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作品名:天邪鬼の帰る場所 作者:橘 紫綺

第8回 第三章『天邪鬼になった理由』A

「なぁ、縁。まだ怒っているのか」
 時は昼餉を終えて暫くしての頃。場所は村長宅の客間――の縁側。
 ひょんなことから、村長宅で村人たちの薬の調合を頼まれ、最後の一人がようやく帰った頃。誰もいなくなったのを見計らって、探るように深が問い掛けるも、答えは沈黙で返って来た。
 別に縁が、深に相手にされないことを恨んで、不貞腐れてどこかへ飛んで行ったからと言うわけではない。茅葺(かやぶき)屋根の上に止まっていることは分かっているが、村人たちがいる間中、縁は一言も言葉を発しなかったのだ。
(やれやれ困ったものだ。そこまで不満の抗議をしなくてもいいだろうに……)
 うんともすんとも言わない相棒の徹底した態度に、思わず深の口から溜め息が洩れる。
 だが、縁がそんな態度を取る原因は深にもあった。
 それは縁が障子をぶち破って出て行った後のこと、朝餉の場で村長があることを提案したことが切っ掛けだった。
「もしも急ぎの用がないようでしたら、五平の様子を暫く見てもらえないものでしょうか? 勿論報酬はお支払いいたします」
 それに対して深は答えた。
「ああ、俺は構わない。二、三日ならば問題はない……だろう」
 と、答える間に、無言で朝餉を食べていた縁に凄まじい目で睨まれた。
 それも無理もない。早く出て行こうと言っていた縁の傍で、露骨に足止めを提案して来た村長に、あっさりと深が乗ったのだ。怒るなと言う方が難しいだろう。
 だからこそ、臍を曲げられるとは思っていたが、ここまで徹底して口を開かないとは深も思っていなかった。
(きっと、今朝の事がなければここまで意地も張らなかったかもしれないが……)
 今更からかったことを後悔したところで意味がないと切り替えて、溜め息を吐く。
「なぁ、縁。そろそろ機嫌を直したらどうだ? お前の意見を知っていながら村長の申し出を受けた俺も悪いが、お前だって一応、五平のところへ付いて来たじゃないか」
《…………》
「まぁ、その後、ここで村人たちの手当てやら何やらをずっとやっていたことも気に入らないのかもしれないが、頼られたものを断るわけにはいかないだろ」
《…………》
「お前が静かだと調子が狂うんだけどな……」
 と、様子を窺うように、屋根越しに見上げて話し掛けてみるが――
《…………》
 縁は無言で一言も発しなかった。
(……やっぱり駄目か。これは暫く放って置くに限るな……)
 溜め息と共に深は悟った。普段はぎゃあぎゃあうるさいと思うこともあるが、一度無言になってしまうと、それはそれで落ち着かない。
 だからと言って、不用意に声を掛けると、ますます意地を張られてしまう。
 だが、一言も返して来ない一方で、深の傍を離れようともしない。
 昨夜骨折を治した五平のところへ行くときも、無言を貫きつつも深について来た。
 再び村長宅へ帰って来るときも普通について来た。
 愛想を尽かしてどこかへ行くつもりだけはないようだと思えば、そっとしておくしか解決策はないな。と結論付ける。
 それにしても……と、深は思う。
(縁が喋らないと、本当に静かなんだな……)
 そうさせてしまった原因が自分にあることは分かっているが、しみじみと思わざるを得なかった。耳を澄ませばどこからともなく子供たちの笑い声や泣き声が聞こえて来た。
 カタン トントン と、機を織る音も聞こえて来る。
 涼しげな風が吹き抜けて、庭の木々を揺らし、放し飼いのニワトリが悠々と横切って行く。途中、《何見てんだよ》と言わんばかりの雄鶏に睨みつけられもした。雀が降り立ち、地面を啄ばみ、良く晴れた空を白雲がゆっくりと渡っていた。
 長閑だった。どこからどう見ても、普通の村だった。
 だが、異質な存在が一人いた。
 与依だ。
 与依はこの村の中で『天邪鬼』と呼ばれていた。
 昨夜、与依のことを詫びた村長の顔は、どこか疲れ果てていた。
 同じ囲炉裏を囲んでいた別の男は、怒りも露に与依の所業を口にし、別な男は困り果てたと言わんばかりの表情を浮かべていた。その後ろで、村長の妻と、娘らしき女が、居た堪れなさそうな悲しそうな顔をして話を聞いていて、それだけで与依が、村にとって持て余されている存在だと言う事が深には知れた。
 事実、話を聞く限り持て余しているようだった。
 別にいつも悪さをするわけではないのだが、とにかく嘘を吐く。頼んだこととは別のことをする。人を騙す。貶める。
 だが、いつもいつもそんなことをしているわけではないらしい。
 基本的に与依は村人と関わろうとしない。常に一人で、滅多に村の中にもいない。
 当然のことながら、村全体でやる農作業も手伝わず、子守をするわけでもなければ機を織ることもない。だからと言って、山で山菜を摘んで来るわけでもない。
 口を開けば悪態ばかり。ある日怪我をしているのを見つけた村の女が心配して声を掛ければ、山で野盗に襲われたと訴え、村中を混乱に陥れた。
 ある日男が困っていると、珍しく親身に話を聞いたかと思えば、全くのでたらめを吹き込んだ。
 そんな事が続いたある日、明らかに嘘だと言わんばかりの口調で、『熊が山から下りて来た』と吹聴して歩いて来た。どうせいつものでまかせだと思い込み、何の対策もしていない村人たちの眼に、本当に熊が飛び込んで来た。
 幸いその時は、隣村の猟師が村長宅にやって来ていたため、見事に仕留めて大きな被害は出なかったが、一歩間違えればどんなことになっていたかと、村人たちの肝を冷やした。
 そんなことを繰り返す度、村人達は与依の言葉を信じればいいのか、疑えばいいのか分からなくなり、次第に遠巻きに見るようになった。
 その上、人間関係が希薄になった与依は、食料を得るために畑を荒らすようになった。
 何故盗人のようなことをする?! と問い掛ければ、
 喰わねば死ぬ――と、抜け抜けと言い放つ。
 下手に食い荒らされるよりはと、毎日食材を与依の家に運ぶようになったらしく、お陰で畑を荒らすことはなくなったらしいが、そんなことを続けて行った結果、誰も与依に関わろうとしなくなってしまったらしい。
 当然のことながら、そんな与依を親はどうしているのかと疑問が湧いた深が訊ねた。
 しかし、村人たちは一様に口を噤み、俯いた。挙句に、強引に話を逸らされてしまえば深はそれ以上問い掛けるわけには行かなかった。何分その時は、翌日にはすぐ旅立つつもりだったからだ。
 それが昨晩、与依がやって来て忠告して来た。そして、両親がいないことを知らされた。
 両親も居らず、いつの頃から独りで暮らして来たのか知らないが、村人たちからは腫れ物扱い、基本的に誰とも関わらずずっと暮らして来たのだとしたら、その孤独感はいか程のものか。
 大の大人でも孤独に耐えるのは難しい。元々独りが好きだと言うのならそれほどでもないだろう。元々周りに誰もいないと言うのなら、孤独が当たり前のものとして受け入れ続けることも難しくはないだろう。
 だが、元々が違うのだ。元々は村人の一員として受け入れられて来たのだ。優しくされて、共に笑いあって、泣けば慰められて宥められ、分け与えられて、分け合って、それが当たり前の子供時代を過ごし、何かを切っ掛けに全てを失った。
 人は、元々知らないものに対しては執着心など抱かない。興味も持たない。知らないのだから持つわけがないのだ。
 だが、一度知ってしまったら最後。それらを失い、再び得ようとしても取り戻せなかったとき、その絶望はいかなるものか。どれだけ苦しんだものか。それもたった一人で。誰に助けてもらえることもなく――
 それ相応に歳経た人間ならばどうにか対処も出来ただろう。中には、下手に歳を重ねたせいでどうにも出来なくなる者もいるかもしれないが、少なくとも与依はまだ子供だ。そんな子供が一人で背負うには重過ぎる。
 それでも与依は、深に逃げろと忠告して来た。
 それがどういう意味なのか分からない。この村に何があるのか分からない。一度は騙して村から遠ざけようとしたのは、深をこの村に寄り付かせないようにしたためか。
 村人たちが『天邪鬼』と呼ぶ少女が、見ず知らずの人間を守る理由がどこにあるのか。
 深は気になった。けして興味本位ではない。ただ、自分の力で救えるものなら、少しでも救ってやりたいと思った。
 初めて出会ったときの驚きの表情が。
 初めて縁のことを聞いて笑った子供らしい表情が。
 深の問い掛けに対して、嘘を吐いていることを誤魔化そうとした表情が。
 村長たちに引きずり出され、責められていたときに噛み付いた怒りの表情が。
 深の顔を見て、動揺した表情が。
 深によって情けを掛けられたことを拒絶したときの表情が。
 そして、真剣な顔で忠告して来た昨夜の与依の表情が。
 今目の前にあるかのように、鮮明に頭の中を駆け巡った。
(出会ったのも何かの縁。きっと何か出来るはず)
 無意識に握られた拳に力を籠めて思ったとき、声は突然掛けられた。
「あ、あの。あんたが昨日やって来た薬師さんか?」
 それは一人の少年だった。歳の頃は十六ほどか。背は深より頭一つ分ほど低い。
 短い黒髪に、意志の強そうな真っ直ぐな眼をした、実直そうな顔立ちの少年だった。
 紺色の着物に、深緑色の袴。白の脚絆に草履を履いて、何故か昨夜与依が立っていた場所に立っていた。
「え〜っと、君は?」
「おいらは、歴(れき)」
「歴?」
「そう。この村のもんだ」
 だろうね……という応えは飲み込んで、深は訊ねた。
「君もどこか具合が悪いのか? それとも誰かの為に薬が必要なのか?」
 すると歴は一瞬逡巡したのち、意を決したかのように口を開いた。
「人が変わる病気って、あるもんなのか?!」
 咄嗟に深は答えられなかった。
 人の振る舞いや性格が別人のように変わってしまう現象がないわけではないが、その多くは何かの憑き物としてお祓いなどを受ける。そこには薬師の出る幕はない。
 だが、それを簡単に告げてしまうには、歴の眼は真剣過ぎた。
「なぁ、あるのか? もしあるとしたら、それを治す薬はあるのか?」
 柵に手をかけて、体を前のめりにさせて、焦りすら滲ませて問われると、深は立ち上がって歴に近付いた。
「もしも『ある』と言ったら、君は誰を治したいんだ?」
 見上げて来る歴を見下ろして、深は訊ねた。
 歴は、視線を外さずに答えた。
「おいらは与依を助けたいんだ。村のもんじゃ話にならない。でもあんたなら、与依のことを庇ってくれたあんたなら、もしかしたら与依のことを助けられるかもしれない。だから、もしも本当に、人が変わってしまった人間を元に戻す薬を持っているなら、与依を助けてやってくれ!」
 そして頭を下げる歴を見て、深は言った。
「とりあえず、詳しい話を聞かせてくれるかい?」
 歴は力強く頷いた。


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