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作品名:きみの翼にシロップを。 作者:砂漠のキコリ

第8回 COURSE:W 〜生まれざる者〜 -@
「――《アレ》は人間ではない」
 重々しく告げられた言葉の意味を、イスカはしばし理解することができなかった。
 軍人としての直立不動である。背中側で組んだ手のひらが硬く強張っていた。
 目の前の執務机に座っているのは、頬の古傷が歴戦を思わせる天上軍の現総督・識別コードをアルバトロス……れっきとしたイスカの父親だ。
 室内にはほかに誰の姿もないというのに、ふたりは軍人の肩書きを取り払おうとしない。
 マグナポリス天上軍の統合基地(セントラルベース)には、途絶えることなく、重々しい駆動音が響いていた――
「人間ではない……とは」
 ようやくイスカは問い返す。
 これまでの経緯をつまびらかに説明し終えたあとである。
 別室に連れていかれたアトリがどうなったのかは、イスカには知る術がない。すぐさま首を刈られ、血を搾り取られていることだけはないはずだが……。
 やがて、アルバトロス総督の方でも意見をまとめ終えたらしい。幾枚かのレポートから顔を上げ、発したのが先ほどの言葉だ。
 アトリが人間ではない(、、、、、、、、、、)?
 森人ですらない、という意味だろうか。
「これまでも報告だけは何度となく上がってきたが、私もこの目で確かめるまでは信じられなかった。しかしお前も見ただろう? あの忌まわしい雷神の力を」
 齢五十を越えようかというアルバトロスは、鉄面皮だ。左眼が機械仕掛けのそれである。
 傍らには身の丈を優に超す大太刀が立てかけられていた。ただそこにあるだけなのに、妖気のごとく吹きつけてくるプレッシャーにイスカの背筋が震える。
「奴は森人どもが長きに渡り開発してきた生体兵器……」
「生体兵器?」
「開発コードを電磁妖精《アウラ》などと言うらしい。力の仕組みとしては――」
 とんとん、と人差し指で己の側頭部をつつく。
「脳のなかにある生体磁石(マグネタイト)を遺伝子改造によって異常発達させているようだ。我々はその力を甘く見積もっていたと言わざるを得ん。せいぜいがスプーンを曲げるぐらいが関の山だと思っていたが……まさか実物があれだけの破壊力を持とうとは」
 アルバトロスは苦々しい口調でかぶりを振る。
 イスカの喉はもうすでに、からからだ。
「兵器ということは、つまり……」
「そうだ。今はまだ試作段階だが、森人どもはいずれアレを量産し、戦場に投入してくるつもりなのだ。そうなれば我が軍は甚大な被害をこうむることになろう」
 アトリひとりがやって来ただけで、マグナポリスの中枢は大混乱に陥ったのだ。
 もし、あの電磁力を自在に操る戦士が大挙して押し寄せてきたとしたら、マグナポリスは数日と待たずに陥落するだろう。まさに機族の天敵……! どうしてその可能性に思い至らなかったのだろうかと、イスカはつくづく己の浅はかさに嫌気がさす。
 アルバトロスは革張りの椅子に背中を預けて、続けた。
「こうしてサンプルを入手できたことはこの上ない僥倖。幸いにも奴らの研究も今はまだ、不完全な段階であるようだ」
「不完全?」
「そもそもアウラとは」
 アルバトロスの機械の左眼が、駆動音を立てて拡縮した。
「幾重もの遺伝子操作によって生み出される人工生命体……生意気にも我々の科学技術を模倣しているというわけだな。しかしそのDNAには、遥か古代の人間のそれが用いられているらしい。我々がまだ、機族と森人というふたつの種族に分かれる以前のものだ」
 イスカは鵺のしてくれた講義を思い出した。アルバトロスの言葉は続く。
「そうして生み出されたアウラは森人の見目をしてはいても、体の作りとしては古代人に近いらしい。ゆえに奴らは《鳥籠の中の世界》に適した抗体を持たず、つまるところ寿命が短い」
 イスカの心臓が鎖で締め付けられるかのようだった。
 アルバトロスは平然とした口調である。
「あの娘……十代の半ばまで生き延びられたのは上々だろう。別の者の調査によれば、アウラの試験体はまだしも空気の清浄に保たれた香室に閉じ込められていたのだと聞く。そこを出て……これほど生き急いでいるところを見るに、なるほど、よほど寿命が近いらしい」
「じゃ、じゃあ、取り返しのつかなくなる前に……っ」
「そうだ、そうなる前に」
 アルバトロスも重々しく首肯し、続ける。
「――可能な限りの情報を奴から搾り取らねばならん」
「…………」
「よい働きをしたな。お前にじき昇進の辞令が出されるだろう。しかし、ふむ……」
 アルバトロスは一枚の報告書に目を通し、じろりとこちらを見上げる。
「ニーベルゲンからロマン回廊を通ってここへ?」
「……はい」
「なぜすぐに、アウラを軍へ突き出さなかった?」
 イスカは直立不動を揺るがさずに答えた。
 かつて、本心からそう思っていたはずのことを。
「彼女は《空の蓋(ヘルヘイヴ・ゲート)》へ向かうことを望んでいましたので、そのあとでも構わないだろうと」
「くだらん」
 アルバトロスの岩壁に似た表情は、にこりともしない。
「まさかお前も感化されたのではあるまいな? 空の向こうには人々が平等に生きる世界があると? そこにならアウラを受け入れる場所が存在すると?」
「…………」
「わずかでもそんな戯言を真に受けたのか?」
 イスカは押し黙ったまま、何も答えなかった。
 やがておもむろに、はっきりとした口調で言う。
「――総督。ボクは降下任務の失敗で行方不明の扱いになったのだと聞きました。実際に昨日まで、周りじゅう敵だらけの死地を駆け抜けていました。本当に、何度終わりかと……いつ連中の手に囚われてしまうかと気の休まる暇がありませんでした」
「そのようだな」
「……なにか、掛けてくださる言葉はありませんか?」
 イスカはほんのひと時、娘としてのまなざしで問う。
 それはあたかも夢のように――父のすげないひとことで散った。
「補給を済ませておけ。じき、新しい任務が下るだろう」
「…………」
 イスカはかすかにまぶたを伏せて、上げる。
 まっすぐとアルバトロスを見つめ返した彼女の瞳には、もうなんらの感情もなかった。
「――了解いたしました」
 天上軍式の敬礼と、かかとを鳴らす音。
 そして少年めいた澄んだ声が、執務室に響いて、消えた。

     † † †

 アルバトロス総督との面会を終えて、次にイスカが向かったのは《実験室》である。
 なんの用があるかというと、そこにアトリが収容されていると聞いたからだ。独房でも、森人から血を搾る処理場でも非ず……様々な新兵器を試験する頑丈な作りのホールである。
 あまりにも広大な円形の空間に、ぽつんと椅子が設えられている。
 アトリはそこに座らされ、体中をバンドで拘束されていた。脚を組むどころか腕を上げることさえままならない。目もとには同じく、真っ黒なベルトが巻かれていた。
 イスカは思わず呻く。
「ひどい……」
 すると、音は聞こえているらしい。アトリがぴくり、とおとがいを上げた。
「イスカちゃん?」
「……ああ」
「どこにいるの?」
 イスカは靴音を反響させながら、中央の椅子へと歩み寄った。
 バンドからわずかに覗いているアトリの手に、自身の指先を触れさせる。
「ここだよ」
 アトリはこんな状態なのにもかかわらず、無邪気に小首を傾げた。
「イスカちゃんの手、冷たいね」
「機族は『血も涙もない』らしいからね」
 イスカは、彼女が目隠しをされていることだけは幸いだったかもしれないと思った。
 今、自分がどんな表情をしているか――磨き上げられた床石を見れば分かるだろうか。
「……総督からきみのことを聞いた。きみはこのままだと長く生きられないって」
「うん」
「だから《鳥籠の外》に出たいと思ったの? 地上なら……穢れていない空気の中でなら、きみはきっと普通に生きられるから」
「う〜ん、ちょっと違うかな」
 がんじがらめに拘束されているアトリは、かぶりを振るのもひと苦労そうだ。
「わたしね? 家族がいないの。わたしたちが初めて会った場所におっきな花があったでしょう? わたしはあの花を母胎にして……培養? されたんだって。だからわたしは――」
 ――《鳥籠の中》にいる誰とも、血が繋がっていない。
 そうアトリは言う。イスカは記憶にある限りの、彼女の交友関係を思い返した。
「あの、キビタキってひとは?」
「キビタキは研究者さん!」
 アトリの桃色の唇が、ゆいいつ自由になるそこだけがなめらかに動く。
「キビタキはわたしを作ったひとだから、考えようによってはパパになるのかな? ……でもキビタキはわたしのこと道具としか思ってないんだろうけど。いっつも怒ってるし!」
「たしかに、厳しそうなひとだったね」
「キビタキは代々、森人の評議会の家系だったんだって。でもお祖父さまが……そう、あの《ニーベルゲンの涙》事件で殺されて、それから機族への復讐を決めたらしいよ。『異端だ』って罵られながらも科学技術を修めて、こうしてわたしを生み出して、今では騎士団からもっとも期待を寄せられる軍事顧問の立場になって……」
 だからね、とアトリはこともなげに言葉を繋ぐ。
「そろそろわたしはいなくなってもいいかな、って思ったの」
「…………」
「ねえ、このことも知ってる? わたしのでぃ、DNA? には昔のひとのものが使われてるんだって。鵺さんが言っていたじゃない?」
 アトリは人差し指を立てようとして、腕が持ち上がらないことに気づく。
 代わりに軽くかぶりを振って、続けた。
「昔のひとのなかには、《鳥籠の中の世界》に住まずに地上に戻ったひとたちもいるって。そのひとたちの子孫がもし、再生された地上で新しい文明を育んでいたとしたら――」
 そこには、もしかしたら。
 アトリとほんのわずかでも、同じ血を通わせた誰かがいるかもしれない――…………
 アトリは明言を避けた。唇を引き結んで言葉を呑み込むと、代わりに曖昧に笑う。
「な〜んてね! そんなことあるわけないって、分かってるんだけどさ」
「…………」
「あー、でも、そうかもね……イスカちゃんの言う通りでもあるのかもしれない」
 今度はイスカが首を捻る番だった。
 空気の震えで察したのだろうか、アトリは応えるように呟く。
「……死にたくない、なあ」
「…………」
 アトリの細い喉で、たくさんの感情が詰まるのがイスカには分かった。
 それが言葉として迸る前に、彼女は忙しなく言う。
「イスカちゃん、ごめん、もう戻って――」
 背後で扉が開いた。
 イスカは反射的にアトリから手を離し、弾かれるように振り返る。
 扉の前に立っていた誰かもまた、目を丸くしていた。
「オホッ? 姫君ではありませぬか」
 白衣をまとい、腰のひん曲がった老人だった。銀色のカートを運んでいる。
 ガラガラと押されるカートの上には、刃物や薬品などが満載されていた。
 イスカは何も説明されなくても、彼の要件を察する。
「これから彼女に……アウラに人体実験をするの?」
「立ち会われますかな? オホオホ、実に勉強熱心でよろしい」
 老人は白衣の右袖をまくった。
 彼には右の手のひらがなく、そこは機械仕掛けの鉤爪になっていた。こともなげに捩って外し、代わりに細い管を取り付ける。
 老人が右腕を掲げると、管の先端から青白い炎が噴き出した。バーナーだ。
「なにをする……つもり?」
「まずは熱実験ですな。磁力は高温に弱い! これがアウラにも当てはまるかどうかを確かめるのです。もしアウラが高熱のただなかでも能力を発揮してみせるのなら……」
 それを明らかにするためには、アトリの全身を炎で包み込まなければならない。
 イスカの首が、無意識にゆるゆると横へ振られた。
「そんなことをしたら、彼女は死んでしまう」
 老人は意外そうな表情をした。
「オホホッ! ご安心めされい、そう簡単に壊しはしませぬ。まずは手足の指先からじっ……くりと炙ってゆくのです。長丁場になりますぞ? アウラには心と体が使い物にならなくなるまで実験に付き合ってもらうとしましょう。オホ、オホ、オホホ……!」
 老人の腕の先から、ひときわ高らかに炎が噴く。
 それがいよいよ、身動きの取れないアトリへと向けられた。
 彼女の綿菓子めいた髪の毛が、ほんの数本、炎に焦がされて――
 瞬間、イスカの脳の内でなにかが弾けた。
「――だめっ!!」
 寸前で老人を突き飛ばし、次いでカートをなぎ倒す。けたたましい音。
 イスカは足もとに転がったメスを拾い上げると、アトリを戒めるバンドを力任せに千切り始めた。老人は床にひっくり返ったまま、口の端から泡を吹く。
「ちっ、血迷われたか、姫君!!」
 六枚のバンドをすべて床に投げ捨てて、最後にアトリの目もとからも拘束を取り払う。
 まるで恋い焦がれているように潤む彼女の瞳と、久方ぶりに見つめ合う。
「イ、イスカちゃん」
 言葉を交わしているゆとりもなく、イスカは彼女の手を引っ掴んだ。
「走って!」



〈つづく〉


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