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作品名:きみの翼にシロップを。 作者:砂漠のキコリ

第4回 COURSE:U 〜地獄の門へ行こう〜
 ――かつて人類の生きる世界は、巨大な丸い岩の塊であったという。
《鳥籠の中》からでは想像できないほどの広大な土地を支配し、おびただしい人間たちが豊かな文明を築いていた。たった一本の地底樹(ユーグリエール)の上でさえ、機族と森人は相容れないのである。遥か昔には、それこそめまいがするほど複雑な思惑が入り乱れ、対立していたに違いない。
 なんらかの理由で大地が壊滅したあと、残された人類は逃げ場所を足の下へと求めた。世界という巨大な岩の塊に穴を掘り、そこに移り住んだのである。当時の状況を鑑みるに、いかにもな突貫工事だったのだろう。地面をくり抜き、鳥籠めいたシェルターを設け、その中央に、水と空気の循環装置である巨大樹を据えただけだ。
 そうして空に蓋をして、人類はいつしか、その向こうにある《蒼さ》を忘れてしまった。
 常識的な大人たちは言う。鳥籠の外は、もはや人間の生きられる世界ではないと。
 一方で、機族であろうと森人であろうと、幼い子供が必ず読み聞かせられる絵本がある。情操教育というやつだ。曰く――『鳥籠の外は魔界にあらず。翼もない、機械の体もない真に平等な人間たちが、同じ大地の上で暮らしている』のだと……。
 まさか、とはイスカも思う。
 まさか、この箱入りっぽいアトリ姫は、あの絵本の中身をうのみにしているのではないだろうか……?
 彼女の背中を追いながら、どうにも懐疑的なまなざしになってしまうイスカである。するとどうだ、アトリ姫は《鳥籠の中の世界》の成り立ちをすらすらと並べ立ててきたのだ。
「――そうして人類が鳥籠の中に逃れて、どのくらいの時間が経ったと思う?」
「ええと……」
 イスカはおとがいに指を当てて、軍学校時代の教本を思い出す。
「千七百年……だったかな」
「そう! イスカちゃんは自浄作用って知ってるかな?」
「ジジョウサヨウ?」
 アトリは人差し指を立てて、指揮棒(タクト)のごとくしなやかに振った。
「大地ってすごいの。汚れや悪いものを呑み下して、自分自身を綺麗に保つ力があるの。大昔に災厄が起きて、大地は致命的なダメージを負ってしまったけど、まだ死んでいない……わたしたち人間がこうして生きているってことはね。少しずつ少しずつ再生しているのよ」
 立てた指を、ぴっ、とイスカに向けてくる。
「その大地の浄化に必要と考えられたのが、およそ千年」
 イスカは思わずドキッ、とする。アトリは不敵に笑って続けた。
「それからさらに数百年……! この数字が意味しているのはね、イスカちゃん、大地はとっくに再生しているどころか、新しい文明が生まれている可能性すらあるってことなの」
「へえ」
 イスカははっきりと感心し、本心から頷いた。
「きみは頭のいいバカなんだな」
「ちょっとぉ! それどういうイミ!?」
 ぷんぷん、と子供っぽく湯気を吹くアトリである。
 研究室で学者が述べるぶんにはまだいい。
 実際に行って確かめようなどと行動を起こすのは、あまりにも向こう見ずだろう。
 とにかく、これでアトリの目的ははっきりした。
 彼女は《空の蓋》たるヘルヘイヴ・ゲートをこじ開けて、その先にあるという外の世界に向かうつもりなのだ。絵本の内容が真実か否か確かめるために……。
 ここまでくると、彼女の家系は学者畑なのかもしれない。森人の国(エリオンフィールド)にも世界の歴史を解き明かす研究分野はあるだろうが、機族側と同じく、あまり重要視されていないテーマのはずだ。
 にもかかわらず、あれだけの宮殿と警護兵をあてがわれてお姫さま扱いとは……ますますもって、いったいどういったカラクリなのだろうか?
 考えごとが多すぎたからだろうか、イスカはくら、と立ちくらみを起こす。
 ――血が足りない……。
 最後に補給を行ったのが降下作戦の前だから、もう半日以上経過している。そろそろ身体・思考能力の低下が起こり始める頃合いだ。簡単に言うと……体が重い。息が詰まる。
 ごくん、と唾を呑み込み、乾ききった喉を慰める。
「……ところで、ボクたちはいったいどこに行こうとしているの? この先は確か……」
 ふたりがいるのは、まだエリオンフィールドの領地内である。機族の天上軍と森人の騎士団は長いあいだ激しく対立しながらも、地底樹(ユーグリエール)への致命的なダメージを怖れて全面衝突には踏み切っていない。幹の中心を挟んで、睨み合いを続けている状態だ。
 その象徴となるのが、ここからわずか上層に位置する《緩衝地帯》である。
 ここには両軍とも、兵を踏み込ませない暗黙の了解となっている。まかり間違って本格的な戦端が開かれてしまったら、双方とも引くに引けなくなるからだ。行き着く先はどちらかの種族の滅亡、あるいは《鳥籠の中の世界》そのものの崩壊――
 もっとも、ここまで両軍の緊張状態が激化したのは、二十年ほどに起きたとある事件(、、、、、)がきっかけだったとのことだが……。
 先導するアトリは、心なしかむすっ、とした表情で振り向いてきた。
「イスカちゃんはわたしのことバカって言うけどね」
 意外と根に持っているらしい。わずかに肩を縮こまらせるイスカへと、彼女は続ける。
「わたしと同じ《おバカさん》が、少なくとももうひとりいるの」
「そのひとも森人? それともまさか、機族?」
「どちらでもない(、、、、、、、)」
 異なことを言う。いったいなんたることだろうかと、イスカは眉をひそめた。
 アトリは天使めいた美貌で続ける。
「彼女は森人たちのあいだでこう呼ばれているわ。《時計仕掛けの魔女》って」
 図らずも、その時、ふたりは件の《緩衝地帯》へと差し掛かった。
 そこはユーグリエールの幹のちょうど中心部分――この全長数千メートルの超巨大樹が人工の循環装置であるということを、まざまざと感じさせられる場所だった。
 すなわち、機械構造が剥き出しである。
 真っ白い樹皮がはがれ、内側から黒鉄が露出していた。一軒家ほどの大きさの歯車が無数に噛み合い、冷徹な音色を奏でている。ユーグリエールの心臓部と言えよう。まったく生活に適さないという点を差し置いても……機族も森人も迂闊に手を出そうとしないのが納得な、寒気がする光景である。
 両軍の緩衝地帯・ニーベルゲン。
 その外観は、《目》の形をしていた。
 中心部に黒鉄の建造物が密集し、その周囲は深い溝になっている。溝の底からは機械音が奏でられ、どこまで奥に続いているのかは知れない。外周にぐるりと橋が設けられていて、その片側にイスカとアトリは辿り着いていた。橋の反対側が、機族の領地だ。
 もっぱら非正規ルートで降下作戦を行っていたイスカは、ニーベルゲンをこうして間近で見たのは初めてだ。橋を越えるなど考えたこともない。
 ――が、アトリのお目当てである《時計仕掛けの魔女》とやらは、おそらく。
「……あそこ?」
「たぶん」
 イスカが指差した先を見て、アトリもこっくりと頷く。
 目の《瞳孔》に当たる、中央の密集建造物である。橋をまっすぐ渡っていくだけだが、その左右は底知れない溝だ。うっかり足を滑らせでもしたら……森人どもはこう思うことになるだろう、『解体の手間が省けた』と。
 が、二の足を踏んでいるわけにもいかない。イスカは肩をすくめた。
「……この場所は、ヘルヘイヴ・ゲートと並んで『忌まわしい場所だ』って言われてる。特に今の天上軍総督は、よほどのことがない限り大部隊を差し向けることはないだろうって」
「森人のあいだでも、きっとそんな感じ」
「身を隠すには最適、か」
 行ってやる、と。イスカは率先して橋に踏み込んだ。半歩遅れてアトリがついてくる。
 ひんやりとした鉄の冷気が、靴の下から這い上った。
 ユーグリエールの樹皮とはまるで感触が違う。機族たちの街・マグナポリスに近いかもしれないが、彼らとて生活感や光源には気を配っている。こんな、どこをかしこを見ても冥界じみた不気味な光景とは似つかない。
 そうして橋を進むこと……二十メートルも歩かなかった頃だ。
 唐突に、鐘の音が響き渡った。
 凄まじい大音声だ! 溝の底から響いている。全身がびりびりと震えている。アトリはたまらず耳を覆っていた。まるで、ユーグリエール全域に警鐘を知らせているかのようだ。
 イスカは何が起こったのかと、素早く周囲に視線を巡らせる。
 そして、いち早く気づいた。
 鐘の音にまぎれて、橋の入口が、がこん(、、、)、と落ちた。
 そういう仕組みだったのだ! 橋が次々と崩れてイスカたちのいる場所に近づいてくる。イスカは弾かれるように身を翻すと、アトリの手を引っ掴んで駆け出した。
「うひゃあ!」
 遅ればせながら後ろを振り返ったアトリも、素っ頓狂な悲鳴を上げる。
 イスカは鍛え上げられた兵士の脚力で一気にトップスピードまで駆け上がった。空気がびゅんびゅんと後ろに置き去りにされていく。アトリは転ばないようにするのがやっとだ。
 幸い、人質を連れても、イスカの足の方が橋の脱落よりも速い――
 そう気を緩めた直後、橋の左右から幾本もの光線がふたりに突き刺さった。
 その無情な赤い輝きに、イスカの全身が強張る。アトリは肩で息をしながら、首を傾げた。
「これ、なんの光?」
 ――光線照準器(レーザーポインター)!?
 イスカは強烈に地面を蹴飛ばした。アトリを抱えて宙に舞い上がると、ほぼ同時、けたたましい砲撃音とともに橋が撃ち抜かれる。誰もいない地面を、しかし根こそぎ吹き飛ばした。
「空気砲(、、、)……!?」
 イスカはめまぐるしく回転する視界のなかで、狙撃手の姿を捜す。
 それは一見、橋に拵えられている彫刻に見えた。しかしそうではなかった。自立歩行する機械兵士……! 無人であろうそれらが、冷徹なプログラムに沿って再度、銃口を跳ね上げる。
 イスカは片腕を霞むように動かし、落下の途中で小太刀を抜いた。
 着地と同時に、振り抜く。
 稲妻のような一閃により、機械兵士の片腕が落ちた。兜を模した頭部の奥で、瞬いた眼球めいた光が驚愕を表す。その頃にはイスカは、さらに足を滑らせていた。
 片腕にアトリを抱きながら、もう片方の手のひらを流水のように取り回す。刃の残光が螺旋を引く。あたかもダンスのように、アトリの装束が麗しく翻った。
 機械兵士の足もとで四回転し、小太刀を振り抜く。空気が、びん、と震える。
 直後に機械兵士は全身をなます切りにされ、けたたましく崩れ落ちた。その頃にはすでに地面を蹴り、その場を逃れているイスカ。だが、少し時間をかけ過ぎた――
 イスカの首にしっかりと抱きつきながら、アトリが後方を指差した。
「大変、イスカちゃん! 橋がない……!!」
 機械兵士に手間取っているあいだに、橋の脱落がふたりのいる場所を追い越してしまったのだ。それでも構わず、イスカは駆けざまに、跳ぶ。
 アトリをしっかりと庇いながら、空中で身を捻った。
「……ここだ!」
 振り返れば、もう一体の機械兵士がこちらに銃口を向けていた。
 撃つ。
 高速を超えて、空気の塊がイスカのどてっぱらを撃ち抜いた。凄まじい勢いでふたりの体は撥ね飛ばされる。イスカの戦闘服が千切れ、空中で器用にマントを脱ぐと、遠心力を押しつけて投げ捨てる。
「ンっ……ぎ……!!」
 歯を食い縛りながら、かろうじて着地だ。アトリを抱えたまま、息をつく暇もなく身を翻した。空気砲の威力を利用して、橋の脱落速度をさらに追い越したのである。
 この時点で、橋の中心部は目前に迫っていた。
 だが、裏切られる。
 進む先もまた、足もとが脱落し始めたのだ。ならばこのまま飛び越えてやると速度を上げようとした矢先、イスカの膝から、がくんと力が抜けた。
 アトリともつれ合って、転がり込んでしまう。
「イスカちゃん!?」
 慌てて跳ね起きたアトリは、イスカの顔色が蒼白になっているのに気づいただろう。
「血が……っ」
 なんたることか……このタイミングで立ちくらみを起こすだなんて!
 急いで起きなければと思うのに、視界が砂嵐のように潰れて何も見えない。四肢にまったく力が入らず頭を上げることさえままならない。後方からはどんどん死の足音が追い上げてくるし、前方の落とし穴は取り返しのつかない大きさになっていく――
 アトリはイスカを抱きしめると、純白の翼を救世主のごとく広げた。
 イスカを連れて飛び上がるつもりなのだ。
 しかし、無理だ。森人の翼はひとりの重さにしか耐えられない。
「……逃げ――…………」
 その時イスカは、とっさになんと言おうとしたのだろうか。
 寸前で、別の場所から声が上がる。
「そこまで」
 ぴたりと、崩壊の音色が止まった。
 急激に世界が静かになる。橋の脱落が前後ともに止まったのだ。もう機械兵士も追いかけてこない。孤島のような橋の上で、うずくまったままのイスカはようやく顔を上げる。
 いったい何が起こったんだ……?
 今の女性の声は、いったい誰?
 いちども聞き覚えがないのに、どうして懐かしい感覚がするのだろうか――
「ずいぶんと騒がしいわねぇ。この騒ぎはどういうことだい?」
 こつこつと靴音を響かせて、ニーベルゲンの建造物から誰かが歩いてくる。橋の向こうだ。
 その女性のシルエットを見つけて、アトリが表情を華やがせた。
「――鵺(ヌエ)さんっ!」
 イスカもようやくクリアになり始めた視界で、それを見る。
《時計仕掛けの魔女》……なるほど、二十歳前後のその女性は、たしかにアトリの言う通り機族でも森人でもなかった。彼女の右の背中からは逞しい鳥の翼が生えている。しかし片翼(、、)だ。そして左腕は機械の構造だった。右半身と左半身で特徴が違う。
 彼女は史上稀にみる、機族と森人のハーフ――
 鵺という名前らしい魔女は、左右で色の違うオッドアイを大きく見開いた。
「アトリ姫……! なぜきみが香室の外に?」
 次いで、その隣にいるもうひとりを見て柳眉をひそめる。
「そっちは機族だね。どういう状況か説明してもらえるかい?」
 彼女が指を捻ると、崩れ落ちたはずの橋がひとりでに持ち上がり、組み直され始める。
 イスカは冷や汗を浮かべながら、ことことに至り、自分が絵空事をはるかに飛び越えた場面に立ち会っていることをようやく自覚していた。
 それは機族と、森人と、その狭間の者との、かつて例を見ない邂逅だった。



〈つづく〉


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