた人達だ。
 中島さんは、美容院を譲った娘から、毎月、相当の生活費を受け取っているにので、気前がいい。
 皆は、自分の財布の中を心配しなくてもいいからと、大抵、中島さんに気楽に付き合うが、中島さんがやめれば、ダンスに興味はなくなる。
 今度は、葬儀社の営業マンだった斉藤さんが、皆を自分の部屋に集めてカラオケを始める、
 陽気なことが好きな斉藤さんは、コーヒーやお茶をサービスする。
 アパートは、年寄り達しか住んでいないので、気兼ねなしで歌う。
「和田さんは声がよくて、そうや、上手なんですよ」
 自分が第一でなけれなならない気の済まない中島さんだが、もと仲居さんの和田さんにかなわないと一目置く。
「奥さんもこの広い居間で、カラオケをしましょうよ。少し位、頭が痛い時でも歌っているうちに、何時の間にか治っていますからね」
 といって、中島さんは大笑いする。
 皆は、住むところもきまり、今まで通り一緒に暮らせるせいか、晴晴れとした顔をしている。
「食事の仕度はみち子さんがしても、皆さんは、好きな時に食堂で食べてもいいし、自分の部屋でもよろしいわ。食器類を流しにそのまま置けば、みち子さんが洗ってくれますからね。勿論、自分で洗ってもよろしいのよ。献立は皆で相談して決めれば、食事が楽しくなりますわ」
 「洗濯は、自分でなさればいいんですよ。病気の時は、みち子さんがしてくれまずからね」
 奥さんは、今後の暮らし方を説明する。
 みち子さの新しい働き場所を作るため、皆の理解を得なければならない。
「奥さん、有難うございます。気ごころの知った皆と最後まで暮らせて、こんな幸せなことはありません。身内のように思っているみち子さん母娘と一緒で、私は、奥さんが女神さまに見えます」
 身寄りのない高橋さんは、涙を流す。
「本当に、奥さんは女神さまだ」
 他の者も、目頭を熱くする。
 大倉さんと和田さんは、手を合わせている。
「厭ですわ。女神さまなんって、私も嬉しいですのよ。皆さんとご一緒に暮らせるんですもの」
「この家が皆さんのお役にたって、祖父も喜んでいますわ」
 奥さんも、涙ぐむ。
 アパートの住人達は、重荷をおろしたように、足取りも軽く、賑やかな笑い声を残して帰る・・・・

 奥さんは、昨夜からの悩みが解決して、やっと気持ちが落ち着く。
 風呂に入り、洗い髪をドライヤーで乾かしていると、携帯が鳴る。
 家の電話でなく、携帯の電話は先生からだ。
「どうしているの?」
 やはり先生だ。
「お風呂から出たことろですの」
「すき焼きをするから、一緒に食べないか?」
 居間の柱時計は六時だ。
 外は明るい。
「嬉しい!すぐ、行きます」
「ハハ・・・・ 待っている」
 奥さんはいそいそと、鏡の前に座る。
 娘の頃から化粧をしたことがないが、小じわもなく、肌がつやつやしている。
 昔からある、今はスーパー専用になっている化粧水と乳液を愛用している。
 先生に逢う時は、特別に丁寧に、化粧水や乳液をつける。
 ゆるくパーマのかかった染めている黒い髪を、鏡とにらめっこをして整える。
 淡いグリーン色のレース模様のワンピースに着替える。
 小柄な奥さんによく似合う。
 奥さんは、掃除や庭の手入れの時か、パンツをはかない。
 近道の公園の遊歩道を急ぐ。
 クリニックの棟つづきに、先生の自宅がある。
 ポロシャツのラフな姿の先生は。五十八歳になる。
 中肉中背だが、広い額、包み込むような優しいまなざし、ひき締まった口と、白いものがまざる短かく刈った頭髪と顎ひげに重厚さがある。
 若く見えるきしゃな奥さんと、年の差は感じない。
 先生はあまり酒を飲まないが、時時ワインを飲む。
 奥さんもアルコール類は駄目だが、甘いワインなら付き合う。
 先生はよく食べる。
 肉が大好きだ。
「食べないの?寄こしなさい。食べて上げる」
 小食の奥さんの余した分まで、旨そうにたいらげる。
 久しぶりにワインを飲みながら、ゆっくり、食事を済ませる。
 外は暗くなっている。
 明るい電燈の下で、奥さんは、今日一日の出来事を話する。
「住みやすいようにリフォームをするつもりですの。土地の一部を手離すつもりですわ」
 東京の息子に、家の方針を伝えると、
「母さんの好きなようにしたらいいよ。近く、転勤するので当分帰れないけれどね」
 と、あっさり承知する。
 敷地は三百坪ある。
 先生は奥さんから、家の悩みや、アパートの住人達の部屋賀しのことは、聞いて知っているが、土地を売却することは初耳だ。
「売らなくてもいい。改造費はぼくが出して上げる」
「土地は大事に持っていなさい。これからはこうした家が必要になる」
 先生は、自立した共同生活を望む高齢者が多くなっているのは、家庭の在り方が多用化しているからだという。
 先生は、奥さんと夫婦同様の仲だが、東京に妻がいる。
 妻は、息子一家と暮らしていて、ほとんど、地元に帰らない。
 学会や公用で、年に何回か上京するが、息子の家に一泊する。
 その時は、妻は必ず在宅している。
 先生と奥さんが出会ったのは、十数年前だ。
 当時、先生は大学病院に勤めていた。
 難病を患う奥さんの夫が、主治医の紹介で、地元出身で高校の後輩の先生の勤務する病院に入院する。
 病院の近くのアパートに部屋を借り、一年近く、入・退院を繰り返すが、治る見込みのないことを知った夫の希望で、もと入院していた郷里の病院に転院したが、夫はまもなく亡くなる。
 先生は、翌年の秋一時帰郷する。
 製薬会社の社長をしている実家の兄から、会社の創業記念日に招かれたからだが、先生の頭の中に奥さんの面影があった。
 毎日、夫の付き添いに通っている奥さんの、献身的な姿が思い出される。
 短い日程の里帰りだ。
 大学生の頃から、東京暮らしの長い先生は、めったに故郷に帰らない。
 会社の創業記念行事が終わると、高校時代の同級生が久し振りに帰郷した先生のために、同窓会を用意している。
 先に、奥さんに逢いたい。
 庭に、木犀の甘い香りが漂っていた。
 前ぶれもなく現れた先生に、奥さんは驚いて声が出ない。
 一年振りに逢う奥さんは、夫を看病していた時より、一層痩せて化粧をしていない顔が、痛痛しい程やつれている。
 手土産を渡し、仏壇にお参りする。
 居間のソファに座り、出されたお茶を飲みながら、
「一人で暮らしているの?」
 聞く。
 奥さんは頷く。
「息子夫婦が、一緒に暮らさないかと、いってくれるのですけれど・・・・」  
 祖父の遺した家から離れたくないので、頑張っているのだという。
「祖父や両親に、可愛いがられて育った家ですもの。私達夫婦もこの家で一人息子を大きくしましたから、どうしても手離せなくて・・・・」
 先生は、居間を見回す。
 良材で建てられた見るからに、がっちりした家を離れたくない気持ちは分かる。
「困ったことがあったら、相談して下さい。出来る限り応援しますよ」
 馴れない都会の仮住まいから、夫の入院先に通っていた時、親切にしてくれた先生の優しい言葉に、奥さんは頼もしく思う・・・・
 明朝まで、東京に帰らなくてはならない。
 ゆっくり、話は出来なかったが、呼んで貰ったタクシーを見送る、奥さんの淋し気な様子が先生の脳裡から消えない・・・・


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