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作品名:きみの翼にシロップを。 作者:砂漠のキコリ

第7回 COURSE:V 〜魔女の三つの教訓〜 -B
 イスカは光に飢える旅人のように、よろめきながら扉から踏み出す。扉の周囲には誰の姿もなかった。さもあらん、イスカでさえ、今まで一度も足を踏み入れたことがない。
 そこは人々の《足の下》だった。マグナポリスの街は地底樹(ユーグリエール)の枝を基盤に、鉄板を何十層も積み重ねたミルフィーユ状の構造をしている。ここはその、階層と階層の狭間……人々の目から絶妙に隠された場所にロマン回廊の出口は存在していたのだ。
 しかもそこは、マグナポリスの上流市民が暮らす中央区画である。
 まさかこのような場所に秘密の抜け道があっただなんて……。
「わあ〜っ、これがイスカちゃんの街なんだぁ!」
 安全を確認してから、アトリも扉から這い出てくる。
 そのまま表通りに踏み出そうとするので、イスカはすかさず待ったをかけた。
「ちょっとストップ。その前にこれを着て」
「ふえ?」
 と、アトリの頭にひっかぶせてやったのは、なんの変哲もないマントである。
 鵺から預かったカバンに入っていたのだ。さすがと言うべきか、この状況を予測していたらしい。森人であるアトリが翼を見せびらかしながら歩いていたら、マグナポリスの市民たちがどんな対応をするかは火を見るより明らかというものだ。
 ただでさえ、アトリの純白の羽はまるで輝いているかのような存在感を放つ。
 ……今さらだが、いったいどんな種類の羽なのだろう?
 ともかくも、マントを羽織れば彼女の羽はすっかり覆い隠された。しかし、背中側がこんもりと膨らんでいる。アトリは羽を隠すのに慣れないのか、少し窮屈そうだ。
「これでバレないかな? 変じゃない?」
「……例えばボクの知り合いに、全身が機械で出来た男のひとがいる」
 思い出すのもなんだか久しぶりだ。イスカはかぶりを振る。
「すごく身長がでかくて体もごつごつしてるけど、周りは誰も変だなんて言わないよ。そういうの、デリカシーの問題だから」
「そっか」
 誰がどんな機械的特徴を持っているかは、まさしく十人十色である。
 ……イスカのように。
 イスカのようにあまりに異質(、、)だと、同年代からからかわれたりすることもある。子供の頃の苦い記憶がよみがえってきて、イスカはもう一度、強くかぶりを振った。
「《空の蓋》……ヘルヘイヴ・ゲートに向かうには、省庁区を突っ切らないといけない。途中にはたくさん市民の暮らしている区画もある。心の準備はいい?」
「うんうん、オッケー!」
「……ほんとに分かってるのかな」
 相変わらずの危機感のなさに、なんだか脱力してきてしまうイスカである。
 ともかくも、ふたりは暗闇のなかでしっかりと手のひらを繋ぎ直し、いよいよマグナポリスの金属質な街並みへと足を踏み出す。
 当然のことながら、ひととすれ違う。誰かの足音が近づくたび、イスカは不自然に視線を集めてやいないかと気が気ではなかった。手のひらがじっとりと汗ばむ。
 アトリはきょろきょろと辺りを見回していた。
「なんだか草とか花とかがぜんぜんないね」
「そうさ」
「それに、ちょっと暗い」
「この辺りはまだ明るい方だよ」
 イスカは無意識に襟もとを引き上げた。
 森人たちの国(エリオンフィールド)からは、ユーグリエールの枝には黒々と葉が茂っているように見えただろう。
 その正体は、機械構造の人工物である。機族たちが枝に沿って張り巡らせた街が、遥か眼下からは葉っぱのように見えているのだ。
 植物といえば、街の基盤になっているユーグリエールの枝ぐらいである。それが時おり、通路の天井や建物の壁から見え隠れしている程度だ。
 そのような環境ゆえに、光源となる幻燈虫も棲みつかないし、繁殖しない。
 生命線となる発電所はすでになかなかの年寄りであり、電力の供給量も安定しない。満足な灯りが保たれているのは、省庁区と天上軍の統合基地(セントラルベース)くらいのものだ。
 その結果として生み出される光景が、真っ黒な天に瞬くような星々、というわけである。
 アトリは街人の服装やら、靴やら、建物の作りやら道の標識やらに興味津々のようだった。
 ふいに、ぱっと腕を上げて指差す。
「イスカちゃん、あれはなに?」
 交差路の中心に突っ立っている、のっぽな街灯である。二色の光を交互に明滅させていた。
「あれは信号機だよ。輸送機の多いところに建てられてるんだ」
「シンゴウキ?」
「この街ではなにもかもが管理されてるの。進む方向も行ける場所も――」
 やがてイスカたちは、区画を隔てるシャッターへと辿り着いた。第一関門突破だ。
 やや緊張気味に、懐から一枚のカードを抜き出す。
 リーダーに読み込ませれば、はたして、シャッターはなめらかにスライドして道を開いた。イスカはたまらず、ほっと胸を撫で下ろす。
「よかった、まだ市民権は生きてる……! 未帰還扱いになっていたらどうしようかと」
「イスカちゃんイスカちゃんっ、それなに? 今なにをしたの?」
 子供のように身を乗り出すアトリへと、イスカはどことなく誇らしげにカードをかざした。
「ボクの市民ID。マグナポリスの市民は階級ごとに行ける場所が限られているの。ボクのIDは《S級》だから、一応、街の隅々まで歩き回れる権限がある……。実はヘルヘイヴ・ゲートだって、誰彼構わず近づけるわけじゃないんだからね?」
「イスカちゃん、すっご〜〜い!!」
 能天気な大声である。イスカはすぐさま、アトリの口を手のひらで塞いだ。
「静かに。ここから先は軍人も多いから気をつけて」
「ふごふご……は〜い」
 控えめな声で挙手をする、アトリだ。
 ふたりで足並みを揃えて、隔壁の向こうへ。
 これで第二関門――
 あとは省庁区を突っ切ってもう一枚隔壁を越えれば、閑静な住宅区へと入り、ひと通りもぐっと減る。だが、それまでが最大の難関だった。
 たとえば今、学士のようなローブをまとった集団が正面から歩いてくる。
 挙動不審に見えぬよう、こちらもすれ違うように歩き出さざるを得ない。
 イスカは小声で、傍らのアトリへと囁きかけた。
「話しかけられても無視するよ」
 集団の中には、イスカの顔見知りも混じっていた。
 というよりも、イスカはこの街で知らぬ者のいない重要人物である。
 願わくは、なんらの声も掛けられませんように――
 幸いにも、彼らは盛んになんらかの議論を交わしている。歩きながら熱弁をふるっていた。やれ「全体の配分を見直すべきなのだ」とか、「いやさ、改革派の助長を招く」だとか、「やはり牧場(ファーム)計画を推進し、安定した血液の供給を」――などと言ったおぞましい主張まで。
 彼らの声高な議論が、一歩、また一歩と近づく。
「……!」
 イスカはごくり、と喉を鳴らした。アトリの指先に、ぎゅっと力が込められた。
 やがてローブ姿の集団は、イスカたちの真横へと差し掛かり――
 そのままこちらを見ることもなく、通り過ぎた。イスカの喉から、はっ、と息が漏れる。
「姫君?」
 直後に声を掛けられて、心臓が跳ね上がった。
 ローブ集団の最後尾で、短髪の若い男が立ち止まっていた。反射的に振り返りそうになったところを、イスカは寸前で堪える。歯車が錆びたかのように、頑なに視線を前へ。
 努めて不自然にならぬようと、そのまま足早に立ち去った。
 若い男の靴音は、結局あとをついてきたりはしなかった――
 曲がり角を曲がったところで、ようやく振り返る。息をするのを長いこと忘れていたかのように、イスカは荒い呼吸を繰り返した。背中はもう、汗でびっしょりだ。
 アトリはまだしも余裕がありそうに、唇を人差し指でつつく。
「姫君(、、)?」
 イスカは苦い顔になった。なるべく彼女には知られたくなかったが……総督の一人娘であるイスカもまた、機族たちのあいだではお姫さま扱いなのだった。
 今ではもう、彼女を識別コードで呼ぶひとも滅多にいない――
 潜入任務の偽名である《イスカ》の方が、よほど呼ばれ慣れているぐらいだ。
 ともあれ、適当に「気にしないで」と伝えると、アトリはやけに力を込めて頷いた。
「そうだよね! イスカちゃんはどちらかというと王子さまだものっ」
「意味が分からないから」
 ぴしゃりと言いつつ、かすかに苦笑を零す。
 軽口を言えるくらいの余裕を取り戻したということだ。幸運にも、そこから先は誰にも見咎められることのないまま、隣の区画へと繋がる隔壁の前までたどり着いた。
 第三関門、クリア――!
「この省庁区はいろいろな場所へと繋がっている。軍の統合基地や上流市民の居住区画に……ヘルヘイヴ・ゲートのある《聖域》なんかにね。あんな僻地に直接向かおうとすれば目立ってしまうかもしれない。遠回りになるけど、ひとつ隣の上級居住区を経由するよ」
「オーケー」
 いよいよ目的の場所が間近に迫り、アトリは不敵に唇を舐める。
 イスカがIDカードをかざせば、ごく当たり前のようにシャッターがスライド。
 同時に、隔壁の向こうから駆け込んできた人影があった。
 幼い男の子である。勢い余ってアトリの脚にぶつかってしまう。
 よろめいて、尻餅をついてしまった。
「ごめんね、大丈夫?」
 すべて無視する、と決めていたはずなのに、アトリは男の子へと手を差し伸べる。
 イスカは内心、ひやり(、、、)としていた。お使いか何かだろうか、小さい子供で幸いだった。もし目敏い大人と接触してしまっていたらごまかし切れなかったかもしれない。
 ――と、安心したのが致命的な間違いだった。
 尻餅をついた男の子は、平然と手を差し出し返した。アームのついた機械の手だ。
「だいじょうぶだよ」
 彼のメタリックな指先と、アトリのやわらかなそれが触れ合った瞬間――
 バチイイイイ!! と、目もくらむような紫電が迸る。
 耳をつんざくような轟音が反響し、同時に男の子は後方へと弾き飛ばされた。ごろごろと転がって倒れ込む。さほど致命的な勢いではなかったが――問題なのはそこではない。
 いちばん面食らっているのはアトリだ。
「えっ、あ、あれっ? どうして、わたし……」
 自分の体を見下ろして慌てふためく。
 パニックになりかけた頭で、男の子へと駆け寄った。
「だ、大丈夫!?」
「ヒィッ!!」
 男の子は絹を裂くような悲鳴を上げて、後ずさった。転げた勢いで頬が汚れている。腰が抜けて立ち上がることもままならない。機械の左手は、指先がわずかに焦げていた。
 仮にそれが機能不全に陥っていたら、彼は廃棄処分にされていただろう――
「ひぃっ、ひっ、ひいいいいっっっ!?」
 男の子は声にもならぬ声を上げて、がむしゃらに這いずる。
 その姿が、さらに、アトリの心を追い詰めた。
「ち、違うの。そんなつもりじゃ、なくて」
 バチ、バチ、バチッ……!
 アトリの髪の毛から散発的な紫電が散った。鋼鉄で形作られた床を伝い、壁を駆け上り、彼女を中心に街中へと広がっていく。
 けたたましいクラクションが響いた。
「おい、信号機に従え! 今はこっちが《通行》だ!」
「お前こそ義眼が錆びたか? どう見てもこっちが優先だろうが!」
 交差路で輸送機同士が渋滞を起こしていた。信号機に電流が這い、でたらめに明滅を繰り返している。従順にその指示に従う輸送機たちは、譲ることを知らずに押し合うのみ――
 騒ぎは加速度的に、省庁区の隅々にまで広がっていった。ざわめきと悲鳴が上がる。
「あっ、ああ……っ!」
 アトリの唇がわななき、瞳が大きく見開かれる。
 つい先ほど、彼女は言っていた。自分自身では生来の能力をコントロールできないと。だから街で大勢と一緒には暮らせないのだと――その意味を、イスカはここに連れてくるまでに重く受け止めておくべきだった。そう後悔した時には、もう何もかもが遅い。
 アトリの額の中心から、ひときわ強烈な紫電が放たれた。
 ユーグリエールの枝に直撃し、爆砕させる。
 途端、その傷口から猛烈な勢いで灰色のガスが噴き出した。瞬く間に通りを埋める。イスカはとっさに地面を蹴り、アトリと男の子の脇を掻っ攫うと霞むような速度で跳び退った。
 滑るようにして、ガスの範囲外に制止。
 唖然としていた男の子は、直後に我に返って手足を振り乱す。
「は、はなせっ、はなせよ! 助けて! たすけてええええッ!!」
 がむしゃらにイスカの腕を振り払うと、上流居住区へと駆け去っていった。
 あの調子では、騒ぎが街全体へと伝わるのも時間の問題だろう……!
「イ、イスカちゃん、あの霧は、なに? わたしが」
「近づかない方がいい」
 おぼつかない足取りで前に出ようとするアトリを、イスカは抱くようにして引き止める。
 省庁区はすでに阿鼻叫喚のありさまになっていた。
「な、なんだこのガスは!? 痛(いて)え!」
「輸送機を遠ざけろ! 荷が錆びるぞ!」
「建物の中にまだひとが――」
「防護服を取ってこい! 実験用でいい!」
 見れば、枝から噴出したガスは金属を錆びさせているのだ。建物の壁にみるみるうちに赤錆が広がっていき、それは息吹に舐められた輸送機なども同様。もはや機関部も使い物になるまい。運転手は決死の形相で荷物を運び出していた。
 剥き出しの肌が焼けたように赤くなっている。
「酸だ!! 痛ってえ、ちくしょう! 何が起こっていやがる!」
「もう荷は諦めろ! 逃げ遅れてるやつはいないか!?」
 怒号が行き交うのを見ながら、イスカは黒曜石の瞳を眇めている。
 思考能力がかつてない勢いで唸りを上げた。
「そうか……自浄作用!」
「えっ?」
「鵺さんは、ユーグリエールは水と空気の循環装置だって言ってた。ロマン回廊はその流れの通り道で、ユーグリエールの隅々にまで繋がっているんだとも……。あの枝から溢れ出しているのは、まだ綺麗になっていない水と空気が、交じり合ったものなんだ!」
 イスカはアトリの肩を押さえたまま、じりじりと後ずさる。
 路地裏まであと一歩と近づいたところで、街人の誰かが言う。
「いったいどうしてこんな事態になった!?」
「――この娘の仕業だ!!」
 答える声は、イスカたちのすぐ後ろから聞こえた。
 突然、路地裏から飛び出してきた人影が、ふたりの背中を突き飛ばしたのだ。
 先ほどすれ違った、ローブ姿の若い学士の男だった。追いかけてきていたのだ……! 彼はそのままアトリの腕を極めて、地面に組み敷く。
「俺の目はごまかせんぞ! この娘は森人だ!!」
 乱暴に剥ぎ取られたマントが、宙を舞う。
 先ほどとは違った意味のどよめきが、周囲を波のごとく震わせた。
 アトリの背中から広がった純白の翼に、ある者は告死天使の姿を見たと言わんばかりに腰を抜かす。またある者は一目散に逃げ出していく。血気盛んな者は怒号を張り上げた。
 学士の男は声高に呼びかけ続ける。
「なにか武器を仕込んでいやがったに違いない! 誰か、拘束具を持ってきてくれ。杭でもいい! 磔にしてセントラルベースまで連行しろ!!」
「待て、彼女を離せ」
 イスカは懐からIDカードを引っ張り出して、学士の鼻先へと突き付けた。
「彼女はボクの獲物だ。手柄を横取りするつもりか?」
「これはこれは姫君」
 学士の男は飄々とした態度で身を引いた。弾かれるように立ち上がったアトリが抱きついてくる。イスカは彼女の後頭部に片手を回して、庇うように抱きしめた。
 アトリの体は震えている。イスカの視界には、なびく純白の羽が映っていた。
 学士は媚びへつらうかのような、それでいて嫌味ったらしい笑みを浮かべる。
「行方不明になったと聞いておりましたが、きちんと任務を果たされていたとは、いや素晴らしい! 若い子供の血は特に美味と聞きます。市民の皆も喜ぶことでしょう」
 錯覚に違いないが、周囲の誰かが舌なめずりをしたように聞こえた。アトリの肩が震える。
 イスカは《S級》のIDカードを突きつけ続けていた。あまりにも薄っぺらい紙切れだ。
 学士は力任せに踏み込んでこそこないが、代わりに搦めるような台詞回しで言う。
「しかし、ならばなぜ早々に本部へ帰還しないのです? 獲物に首輪もつけず連れ回しているとは……」
「装備をほとんど失ってしまった。本部へはこれから報告しに行くところだ」
「お供いたしましょう」
 イスカは努めて気づかれないように、ぎゅっと唇を噛み締めた。
 さらにそこで、別の男の大声が割って入ってくる。
「なんだこのひどい臭いは! そこで集まって何を騒いでいる!?」
 人垣を押しのけて、がしゃがしゃという機械の足音が近づいてくる。
 最前列に躍り出ると、その男は騒ぎの中心にいるイスカたちを見て目を丸くした。
「――副隊長! 俺の副隊長じゃないか!!」
「ジェイ・ジェイ隊長……」
 くしくもイスカの知り合いだった。首から下がすべて機械という稀有な特徴を持つ、イスカの所属する第66急襲降下部隊の隊長・ジェイ・ジェイ……。まずい、どんどん逃げづらい状況になってきたぞと、イスカは内心で歯噛みをした。
 豪放なジェイ・ジェイ隊長は、イスカの心の機微に気づく様子もない。
「あの状況から生きて戻るとは……! さすがは俺の副隊長だぜ!」
「そっちこそ。隊のみんなは?」
「あいつらは死んだよ」
 悼むようなそぶりを少しでも見せていたら、イスカは多少なり彼を見直していただろう。
 しかしジェイ・ジェイ隊長は、心底苛立たしそうに唇を歪めるだけだった。
「あの役立たずどもめ! おかげで俺は任務に失敗し部下も失い、市民権を《E-五等級》に降格された上に街のパトロールなんぞに回されちまった。クソッタレ!! ああ、だが――」
 強面に晴れやかな笑みを浮かべ、熱っぽくイスカを見つめる。
「お前が戻ってきてくれたなら何もかもが解決だ! しかもきちんと森人を捕獲してきたんだな? グレイト! これで俺の任務の失敗も帳消しになるってもんさ」
「待て、迂闊に触れるな」
 伸ばされてきた機械の腕から遠ざかり、イスカはいっそう強くアトリの頭を抱く。
「……この子は森人のなかでも特殊な立場の人間らしい。《食糧》にするかどうかは総督に報告した上で決める」
 ジェイ・ジェイ隊長はオーマイガ、と。芝居がかった仕草をする。
「要人を攫ってくるとは恐れ入る! こりゃマジで帳消しどころか、我が隊に褒賞まであり得るかもな……さっそくお父上にお目通りをしよう。今日は素晴らしい日だ!!」
「姫君、参りましょう」
 イスカの背後では、学士の若い男が鋭く目を光らせていた。
 ジェイ・ジェイ隊長は意気揚々と身を翻した。針のむしろのような衆人環視のなか、イスカもアトリを連れてあとをついていくしかない。
 ――たしかに、理性的に考えれば隊長の言葉通りだっただろう。
 イスカが今こうして、マグナポリスに立っているのは奇跡だ。あの悲劇的な夜襲から逃れ、孤立無援のなか敵の領地からも舞い戻ってみせた。あとはアトリを天上軍へと突き出してしまえば、彼女との取引を気にする必要もない……文句の付けどころのない完璧な一日。
 そのはずなのに、どうしてだろう――
 イスカの胸には捉えどころのない暗雲が立ち込め、いつまでも晴れることがなかった。



〈つづく〉


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