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作品名:きみの翼にシロップを。 作者:砂漠のキコリ

第11回 COURSE:X 〜恋しくなるまで待って?〜
 歯車の音色が絶え間なくこだまする、ニーベルゲンの城――
 鵺の寝室の前で、イスカはまんじりともしない時間を過ごしていた。壁際で膝を抱え、一分おきにちらりと目線を上げる。
 ダークブラウンの扉から金属質な音が漏れ聞こえてくるたび、イスカは期待せずにはいられない。今にも鵺が扉を開けて出てくるのではないか。「何もかもすべて解決だ」と笑って、イスカを安心させてくれるのではないか。
 そんな夢想をするたびに、イスカのまなじりに涙が滲む。
《血も涙もない》機族のはずなのに、イスカはいつの間にか泣き虫になってしまっていた――
 もう何時間も、ひと晩中、身じろぎもできないまま時間だけが流れていく。
 そんな彼女のもとに、召し使いとして働く機械人形が時おり気遣いに来た。イスカに暖かい毛布を渡す。甘いココアをカップに満たしてくれる。少しでも何かおなかに入れた方がいいだろうと、ビスケットを勧めてきた。そのすべての好意を、イスカはありがたく受け取る。
 ひとりぼっちだったら潰れていたかもしれない。
 やがて、明け方になろうかという頃だろう。寝室の扉が開いた。うつらうつらとしていたイスカは、その音でハッと頭を上げる。肩から毛布がずり落ちた。
 扉から出てきたのは背丈の低い機械人形だった。白い前掛けにこびりついている赤黒いものは、疑いようもなく血だろう。入れ替わりに別の人形が入っていく。たくさんの人形が集まってきてにわかに慌ただしくなった。イスカは毛布を手繰り寄せて床を立つ。
 室内からいくつかの器具が運び出された。包帯もだ。乾いた血がついている。
 ほとんどの機械人形は、汚れた布や道具をカートに積んで、去っていって――
 最後に一体の人形が、トレイにポットを載せてなかに入っていった。
 邪魔にならないだろうかと、イスカもおそるおそる扉を叩く。
 入りたまえ、と鵺の返事があった。
 イスカは毛布を折りたたんで、寝室の扉を開ける。
「……アトリ!」
 まず、大きなベッドに寝かせられている彼女の姿が見えた。左肩を中心に痛ましい包帯が巻かれているが、そこはもう、赤くない。肌も髪も綺麗に血は拭われていた。
 傍目には安らかに、眠るようにまぶたを閉じている。頬はピンク色で、唇は果実のように麗らか。しかしところどころ、毛布や床の絨毯に飛び散った血が見えた。シーツは先ほど、人形たちが洗い立てのものに替えてくれたのだろうが……壮絶な手術の形跡が見受けられる。
 鵺はさすがに疲れ果てた様子で、揺り椅子にどっかりと沈み込んでいた。
 イスカはベッドの傍らに歩み寄った。アトリの頬に指を這わせると、確かに温かい。
 鵺が彼女に何を行ったのか、イスカにはさっぱりだった。
「アトリはこれからどうなるんですか?」
「じきに目を覚ます」
 鵺は言った。何気ないその言葉が、イスカには信じられなかった。
 あまりに奇跡のようで、また瞳がじわりと潤む。
 鵺は男っぽく頭を掻いた。
「……怒鳴ってすまなかったな。機族には治療や修理といった概念がない。肉体が損傷した者は、たとえそれがどんなに軽微であっても廃棄されてしまう。――否(いや)、《血の通っていない》彼らにはそれが困難なのか……人口調整の手段でもあるのだろうが、やるせないものだな」
 言いながらグラスにジュースを注ぐ。果実を丸ごと搾ったかのような色合いだ。
 一気に飲み干して、また注ぐ。あっという間にポットを空にしてしまった。トレイを運んできた人形が、おそらくおかわりを用意するために慌てて部屋から飛び出していく。
 三人きりになった室内で、イスカはおずおずと身を乗り出した。
「……喉が渇きましたか?」
「それもあるがビタミンを摂っている」
 鵺は上体を起こすのも億劫そうだ。背もたれにぐうっ、と体重を押しつける。
「アトリ姫に私の血をだいぶ分けたからな。今度はこちらが貧血気味だ! やれやれ、たっぷりと飯が食いたい。いっそのことここに食事を運んでこさせるか……」
 台詞の途中で、イスカは「えっ!?」と目を見開いていた。
「ち、血を失ったら、今度は鵺さんが死んでしまう!!」
 鵺は意外そうに頭を起こした。
「――そうか、きみはこのことを知るのも初めてか」
 死にはしないさ、と微笑して、鵺は人差し指を立てた。
「いいかい? マグナポリスの連中は森人を燃料タンクか何かのように考えているようだが、それは誤りだ。血は失ったらそれっきりじゃない、生きている限り――日々の栄養を摂り、それが吸収されれば骨のなかで血が作り出される。人間は毎日血を失う。その代わりに新しい血を作り、体に巡らせ続けているんだ」
 すやすやと眠り続けるアトリを、鵺は手のひらで示す。
「アトリ姫も同じさ。やがて目を覚まして空腹を訴えるだろう。しっかり食べてぐっすりと休めば――肉体はどんどん元気になろうとする。失ったぶんの血を作り、削られた肌には新たな皮膚が生まれて傷を塞ぐだろう。体力が戻ればすぐにも起き上がって、またきみに笑いかけてくれるようになる」
 イスカはいつかアトリに聞いた、《自浄作用》という言葉を思い出していた。この雄大な地底樹と似た力が、人間の身体には備わっているのだ。
 どこか感嘆に打ち震えながら、自分の両手のひらを見下ろす。
「人間の体って、すごい……っ!」
 鵺は苦笑し、慈しむようなまなざしになった。
「そうさ。人間は世界からすればとてもちっぽけだけれど――自分が思っているよりは、もっとずっと強い生き物なんだ」
 空になったグラスを目いっぱい呷って、最後の一滴まで舐め取る。
 鵺は気軽な調子で言った。
「この辺りに興味があるのなら、きみは将来、医者か薬師になるのがいいんじゃないか?」
「医者? 薬師?」
「ひとの命を助ける仕事さ」
 その時、ベッドから「ううん」とうめき声が上がった。
 アトリが目を覚まそうとしている。イスカは枕もとへ身を乗り出した。
「……アトリっ」
 彼女の長い睫毛が、ゆっくりと持ち上げられる。
 真っ先にイスカの顔を見つけると、アトリはふんわりと唇をほころばせた。
「イスカちゃんだ……」
 彼女は上体を起こすことを望んだ。イスカは慎重に背中を支えて、それを手助けしてやる。
 ベッドの上で、少しだけ見つめ合う。
 すぐにどちらからともなく、抱きしめ合った。互いの背中にしっとりと両腕を回す。イスカは声を出すのもつらくて、唇を引き結び、ただ彼女の肩に頬をうずめていた。
「イスカちゃん、あったかいね」
 イスカの耳もとで、アトリは幸せそうにそう囁いた。
 しばらくふたりだけの時間を作ってくれたあと――
 鵺は、おもむろに問いを投げかけてくる。
「きみたちはこれからどうする?」
 ふたりは、ゆっくりと体を離して鵺を見つめた。
 イスカは迷いなく答える。どのみちすぐに追手が掛かる。いつまでも隠れてはいられない。
「どうにかして《鳥籠の外》へ向かいます。ボクたちが生きられるとしたらそこしかない」
「鳥籠の外……地上の世界……人間の捨てた《空》、か……」
 鵺は諦めたようにかぶりを振った。
「そこは人間の生きられる土地ではなくなっているよ。大地は荒廃し、死の瘴気が満ち、文明という文明はことごとく滅びた――」
「実際に確かめたひとはいません」
 それに、とイスカは断固とした口調で畳みかけた。
「人類が《鳥籠の中の世界》に逃れてから千年以上が過ぎています。すでに大地が再生して、地上に残ったひとたちが文明をよみがえらせていても不思議じゃありません」
「それ教えたのわたし、わたし」
 アトリが小さく挙手をする。鵺は悩ましげに額を押さえた。
「元はといえば私が(、、)アトリ姫に聞かせてやったことなのだけれどね……」
 深い、深い、ため息を吐く。
 まるでこれまで考えまいとしていたことに向き合うかのように、鵺は重々しい声を零した。
「青い光が満ちる、空? どこまでも続く緑の大地? 機械の体も鳥の翼もない人間たちが、同じ土地の上で等しく暮らしている……? なんていう、夢物語」
 飢えた旅人を思わせるまなざしが、イスカたちを見る。
「ふたりとも、本当にそんなものが存在すると思うかい?」
 イスカとアトリは、まったく同時に答える。
 すなわち首を、こっくりと縦に振ったのだ。
 鵺は、いよいよ観念したかのように、自嘲気味の笑みを零した。
「……そうか」
 しばらくそうして床を見つめていたかと思うと、出し抜けに顔を上げる。
 すでに彼女は、毅然とした《魔女》のまなざしに戻っていた。
「時にイスカ、きみの《機族としての部分》はどこにある?」
「えっ?」
「機族は肉体のどこかに機械的な構造を持つのが特徴だ。この私の左手のように……。しかしきみは一見したところ森人と変わらん。以前……きみの素肌を見た時も、どこにも機械めいたところはなかったように思う」
「あー……えと」
 イスカはさすがに頬を赤らめて、膝をすり合わせる。
「み、見せた方がいいですか?」
「ぜひ頼む」
「うぅ……っ」
 イスカは諦め悪く唸りながらも、拒めなかった。
 すっくと立ち上がると、上着を脱ぐ。シャツもめくり上げて頭から抜き、床に落とす。
 さらに脱ぐ必要があった。
「イ、イスカちゃん!?」
 さすがにアトリが驚いたような顔をするが、構わない。イスカは下着のトップスも剥ぎ取ると、さすがにそれは捨てずに胸もとで抱えた。
 上半身一糸まとわぬ姿になって、背中をふたりへと向ける。
「……これです」
 すでにアトリと鵺は、目を丸くしてこちらを見つめていた。
 イスカの背中から、きちきちきち、と歯車を回して広がっていくものがある。鳥の翼を思わせるが、羽根がない。骨格だ。それは彼女の髪や瞳と同じく、艶やかな漆黒の色をしていた。
 機械の翼――
 折りたたまれていたそれは、目いっぱいに広げても森人の翼の半分程度の大きさしかない。しかも隙間が目立ち、やはり骨のようだ。イスカは憂うようにまぶたを伏せる。
 アトリは無邪気に瞳を輝かせていた。
「イスカちゃん、とっても綺麗!」
「そう? ボクはあまり好きじゃなかったんだけど」
 シャワールームで自分の肌を見るたびに、イスカは憂鬱にならざるを得なかった。
「翼の形をしていても飛べないし、武器にもならない。みんなとも違う……役立たずの翼」
「いや、これは驚いたな」
 絶句していた鵺も、ようやく言葉を取り戻したようだった。
 脱帽、と言いたげに両手のひらを上げる。
「たいていは両手両足のいずれかが機械化しているものだが……」
「本来存在しない器官が備わっているのは、とても珍しいらしいです」
 そのせいで気味悪がられたりいじめられたりといった思い出も数え切れない。幼い日のイスカは真っ先に、翼をたたんで服の下に隠す術を覚えた。
 漆黒の翼は意のままに動き、イスカの華奢な背中へと寄り添う。
「こうして仕舞ってしまえば……鵺さんの言ったようにボクは森人と見分けがつかない。だからうってつけだって、エリオンフィールドへの潜入調査を主に行っていたんです。前線に出るよりも、裏口から森人の国に出かけることの方がずっと多かったな」
「そっか……」
 アトリはそっと手のひらを伸ばし、イスカの翼を撫でた。
 やはり生体金属であるからだろうか、指先の感触にぞくり、と体の芯が震える。
 漆黒の翼が、ひとりでに開いて喜びを表す。アトリは慈しむようなまなざしだ。
「それじゃあこの翼が、わたしのところまでイスカちゃんを運んできてくれたんだね」
 イスカはハッ、と目を開いた。
 そういうことになるのだろうか? もしこの翼がなければ自分とアトリは出会うことがなかった。イスカがどれだけ願ってもちっとも応えてくれなかったこの翼は――本当は今日までずっと、懸命に羽ばたき続けていたのかもしれない。
 イスカはとっさに唇を噛み、顔を背けた。
 本当に、どうしてすぐ涙が滲むんだろう。今まで我慢していたぶんが溢れてくるみたいだ。
 鵺はおとがいに指を添え、しばらく何事かを考えていた。
 やがて口を開いた彼女がなにを言い出すか、イスカにもすでに予想がついていた。
「――イスカ、頼みがある。その翼を私にくれないか?」
「えっ?」
「その量の生体金属をまるごと使えれば、いよいよ完成するだろう。オーニソプターが――」
 イスカはこの城の地下深くで見た、卵型の胴体に人工筋肉の両翼を生やした飛行機の存在を思い出した。かつて、ユーグリエールの樹内を駆け上がり、そのまま地上まで到達するために設計された、森人の翼のメカニズムと機族の科学技術の結晶。
 鵺は痛ましそうに眉をひそめ、自身の左手のひらを見下ろす。
「自分の体を使ってもいいんだが、それをすると作業をする腕がなくなる。それがずっとジレンマだった。だがもしきみが、私の夢に可能性を託してくれるのなら――」
「分かりました、使ってください」
 イスカは間髪を容れずに答えた。鵺の目が丸くなる。
 再度、慎重に問うてきた。
「……つまりきみは、森人が言うところの《解体》をされるんだ。機族である証を奪われる……そのショックはおそらく、相当なものだぞ? しかも取り返しがつかない」
「アトリの言う通り、この翼は役立たずなんかじゃなかった」
 ちらと彼女を見てから、イスカは鵺に、屈託のない微笑みを向ける。
「きっとボクたちの力になってくれます」
「はいはーい! それならイスカちゃんの羽はわたしが取る!」
 アトリは負傷も感じさせずに挙手をした。イスカは苦い顔にならざるを得ない。
 つまりは彼女がイスカの体をいじくり、イスカはそれに身を委ねなければならないということである。嫌な予感しかしない。
「えぇー……? 痛くしそう」
「ぶーぶー! だいじょうぶだよーぅ。確かにやったことはないけど……」
「ケガしてるんだから安静にしときなよ。鵺さんにやってもらえばいい」
 いくら冷静に言い聞かせても、アトリは駄々っ子のように譲らなかった。
「だってイスカちゃんの体なんだもん!」
 うっ、とイスカが言葉に詰まった隙に、アトリは上目遣いになる。
「だからわたしがしてあげたいの。……だめ?」
 どうしてそう、ずるい言い方をするのだろうか。
 イスカはもう、どうにでもなれという気持ちで、深々と息を吐き出した。
「……分かった。好きにすればいいよ」
「やった!」
「――では、すぐにでも始めるとしようかね」
 鵺が率先して椅子を立つ。イスカの気が変わらないうちに、服を脱いでいる今がちょうどいいと思ったのだろうか。チェストから工具箱を引っ張り出す。
 入れ替わりにイスカをベッドへうつ伏せに寝かせ、その上にアトリを馬乗りにさせる。
 覚悟は決めていたものの、いったい何をされるのかとイスカは戦々恐々である。
 アトリは、なぜかわくわくと瞳を輝かせながら工具を握っていた。鵺はベッドの傍らから、ともにイスカの翼を覗き込んで指示を出す。
「素肌との境に接続部分(ジョイント)があるはずだ。それをひとつずつ見つけて緩めていく。気をつけてくれたまえ、歯車は千分の一の食い違いで正常に動かなくなってしまうものだからな」
「オーケー」
 いつかのようにぺろりと唇を舐め、アトリは工具の先端をイスカの翼の根もとへ。
 肌に触れられるのとは違う――
 さらにその《内側》へと、確かに異物が潜り込んでくる感覚があった。考えてみれば、自分の翼を誰かに触らせたことなど、亡くなった母親ぐらいなのではなかろうか。今さらながらとんでもないことを許してしまったのかもしれないと、イスカの頬が熱くなる。
 体の深奥をいじくられる、なんとも言い難いこそばゆい感覚。
 が、直後。
 凄まじい激痛が背中で弾け、手足の指先まで駆け抜けた。
「いぅっ!?」
 びくんっ! と跳ね上がる肩を、後ろからアトリが押さえてくる。
「イスカちゃん、危ないから動かないで」
「でっ、でも、これ、痛いっ。すごい痛いよ!?」
「神経が繋がっているのだからな。当然だ」
 さもありなん、と鵺は満足そうに頷く。
「で、あればこそ電気信号に反応し、オーニソプターの人工筋肉と完璧に連動してくれるのだろう。いや、きみの翼は素晴らしく敏感じゃないか。こいつは期待できそうだ」
「い、痛いんですけど!? アトリ、ちょっと、ストップ……ひぐっ!!」
 手を緩めるどころか、アトリはいっそう深く工具の先をねじ込んできた。
「アトリっ、お願い、もう少し優しく……っ」
「大丈夫だいじょうぶ。痛いのは最初だけー」
「ちょっと!?」
 イスカはどうにか首を捩り、ようやく気がついた。
 背中に馬乗りになるアトリが、いつの間にか息を荒くしている。芸術品を愛でる蒐集家のよう――いや、あるいはマッドサイエンティストか。どちらにせよすでに目つきが危うい。
 そのうっすらと吊り上がった口もとを見るや、イスカは必死になって手を伸ばした。
「ぬ、鵺さん! やっぱり替わって! このままじゃわたし(、、、)――」
「いやすまないね、イスカ」
 どっこいしょ、と鵺はひどく億劫そうに身を起こした。
 アトリを止めるどころか、そのままふたりを置いて部屋を出て行こうとするではないか。
「私は徹夜でもう体力の限界だ! 食事を摂ってくるから、あとはふたりでごゆっくり……」
「行かないで! お願いだから助けて――いだたたたたたっ!?」
「もうイスカちゃん、暴れないの。ほら、こう? それともこ〜お〜?」
 ぐりんぐりんと背中をかき回されて、今まで味わったことのない凄まじい感覚が四肢を駆け巡る。「はぐぅっ!!」という、自分のそれとは思えない裏返った声。
「鵺、さん…………っ」
 イスカは、ひと筋の希望を手繰るように手を伸ばす。
「ふわ〜ぁ……ねむ」
 ぱたん、となんとも無情に閉じられる扉。
 背後からアトリが、耳もとに唇を寄せて熱っぽく囁いてきた。
「ふっふっふ……さあイスカちゃん? 夜はまだまだこれから……――――」
「い、い、い……いやああああああああああ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっ!?」

 一時間後。

「はあ、はあっ……ひ、ひどい目に遭った……!」
「大げさだなあ、イスカちゃんは」
 イスカは毛布を抱きしめて震えていて、アトリは呑気にあぐらをかいていた。
 そしてサイドテーブルには、イスカの背中から取り外された機械の翼が置かれている。休憩から戻ってきた鵺が、研究者のまなざしでその機構を確かめていた。
「ふむ、ふむ、ふむ……器用なものだな、アトリ姫! 解体作業は完璧だ」
「鵺さん、道具ありがとう」
 アトリは工具箱を彼女へ帰そうとする。
 すると鵺はかぶりを振った。
「あげるよ。時々イスカの……翼の痕に油を差してやるといい。きっとそれが役に立つ」
 イスカは今度ばかりは、きっぱりとアトリへと手のひらを差し出した。
「貸して。自分でやるから」
「え〜? 背中なんだからできないよーう」
 アトリは工具箱を高く持ち上げて拒もうとする。対してイスカは、まだ腰が抜けていて身を乗り出すことすらままならない。
 ベッドの上でじゃれ合うふたりを、鵺はくすくすと笑って眺めていた。
「甘えておけばいいじゃないか、イスカ。きみはこれからも定期的にアトリ姫の血をもらわねばならないんだ。――持ちつ持たれつってやつさ」
「そーそー、持ちつ持ちつ!」
「うぅ〜う……っ」
 幼子のようにむくれるイスカを見て、鵺はもうひとつ苦笑。
「――それではあらためて、この翼をいただいてもいいかい? 私はすぐにオーニソプターの総仕上げに取り掛かる。完成したらきみたちにあげよう。あれに乗ってロマン回廊を駆け上がり……《鳥籠の外》に向かうといい。地上がどうなっているか、その目で確かめてくるんだ」
「鵺さんは一緒に行かないの?」
 アトリの無垢な問いかけに、鵺はわずかに目を見開く。
 やがて、苦笑しつつゆっくりとかぶりを振った。
「……よしとくれ、私は臆病なんだ。きみたちが旅立ったあとで……安全が確認できてから追いかけるさ」
 イスカはアトリと顔を見合わせ、しっかりと頷き合う。
 オーニソプター……かつての夢の残滓……今となってはゆいいつ、空への希望を繋ぐもの。
 地上世界は本当に再生しているのだろうか? そこにはどんな人間たちが暮らしているのだろう? 自分たちを受け入れてくれる場所はあるか? 清浄な空気の満ちるそこでなら、短命のアトリもきっと生きていける――これからも一緒に、ずっと。
 まだ見ぬ光景を思って、なぜかイスカは、くすっと唇をほころばせた。
 アトリが気づく。イスカは彼女を見つめ返した。
「……あのひと(、、、、)が言っていたことは正しかったのかもしれない」
「なあに?」
「きみのせいで、ボクはおかしくなっちゃったみたい」
 でなければ、空へと想いを馳せる、この熱い胸の高鳴りを説明できなかっただろう。
 ――ボクはきみを喰べ、きみがボクを壊した。
 そしてこれから先に待ち受けるのは――

 まだ、誰も見たことのない物語!



〈つづく〉


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