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作品名:きみの翼にシロップを。 作者:砂漠のキコリ

第1回 HORS D‘OEUVRE
 それは世界の終わりに、たった一本だけ残された最後の木なのだという。
 ひと筋の陽の光すら届かないその巨大な空洞は、地下に存在していた。高い土圧に耐えるためのシェルターが《鳥籠》の柵を模しているならば、その中央に屹立する一本の白木は、籠の鳥のための《止まり木》に他ならなかっただろう。
 地底樹(ちていじゅ)・ユーグリエール。
 それが、この《鳥籠の中の世界》に存在するすべてだった――
 ユーグリエールの幹は乙女の肌のように真っ白で、死にかけの病人のようにか細い。鳥籠の底、すなわち地下空洞の底面に緑に覆われた根を張り巡らし、反対に、天井を覆い尽くす枝には黒々とした葉を茂らせていた。
 黒い葉には、星のごとく、人工の灯りが瞬いている――
 人間が、棲みついているのだ。
 その途方もないスケールと、病的なまでの儚さがユーグリエールの本質である。かつて荒廃した地上から逃れ、この巨大地下空洞に移り住んだ最後の人類は、風が吹けば手折れそうな白木にすがりついて生き延びているに過ぎない。
 限りある資源を切り崩して――
《枝》と《根》というふたつの陣営に分かれ、平和さえも拒絶しながら。
 そして、今まさに。
 白木の太さから見れば蟻のように小さないくつもの人影が、ひそかに幹を這い下りている。

     † † †

 ふいに足もとを照らす光が弱くなったような気がして、戦闘服を着込んだその兵隊は、手にしたランタンを持ち上げた。顔に近づけて、ガラスを覗き込む。
 ガラスの向こうから、反射した自分の顔が見つめ返してきた。黒色のショートヘアはやや乱れがち。同じ色の瞳はお人形のように大きい。ふっくらと柔らかな頬は「あどけない」と表現するよりなく、おおよそ争いごととは似つかわしくない、十代の中頃――
 意識して、むっ、と口もとを引き結び、その兵隊は視線をずらした。
 確かめたかったのはあまり好きではない自分の顔などではなく、ランタンの中身である。そこには火種も油もなく、指の先ほどの虫が数匹、転がっていた。
《鳥籠の中の世界(ユーグリエール)》において、むやみに火を焚くことは好まれない。暗闇で臀部を発光させるこの幻燈虫(げんとうちゅう)は、人々の生活になくてはならない光源だった。
 ただし、もちろん使用期限はある。
 生き物の場合、それは寿命だ。幻燈虫の寿命は長くない。今、このランタンのなかで、数匹の命が燃え尽きようとしているのは明白だった。
 まだあどけなさの残るその兵隊は、まるで鈴のようにランタンを揺らした。
 華奢な人差し指で、ガラスをノックする。
 桃色の唇が、動く。
 ――こういう時は、なんて声をかけるんだっけ?
「……がんばれっ」
 そう囁いた声が、届いたのかどうか、ランタンのなかで虫たちが輝きを取り戻した。
 淡くも、確かな光だ。兵隊の頬が我知らず、ピンク色に色づく。
 ところが、直後、横から伸ばされてきた無骨な手がランタンを奪い取った。
「どうした? 副隊長」
「あっ……」
 と思わず声を漏らしたのが、この作戦行動の《副隊長》であり、取り上げたランタンをしげしげと眺めるのが《隊長》だ。名前――というより彼の識別コードは、JJ(ジェイ・ジェイ)という。
 ジェイ・ジェイ隊長は、副隊長からすれば見上げるほどの大男だった。その肩幅、そして隆々とした下半身は、近寄るのがはばかられるほどに鋭い(、、)。青鋼の輝きを帯びている(、、、、、、、、、、、)。
 頭部は確かに、二十代の男性のものである。しかし彼の首から下はすべて、機械で形作られていた。肉体のどこかに機械的な構造を持って産まれるのが彼ら、《機族(きぞく)》の特徴とはいえ、ジェイ・ジェイ隊長は別格だった。機族たちの街――ユーグリエールの枝葉に位置する《マグナポリス》を隅々まで見渡したところで、全身機械の特徴など他にお目にかかれるまい。
 ちなみに、見かけは十代半ばの少年にしか見えない副隊長も、機族の一員である。ただしその機械的な特徴は、戦闘服の上からでは分からない場所に存在していた。
「こりゃダメだな」
 ジェイ・ジェイ隊長はランタンの窓を開けると、逆さにひっくり返した。燃え尽きる間際の幻燈虫たちがぽろぽろと零れ落ちる。
 足もとに散らばったそれらを、彼は機械の足で踏みにじった。淡くも確かな光が、完全に消え失せる。
「…………」
 副隊長はそれを、身じろぎもせずに見ていた。その鼻先に別のランタンが差し出されてくる。まだまだ活力を残した幻燈虫たちが、同族の潰れた死骸に光を振り撒いていた。
 ジェイ・ジェイ隊長は馴れ馴れしく、副隊長の華奢な肩に腕を回してくる。
「ほら、俺のを一緒に使うといい。こうしてぴったりと肩を並べて――」
「全員、状況を報告してくれ」
 副隊長は無骨な機械の腕を払いのけて、きびすを返した。
 今は作戦行動中である。ジェイ・ジェイ隊長以下、副隊長自身を含めて七名の隊員が同行している。ユーグリエールの白い幹に――ほとんど崖のようなその樹皮に、アンカーを突き立てて足場を作り、ところどころに開いた洞に憩いを求め、ワイヤーを命綱としながら決死の降下を行っている最中なのだ。
 目的地は遥か眼下に広がる、ユーグリエールの根――
 仮に足を踏み外せば、もし機械の全身を持っていたとしてもひとたまりもあるまい。
「降下装備をロストしました」
 隊員のひとりが苦々しげに報告してきた。別の場所からも「装備破損」の声が上がる。
 やむを得ない。この降下作戦は奇襲であるからして、進むのは道なき道だ。一応、幹の反対側にはユーグリエールの枝と根を繋ぐただひとつの整備された道が――友好(メイプル)街道、というふざけた名前だ――あるにはあるのだが、そちらはいわゆる《主戦場》、両陣営の前線である。
 当然、《敵》も幹を降りてくる者に厳しく目を光らせているに違いない。
 彼ら、マグナポリス天上軍の第66急襲降下部隊の目標は、戦場に乗り込んで大暴れすることなどではない。秘密裏に敵地に潜入し、とある資源を《捕獲》してくることである。
 過酷な強行軍をものともしないジェイ・ジェイ隊長が、再び副隊長の隣に歩み寄った。
「まったくだらしがない! まともに俺についてこられるのは副隊長だけか?」
 そんななか、もっとも怖れていた声が上がる。
「……左足首を《損傷》しました」
 隊の全員が、さっと振り返る。
 そこには副隊長とお揃いの戦闘服をまとった、女性隊員がいた。歳の頃も同じく十代半ば。少女らしい長い髪を、肩の左右でくくっている。華奢な右手のひらを、幹についている。
 そして、へたり込んでいた。七分丈のズボンから足首が覗いている。
 言う通り、左の足首がひどく腫れていた。崖のような樹皮を駆け下りてくる際、どこかで挫いてしまったのだろう。もう自力で歩くことも難しいようだ。
 ちなみに、機族としての彼女の特徴は左手のひらだった。鋼の外殻に覆われた人工筋肉が、きちきちと心細そうに鳴って患部を撫でている。機族が肉体のどこかに痛手を被った場合、それは部位にかかわらず《破損》《損壊》などと表現される、のだが。
 問題は、《壊れてしまった》機族の末路である。
「ストレンチア」
 副隊長は彼女の名前を呼ぶ。当のストレンチアは、敬礼を返すこともできない。
 ジェイ・ジェイ隊長は、「あちゃあ」と後頭部を手のひらで掻いた。
「こりゃダメだな」
 虫を捨てる時と同じ口調で、続ける。
「副隊長、その役立たず(スクラップ)を廃棄しろ」
「…………」
 副隊長は無言で歩み出た。
 ゆとりのあるマントを羽織ってはいるが、その腰の後ろには愛用の小太刀がふた振り、交差して装着されていた。高周波振動で鉄すら切り裂く必殺の武器だ。――否(いや)、もはや自力で身動きも取れない相手を仕留めることぐらい、この花糸のごとき指先があれば事足りる。
 ――首でも締め上げれば、ストレンチアの生命活動は完全に止まるだろう。
 副隊長はストレンチアの隣に屈みこんだ。
 そして相手の腕を肩に回し、立ち上がらせる。ジェイ・ジェイ隊長の叱責が飛んだ。
「副隊長! それは荷物だ。ここで処分していけ」
 副隊長が漆黒の瞳で見つめると、ジェイ・ジェイ隊長は大げさに肩をすくめる。
「連れていくことはできない。足手まといがいると部隊全員の生存率が下がる」
「……じゃあ」
「かといってここに放置しておくこともできん。敵に見つかれば、ストレンチアは奴らの住処に連れ去られて《解体》される羽目になる。機械部品を取り出すためにな! ここで死んでおいた方がよっぽどマシだったと後悔するだろうさ」
「…………」
 この場合、非常識な行動をしているのは副隊長の方だった。
 部隊のなかに、副隊長の味方をする者はひとりもいなかった。当のストレンチアでさえ、腕を支えてもらわなければ立てないような状態で、間近から見つめ返してきたのだ。
「規律に従ってください」
「…………」
 それでも副隊長がじっと佇んでいると、堪え性のないジェイ・ジェイ隊長が歩み出てきた。
「なんだ? それともやり方が分からないのか? この俺が手本を見せてやる!」
「あっ……」
 副隊長の腕からストレンチアを引きはがすと、地面に押し倒した。
 うつ伏せに倒れ込んだ彼女に圧し掛かり、右腕を押しつける。
 ジェイ・ジェイ隊長の機械の体には、数え切れないほどの兵装が備わっていた。たとえば右の肘に内蔵されているのはパイルバンカーだ。爆薬で撃ち出される鋼鉄の杭が、極至近距離から超高速で標的を射貫く。
 その発射口を、ジェイ・ジェイ隊長は無造作にストレンチアの背中へと押し当てた。
「いいか? 生き物ってのは頭か心臓を潰されると完全に止まる。こんなふうに!!」
 神経接続されたトリガーを、ジェイ・ジェイ隊長はたやすく絞る。
 爆音が轟いた。
 白煙とともに射出された杭が、ストレンチアの背中から胴体までをひと息にぶち抜いた。ストレンチアはいちど激しく痙攣し、「ごふっ」と、唇から唾を煌めかせる。
 ジェイ・ジェイ隊長は満足そうに顔を歪め、さらに全体重を押しつけた。
「こうして念入りに潰して……捩る!」
 ようやく引き上げられた杭の先端は、ストレンチアの命の雫で濡れていた。
 ジェイ・ジェイ隊長は身を起こすと、部下のマントを引っ張って杭を拭った。ストレンチアはぴくりともしない。胴体に大穴を空けられて、死んでいることを疑う者はいないだろう。
 否(いや)、機族はそれを「壊れている」と表現する。
「…………」
 副隊長は、一部始終を身動きもせずに見届けたあと、亡骸の傍らにしゃがみ込んだ。
 固い洞のなかで、穴を作ろうとする。地底樹(ユーグリエール)のささくれ立った皮を引きはがすたび、やわらかな手のひらに鋭い痛みが走る。
 その行動を部隊の皆と、ジェイ・ジェイ隊長は訝しげに見ていた。
「副隊長、何をしている?」
「……同族が亡くなった時は、こうしてユーグリエールに還して弔うものだって聞いた」
「それは敵の連中の文化だ。俺たちの習慣じゃない」
 副隊長はゆっくりと上体を起こした。掘れども掘れども、満足に穴は開いてくれない。
 ストレンチアは野ざらしだ。
「……彼女は軍学校での同期だった。一緒に勉強をしたし、訓練をした。宿舎も同じ部屋だった。配給が足りない時はふたりで分け合ったりもした」
「だからなんだ?」
 副隊長は一度、口を噤んだ。
 本人とて、何かを伝えたかったわけではない。ただ事実を述べたまでだ。
「……それだけだ」
 ジェイ・ジェイ隊長は肩をすくめると、また副隊長の肩に腕を回そうとしてきた。
「どうでもいいが、俺のステディ、早いとこそいつから離れな。ニオイが移るぜ――」
「黙れ」
 鋼鉄の指先に触れられる前に、副隊長は鋭く言った。
 他の者からは、副隊長の瞳が刃のような光を放っていることが見えただろう。
「その手でボクに触るな」
 おずおずと腕を引いたジェイ・ジェイ隊長は、虚勢なのか、大きく声を張り上げる。
「ヘイ、副隊長! お前は確かに優秀な兵士だが、素行に問題がある。規律に従え! そうすりゃあ――お前のお父上も、よりお喜びになるだろうさ」
「…………」
 副隊長は目も合わせない。その代わりに慌てたのが他の隊員のひとりだ。
「た、隊長っ、お静かに! ここはすでに敵地です……!」
「ああ!? なんだ、貴様!」
 感情のはけ口を見つけたとばかりに、ジェイ・ジェイ隊長はその部下に大股で詰め寄った。
 隊長の上背は二メートルを超える。その若い男の隊員は、襟首を掴まれて吊り上げられた。
「この俺に意見をするのか!? 貴様は俺の上官か? 市民権はいくつだ? 言ってみろ!!」
「……し、C-二等級です」
「俺さまはA-三等級だ! そして貴様の上官だ! 口の利き方に気をつけろ!!」
 地面に叩きつけるようにして、部下を離す。
 他の隊員たちは気まずそうに視線を逸らすばかりで、誰も口を挟めなかった。兵士としての力量だけではない、マグナポリス市民において、その価値を表す階級付けは絶対の基準だ。たとえば副隊長はジェイ・ジェイの部下ではあるが、その市民権は機族のなかでもふたり(、、、)しかいない《S-一等級》に位置する。対等な口利きを許されている理由である。
 ――だから、この場は副隊長が冷静に意見をするべきだった。
 静かにしなければ《敵》に見つかる、と。
 ここはもはや、一瞬の油断が崩壊に繋がる死地なのだと――
 ジェイ・ジェイ隊長があらためてランタンを掲げた時に、それは起きた。
「能無しは俺の部下にはいらん! 貴様らは一匹でも多く獲物を捕らえることだけを――」
 言葉の途中で、取っ手からランタンが弾け飛んだ。
 ジェイ・ジェイ隊長のそれのみならず、隊員の持っていたランタンがいっせいに吹き飛ばされる。ガラスの破片が飛び散り、幻燈虫の千切れた翅も一緒くたにばら撒かれる。
 視界が真っ暗に閉ざされた。
「なんだ!?」
 そう叫んだ隊員の胸に、直後、一本の矢が突き立った。
「か…………」
 的確に心臓を射貫かれ、その男の隊員はゆっくりと仰向けに倒れていく。
 彼が地面に倒れ込むより先に、副隊長は腰の後ろから二本の小太刀を抜き放っていた。
「――敵襲!!」
 幾重もの羽ばたきが下方から突き上げてきた。
 凄まじい勢いで風を唸らせながら、何者かが周囲を飛び回っている。暗闇で満足に姿を追うこともできないが、瞬間、銀色の刃のきらめきが見えて副隊長は地面に転がり込んだ。
 忌々しげな怒声が耳朶を打つ。
「くそぅっ、《森人(モリビト)》どもめ!!」
 ジェイ・ジェイ隊長は何度も剣で斬りつけられ、その鋼の体に火花を跳ねさせている。
 くしくもその瞬間的な輝きで、見えた。襲撃者が雄々しく翼を広げ、空中に制止する様を。
 人間の身体に鳥の翼を生やした、機族とは正反対の特徴を持つ《森人》の姿を――
「やはり潜り込んでいたか……卑しいブリキの狩人め!」
 凛々しい女性の戦士だった。簡素な革鎧に痩躯を包んでいる。男性顔負けの、彫りの深い顔を怒りに染め、手にした長剣を教鞭のごとく振り下ろす。
「ひとりたりとも同胞を奪わせはせぬ! ――仕留めろ!!」
 森人側も集団だった。女戦士長の号令で、いくつもの鳥の翼が続けざまに空気を叩く。再び周囲に風音が吹き荒れた。暗闇に剣の輝きが閃く。正確な人数は分からない――
 機族側の兵士たちは、とにかく身を屈めて攻撃を避けるので精いっぱいだった。
「ジェイ・ジェイ隊長ッ、こいつら《カラス》と《フクロウ》だ! 夜目が利く!!」
「おのれぇ……ッ! 我々に飼われているだけの家畜の分際で!!」
 森人の女戦士長が、その美貌にさっ、と朱を上らせた。
「……侮辱をッ!」
「地を這うしかない機械仕掛けが偉そうに!」
「ブリキどもを生かして帰すな! 狩り尽くせ!!」
 周囲に剣戟のごとく怒号が行き交うのを、副隊長は頭を庇いながら聞いていた。
 機族と森人、ふたつの種族は決して交わることはない――
 森人側の戦士たちは、剣や石弓、革鎧といった原始的な武器を使用していた。兵力の水準としては、機族側のマグナポリス天上軍を大きく下回る。
 しかし、彼らには自在に空を舞える翼がある。そして両軍の戦場となるのは、地底樹(ユーグリエール)の垂直の幹だ。長年、機族側が根に侵攻できないでいる最大の理由である。
 ――もし仮に、森人側がマグナポリスに匹敵する科学力を手に入れたらどうなるだろうか?
 出し抜けに、副隊長の耳がかすかな金属音を捉えた。
 ほぼ同時、その大きな墨色の瞳が、森人の手から放られてきたこぶし大の塊を映す。
 副隊長はバネのように跳ね起きて、手近な仲間の背を力任せに突き飛ばした。
「逃げてっ!!」
 ――手榴弾である。それが樹皮にぶつかった瞬間、勢いよく炸裂した。
 爆炎と衝撃波が膨れ上がり、木屑が盛大に弾けた。悲鳴すらも呑み込んで爆発音が唸る。森人のせせら笑う口もとが一瞬だけ見えた。そのなかで、もろに爆風に煽られてしまった副隊長は空中に弾き飛ばされる。威力を殺すのに使ったマントが、烈風に千切られる。
 十五歳の華奢な肢体が、うら淋しい風になぶられた。いよいよ天地も分からない。
 がむしゃらに手を伸ばしても、なにも掴めない。
 重力に囚われるまま、真っ逆さまに落ちていく――
「副隊長!! 俺の副隊長…………ッ!!」
 ジェイ・ジェイ隊長が顔面を蒼白にしていた。そんな彼に、黒い翼を持つ森人の戦士たちが次々と躍りかかる。残りの隊員たちにも雨あられと矢が降り注ぎ、鋭い剣尖が何度となく振り下ろされる。よく見知った隊員のひとりが、延髄を叩き潰されるのが見えて――
 それっきり、何も見えなくなった。
 ユーグリエールのわずかな枝葉に、副隊長は背中から突っ込んでいく。

     † † †

 ――…………どこまで落ちてきたのだろうか。
 副隊長は草と土にまみれながらも、体のどこにも骨折などの深刻な損傷がないことに驚いていた。なかば奇跡である。ユーグリエールの天頂付近に広がるのが機族たちの居住区・マグナポリスならば、地底側の根に張り巡らされているのが森人の街・エリオンフィールドである。
 まさかそこまで、何千メートルの距離を墜落してきてしまったのだろうか? ならば、五体満足でいられるはずがあるまい。
 ――答えは簡単、《そこ》はエリオンフィールドの手前だった。
 白木の枝に黄金の鳥籠が吊り下げられており、戦場から吹き飛ばされた副隊長は、幸運にも落下の途中でそこに引っかかったのだ。九死に一生とはまさにこのことであろう。
 鳥籠の形をしてはいるものの、大きさが巨大だった。土が敷き詰められていて樹園が広がっている。不思議な光る花がたくさん咲いていて、灯りに満たされている。森人の、やんごとない誰かの別荘だろうか? ずいぶんと結構な暮らしをしている。
 枯れた枝と機械ばかりのマグナポリスと違い、土と植物に溢れたエリオンフィールドには資源が多い。灯りとなる幻燈虫も多く生息している。だから機族はユーグリエールの根への侵攻を長年の悲願としているが、森人側の激しい抵抗に遭いそれは叶えられていない。
 機族と森人は決して交わることはない。
 それは機族が、森人から多くのものを奪うからだ。平穏な暮らしであったり、空の自由であったり、生きるための資源であったり――その最たるものとして、森人の身柄そのものを。
 機族は森人を喰べる(、、、、、、、、、)。
 生きるために――
「……お腹すいた」
 思索を切り上げて、副隊長はゆるくかぶりを振った。手入れの行き届いた植物園をあてどなく奥へと進む。先の爆撃からの墜落で装備の大半を失ってしまったが、幸い、愛用の高周波双刃とハーネストナイフだけは健在だ――特に後者は、剣を模した杭を射出してからのワイヤー操作によって、三次元的な機動を意のままにする対森人戦闘の切り札である。
 誰かを見つけたら、交渉か、あるいは武力でもって、マグナポリスへと戻る足掛かりを手に入れるしかない。
 ……いや、そもそも。
 こんな浮世離れした鳥籠に住んでいるのは、いったい何者なのだろうか?
 視界が開けた。
 鬱蒼とした茂みを抜けた途端、水の音が耳に響いた。花の香りとも異なる、甘い風がどこからか吹いてくる。そして眩しい――まばゆい光を放つ何かが目の前にあった。
 巨大な花だ。紅色の花びらを八方に広げている。透き通った水の泉があって、その水面に咲く大きな花が淡く輝いている。ほう、と、見惚れてしまうような光景。
 どれほどの大きさかと言えば、ひとひとりが乗れてしまうほどのものだ。
 実際、花びらの上から少女が驚いた顔でこちらを振り返っていた。
 泥だらけの兵士が、いったいどこから迷い込んできたのかと思ったことだろう。
「あなたは、王子さま?」
 出し抜けに彼女が言って、言われたこちらはきょとん、と目を丸くしてしまう。
 少女も同じく十五歳くらいだろう。彼女は乙女の憧れをすべて持ち合わせていた。綿菓子のようにふわふわの長い髪に、宝石じみた大きな瞳。純白の衣は湯浴み着のようにも見える。布の隙間からは華奢な肢体のラインが覗き、繊細の手のひらは大きな花柱を撫でている。
 そして、背中には純白の翼がなびいていた。
 穢れひとつ許さない、本当に純粋な白い羽だ。
 今まで見たことがない――
 仮に自分が《王子》であるのなら、彼女は。
「きみは、天使?」
 するりと、音が唇を零れ出る。
 そのまましばし、ふたりは声もなく見つめあった。
 この出会いがすべての始まりだった。この、獣と人形が果てのない殺し合いを繰り広げる世界で。鳥籠に閉じ込められたたった一本の木の上で。今、この時は、まだ誰も予想だにしていなかった物語を綴るための――そう、これは。

 ボクが彼女を喰(た)べ――
 彼女がボクを、壊すまでの物語。



〈つづく〉


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