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作品名:天邪鬼の帰る場所 作者:橘 紫綺

第16回 第六章『不穏な状況』A

「俺に何か用かな?」
 村人の声に反応し、眼を開けた深が問い掛けると、
「へぇ。実は夕べ熱を出したもんが居りまして……。いつも飲ませている熱冷ましを与えて様子を見てたんですが、これが全く下がらねぇ」
「むしろ、夕べより熱が上がってるようで、是非一度、見ていただきたいと思いまして」
「…………ほう、熱が」
 表情を強張らせながら視線をあちこちに飛ばし、深を直接見ようとせずに説明する村人たち。どこかそわそわと、互いの顔だけはチラチラと見ながら、不安げな様子を醸し出す。
「も、勿論、代金はお支払いします」
「薬師様が村にいることを良いごどに、体よく使われていると思われるがも知れませんが、そんなごどはないんです。
 ただ、この村には医者と呼べる医者も居りません。薬草に関しても、詳しい知識がある者がいるわげでもありません。昔っから、この症状のときはこれを使っておげばいいってことぐらいしか分がらねぇから、言われだ通りの薬草が効がねぇと、どうすればいいのが分がらなぐなってしまうんです」
 ぴちょん、ぴちょんと、笠や蓑から落ちた水滴が、音を立てて土間に水溜りを作っていく。
「それは大層お困りのことだろう」
 深は淡々としながら、どことなく同情を含んだ声で応えると、「はい」と何故か項垂れる村人たちに、当然のように問い掛けた。
「ただ、俺がこの村に居ないときはどうしていたんだ?」
「そ、それは……」
 と、四十歳になろうと思われる男が口篭もり、
「橋を越えた向こうの村さ、薬師を呼びに行くだ」
 五十代の男がすかさず答えた。
「ただ、あんたさんも来たときに見たと思うが、雨の日は山の斜面が崩れ易ぐなってでな。土砂はこの四日ほどで片付いだだけんども、斜面の補強が終わってねぇ。そんな中あの道通ろうとするど、危ねぇ。それでも普段だば、そんなこと言ってらんねぇはんで行ぐんだが、今はほれ、何と言うが……」
「俺がいる」
『へぇ』
 言い難そうに口篭もる村人の後を引き継げば、男二人は申し訳なさそうに頷いた。
 対して深は答えた。
「診てやりたいのは山々なのだが、俺は今、ここを動くことが出来ないんだ」
「なぜ?!」
 四十ぐらいの男が切羽詰った声で反論した。
「あ、あんたが来てくれないと、おらは……」
「ただし、薬は差し上げよう。その人物は男か女か? 太めか細めか? 大人か子供か?
 その組み合わせによって、薬の量や種類は変わる。薬だけならすぐにでも渡せるが……」
 と、深が、泣きそうな顔をしている男に対して提案すると、
「……どうして今、こごがら動げねぇんだ?」
 五十代の男が不満を押し殺したような声音で問い掛けて来た。
 その眼は、先ほどまでとは違い、真っ直ぐに深に向けられていた。
 だからこそ、深はその眼を見返して答えた。
「待っているんだ」
「誰を?」
「与依殿と歴殿だ」
「何故?」
「この村を出るからだ」
「村を?!」
 露骨に眼を見張り、驚きの声を上げる男。その眼には微かに絶望の色さえ見て取れた。
「ああ。本来これほどまでに長居をするつもりもなかったのだが、与依殿の事があったからな。ここ何日か皆さんと与依殿の橋渡しになればと残っていたのだが、今は歴殿がいる。
 俺はもう用済みだ。だからと言って、何も言わずに出て行くわけにも行かない。
 故に、俺は今ここを離れるわけには行かないのだ」
「そんな……だったら、書き置きの一つでも残しておげば、いいんじゃねぇか?!」
 これは四十ぐらいの男。
「確かに、それも方法の一つだが、それでは誤解を与えることになりかねない」
「誤解?」
「あくまでも可能性の話だがな」
「だったら、その鳥っこを置いていけば良い」
「縁を?」
 突如、五十代の男が発した提案に、幾分驚きの声をあげる深。
「んだ。その鳥っこは人の言葉を話せるんだべ?」
「確かに話せるが……」
「だったら、その鳥っこば置いていけば良い。何も今生の別れになるわけじゃあねぇ。
 患者ぁの所に行って、診察し終わったらすぐに戻ってくればいいだけだべ? その間に歴と与依が帰って来だら、その鳥っこに説明させれば問題ねぇべ?」
「それはそうだが……だが、残念ながら、縁を独りにはしておけない」
「何故?!」
「昔約束したんだ。一緒にいると」
「鳥とだろ?」
「だとしても、約束は約束だ」
「あ、あんたそれでも薬師か!」
 とうとう五十代の男が怒声をあげた。
「熱下がらずに苦しんでる人いるのに、助けられる知識ありながら、鳥っこどの約束があるから置いては行げない? ガキども帰って来ないから出で行げない? そったらだ事言っでる間に、人様死んだらどうするんだ?!
 あんだにとっちゃあ、見ず知らずの人間だ。この村に立ち寄らなければ一生知らねぇ存在だ。そんなのが死んだどごろで、痛くもかゆくもねぇがもしんねぇけど、わしらには大事な仲間なんだ。なして助けでもらわいねぇ!!」
「頼む。この通りだ。後生だから、一度一緒に付いて来てくれ!」
 怒鳴り散らしながら懇願する五十代の男の横で、四十ぐらいの男が土下座して頭を下げた。そんな村人二人の様子を、少し眉間に皺を寄せながら深が見ているのを見て、縁は焦っていた。
 深が縁のことを思ってくれているのは嬉しいが、そのせいで村人たちに恨まれるのは縁の望むところではない。
 人間というものは、初めはちやほやともてはやしてご機嫌伺いをするが、それで思い通りにならないと、今度は潰しにかかる生き物だということを、縁はよく知っている。
 このまま深が、もう一度村人たちの申し出を受け入れなければ、そこから村人たちの攻撃は本格的になるだろう。
 それを深は『仕方のないこと』として、受け止めてしまうのだ。
 深は何も悪くないのに、勝手に助けてもらえると思い込んで、思い通りにならないと逆恨みする方が悪いのに、向けられた全ての感情を受け止めて、何でもないことのように次の町や村へと向かうのだ。
『このくらいのこと。昔の自分がして来たことに比べたら、まだまだ可愛いもの』
 かつて深はそう言って、深の代わりに怒り狂った縁を宥めたことがある。
 そのとき縁は見たのだ。自分の代わりに怒ってくれる存在がいることを喜んでいる一方で、深い悲しみを瞳の奥に沈めている深を。
 縁はいつも深に守ってもらって来ていた。
 どんなに我がままを言っても、最終的には縁の望みを叶えてくれて来た。
 そんな深を、自分のせいで悲しませたくはなかった。
 自分との約束のせいで傷つけさせたくはなかった。
 何より、深に嫌われたくなかった。恨まれたくなかった。足を引っ張りたくなかった。
 だから縁は口を開いた。
《いけばいい》
「縁?」
 深が軽く眼を見張って見下ろして来る。
 対して縁は、視線を逸らしながら、つっけんどんに言い放った。
《いって、さっさともどってくればいい》
「縁。お前……何を言っているのか分かっているのか?」
《わかってるさ》
 右手を突き、体をやや縁寄りに傾けて念を押されれば、尚更ぶっきら棒に言い放つ。
《オレサマだって、るすばんのひとつぐらいできるさ》
「本当か?」
《しつれいな! どんだけふあんそーなコエだしてるんだ!》
「あ、いや、何か、意外だったから……」
《そんなにか?! そんなにイガイなのか?!》
 つい、べしべしと、翼で床を叩き抗議をすれば、
「いや、すまない。ただ少し……な」
《なんだよ。なにがきになるんだよ。どーせおまえがかえってこないかぎり、オレサマはここから出るつもりはないし、おまえについて雨のなかとびたくないし。
 べつにオマエとのちんもくがたえられないから、ちょーどいーっておもってるわけじゃないからな! って、いや、そーじゃなくて》
 独りで勝手に喋って我に返り、慌てふためく縁。
 それを暫く見守って、深はふと口元に笑みを浮かべると、
「そうか。分かった。じゃあ、少し行って来よう」
 一度くしゃりと縁の頭を撫でると、すっくと立ち上がり、深は宣言した。
《お、オレサマはべつにきまずいとかって、おもってないからな! ほんとだからな!》
「大丈夫だ。お前なりに気を遣ってくれたんだろ。分かってるよ」
 嘘ではないが、本当だと思われて気分を悪くされたら堪らないと、慌てて弁解すれば、深はふっと笑って答えた。
《ほんとか? ほんとーにわかっているのか?》
「分かってる分かってる。だからこそ行って来る」
「ほ、本当ですか?」
「ああ」
 一連のやり取りを見守っていた四十ぐらいの男が、恐る恐る念を押してくれば、深はしっかりとした声で頷いた。
「だったら話は早ぇ。んじゃ、早速行きましょう」
 と、逸早く表に出たのは五十代の男。
 それを見て、《オマエはとりあえずさきにあやまれ!》と不満をぶつけようとしたところを、敏感に察した深によって止められる。
「じゃあ、行って来るから、くれぐれも気をつけろよ。
 何かあったら、雨に濡れるのは嫌だなんて言わずに山の中にでも隠れるんだぞ」
《ヤだよ!》
 間髪入れずに拒絶する。
「そっか。それでも、本当に危ないと思ったらそうしろよ?
 そうそう。蓑と笠を借りて行くから、そのことも与依殿と歴殿が戻って来たら伝えておいてくれ」
《わかったよ。さっさといって、もどってこい》
「ああ。じゃあ行って来る」
 そう言い置いて、深は与依の家を後にした。
 ぱたりと閉められた戸口を見て、正真正銘の独りになってしまったと自覚した瞬間、縁は足元から這い上がる寒気を感じた。
 自分が望んでそうしたというにも拘らず、改めて独りなのだと実感した途端、それまでどうと思うことなく寝起きしていた家の中が、別なものに変わったような気がした。
 キョロキョロと周囲を見渡し、この家がこんなにも広かったか? と首を傾げる。
 家にぶつかる雨音がやけに大きく聞こえ、それまで聞こえていなかった隙間風まで聞こえて来たなら、急激に縁は心細くなっていた。
 やっぱり、行って来いなんて言わなければ良かったと、早くも後悔し始める。
 いつも傍にいた人間が居なくなるのは本当に不安だった。
(そう言えば、どこに行くのかも聞いていなかったな。もしも深の身に何かがあって、二度とここへ帰って来なかったら、オレは一体どうすればいいんだ?)
 不思議なもので、独りになった瞬間、悪い方向へ悪い方向へと考えが流れて行く。
(もしもそんなことになったら、この村の人間を誰一人として許してやらないぞ)
 そう心に固く誓いながら、縁はウロウロと家の中を歩き回っていた。
 ただ独り、静かにしていると沈黙に飲み込まれそうで怖かったのだ。
 無理矢理にでも気持ちを持ち上げて、色んなことに対しての不平不満を並べ立てて行く。
 そうすることで、落ち込みそうになる気持ちを誤魔化すことが出来ていた。
 だが、それでも独りであることに違いはない。
 うるさいし、面白くなかったし、面倒だと思ったし、腹も立ったりしたが、与依と歴と深の四人で過ごした日々は、思い返せば悪くないとも思った。
 与依がやたらと深に懐いて、深もそれを許して、まるで本当の親子のようなやり取りを見せ付けられて、縁は与依に、深が取られたような気がしていた。
 だから深がこのままここに居座ってしまったら、自分のことなどどうでも良くなるんじゃないだろうかと思い、つい我がままを言ってしまった。
 そのせいで与依は飛び出し、歴も後を追って出て行った。
 ふと、祠の前で泣きじゃくっていた与依の姿を思い出す。
 深と与依とのやり取りを思い出す。
 初めこそ、自業自得だと思っていたが、今こうして独りになってみると、何となく与依の気持ちが分かるような気がした。
(寂しかったんだな、あの娘も……。
 だから復讐したかったんだ、誰も守ってくれなかったから……)
 そして、ほんの少しだけ、縁は与依に同情した。
 そのときだった。突然乱暴に戸が開けられ、雨音が大きくなったのは。
《な、なんだ? いまはだれもいないぞ! よ、よーけんだけはきいておいてやるから、でなおしてこい!》
 先ほどと同じように、藁の笠を被り、蓑を来た若そうな男たちの訪問に、怯えながらも用件を告げる縁。すると、
「本当だ。本当に鳥が喋っている」
「あの羽の色。あれだけでも価値はある」
 どかどかと、当然のように五人の男が入り込んで来た。
《な、なんなんだ、おまえたち! こ、ここにはいま、だれもいないといっただろ!》
 何となく、嫌な予感がして天井高く飛び上がりながら問い掛ければ、男たちは無言で天井を見上げて来た。
 ゾッとした。縁の中で本能が危険を知らせていた。
(ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ。何だかとってもヤバイ!)
 だが、唯一の出入り口は、男たちの後ろにあり、しかも御丁寧に閉められて、どこから持って来たものか、戸板までかけられてしまった。
 これでは隙を突いて出て行くことも出来ない。
 直後、深が念を押して出て行ったのは、こういう可能性を懸念していたからか! と察するも、時既に遅し。
 今まで常に深と一緒だったため、つい油断していたが、縁は普通の鳥ではないのだ。
(逃げなくちゃ! なんとしてでも逃げなくちゃ!)
 男たちが手に手に大きな布袋を広げて持ち始めたのを見ながら、縁は本気で考えた。
《お、おまえたち! こんなことしてただですむとおもっているのか?! オレサマをつかまえでもしたら、シンがぜったいにゆるさないんだからな!》
 だが、村人たちとは明らかに毛色の違う男たちは、ただ静かに縁に狙いを定め、
「――行け」
 号令一つで、一斉に動き出した。


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