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作品名:虹の羽根のイオライン 作者:橘 紫綺

第10回 戸惑う人B
力一杯抱き締めて来るディアナを見た途端。ソリスは悪夢から覚めたような気がした。
「……ソリス、大丈夫?」
 ディアナが少しだけ心配そうな顔をして、少しだけ心配そうな口調で問い掛けて来る。
 傍から見れば、傍で聞いていれば、普段とどこが違うのかと言われそうなほどのささやかな変化。それでも、その綺麗な眼は雄弁に心配していることを物語っていた。
「ディアナ……」
 もう一人のあたしの『家』。
 ずっとずっと一緒だったディアナを抱き締め返す。
 まだ大丈夫。自分はまだ独りじゃない。
 あれは夢。悪い夢。あんなタザルはタザルじゃない。
 自分自身に一生懸命言い聞かせる。ディアナに心配を掛けないように言い聞かせる。
 だから笑う。切り替える。
「うん。大丈夫だよ。ちょっと心細くなってただけだから。ディアナが戻って来てくれたから大丈夫」
「……本当?」
「うん」とは言うものの、ディアナにはすぐに嘘だとバレるんだろうなぁ……と思う。
 それでも、ディアナは知らない振りをしてくれるだろうと思っていると、実際ディアナはそれ以上追究することはなかった。
「……なら、いい。これ、着る物。お腹が空いているなら、これ、食べる」
 そう言って、ディアナはどこから調達して来たものか、麻袋の中から顔まで隠せる大きなフードのついた巡礼者のローブと、パンと林檎を取り出した。
「ありがとう」
 ソリスはディアナから受け取ると、早速ローブを着込んだ。良く見ればディアナも既にローブを着込んでいた。お陰でボロボロの格好は見事に隠れた。
「これ、どこからもって来たの?」
 パンを頬張りながら訊ねれば、『神様』と言う単純明快な一言が返って来る。
 つまり、盗んで来たのだと解釈する。だとしても、明日の食事も食うや食わずの人間からは盗みを働かないディアナだ。盗んで来たと言うことは、それなりにお金のある『家』からなのだから、罪悪感を持つ必要もない。後ろめたさの欠片もないままに聞き流す。
「で、これからどうするの?」
 硬すぎず柔らかくもないクルミの入っていたパンを食べ終え、林檎にかじりつきながら問い掛けると、
「隠れアジトに行く……」
 即答して来た。おそらく、ローブを調達して帰って来る間に考えていたのだろうが、ソリスは一つ気になっていたことを口にしてみた。
「んー、それも一つの手だと思うんだけど、あのタザルに似た男の人……」
「忘れなさい」
 言い切る前に、言い切られた。それも、ソリスの事を見ることなく、チマチマと林檎を齧りながらの即答だった。
「あ、いや、でも、あの人、確か虹色の羽根のペンダント、していたよ」
 そうなのだ。初めこそタザルと瓜二つの顔に動揺してしまって気が付かなかったが、あの男は確かに虹色の羽根のペンダントをしていた。それが意味するのは『虹の羽根』と呼ばれる自警団のこと。そして、
「ほら、タザルが昔言ってたよ。外に出て何か困ったことがあれば、数ある自警団の中でも『虹の羽根』に行けって……」
「そうね……」
「でしょ? だからね、だから……」
 だから……の後が続かなかった。
 自分でも判っていた。行ったところでどうなると言うのか。タザルに似たあの男と会って、どうすると言うのか。問い掛けるつもりなのか? 問い掛けて本当にタザルだったらどうするのか? 否定されたら、拒絶されたらどうするのか? 瞬時にして巡った問い掛けに答えられず、ソリスは中途半端な笑みを顔に貼り付けて固まった。
 橋の下に、シャク、シャクと、ディアナが林檎を齧る音だけが響いた。
 少なくとも三口齧る間、ソリスは何も続けられなかった。
 その代わりだろうか? ディアナが林檎を飲み込んで口を開いた。
「……その羽根が本物だとは限らない」
「でも、ディアナは気にならないの? 見たでしょ?」
「……見たわ。でも、気にしてどうするの?」
「どう……って」
「どれだけタザルに似ていても、それはタザルじゃない。タザルと同じ顔だからと言ってタザルと同じだとは限らない。知らない人間は信用してはいけない。そう教えたのはタザル……」
「でも、その上で利用しろって、タザル言ってたよ!」
 無理矢理感情を押し殺したような平坦な声音のディアナに、真正面から向き直ってソリスは反論した。
「あの人がタザルかタザルじゃないかそれは判らない。でも、上手く利用すれば『銀の鬣』のことも分かるかもしれないじゃない!」
「……逆に、そのまま引き渡されるかもしれない」
「!」
「……確かに、虹の羽根のペンダントは『虹の羽根』の印。でも、偽造するのは簡単。本物かどうかまで判らない。信じたフリをしてついて行くことは簡単。でも、無事に逃げ出せるかは判らない。人数も力も判らない。もう、私達を守ってくれる人はいないのだから、無謀なことは出来ない」
「!」
 最後の一言は真っ直ぐにソリスの胸を貫いた。幻視の刃は確実にソリスを傷つける。
「……確かに情報は欲しい。少しでも早く『銀の鬣』に帰ってゴウラを殺してやりたい。
 でも、その前にソリスに何かがあっても嫌」
「え?」
「……大切な人を失いたくはない。だから、危険が伴うことは避けるべき」
「え、えっと、ちょ、ちょっと待って、今ディアナ何て言った?」
「……何?」
「今、あたしのこと大切な人って……」
 ディアナが自分のことをそう思っていたなんて、改めて口に出されて言われたなら、ソリスの傷ついた心が、癒されるように温かくなって行った。が、ディアナは冷めた目線をソリスに向けて容赦なく、言う。
「そんなこと、言ってない」
「え?」ニヤついて来た顔が凍りつく。
「……そんな幻聴を聞くぐらいなら、人の話をちゃんと聞くこと。
 あのタザルに似た男のことは忘れること。『虹の羽根』には行かない。これから行くのはこの町の中にある隠れアジト。そこはタザルとタザルの親友だけが知っている場所だから、情報を仕入れるには一番効率的。判った?」
「え、だって、今……」
「判った?」と、幾分強い口調で来られたなら、
「はい、判りました」
 ソリスは素直に頷くことしかできなかった。

          ◆◇◆

 フードを目深に被って足早に町の中を歩く。
 馬車が行き交う均された地面。人が歩くために作られた石畳の道。
 天気は晴れ。陽光は暖かく、町中に呼び込みの声や値切りの声が響き渡る。
 焼きたてのパンやお菓子の甘い匂い。瑞々しい果物たち。露天に並べられたアクセサリーや宝石たちは輝き、色とりどりの反物や服が並ぶ。色鮮やかな花々が売られ、人々の顔には笑顔があった。
 活気のある町。陽の当たる町。子供も大人も男も女も。楽しそうな表情を浮かべて行き交っている。誰も彼もが幸せそうな顔をしている。笑顔が溢れている。
 音楽を奏でる人がいる。曲芸を見せる人がいる。風船を配る人、手品をして楽しませる人、物語を演じる人。情報屋が大声で内容を説明し、続きを気にする人に情報を売り渡す。
 どれもこれも普段なら目移りしそうなものばかり。だが、ソリスは知っている。こんな華やかな明るい世界の片隅に、取り残された闇があることを。
 店と店の間の路地裏。建物のお陰で光さえ差さないあの場所。誰も通りを気にしない。闇の向こうを見ようとしない。そこは現実から切り離された場所。封印された場所。それを見ないようにしているから、人々は笑っていられる。知らないから、自分の身に起きるわけがないことだと思っているから無視していられるその空間。
 細く狭く暗い空間。だが、それは確実に存在している。ゾッとする冷気を送って来る。
 封印したはずの過去の記憶が蘇りそうになるのを、ソリスは目の前のディアナの背中に集中することで押さえて足を進めていた。
 紺色の生地に、縁をなぞるように施された白い糸の刺繍。それは巡礼者の纏うローブ。
 そのローブを着てフードを被っているときは、商人達は話しかけたり呼び止めたりしては行けないことになっている。着ていても、フードを被っていなければ声をかけて商品を勧めても良いそうなのだが、何故そうなっているのかソリスは理由を知らない。
 ただ、知らなくとも、そういうものだと言うことは知っている。お陰で二人は誰かに呼び止められることなく足を進めることが出来た。
「ここよ……」
 そう言ってディアナが足を止めたのは、レンガ造りの自宅=店と言う形を取っている建物が立ち並ぶ一角だった。一階が店。二階、もしくは三階が自宅として使われていることが多い建物たちが並ぶその場所は、やはりそれなりに人通りも多く賑やかだった。
「ここなの?」
 思わず訊ね返す。隠れアジトの割には随分と堂々と建っている。その上、食欲をそそる焼きたてのパンの香りが漂って来るのだ。見ている傍で、何度も店のドアが開閉している。ここのパンの何々が美味しいだの、新商品は何かな。など、満面の笑みで訪れる客が多い。出て来る客の顔も、幸せそうな満足そうな顔が多い。
 それを見ているだけで評判の良い店なのだと察することは出来るが、少なくとも隠れアジトなどと言う胡散臭い雰囲気は微塵もない。
「大丈夫なの?」
「…………そのはず」
 若干いつもより間を空けて答えが返って来る。
 本当に大丈夫なのだろうかと、思わず心配になったそのとき、
「いつもありがとうございました」
 恰幅の良い四十代の男が、ドアを開けて女性客を見送った。
 まだ少し肌寒いような気がしなくもない時期に、既に半袖を着、白いエプロンをしている柔和な顔立ちの男だった。
「もし、少しいい?」
「ん? おや、これは小さな巡礼者さん」
 突然ディアナが男に話し掛ける。話し掛けられた方は、こちらが巡礼者の格好をしていた為、一瞬戸惑いを顔に浮かべた。
「フードを被っているときは話し掛けてはいけないよ。願い事が叶わなくなるからね」
 ああ、そういう意味なんだ。と、違うことで感心しているソリスの目の前で、ディアナは無造作にフードを取った。
「ねぇ、おじさん。ライオンの鬣(たてがみ)って何色だか知っている?」
「たてがみ?」
 余りと言えば余りに唐突な問い掛けに、パン屋の店主は戸惑い気味に繰り返す。
 その反応を見て、ディアナが困惑するのがソリスには判った。
 少しだけ眉間に皺を寄せて小首を傾げる。
「んー、ライオンの鬣は黄土色か金色じゃないかな?」
「他にはない?」
「他にはないんじゃないか? 何だ、お嬢さん。お嬢さんはライオン見たことがないのかい? まぁ、あれは図書館に行かなければもうお目に掛からない生き物だからねぇ。
 良く紋章なんぞに使われているが、それはそれは強い動物だったそうだ。皆それにあやかりたいんだろうなぁ。実物は見られないが、確か本にはそうやって書いていたと思うぞ」
 と、懇切丁寧に聞いてもいないことを説明してくれる。
 だが、問題はそんなことではなかった。
 合言葉が通じない?!
 ソリスとディアナは互いに顔を見合わせて戸惑った。
 正解を口にしないまでも、中に入れてくれると思ったのだが、それすらない。
 もしかして、本当に間違えたのか? それとも、自分達が『銀の鬣』の人間だと知らなくて誤魔化そうとしているのか?
 その疑問はディアナも考えたらしく、『おじさん』と呼びかけると、ローブの間からチラリと『銀の鬣』の印を見せた。
「そ、それは……」
 途端に顔色を変えるパン屋の店主。だとしてもそれは、ソリスとディアナが望むような反応ではなかった。顔色は蒼褪め、身を反らしている。露骨な動揺。焦り。顔が強張り、震え出しそうな勢いだった。
 何かがおかしい。危ないかもしれないと思っていると、更なる追い討ちがやって来た。
「おい。この容姿の娘達を見なかったか」
『!!』
その男の出現は、ソリスとディアナ。パン屋の店主三人を同時に脅かした。
 黒のマントに銀色の天秤の刺繍。
 それを羽織るものは『審判者』。その場で罪人を裁き、死刑にさえ出来る特権を持った者。
 そして、その『審判者』が手にしている紙に描かれているのは、紛れもなくソリスとディアナの似顔絵。それもかなり特徴を押さえたものだった。
 息が止まった。心臓が凍りついたかと思った。背筋に悪寒が走った。
「どうした?」
 と『審判者』がパン屋の主人に尋ねれば、パン屋の主人は、口をあわあわさせて、ぎこちなくソリスとディアナを見て来た。その不審な行動に『審判者』がこちらを向く―と分かった瞬間、
「行くよ……」
 ディアナはソリスの手を掴んで走り出していた。
 後ろで、パン屋の主人が「あいつらです!」と二人の正体を『審判者』達に知らせているのが聴こえた。『追うぞ』と言う声が聞こえて、追って来る気配がした。
 こうなってしまえば形振りなど構っていられなかった。ローブを翻して疾走する。
 和やかに歩いている男女の間を引き裂き、店先で談話している男を突き飛ばす。
 罵倒や悲鳴を聞き流し、人混みに紛れるようにひたすら走る。
「そいつらを捕まえろ!」
 背後で上がる怒声は『審判者』の物なのか、何かしらの被害を受けた通行人の物なのか分からない。分かっていることはただ一つ。捕まったら最期ということ。
 それ故に、二人は走った。慌てふためく通行人の間を駆け抜け、自分達を捕まえようと立ちはだかる一般人を蹴り飛ばし、飛び越えて、何度も何度も路地を曲がり、自分達がどこをどう走っているのかすら分からなくなるほどひたすら走り、何度目かの路地裏を曲がったとき、二人は愕然とした。
 曲がった先が行き止まりだった。登ることなど不可能なほど高いレンガの壁が三方を囲み、背後からは追っ手の足音が近付いて来る。
「ど、どうしよう」
 肩で荒い息を吐きながら、泣きそうな気分で問い掛けるソリス。
 対してディアナは、辛そうにも、苛立っているようにも見える表情を浮かべながら考えを巡らせた。何人の『審判者』が追って来ているか分からない以上、戦力差がどれだけあるのか。勝算はどれほどか。勝っても力尽きて倒れたら意味がない。何とかしてここを登るか? と、無謀なことを考えたときだった。
「こっちにおいで、お嬢ちゃんたち!」
 まさに不意打ち。突然横から伸びて来た手に捕まえられて、二人は壁の奥へと引き込まれた。


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