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作品名:天邪鬼の帰る場所 作者:橘 紫綺

第11回 第四章『天邪鬼の転機』A

「……な、なんで……」
 問い掛けた声が掠れていた。
 何故なら、もう二度と見るわけがないと思っていた深が、歩けば三歩の至近距離に当然のように立っていたからだ。
「どう……して、ここに……」
 思わず中腰になって問い掛ければ、深は頭の頭巾を取りながら、穏やかな表情と低く落ち着いた声で答えた。
「歴殿に聞いた。ここにいるだろうと」
「歴に? どうして?」
「人が変わってしまった人間を治す薬があったら、その人間のことを助けてやって欲しいと頼まれたんだ」
「なっ……」
 その瞬間、与依は咄嗟に何も返せなかった。
 無理もない、その相手こそ自分だったのだから。
 だからこそ、次の深の言葉を聞いたとき、与依は激しく動揺した。深は言ったのだ。
「そう。君のことだ、与依殿。そこで俺は君のことを聞いた。本当に大変だったな」
 それは、金槌で頭を殴られたような衝撃だった。
 知られた。
 知られてしまったと言う事が、どうしようもなく絶望的なもののように感じて、目の前が暗くなった。
「与依殿」
 深が一歩足を踏み出して来る。反射的に与依は後ずさった。
 叱られる――本能的に思った。
 叱られたり怒られたり怒鳴られたり罵られることはしょっちゅうだった。そんな中で、何故深に叱られることを、これほどまでに恐れているのか自分でも解らない。
 ただ、深には知って欲しくなかったと痛切に思ってしまった。
 昔の自分と変わってしまった今の自分のことなど、知らないままでいて欲しかったと。
 知らずに村を去って欲しいと思っていた。
 それなのに、深は知ってしまった。知った上で会いに来た。
 それがどういう意味なのか、与依には判らない。
「与依殿」
 深がまた一歩近付く。
 同じように一歩下がりながら、与依は逃げ場所を探して辺りを見回した。
 これ以上、下がってしまったら祠を越えてしまう。
 一人では祠を越えてはいけない――父親の忠告が蘇る。
 そのときだった。
「一人で祠を越えてはいけない――そう言われて来たんだね」
 与依は自分の耳を疑った。
 村の人間達は知っていることだが、少なくとも深に話した覚えはない。それなのに、何故知っているのかと眼を見張っていると、深はさらに衝撃的なことを口走った。
「俺には君の考えている事が分かるんだ」
 意味が分からなかった。
「そう。混乱するのは当然だ。本来ならばこんなことは言わない。言ってしまえば気味悪がられるだけだからな」
 一体何を言おうとしているのか、想像が付かなかった。
「俺はな、『サトリ』と呼ばれているモノだ」
「さ……とり?」
「君と同じようなものかな……」
「?」
「君は村の人間たちに『天邪鬼』と呼ばれているね。それは君が『天邪鬼』のようにあべこべの言動を取ったり、嘘を吐いて他人を困らせたりするからだ。
 それと同じように、俺は『サトリ』の力を受け継いでいる」
「……サトリって、何?」
「サトリと言う妖は、他人の考えていることを丸々読み取る事が出来るんだ」
「!」
 その告白は与依の想像を超えていた。
(人の考えている事が読み取れる?)
 それはつまり――
「上辺でどんなに誤魔化そうとも、どれだけ説得力のある嘘を吐いたとしても、俺の前では無駄だということだ。俺は他人が考えている本心を読み取れる。普段はこの『遮幕朧』のお陰でその力も押さえられるが、今は君の気持ちが知りたくて外させてもらっている。君が本当に『天邪鬼』の力を押し付けられてしまった人間なのか、それとも、自ら進んでその役に徹しているのか」
 与依は眼を見張って息を呑んだ。
 嫌だと思った。誰に考えを読まれたとしても、深にだけは嫌だと思った。
 嫌われたくないと強く思う。思ってからハッと気付く。それすら読まれてしまうことに気が付き、混乱した。
 混乱してしまえば、凄まじい勢いで様々なことが湯水のように溢れかえった。
 そうなってしまうとどうしようもなかった。思考の収拾など殆ど不可能。
 与依は泣きたくなって来た。もうお終いだと思った。
 思うと同時に膝から力が抜けて、ペタリとその場に座り込んだ。
 両手を突いて、がっくりと俯く。
 とてもではないが深の顔など見られるものではなかった。
 そんな与依の上から、深の淡々としながらも労わりの籠もった声が振って来る。
「申し訳ないと心から思う。本当に申し訳ない。俺なんかが立ち入るものではないと言うことは重々承知している。俺がどれだけ非道なことをしたのかも分かっている。
 どんなに詫びても許されるものではないと言うことも分かっている。
 だが、お陰ではっきりと分かった。
 君が『天邪鬼』と呼ばれるようになった行動は、君の意思ではない。
 君は俺と同様、『天邪鬼』に魅入られたんだ」
 その瞬間、一筋の光が差したような気がした。
 極自然に頭を上げると、頭に『遮幕朧』をしっかりと巻いた深が、片膝をついて見下ろしていた。
 今だかつて、村の誰一人気付かなかったことを、出会ったばかりの深が見破ってくれたのだ。
「辛かっただろう。自分自身が思うとおりにならなかったのは」
 見透かすかのような発言に、与依の頭の中は真っ白になった。
「寂しかっただろう。自分の気持ちが伝わらなかったことは」
 労わりの滲み出た微笑と声。
「悲しかっただろう。誰にも頼れなかったことは」
 手を伸ばせば届くほど近くに膝を付き、淡々とした口調で紡がれる言葉は、じわじわと与依の中に染み込んで行き――
「もう大丈夫。一緒に帰ろう」
 そっと差し出された深の手を見た瞬間、与依の両目から涙が溢れた。
 止めることなど不可能だった。
 分かってくれる人と出会えた事が、信じられないほどに嬉しかったのだ。
 死ぬまで現われないと思っていた。
 本当の意味で自分の苦しみを知ってくれる人など現われないと。
 別にそれならそれで良いと、与依は覚悟を決めていた。
 与依だって、村の人たちのことを許せていない。
 何も知らなかった頃の与依のように、何のわだかまりもなく笑って暮らすことなど不可能だと思っていたから。
 だから、誰に理解されなくても構わないと、ずっとずっと自分に言い聞かせて来た。
 自分が本当に思っていることと違うことを口走り、相手に誤解させて嫌われるのは、正直辛かった。ちくちく、ちくちく、胸に棘が刺さって行った。
 痛かった。気にするものかと思えば思うほど、その痛みは増していた。
 それでも与依は、気丈に振舞った。寂しさも辛さも悲しさも全て押し隠して、いつも不遜な態度を取って、悪ぶって。たとえそれが自分の意志とは真逆だったとしても、祠の神様に屈したくない一心で、たった独りで耐えて来た。
 誰にもそのことを知られないようにして、必死に独りで耐えて来た。
 だからこそ、歴の存在は疎ましかった。
 前以上に自分を守ると言ってくれる事が、何も知らないくせに、本当に辛い事が何なのかに気づかないくせに、そうやって一生懸命になっている歴を傷つけることしか出来ない自分を見るのが、嫌だった。
 だが、深の言葉は違った。深のことなど何も知らないはずなのに。その言葉に自分が癒されてしまったことを知ってしまった。
 心の澱が解け出るかのように、与依の涙は溢れて止まらなかった。
 いや、止められなかった。
 これまでずっと、泣くのを堪えていた反動のせいかもしれない。
 そっと差し出された深の手のせいかもしれない。
 初めて自分の苦しみを知ってくれたからかもしれない。
 泣いても良いと、言ってもらえたような気がした。
 頼ってくれても良いと、言ってもらえたような気がした。
 自分一人が耐え続けなくても良いと言われたような気がしたなら、緊張の糸が切れてしまった。
「俺は祓い師でも陰陽師でもない。ただの流れの薬師だ。だから、君に魅入った『天邪鬼』を追い出す方法は思いつかない。だが、それを逆手に取ることは出来る。その方法を皆が知れば、君はまた村の一員となる事が出来るんだ」
 与依は涙を拭いながら、ぎこちなく横に頭を振った。
「本当は君も分かっていたはずだ。ご両親のことは残念だが、村の人たちが皆で殺したわけではないと。初めこそ皆、君のことを心配していたと」
 しゃくりあげながら、再び左右に頭を振る。
「でも君は、誰かを恨まなければ耐えられなかったんだ。村中を憎むことで、君は生きて来られた。突然の変化に戸惑い、苦しみ、それを誰にも理解されなかったとしても、それでも頑張って生きて来た」
 静かな声が与依の心に染み渡る。
「本当は謝りたかったこともあるだろう。お礼を言いたかったこともあるだろう。でも、口を吐く言葉は真逆の感情だ。村人達は言われたとおりに受け取る。村人達も後ろめたいものがあるからな。だから誤解するしかなかった。君には弁解する術がなかった。だから、その方法を村中に教える。そうすればきっと、君の気持ちは――本当の君の気持ちは伝わる。独りで耐えなくても良いようになるんだ。本当に、よく独りで頑張って来た。お疲れ様」
 それが与依の限界だった。
 差し出されていた手で頭を撫でられたなら、与依は深にしがみ付いて泣きじゃくった。
 恥も外聞もあったものではない。まるで赤子のように泣きじゃくる与依を宥めるように、深は与依が落ち着くまで『大丈夫』と頭を撫でながら言い聞かせ続けた。
 その全てを、近くの枝に止まっていた縁は、ただ静かに見下ろしていた。


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