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作品名:天邪鬼の帰る場所 作者:橘 紫綺

第15回 第六章『不穏な状況』@

《……かえってこないな》
「そうだな」
 バラバラと、激しく降り続ける雨を見詰め、縁がポツリと呟けば、その隣で框に腰を下ろしながら深は静かに同意した。
 与依を追って歴が出て行ってから、だいぶ時が経っていた。
 それこそ初めは、二人がいなくなった瞬間、この村から出ようと縁はごねていたが、瞬く間に土砂降りの雨になったら静かになった。
 基本、雨に濡れるのも嫌いなのだ。
 それこそ、いますぐ出て行こうと、急かしていたことすら取りやめてしまうほど、縁は雨に濡れることを嫌っていた。
 結果、理由はともかく、縁と深は今も与依の家に居残っていた。
《…………》
「…………」
 そして、二人の間には沈黙が降り立ち、聞こえて来るのは地面を叩く雨の音ばかり。
 つい先ほどまで明るかった外も、分厚く垂れ込めた雨雲のせいで薄暗く、地面は黒く彩られていた。
 当然のことながら家の中も薄暗いが、深は灯りを点けようとはしなかった。
 そして一人と一羽の間に、会話はなかった。
 怒っているのかな……
 縁はチラリと深を見上げて顔色を窺った。
 だが、元々表情の変化に乏しい深の顔を見ても、縁には怒っているのかどうか分からなかった。
 深はずっと目を閉じていた。別に眠っているわけではない証拠に、縁が何かを呟けば相槌だけは返してくれていた。
 深の左横には薬箱が置かれ、深は錫杖を抱き込むようにして微動だにしなかった。
 一応、出発するという言葉が嘘などではないことを示すように、足には脚絆が巻かれ草履が履かれている。
 我がままを言い過ぎたのかな……
 何も言わない・言えない沈黙が、縁は堪らなく嫌だった。
 ヒトリだったら問題はない。だが、相手がいての沈黙は、心底居心地が悪かった。
 だからと言って、普段のように話しかけて、素っ気無い答えが返って来たら耐えられない。
 今となっては深しか頼れる人間はいないのだから。
 いや、元々深と出会うまで頼れる人間などいなかった。
 自分が何故、人の言葉を理解出来て喋ることが出来るのか縁は知らない。
 ただ、気が付いたら見世物小屋にいた。どうやってそこに行き着いたのかも覚えてはいないが、縁はそこで『人鳥(じんちょう)』と呼ばれて見世物にされていた。
 気味悪がられて面白がられて、恐怖と好奇の目に晒され続けた。
 やりたくもない芸をさせられて、喋りたくもないのに喋らせられた。
 足には鎖が取り付けられて自由には逃げ出せない。
 それでも一度だけ、奇跡的に逃げ出せたことがあった。
 その日は、酷い雨が降っていた。雷も何度も鳴って稲妻が走っていた。
 だからだろう。誰もこんな天気に逃げ出すとは思わなかったのだ。
 だが、縁は逃げた。雨だろうと何だろうと構うものかと。
 不味い飯を食わされ、人間どもの目に晒されて、思うように行動をしなければ棒で叩かれ、逆さまに焚き火の上に吊るされたこともある。そんな生き物を生き物として扱わない連中の下から逃げ出すことがどれだけの価値があるものか。
 縁は一羽ばたきするたびに、心が弾むのを感じていた。
 開放感を感じていた。自分は自由になるのだと、本気で思っていた。
 だから、森の中に逃げ込んで、ホッと一息吐いたとき、ふと寒気を感じた。
 それは今まで感じたことのない寒気だった。
 考えても見れば、それまで縁は雨に濡れるということを体験した事がなかった。
 見世物小屋で暑いときは、水浴びぐらいはしたこともあるが、長時間雨に打たれるという経験は初めてだった。
 そのため、自分の身に何が起きているのか縁には分からなかった。
 ただ、寒いので温かい場所を探して森の中を飛んでいた。
 森の中は暗かった。影の濃淡しか見て取れず、雨はパラパラと降り注いでいる。
 まるで見知らぬ空間に、縁はじわじわと自由を勝ち取った喜びが萎えて行くのを感じていた。逆に、徐々に恐怖を覚えて行った。
 見世物小屋の外は予想以上に広かったのだ。
 どこに行けば何があるのか分からない。何も分からない事が恐怖心を更に煽った。
 挙句に、腹まで空腹を訴え始めたなら、縁は困ってとりあえず飛ぶことを止めた。
 一体どこに行けば食べ物を得る事が出来るのか、縁には分からなかった。
 寒いし腹は減るし、ここがどこかも分からなければ、どこへ行けばいいのかも分からない。何だかんだ言ったところで、見世物小屋にいる分には、寝床も食事も行き先もとりあえず分かっていた。
 考えようによっては、見世物小屋は良い環境だったのか……とは思うが、だからと言って帰りたくはなかった。
 どうしたものかと途方にくれたその時、縁は生まれて初めての殺気と言うものを感じた。
 何が何だか分からないままに、本能に突き動かされて飛び立てば、刹那のときを経て、枝のしなる音がした。
 振り返るとそこには、縁より大きく、険悪な目つきの鳥がいた。
 鳥は狙いを縁に定めながら言った。
《てめぇ、ひとのなわばりでなにしてやがる》
 縁はとりあえず、知らなかったことを説明し、何度も謝って、少し休ませて欲しいと頼んだのだが、鳥には受け入れてもらえなかった。その鳥が何の鳥なのか縁にははっきり言って分からなかったが、少なくとも安全な生き物ではないと言うことだけは理解できた。
 理解できた頃には、必死になってその鳥から逃げ回ることになっていた。
 鳥は容赦なく縁を追い掛け回した。それこそ、甚振るかのように縁に体当たりをし、時には爪で背中を引っ掻き、必要に威嚇した。
 縁は殺されるのだと思った。そんなのは絶対に嫌だと悲鳴をあげて飛び続けた。
 そして、ふと気が付くと、縁はただ一羽で飛んでいた。
 鳥が諦めたのか、縁が縄張りから抜けたからなのか、それ以上鳥が追いかけてくることはなかった。
 手近な枝に舞い降りると、ホッと安堵し、不意に泣きたくなっていた。
 怖かったのだ。本気で殺されるかと思ったのだ。
 外に出れば自由が待っているはずだと思っていたのに、どうしてこんなにも怖い思いをしなければならないのかと思うと、不意に泣きたくなっていた。
 その内、恐怖と恐怖からの解放と、未だかつてないほど長時間飛んだことでの疲れが出たのだろう。気が付くと縁は深い眠りに落ちていて――
 次に目を覚ましたのは、バン! という、身の毛もよだつ音のせいだった。
 寝起きに聞かされる大きな音に、驚き戸惑い、反射的に飛び立てば、縁が止まっていた枝の少し上の幹に、小さな穴が開いていた。
 一体何が起きたのかと、周囲を見回してみれば、いつの間にか森の中は柔らかい光が差し込み、夜が開けたことを示していた。そして、銃を構えている人間を目にした瞬間、縁はゾッとした。自分が猟師に狙われているのだと理解したからだ。
 鳥の次は人間か!
 縁は悲鳴をあげながら逃げ回った。
 だが、元々見世物小屋の中でしか飛ぶことのなかった縁だ。正直、すぐに体力の限界が来た。鳥にあるまじきことだと言う自覚はなかったが、翼が重くて羽ばたけなくなると、その度に縁は飛ぶことを止めた。そして、その度に銃弾が縁の傍を通って行き、犬が下から吠えて来た。
 凶悪な犬だった。涎を垂らし、鋭い牙を見せ、落ちて来やがれとばかりに、縁の止まっている木の幹に足を付いて立ち上がっていた。
 つい食い殺される自分の姿を想像した縁は、心の底から恐怖を感じて飛び出した。
 右に左に、時には木の幹に激突しそうになりながら、縁は逃げた。
 だが、人間と犬はしつこかった。
 そして、何度目かの銃声がしたとき、縁は翼に衝撃を感じた。
 翼が持っていかれ、自分の進路が制御できずに木立に激突。
 目の前に星が飛び、成す術なく縁は落ちた。
 動こうにもすぐに動くことが出来なかった。
 そうしている内にも犬と人間がやって来る。早く動かなければ殺される。
 縁は焦った。未だかつてないほど焦った。
 だが、体は動かない。翼はピクリとも動かなかった。
 それでも地面を通じて、犬と人間が近づいて来るのが分かった。
 縁は必死に助けを求めた。死にたくないと訴えた。
 助けて、助けてと《声》を上げて助けを求めたなら――
 茂みを掻き分けて、凶悪な犬が飛び出して来た。
 もう、何もかもが終わりだと縁は思った。
 ただ自由が欲しかっただけなのに、どうして自分はこんなところで食い殺されなければならないんだと、腹立たしさも覚えたが、それ以上に間近に迫った死が恐ろしくて仕方がなかった。
《や、やめろ。い、いやだ。しぬのは、いやだ!》
 そのときだった。犬とは反対側の茂みが揺れたかと思うと、縁の目の前に二本の足が見えた。見上げる。白装束に木箱を背負い、右手に錫杖を持った人間が立っていた。
 それが深との出会いだった。
 深は『助けを求めていたのは君か?』と、至極当然のように問いかけ、縁を抱き上げた。
 縁には何が起きているのか分からなかったが、そこで縁を追っていた猟師と深の間で一悶着がありはしたものの、結果的には縁は深が引き取ることになった。
 それから暫く、縁は深に付いて回った。
 深は『罪滅ぼし』と言う名目で旅をしていると言っていた。縁は意味が分からなかったが、深から嫌な感じはしなかったので、大人しく付いていった。
 その間、一言も縁は人間の言葉を話さなかった。何故そうしたのか自分でも良く分からない。おそらく気味悪がられたくなかったのだと見当付けているが、その間に縁は『縁』と言う名前を深から貰った。
『袖擦り合うも多少の縁という。名前がないのも不便だ。お前のことを『縁』と呼んでも構わないだろうか』
 そんな流れで、縁は縁になった。
 初めて自分に付けられた名前が、何故だかとても嬉しくて、縁は深のことを気に入った。
 だが、二人で旅をして十日あまりが過ぎた頃、ある事件が起きた。
 ふらりと立ち寄った町でのこと。縁が逃げ出した見世物小屋とばったり出くわしてしまったからたまらない。
 派手な外見の鳥がそこかしこにいるわけもなく、見世物小屋の人間に、縁は見付かった。
 盗人呼ばわりされる深。戻って来いと脅される縁。
 縁は深から離れなかった。殺気立つ空気に、客たちが遠巻きに見ている。
 見世物小屋の人間達は、喋る鳥である『人鳥』がいなくなったせいで稼ぎが減ったといちゃもんを付け、対して深は、見世物小屋の人間たちが掏りを働いていることを言い当ててしまった。実際、見世物小屋の人間達は、縁たちのようなものを見せている間に、注意が散漫になっている客から財布を抜き取り、小金を稼いでいた。
 それを言われてしまったなら商売上がったり。
 ふざけるなとばかりに繰り広げられる大乱闘。
 だが深は、頭の頭巾を取ると、まるで相手の動きが全て読めているかのように対処し――結果は圧勝に終わった。
 今となってはそれも納得できることだが、当時の縁には驚きでしかなかった。
 同時に、自分のために危険も顧みず、争いごとに首を突っ込む人間を初めて見て、縁は胸が熱くなった。
 縁が深から離れるまいと心に誓ったのはこの瞬間だった。
 そのお陰で、今縁は深と一緒に旅をしているのだが……
 深はお人よし過ぎるんだ。
 雨のせいで余計なことを思い出したとばかりに、再びチラリと深を見上げる縁。
 深は行く先々で何かしらに首を突っ込み、最終的には感謝よりも嫌悪を向けられ、村や町を後にして行く。
 それを傍で見ていると、あまりに痛々しく見えて、縁は放って置けなくなっていた。
 深が一体何の罪を背負っているのか縁には分からない。
 人混みは嫌いだと言って置きながら、不必要に人に関わろうとするし、争いごとにもどちらかと言えば率先して関わろうとする。
 それが一体どういう意味で罪滅ぼしに繋がるのか分からない。
 分からないのなら聞けばいいのだろうが、それで嫌われたくないと思っている縁には出来ないことだった。
 だからその分、縁が代わりに怒ることにしていた。深が余計なことに首を突っ込まなくてもいいように急かしまくって、次の村か町へと向かわせていた。
 野宿だけは昔の忌まわしい記憶のせいで心底嫌だから譲れないが、長居さえしなければ問題ないのだ。
 下手に長居をしてしまえば、最終的には周囲から気味悪がられる。
 本人は周りから気味悪がられたりしても気にしていないし、仕方がないと言っていたが、良いことをして憎まれ、気味悪がられることを本当に気にしない人間はいないのだ。
 それは皆口先だけの建前だ。それぐらいは縁にだって分かっていた。
 だから今回も、変に深入りする前に村を出ようと急かしたのだが……
 やっぱり怒っているのかな……
 縁自身、後ろめたさを感じているせいか、どこか周囲の者を拒絶するかのような雰囲気に見える深に、いつものように軽口が叩けなかった。
 こうなって来ると思うのは、さっさと帰って来いよ! と言う、歴と与依に対する不満だ。
 二人がさっさと帰って来さえすれば、物事は動くのだ。と言うか、むしろ今すぐ帰って来てと祈るような気持ちで戸口を見ていると、
「おお。本当にいらっしゃった」
 土砂降りの雨の中、藁笠に蓑をきた男たちが二人、軽い驚きの表情を浮かべてやって来た。


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