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作品名:私はソロでない 作者:異邦人

最終回 いつまでも恋をしたい
           亀野利子

 あのひとと、初めて逢ったところは、意外な場所だ。
 自分達の年齢を考えると、別に珍しいところでない。
 朝、新聞の折り込み広告に、新設の葬儀社のチラシがまざっていた。
 自宅のすぐ近くだ。
 行ってみる気になったのは、案内文や催し物にひかれたのではない。
 一年前、母親が亡くなった時、葬式を出すのに困ったことを思い出した。
 幸い、町内会の年寄り達が、取り計らってくれたので、無事に葬儀を済ませることが出来た。
 独り暮らしの自分に、後始末をしてくれる者がいない。
 互助会形式で、毎月、会費を積み立てれば、三コースから、掛け金に似合った葬式が出せる。
 全国的に、名の通った大きい葬儀社だ。
 すぐ、申し込んでもいいと思い、簡単に朝食を済ませて出かける。
 道の真ん中に、風に吹かれた落ち葉がクルクル回っている。
 マフラーだけを首に巻いてきたので、背中が寒い。
 自宅から歩いて十分程のところに、新しい葬儀社があった。
 この道は、毎夕、散歩する道の一つだったが、この頃は、少し遠い運動公園の方の道を行くので、今は、めったに通らない。
 工事中は、どんな建物か分からなかったが、かなり大きい立派な葬儀社になっている。
 広い駐車場は、自家用車で埋まり、三人のガードマンが、車や人の出入りを誘導している。
 中に入ると、暖房が入っているのか暖かい。 
 受付のカウンターの前に、男女の案内係が並んでいる。
 細身の三十過ぎの女性が、素早く、寄ってくる。 
 「申し込みたいのですが」
 「早速、有難うございます。でも、一応、会場をご覧になりませんか?とても、素敵なんですよ」
 とすすめる。
 葬式は、一通り経験しているが、女性が先立って歩き出すので、ついて行く。
 広い廊下は、人々で混雑している。
 案外若い家族が多く、子連れの夫婦が目立つ。
 葬儀用の大広間や、販売の仏具が飾ってある部屋などを説明する女性のあとから覗くだけで通り過ぎる。
 静まりかえった部屋があった。
 年嵩の男女が集まっている。
 若いイケメンの男性が、納棺の手順を厳かに行なっているのを、女年寄り達が、真剣な表情で、イケメンの手もとを見ている。
 苦笑しながら通る。
 廊下まで行列が賑わっている大部屋は、くじ引きの人達で溢れている。
 小さい子供達が、部屋の隅に積んである賞品の電気製品や、日用雑貨の前で、跳び上がって遊んでいる。
 「若いお連れの方達は、景品がお目当てなんですよ」
と、女性は笑いながら、
 「あなたさまには、特別にサービスの品を用意致して
居りますのでー」
 素通りする。
 細長い机の並んでいる部屋に、来訪者達は、熱心に書類に取り組んでいる。
 渡された申し込み書の中から、三コースの二番目を選び、全額払いに決めて、書類を係りの女性に渡す。
 「今日中に、払い込みます」
 「有難うございます。契約書は後程お送り致します。これをどうぞお持ち下さい。くじ引きの特別サービスでございます」
 何時の間に持ってきたのか、賞品のポットの包みを差し出す。
 「有難う」
 と、受け取ったが、家には、母が遺した古道具類に困っている。
 ポットも、母が亡くなる直前,新調したのが使わずに、台所の隅に置いたままだ。
 出口のところで一緒になった、小さい男の子の手を引いた。若い父親が、
 「ポットが壊れたので、もしかしたら、くじ引きに当たるかなと思ったんだがなあ。ハハ・・・・」
 と、残念そうに笑う。
 片手にティッシュの袋をぶら下げている。
「お上げしますよ」
 咄嗟に、花模様のベビー服の赤ん坊を抱いた妻に渡す。
「まあ、嬉しいわ!有難うございます」
 パッと、妻の顔が明るくなる。
 子供と手を振りながら、若夫婦の車が走り去るのを見て、
「家族連れか」
 と、独りごとが出た。
「お優しんですのね」
 後ろで、声がする。
 振り向くと、五十歳半ばの女性と目が合った。
 微笑んでいる。
 淡いグリーン色のカーディガンを羽織った黒のパンツ姿が、細っそりとした小柄な身体に、よく似合っている。
 あのひとと、初めての出会いだった。
「古世帯ですのでね。ガラクタ道具を持て余しているんですよ」
「どちらも同じですのね。私も整理をするのに、本当に困りましたもの・・・・」
 手ぶらだ。
 聞くと、
「嫁がくじを引いたのですけれど、洗剤が当たりましたわ」
 声を出して笑う。
 ガードマンに導かれて、道路に出る。
 私は申し込んだが、息子達は、まだ、葬式の心配は早いと笑って、これから買物に行くというので、車に乗らず、近いので歩いて帰るだという。
 肩を並べる。
「あなたも、こちらですか?」
「中部ですの。最近、隣の市から、息子のところに、引っ越して来たばかりですの。お宅はどちら?」
 中部は南部のすぐ先だ。
「南ですよ」
 まだ、田圃がところどころに残っているが、県庁のある市のベッドタウンとして、開かれた住宅地に、急速に住宅が建ち並び、南部を皮切りに、中部、東部と分かれ、それぞれ、町内会がある。
 住宅を見れば、南か、中か、東かと一目で分かる。
家の造りが、その時期に合った建て方だ。
 自分が住む南地区は、一番古く、高齢になった夫婦や、年寄りだけの家が多い。
 中地区は、ようやく、子育ての終わりかけた年代が住む。
 新しい東地区は、若い夫婦がほとんどで、幼稚園園児や小学生で賑やかだ。
 今朝の葬儀社のチラシを見て、急に行きたくなり、息子夫婦に連れて来て貰ったのだという。
「年が年ですから、すぐ申し込みましたわ」
 いくつ位だろうか?
 まだ、五十代のように見えるが・・・・
「母が亡くなって、独り暮らしになりましてね。古道具の中で暮らしていますよ」
「私も息子一家と同居するまでは、夫が亡くなってから、長い間、独り暮らしていました」
「では、自分と同じ気楽なご身分だ。ハハ・・・・」
 互いに独身だと知ると、口が軽くなる。
 マフラーだけで寒いと思ったが、今は気にならない。
「寄りませんか?コーヒーを御馳走しますよ。もっとも、インスタントですけれどね」
 家の前で立ち止まる。
「今日は、遠慮しますわ。お知り合いになったばかりで失礼ですもの」
 明るい笑い声を残して、あのひとは行ってしまった。
「感じのいい人だ」
 居間で、コーヒーを飲みながら思う。
 ベランダ越しに、庭に目をやる。
 母が元気な時は、丹精を込めて、さまざまな花を咲かせていたが、今は、枯れ放題、荒れ放題だ。
 僅かに、黄色い菊の一群れが風に小さく揺れている。
 部屋を見回す。
 母が亡くなって、一年が経つが、無意味に過ごしている。
 自分の最後を、葬儀社に託したせいか、気持ちが落ち着く。
「そろそろ、片付けてサッパリしようかな」
 雑然とした、辺りを改めて眺める。
 不意に、明るい笑い声を残して、足早に去った、あのひとの姿が目に浮ぶ・・・・
 母が、生前いっていた言葉を思い出す。
「お前のことが心配だ。いいひとに出会ったら、自分から声をかけて親しくなるんだよ。男が積極的にならなければ、女は寄って来ないからね」
「積極的にか!」
 苦笑いしながら、空になったコーヒー茶碗を流しに運ぶ・・・・

 二日かかりで、自分に必要な物以外は、片っぱしから、庭の隅の物置に入れる。
 古い食器棚と共に、ほとんど使わない食器類も処分する。
 粗大ゴミに出すつもりだ。
 自分の部屋は、洋箪笥と本箱と机しか置いていない。
 母が使っていた居間の隣りの和室は、床の間に仏壇があるだけだ。
 葬式の済んだあと、取っ手のとれた箪笥や、鏡のくもった鏡台などの家具類や、押し入れの中の綿の沢山入った重い布団などは、回収業者に引き取って貰った。
 衣類は、母と親しかった町内会の女年寄り達が、形見分けに欲しいといってくれたので、母が大切にしていた質のいい着物は、無駄にならずに、母が喜んでくれたと思う。
 家は,鉄工所で働いていた父が、晩年建てた居間を入れて三間ばかりの小さい平屋だが、両親のぬくもりが感じる。
 家中の窓を開け放したせいか、澱んでいた空気と入れかわりに、冬晴れの清々しい風が入ってくる。
「今日から、母さんの部屋で寝起きしようかな」
 居間の柱時計を見る。
 十一時過ぎだ。
 慌てて、米を洗い、炊飯器に仕掛ける。
 冷蔵庫を開ける。
 のりの佃煮の小ビンが一つある他は、からっぽだ。
 家の後片付けに、気を取られて、買物に行くのを忘れていた。
 空腹だ。仕方ない。むすびでも作ろうかと思案していると、玄関のブザーが鳴る。
 急いで覗く。
 あのひとが立っている。
 思いがけない訪問に胸が騒ぐ・・・・
「こんにちは。突然、お伺いして済みません」
「とんでもない!よく来てくれましたね。どうぞ、上がって下さい」
 手に、スーパーのレジ袋を持っている。
「日曜日なので、息子夫婦は日帰りのバスツアーで、温泉に、朝早く出掛けましたの」
 大学生の孫娘も同期生数人と、格安の飛行機で、昨日から贔屓の歌手のコンサートに東京に行っている。
 息子夫婦に誘われたけど,慌ただしいツアーは苦手なので断った。
 日頃、息子は母親に似て和食好みだが、嫁と孫娘は、油っけ多い料理が主だ。
 今日は、自分の好きな物を食べたいと、スーパーに行く。
 惣菜売り場に、まぐろの刺身がサービス品になっている。
 久し振りに刺身をと思うが、まぐろだけではものたりない。
 盛り合わせはいろいろあるが、量が多い。
「ふと、あなたのことを思い出しましたの。お独り住まいだとおっしゃっていましたのでね。丁度、お昼時ですから、助けて頂こうと思って、盛り合わせを買って来ました」
 刺身の他に、蓋付きの入れ物を二つ、袋から取り出す。
 途中、自宅に寄り、朝、作ったきんぴらごぼうと、ほうれんそうのおひたしと持って来た。
「お野菜も、身体に必要ですからね」
 テーブルの上に並べる。
「どうぞ、お好きなだけ取って下さいな」
「一緒に食べませんか。今、ご飯を炊いたところです」
「家の中を片付けていて、買物に行くのを忘れて、おかずに困っていたんです。めしは、何時も二日分炊くので
充分ありますよ」
「よろしいんですか?本当は、独りで食べるのが味気ないと思っていましたの」
 はにかむ。
 笑顔が、年を感じない程、愛らしい。
 昼食が縁で来るようになった。
 頻繁に逢うようになる。
 夕方の散歩も、あのひとは付き合う。
 正月を迎える頃は、
「息子夫婦は初参りに出掛けましたし、孫娘は、大阪に友達と夜行バスで遊びに行きましたのでね」
「息子達と行くより、あなたと一緒の方が楽しいんですもの」
 初参りを誘いにくる。
 自分も、顔を見るだけでも心が弾む。
 今迄、こんな楽しい気持ちになったことがない。
「毎日、出掛けて、息子さん夫婦は何もいいませんか?」
「いいえ、むしろ、私が外に出るのを喜んでいますわ」
 隣市で、夫が亡くなってから、長い間、独り暮らしをしていたのを、息子が元気なうちに同居しよう。今なら何処でも、遊びに連れて行って上げられるよ。と、強くすすめるので、老後の身体の衰え考えて、息子の家に来た。
「ところが、嫁は昔の地主の家柄の一人娘で地元に生まれ、私は、普通のサラリーマン家庭の町育ち、生活の習慣が微妙に違いますのね」
共稼ぎなので、少しでも楽にして上げたいと、家事を手助けする。
 だが、洗濯物を取り入れて、丁寧にたたんで置いても、あとで、たたみ直しているのを知り、乱雑に散らかしているキッチンを見兼ねて片付けると、翌日、また同じように散らかしているのを見て、余り、手伝わない方がいいのだと思い、息子一家の生活に立ち入らないようになる。
 孫娘は優しいが、学校と遊ぶことに忙しく、同じ家にいても、顔を合わせない日が多い。
 一家団欒を夢見て、家を手放して、息子一家と同居したことを後悔する。
 嫁も、自分の好きなように暮らしていたのに、まだ、元気な義母が身近にいるのは、息苦しく感じているのではないかと、つい、気を回して、憂鬱になる。
 思えば、東京のサラリーマンの家庭に生まれ、高校を卒業した。
 近所に下宿していた公務員から、熱心に求婚され、両親もすすめるので、二十歳で、十歳上の男性と結婚する。
 息子が生まれ、平凡だが幸せだった。
 夫は本省勤務から、四国に転勤になったが、順調な暮らしがつづいた。
 身寄りのない夫は、温暖で天災の少ない県に、退職後も定住したいと家を購入する。
 ところが、夫は出張先で倒れ、その儘、帰らぬ人となった。
 息子は、既に電気機械メーカーに就職して結婚していた。
 夫が、定年間際の急死だったので、自分一人は遺族年金で生活出来た。
 実家は、両親が亡くなり、唯一の身内の弟は早く病死
して、弟嫁は甥一家と暮らしているが、今は互いに疎通になっている。
 長年、住んでいた町内の方が馴染みがあった。
 近所の人達とは仲が良く、特別に親しみがあった。
 思い出すと、涙が出る程懐かしい・・・・
 来たる以上は仕方ない。
 息子のところで最後を迎える覚悟で、息子に頼んで新しく出来た葬儀社に連れて行って貰い、申し込んだが、葬儀社で、若夫婦の車を見送っていた年輩の男性の姿が心に残った。
 整った容貌に孤独感があった。
「あなたのお優しい心遣いに惹かれましたの」
「自分も、あなたのことを感じのいいひとだと思いましたよ」
「まあ!嬉しいですわ。どうぞ、末長くお付き合いして下さいな」
「こちらこそ、よろしく。思いかがけないところで、お逢いしたご縁ですな」
 真面目に答える。
 市の自慢の勾配の美しい石垣のあるお城に、花見に連れ立って行った時も、折からの風に舞い散る桜の花びらを眺めながら、あのひとがいった。
「お話し相手になって頂けるだけでも、気持ちが晴れますわ」
 夫以外に、男性に甘えたり、頼りにしたことがない。
 こちらと、話を交わすだけでも胸がときめく・・・・
 初めて知る心の変化だった。
「同じですよ。あなたと一緒にいる時が一番楽しいです」
 帰郷してから、母以外に女性と歩いたことがない。
 県内の大学を卒業すると、父親の知人の紹介で、東京の自動車販売会社に就職した。
 初め両親は、弟妹を幼児期につづいて亡くしているので、一人残った息子を手離すことに躊躇したが、地元に思わしい働き口が見当たらないこともあって、親元を離れることを承諾した。
 世の中が、景気のいい時期でがあったせいか、面白い程、営業の成績が上がった。
 五、六年経った頃、得意先の会社の事務員だった妻と結婚する。
 社長が仲人をしてくれ、両親も結婚式に出席した。
 五歳下の妻は、器量もよく明るい性格で、人との交際も上手だった。
 仕事が忙しく、セールスに走り回っていても、嫌な顔をせず、
「あなたが頑張って働いてくれるから、安心して、子供を育てられるわ」
 と、いうだけあって、一人息子の教育には熱心で、有名大学を卒業させる。
 息子は、希望の外資系の商社に入社して、海外で働いている。
 相変わらず仕事に忙しく、妻をあまりかまってやれないので、淋しかろうと思い、父が亡くなって、母が一人暮らしているので、東京に遊びにこさせたら、互いに退屈しないでいいかも知れないと、母さえ承知したら、同居させたいと思い、母親を呼んだ。
 妻は,如才なく母をもてなしする。
 数日後、
「明日、休みを取って母さんの好きなところに連れて行って上げるからね」
 朝、出勤する時に、母にいい残して家を出た。
 母は、嬉しそうにしていた。
 昼頃、妻から突然携帯電話くる。
「お母さんがいろいろと、細かいことを注意するの。私、気疲れして寝込んでしまいそうよ」
 ビックリする。
 母は、自分達夫婦の生活に口出しするような人間ではない。
 暇を持て余して、妻に家事を注意するのかと、単純に考えて、外回りを早めに切り上げて帰宅した。
 妻は、その頃から浮気していたのだ。
 母が居着くのを警戒して、口実を作って、母を追い出そうとしたのだ。
「母さん、何かうちのにいったの?」
「この年で、お前達の暮らしには口をはさむ元気なんかないよ。でも変ね、あのことが気に入らなかったのかね」
 流しのゴミ入れがいっぱいになっていても、捨てようとしないので、取り除いたのが気に入らなかったのかと、母がいう。
 これでは、同居どころか短い滞在でも、母に気兼ねさせる。
「母さん、一旦、四国に帰るかね。会社の方が暇になったら、ゆっくり相手になって上げるからね。今は、ご免よ」
「母さんのことは、心配しなくていいよ。でも、お前は忙しい忙しいというのに、よく、毎日何度も嫁さんに電話してくるね」
 母は、不審そうにいう。
「電話なんか掛ける暇なんかないよ。お客さんに車を売ったあとのサービスが大事なんでね。販売のあとの気配りが営業に大切なんだからね」
 妻は、男と始終電話で話合っていたのだ。
 母が帰郷したあとで、妻の様子が変わったことに気付く。
 服装が派手になっている。
 髪型も若作りになり、化粧も濃い。
 たまたま、仕事の都合上、何時もより早く帰宅すると、眉をひそめる。
「無理に早く帰らなくてもいいのよ。泣かずにお利口さんにしているわ。安心して、しっかり儲けてよ」
 と、はすぱなものいいをする。
 景気がだんだん下火になり、社長が
「今度はハワイへ行くぞ。かみさんを連れて来てもいいからな」
 と、いう位、慰安旅行が豪奢だった会社も尻すぼみになり、自動車の売れ行きがにぶくなる。
 丁度その頃、商社マンの息子が海外から帰国して、大学の同期生と結婚する。
 また、母から、
「身体の調子が悪くて、身の回りのことをするのが大儀になった」
 と、夜遅く電話を掛けてくるようになる。
 母の住む町内会の会長から、携帯にメールが入る。
「この頃、お母さんは家に閉じこもって、訪ねても出てこなくなりました」
 会社は赤字つづきで、一等地にあった会社の建物と土地を売り、郊外に事務所を移した。
 年とった社長は退いて、二代目を継いだ息子の社長は、今なら退職金が払えるといって、人員整理を始めた。
 定年まで、まだ、五、六年あったが、母の介護をしたいと思い、妻に相談する。
「嫌だわ!東京を離れたくないわ。生まれて育ったところですもの。それに、私ずっと考えていたのだけれど、私達離婚しない?」
「離婚?」
 意外な言葉に大声が出る。
「地方に行って、お母さんの看病なんかとても出来ないわ。だって、私達若くないんですもの。自由になりたい!最後のチャンスだわ。別れましょうよ」
 五十歳過ぎの妻に、どんな未来があるというのか!
 憮然とする。
「あなただって、自由にお母さんの看病が出来るじゃないの」
 勝手な理由をつけて、離婚を迫る。
 郷里の町内会長から、度々、メールがくる。
「息子さんに逢いたがっているから、都合をつけて、一度、帰って来て貰えませんか」
 決心する。
「君が、別れたいというなら、それでいい」
 離婚を承知する。
 息子夫婦を呼ぶ。
「お父さんやお母さんの好きなようにしたらいいですよ」
 と、あっさり両親の離婚を承知する。
 ローンの終わっている家を妻に渡し、現金をどう分けたらいいかと、妻に任せていた貯金通帳を見て、驚く。
 残額がゼロだ。
「これは、どういうことか!」
 毎月ノルマを果たし、給料は多いはずだ。
「だって、息子を難関で有名な大学に入学させるために、中学生の時から、家庭教師をつけたり、予備校に通わせたりしたでしょ。何かと、教育費がかかったのよ。それに、息子の結婚式も盛大にしましたからね」
「赤字にならないだけでも、まだましだわ」
 と、うそぶく。
 退職金を、黙って半分差し出す。
「今後一切金のことはいってくるな。年金を貰う迄、まだ、五、六年ある。無収入がつづくんだ」
 妻は、文句をいわず、
「結構よ。その代わり、私達、これからかかわりなしにしてね。息子は独立しているんだから、心配はいらないわ」
 と、念を押す。
 あとで知ったのだが、妻は、不倫相手とすぐ再婚している。
 息子が通っていた予備校の若い講師と深い仲になり、息子が大学を卒業する頃、講師の学習塾の独立資金に、妻は貯金を注ぎ込んだ。
 自分は、妻の浮気代を稼ぐために、毎日走り回り車を売っていたのだ。
 運転手上がりの苦労人の前社長が、
「いい時は何時迄も続かんぞ。不意の金のいる時に困らんように、給料から少しでも預けて置け」
 社員達に、社内貯金をさせていた。
 隠していた訳ではないが、妻は社内貯金は知らない。
 給料から天引きされていた貯金と、退職金の半分があれば、母の少ない年金でもこれからの生活は賄える。
 郷里に帰ると、母は子供のようになっている。
「何処にも行くのでないよ。何時も母さんの傍にいておくれ」
 と、離さない
 足腰の弱った母は、四年余りの介護の末、食べる気力を失い、僅か一週間程で眠るように静かに逝った。
 家庭を持っていた頃の、無我夢中で働いていた自分を思い出す。
 今は、息子とも無沙汰だ。
 母は、自分がいたから後始末が出来た。
 頼る肉親がない。
 他人に迷惑を掛けたくないと、行く末の段取りだけはして置きたいと、新聞の折り込みのチラシを見て、葬儀社に出向いて契約した。
 葬儀社で、思いがけなくあのひとに出会った。
 ぼんやり暮らしていた自分に、ほのかに灯が点ったように気持ちが明かるくなる。
 あのひとがいうように、話相手が出来ただけでも嬉しい。
 毎朝、ヒゲを剃り、こまめに理髪に行くようになる。
 帰郷した時、温泉の好きな母親を、方ぼうの温泉に連れて行って喜ばせたいと、唯一の贅沢に新しい軽自動車を買った。
 セールスをしていた時は、高級車を乗り回していたが、車に趣味はない。商売を離れれば、軽で充分だ。
 母のために購入した車で、あじさいで名高い神社や、遠くのばら園や、ふじの名所に、花好きなあのひとを乗せて走る。
 今日もあのひとが来た。
 レースの襟のついたブルー色のブラウスに、白のパンツが上品だ。
「若く見えますよ」
 褒める。
 一つ年上だといったが、好きだと思うからだろうか、五十歳くらいしか見えない。
「あなたも素敵ですよ。お背が高いから、何を着てもよくお似合いですわ」
 優しい気配りをする。
 スーパーで買ったチエック柄のシャツに、手持ちのグレーのパンツに、自分も身なりに気を使っている。
「このブラウス、嫁のお下がりですの。一度しか着ていないけれど、お母さんの方がよく合うと思うわといいましてね」
 嬉しそうにいう。
「いい友達が出来てよかったね」
 息子夫婦は、母親が出歩くのを喜こんでいる。
 町内で、二人は噂になっているらしく、息子達の耳に入っているのだ。
 外に出る。
 隣りの家の門の前に老主婦がいた。
 車の中から会釈する。
 奥さんは、笑顔で手を振る。
 住宅街の人達が、自分等の交際に好意的なのがわかる。

 市街から少し離れた喫茶カモメは、母と時々寄った店だ。
 窓ガラスも出入口のドアも、ステンドグラスの入った木造の今時、珍しい古風な店構えだが、初老のオーナー夫婦の気さくな人柄と、レトロな店の雰囲気が、客をくつろがせる。
 母が亡くなった時、常連客から聞いたといって、マスターが葬式に来てくれた。
 その返礼に、顔を出したきりだ。
 久し振りに、あのひとを連れて行く。
 駐車場に車を止める。
 梅雨に入っているせいか、空気がしめっぽく、むし暑い。
 中に入る。
 店内に、大勢の客がいた。
 入口近くに空いていた椅子に、あのひとを掛けさせ、自分も座る。
 マスター、素早く見付けてとんでくる。
「お久し振り!丁度よかった。実は、あずま美奈が来ているんですよ」
「・・・・?」
 誰だろう?あのひとを見る。
「若い人達に、人気のあるアイドル歌手ですよ。うちの孫娘も、昨夜、アイドルグループのコンサートに市民会館に行きましたわ」
 笑いながらいう。
 マスターの話では、あずま美奈は妹の一人娘で、伯父のマスターに挨拶に来たのだという。 
 ご近所は有難いもので、美奈がくるのを知らせると、昼間、家にいる住人達が集まってくれた。
 道理で、おじさん、おばさんが多い。
 お客のテーブルに、コーヒーカップが置いてある。
 ママがコーヒーを運んでくる。
「皆さんに、サービスさせて頂いているんですよ」
 マスターがプレンドするコーヒは、自慢するだけあって、香りといい味といい、コーヒー馴れしていても難がなく好ましい。
 会社勤めの頃、コーヒーに凝っていた客から、ブラックが一番といわれ、営業に疲れた身体に、ミルクや砂糖を入れていたが、大事な客の言葉に従って飲んでいたブラックコーヒーが次第に口に合うようになったが、家に帰ってからは、母のお茶好きに付き合っているうちに、インスタントコーヒーさえ飲まなくなっていた。
 この頃 、また、インスタントを飲んでいるが、さすがにカモメのコーヒーは、美味しい。
「マスターのコーヒーは、やはり旨いねえ」
 マスターは、満足気にお辞儀をする。
「有難うございます」
「こちらも、ブラックでよろしいですか?」
 ママがいう。
「私は、ミルクたっぷり、シュガーたっぷりですわ」
 いたずらぽっく笑う。
「お奇麗な方ですね。お似合いですよ」
 マスターが耳もとで囁く。
 照れる。
「マスター、折角、新しいお客さんがお見えだ。美奈チャンにアンコールしてよ」
 中年の男性が声を上げる。
「オッケー!美奈、出ておいで!」
 マスターが、奥に向かって大声で呼ぶ。
 ママが姪を連れてくる。
 付き人の若い男性が後ろに付いている。
「美奈チャン、もう一度歌っておくれ。特別に来て下さっているご近所の方達だ。頼むよ」
 マスターにいわれて、あずま美奈はにっこり笑って、カウンターの前に立つ。
「アンコール有難うございます。では、新曲『あなたが恋しくて』を歌わせて頂きます。美奈さん、どうぞ…」
 付き人の男性が、ペコリと頭を下げる。
 プライベートのほんの一時の顔見せなのに、念入りにメイクした美奈は、フリルのいっぱいついたオレンジ色のミニドレスで、伴奏なし、マイクなしで歌い出す。
   元気なら
   どこかで逢える
   そうよ
   信じているわ
   雨が降らないのに
   まつ毛が濡れる
   同じ空を
   眺めているのに
   私はひとりぽっち
 十代のまだあどけなさの残る顔で、身体をよじらせ、片手を胸に当てて切なげに歌う美奈に、テーブル席の客達は、うっとりと、アイドルを見つめる。
   あなたが恋しくて
   私のこころは何時も
   あなたの傍らにいるわ
   忘れないと
   いったひとよ
   今日も雨が降らないのに 
   まつ毛が濡れる
 拍手が店内に広がる
「ご声援、有難うございます」
 若い付き人は頭を下げて、
「内緒で来ていますので、これで失礼させて頂きます。マスター済みません」
 美奈の手をひっぱるようにして奥に消える。
 ママが、慌てて後を追う。
 マスターがCDとパンフレットを持ってくる。
「ご近所やお馴染みさんにお上げしているんですよ」
 あのひとは、バックから一万円札を二枚取り出して、懐紙に包む。
「こちらとふたりね。ご祝儀ですよ」
 外に出る時は、何時も食事代位か持っていない自分を知っている。
 苦笑する。
「有難うございます。お気を使わせて申し訳ございません。どうぞ、又、お寄り下さい」
 恐縮するマスターに送られて店を出る。
「なんだか、胸が痛いですわ」
「どうして?」
「だって、あの歌のように、切ない恋なんか知らないんですもの」
「同感だ!ハハ・・・・若い時は、働くことで精いっぱいでしたからね」
 あのひとは、家の前で車を降りる時、
「息子夫婦に誘われて、県外の温泉に泊りがけで行くので、明日はお休みです」
 笑いながらいった。
 温泉の多い土地柄のせいか、息子達は休日によく温泉に出掛ける。
 あのひとは、毎日のように朝から来て、昼食を共に食べるようになり、息子達が帰宅する前に帰る。
 だが、明日はこないという。
「ゆっくり、行ってらっしゃい」
 と、いったが、姿が見えないと、やはり淋しい・・・・
 早目に風呂に入る。
 パジャマのまま、居間のソファに横になり、テレビをつけるが、すぐ消す。
 喫茶カモメで、アイドル歌手が歌った
「あなたが恋しくて」が頭に浮かぶ・・・・
 自動車販売会社に就職して、数年が経ち、仕事が面白くなった頃、会社の女事務員が結婚で退職するというので、日頃、何かと親切にして貰っていたので、御礼をかねて、バックを結婚祝に贈った。
 バックは、高級車を買ってくれたお客の店で、すすめられるまま、ブランド物を奮発した。
「あなたが好きだったのよ。見向きもしてくれなかったわね。でも、優しくしてくれたあなたとの思い出を、このバックにしまって、一生、大切に持っているわ」
 思いがけない告白だった。
「鈍感さんのラッキーな結婚を祈っています」
 パッと傍に寄り、頬に唇を押しつけると、逃げるように去った・・・・
 結婚後の消息は知らない。
 遠い昔だ。
 顔立ちもおぼろにしか覚えていないが、目の大きい背の高い女の子だった記憶がある。
 事務の手続や、客の応対などに、特別に取り計らってくれたのも、自分への思いがあったからなのか。そんなこととは知らず、感謝の気持ちで、時折、仕事の打ち合わせをかねたお茶や、食事に誘ったのだが・・・・
 六十歳半ばの自分に、唯一の華やいだ思い出だ。
 あのひとは、あずま美奈の歌のような恋は知らないといった。
 そうかも知れぬ。
 付き合うようになって半年余りになるのに、あのひとは、毎日のように訪れて、律義に、朝、息子夫婦や孫娘が出掛けるとすぐ来て、息子達が帰宅する前に、帰る。
 あのひとが来るようになってから、部屋や台所が整頓され、居間のテーブルの上に、花が飾られるようになった。
 昼食も初めのうちは、一人で家で食べるのは、淋しいからと、弁当を持って来た。
 自分にも同じおかずを持ってくる。
 そのうち、材料を買ってきて、台所で作るようになった。
 二人で食べるのは楽しい。
 一緒にスーパーに買い物に行ったりして、たあいない世間話で半日を過ごす。
 夕方、運動公園迄散歩して、あのひとの家の近くで別れる。
 亡き母がいった。
「男は積極的でなければ、女は寄ってこないよ」
 自分が、あのひとに素直に気持ちをうち明けられないのは、生活力がないからだ。
 無職だ。
 やっと、今年から年金が入るようになったばかりだ。
 貯金は、母の介護に居食い生活の上、子供のように無心になった老いた母親を喜ばせたいと、県内外の温泉地に旅行したり、出来る限りの贅沢をさせた。
 母が亡くなった時、母の供養にと、町内の母と親しかった人達と相談して、葬式を賑やかに出した。
 先日、葬儀社に、金額を支払ったが、病気の時の用意に心細い位の預金しか残っていない。
 年金は、自分一人がやっと生活出来る程度だ。
 再就職したいと思っても、この年齢では簡単には見付からないと思う。
 話相手でいい。
 毎日、顔を合わせて、昼食を共にするだけでも幸せだ。
 別れた妻の破廉恥な行為を思うと、再婚は気がすすまない。
 あのひとは、そんな非情な女性だとは思わないが、資産のない自分は、求婚にどうしても踏み込めない。
   あなたが恋しくて
   同じ空を眺めているのに
   私はひとりぽっち
 本当になあ!あのひとが恋しいのに・・・・
 情けない。
 腑甲斐ない男だと自分を蔑む。
 あのひとが、自分を好きなことは分かっている。
「一緒に、こうしてお昼を頂けるだけでも、気持ちが落ち着きますの」
 食事は何時も、独りで食べるのだといっていた。
 明日はこないという。
 淋しい!
 こんな気持ちになるのは、この年迄知らなかった。
 妻に押し掛けられるように迫られて、深く考えもせず結婚したが、離婚する際は、悲痛感はなかった。
 他に男が出来て、自分から去った妻に、執着はない。
 むしろ、母のことが心配だった。
 寒気がする。
 長いこと、パジャマのままソファに横になっていたせいか?
 慌てて、隣りの寝起きしている母の使っていた部屋に、布団を敷き、寝転がる。
 雨が降っている。
 窓ガラスに、雨の雫が流れている。
 玄関は戸締りしてあるが、居間のベランダ側のガラス戸に鍵がかけていない。
 カーテンを引くのも面倒だ。
 背中がぞくぞくする。
 身体が熱っぽい。
 風邪を引いたのかと思いながら、うとうとしているうちに、眠ってしまったらしい。
 尿意がして、目が覚める。
 窓が明かるい。
 朝がきている。
 雨がやんでいる。
「ああ、ぐっすり眠っていたんだ!」
 起き上がろうとすると、身体の節々が痛む。
 頭が重い。
 台所の方で、かすかに物音がする。
 誰だろう?
 泥棒?まさか!
 這うように、襖を開ける。
 流しの前にあのひとがいる!
 夢を見ているのかと、一瞬、呆然とする。
「よく、眠っていらっしゃったわね」
 明るい声に、本当にあのひとがいるのだ。
 ベランダから入ったのだという。
 現金なものだ。
 彼女の顔を見た途端、身体が軽くなる。
 孫娘が、神戸の高校時代の友達のところに遊びに行くのに、留守になると、父親にメールをよこした。
 夜、無人だと用心が悪いからと、言い訳して、朝早く宿を発ってすぐに来たのだという。
「息子は、一晩位、留守にしても大丈夫だと止めたんですけれど、あなたといる方が楽しんですもの…」 
 目を伏せる…
 風邪気味で、身体の調子が悪かったのだが、あのひとがお粥を作ってくれたり、掃除、洗濯と、こまめに家事をしてくれるので、甘えたかった。
 あのひとは、今度は朝早く来て、夕方迄いて雑用をしてくれる。
 嬉しかった。
 こんなに、自分の事を案じてくれるのは、母親の他にない。
 夕方また、二人で散歩するようになる。
「今日は、息子が早く帰るから、お母さんも家にいてよと、朝、出勤間際にいわれたので、早くかえります」
 と、いうので、何時もより早目に散歩を済ませる。
 夕食の支度はしてあるが、食べる気がしない。
 街中をぶらつく。
 子供の頃は、土曜市のある日など、肩が触れ合う程、人々の往来で賑わっていた商店街もシャッターのおりている店舗が目に付く。
 まだ、宵なのに、一際、明かるい店に足が止まる。
 高校時代の同級生が経営するジュエリーの店に気付く。
 あのひとに、看病をして貰った礼に、何かプレゼントをしたいと思っていた。
 別れた妻が、指輪が欲しいといって、買わされた指輪は、当時の給料の半年分にも当たる値段だった。
 あの頃は、景気のいい時期だった。
 妻に任せてある貯金は、かなりの額になっているはずだ。
 日頃、仕事に忙しく、かまってやれない引け目から、妻のいう通りに高価なダイアの指輪を買ってやった。
 あの時の妻の喜びようは、今でもハッキリ思い出す。
 数か月は、こちらが気恥ずかしくなる程、優しくサービス満点だった。
 宝石は、女が最大に喜ぶものだと知る。
 あのひとに、礼に託して自分の気持ちを伝えたいと、一途に思う。
 後戻りして、銀行のキャッシュコーナーから、全額に近い金を引き出す。
 ためらわずに店内に入る。
 陳列台を眺めていると、若い女店員が寄って来た。
 その時、外から帰って来た年配の男性が目を丸くする。
「おお!珍しいね」
 小太りの白髪まじりの頭を大げさに振る。
 久し振りに逢う旧友だ。
「指輪が欲しいのだがー」
「指輪?」
 ふふ、・・・・と含み笑いをしながら、すすめたのは、手頃な値の品だった。
 真珠のその指輪より、二つ、三つ先の青い澄んだ色の指輪にひかれる。
「再婚したの?」
 と、聞く。
「いや、世話になったひとに、御礼にと思ってね」
 プラチナ台に、小さいダイヤに囲まれたエメラルドの指輪は、あのひとに似合う気がする。
「さすがに目が高い。プレゼントならこの方がお相手に喜ばれるよ。思い切って購入しなさいよ。俺たちの仲だ。マージンなしだ」
 驚く程値引きする。
「大丈夫か?それでは大損じゃないか」
「俺は商売人だ。もとは取ってある。心配しなくていいよ」
「そうか、済まないな。じゃ貰うよ」
 銀行の封筒から金を出す。
「一回でなくていいよ」
「いや、いい。有難う」
「そうか。ちょっと、プレゼントだからね。丁寧に包んでお上げして!」
 呼ばれた男の店員が、包もうとする。
「この儘でいいです」
 ケースで受け取る。
 出口迄送って来た高校時代の同期生は、耳もとに口を寄せる。
「君の顔を見て思いついたんだが、俺、来年の知事選挙に出るつもりだ」
「実は、俺の片腕になって選挙を手助けしてくれたのが、酒の好きな奴でね。まだ、四十代なのにコロリとあの世に逝ってしまってさ。適当な後がなくて困っていたんだ」
「生真面目な君に安心して事務所を任せられる。選挙を手伝ってくれんかな。頼むよ」
 頼むよ!懐かしい言葉だ。
 今は、老舗の宝石店の社長に収まっているが、高校時代は部活の野球に熱中して、勉強をさぼってばかりいた。
「おい!ノートを借してくれ。頼むよ」
 真面目に学習ノートを取る自分に、頭を掻きながら、
「頼むよ!」
 と、毎度ノートを取り上げて、やっと、試験をくぐり抜けた。
「懐かしいな。君の頼むよを聞くのさ」
「へへ・・・・よく覚えているな。君の都合のいい時に、自事務所に顔をだしてくれんかね」
 勉強は怠けるけれど,誰彼となく仲良くなる人馴っこい性格の上、親が、一人息子に豊富に小遣いを与えるので、クラスメートに気前よく奢る彼は、クラスの人気者だった。
 父親が亡くなると、後を継いで社長になった。
 面倒見のよさと、父親の地盤で市会議員になる。
 現在、県会議員を数期務めている。
 母の葬式に来てくれたこともあり、高校の同期生だ。
「自分でよければ、手伝うよ」
「サンキュー、来るのを待っている。お買い上げ有難うございます!」
 大声を張り上げる。
「有難うございます」
「有難うございます」
 店員達が、笑顔で見送る。
 明りの点った通りを、ゆっくり歩く。
 ジャケットのポケットを上から触る。
 大金を使ったが、惜しいとは思わない。
 あのひとの喜ぶ顔が見たい・・・・。
 頬が濡れている。
 知らぬ間に、自分は、あのひとを想って涙を流していたのかー
   あなたに恋しくて
   私のこころは何時も
   あなたの傍にいるわ
 切ない・・・・
 これが恋というものか?
 両手で、目を強く擦する。
 男の弱さをしみじみ思う。
 いい年をして恥ずかしい!

「晩めしを、うちで食べませんか」
 散歩を休んで、ゆっくり話がしたい。
「丁度よかったわ。私もお話がありますの」
 何時、指輪を渡そうかと、買って数日,思案したが明案がない。
 散歩の時にと思ったが、自宅で手渡しした方が、いいような気がする。
 あのひとは、夕食の仕度をして帰るのだが、今日は、二人でチャーハンと市販のスープで済ませる。
 洗い物の終わったあのひとは、ソファに座わる。
「目を瞑ってくれませんか」
「目を?」
 不思議そうに聞く。
「いう通りにして・・・・」
 いわれる儘に、両眼を閉じる。
 用意した指輪をケースから出す。
 細い手首の片手をいきなり取る。
 指輪は、サイズを計ったように、白い指にすんなりおさまる。
「受け取って下さい」
 胸が高鳴る!動悸で顔が赤くなる。
「まあ!」
 あのひとは、絶句する。
「先日、寝込んだ時、親切にして下さった御礼ですよ」
 大きく見開いた目が、戸惑っている。
「あれ位のことで、こんな高価なお品を頂戴出来ませんわ」
 あのひとは、指輪をはずそうとする。
 両手で押し止める。
「他意はありません。今迄通り、お親しくして下さるだけで結構ですよ」
「私こそ、何時迄もお仲良しさんにさせて下さいな」
 じっと、互いに目を見る。
「本当に頂いてよろしいんですか?」
 大きく頷くと、ためらいながらも、顔を上気させて、鮮やかな青いジュエリーを眺める。
「日頃、よくして貰っている感謝の気持ちを分かって欲しくてね。身分不相応のプレゼントです。指輪は、自分の全財産ですよ。ハハ・・・」
 笑ってごまかしたが、本音が出る。
「全財産を!それ程迄に私を想って下さったのですか!」
 涙声だ。
 あのひとは改まって、正面を向く。
「息子が早く帰って来ましてね。私達のことが近所で噂になっているといいますの」
「お母さんが、そのひとを好きなら同居しなさいよ。町内でも、真面目で礼儀正しい人だと、評判がいいよ」
 といって、
「息子夫婦はあなたの身の上を調べさせて貰ったといいましてね」
「ご免なさい。勝手なことをして済みません」
 慌てて謝る。
「構いませんよ。ご覧の通りの人間です。ハハ・・・・」
 仲の良いのをおおっぴらにしている訳ではないが、自然のまま行動していた。
 住人達が、陰でいっている事は分かっている。
「嫁の方が乗り気ですの。お母さんはまだお元気だし、とてもお若く見えますわ。この儘、ご隠居さん暮らしは
お気の毒ですよ」
 と、おだてるのだという。
「息子達が、賛成してくれるのは嬉しいけれど、肝心のあなたが、何もおっしゃらないのですもの。私の方から一緒に暮らしたいというのは、はしたない気がして・・・・」
 俯く。
「自分一人がやっとの年金暮らしですからね。とても、あなたとの同居は無理だと思ったんです」
「この儘、交際をつづけられたらいいと、諦めていましたよ」
「私にも年金がありますわ。知恵を出し合えば、結構、楽しく暮らせますもの」
 経済的なことが原因で、心の中を打ち明けてくれなかったのか?
 親しくなっても、何故、求婚めいた話をしないのかと不思議だった。
 誰か他に付き合っている女性がいるのかと、様子を見に、毎日、家政婦のように家に通った。
 半年以上経つのに、それらしい気配がない。
 好意を持ってくれているのは分かっているが、散歩の帰り握手をするだけで、何時迄経っても話相手だ。
 生活の事を心配していたのだ。
 胸がいっぱいになる。
「ご一緒に暮らせたら、どんなに幸せでしょう・・・・」
 あのひとの目に涙がにじむ・・・・
 なんと、優しいひとだろう!
 もう一時も我慢が出来ない。
「これから、お宅に行きませんか?}
「今から?」
 柱時計は六時だ。
 遅い時間でない。
「善は急げですよ。息子さんが許して下さったたら、今すぐにでもあなたと暮らしたいです」
「嬉しいですわ!息子夫婦、きっと喜びますわ」
 べランダのガラス戸に、鍵を掛ける。
 夕暮れの庭に、二人で花市場で買った鉢植えのあじさいがピンクの花を咲かせている。
 無言の儘、肩を寄せる。
 カーテンを閉める・・・・

 外に出る。
 空が、夕焼けで赤く染まっている。
 息子達と話が決まれば、母が世話になった町内の人達や、指輪を値引きしてくれた旧友の宝石店の社長や、「お似合いですよ」と、いってくれた喫茶カモメのマスターとママも招待して、町内会の集会所でささやかな披露宴を開こう・・・・
 思いがふくらむ。
 夕日のあかあかと燃ゆる西の彼方に向かって叫びたい。
 母さん、安心してくれ。
 臆病な息子が、最高の彼女をゲットしたよ!
 指輪の手を握る。
 二人いれば喜びは倍になり、悲しみは半分になるという。
 自分は一人でない。ソロでないのだ。
 手を携えて、残されたゴールドの道を、私達は歩いて行く・・・・


 読んで下さって
有難うございます。
 何故、作中の人物に名前を付けることが少ないのか、それは、私でありあなただから・・・・
 何故、場所を明記することが少ないのか、それは、私の住んでいるところであり、あなたの住むところだからです。
  善を信じます
  善の中に悪を知る
  悪の中に善が残る
 生きる目的は愛だと思います。
 愛のために、苦しみ嘆き悲しむ。
 愛によって、勇気が湧き力が出て強く生きられる。
 物語の主人公達に、何時も励まされ、そして、慰められるのです。

 独りを好みますが、書くことで、
   社会につながる喜びを感じます。
    読んで下さって
      本当に
       有難うございます。

 読んで下さいまして、
  誠に有難うございます。
 お陰様で、九十三回目の
(1921年大正10年10月30日生)
 誕生日を迎えることが出来ました。
 不自由になった身体を、子供達に
 支えられて、生かされている事を
 神仏のご加護故と、深く感謝致して
居ります。
 読むご縁を下さいました方々の限り
ないご多幸とご健康をこころより
 お祈り申し上げます。
            合掌 


 読んで下さいまして
  誠に有難うございます。
 お陰様で、九十四回目の誕生日を迎える
 事が出来ました。
 (1921年大正10年10月30日生)
  ベッドの上で過ごす事が多くなり
 パジャマが常着になりました。
  物語に目を止めて下さいました方々
  から、お励ましを頂いたような気がして
  勇気を頂きます。
  社会の隅に居ると思うと
  元気が出ます。
   有難うございます。
   限りないご多幸と
   ご健康をこころより
    お祈り申し上げます。


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