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作品名:天邪鬼の帰る場所 作者:橘 紫綺

第1回 ある日のこと

 人気の途絶えた村へと続く山道で、一人の娘が寂しそうに祠の横に座っていた。
 歳の頃は十二歳ほど。揃えられた前髪に首の後ろでちょこんと一つに束ねられた髪は黒。少し色褪せた紺色の生地に白い花の模様が描かれた着物はやや小さめで、脛から下が見えていた。腰の帯は煤けた赤色。同じ色の鼻緒がついた草履を履いて、娘は膝を抱えて腰掛け石に座っていた。
 時々、草履を重ねて素足の親指同士を絡ませて遊んでみる。だが、長くは続かず、村とは逆の方向へ視線を向けては、溜め息を吐いて再び視線を落とす。
 娘は父親の帰りを待っていた。
 村で取れた物や織った反物を、町まで行ってお金に換えて来るために、村の男達は二ヶ月に一度、この祠の前を通って町へと向かう。当然のことながら、帰りはこの道を通って帰って来る。だからこそ娘は今か今かと待ちきれず、村を飛び出し、そこで待っていた。
 だが、待てど暮らせど、父親達は帰って来なかった。
 何度道の先を伺い見ても、ちらりとも人の影は見えない。
「……お父……。いつ帰って来るんだ?」
 娘は寂しくて寂しくて、仕方がなかった。
 いつもいるはずの父親が、家の中にいないことが堪らなく寂しく、不安だった。
 別にそれは今回初めてのことではない。これまでも何度も経験していることだったし、父親が不在でも、村の大人たちは皆で助け合って生活をしている。そのため特別不自由なことは何もなかったし、母親も平然としているのだから、不安に思う必要などどこにもないのだが、それでも娘は毎回のように不安と寂しさを感じていた。
 娘は父親のことが大好きだった。大きな体に、男くさい顔。その顔に浮かぶ優しい笑顔。大きなごつごつとした働き者の手。低くて安心出来る声。何が起きてもきっと自分達を守ってくれる、どっしりとして落ち着いた存在。
 そんな父親が――いることが当然の父親がいない。
 囲炉裏を囲んでご飯を食べるとき、薄い布団を敷いて母親と並んで眠るとき、ぽっかりと開いた空間が、堪らなく寂しく思えた。同時に、このままずっと父親が欠けるようなことになったらどうしようかと、不安に駆られた。
 その度に母親からは、「心配性だねぇ。一体誰に似たのかしら」と溜め息混じりに笑われる。だとしても、娘にしてみれば、安心できるものではなかった。
 二度と自分を呼ぶ声を聞けなくなってしまうのではないかと思うと堪らない。
「……お母が楽観的過ぎるんだ……」
 頬を膨らませながら、娘は独り事を呟いた。
 直後、ザザザァと風が木々を揺らして行った。
 地面に落ちている陰がゆらゆらと姿を変える。
 ふと見上げれば、木々に覆われた狭い水色の空が見えた。
 夏の暑さもだいぶ和らいで来た時分。地面に落ちているのは、木の葉の影と、葉の隙間を縫って降り注ぐ陽光。ゆらゆらとキラキラと刻一刻と姿を変える様をじっと見詰める。
 時折心地良い風が通り過ぎ、その度に擦れ合う木の葉が囁き合う。
 鳥のさえずりがどこからともなく聞こえて来ていた。
 長閑過ぎる程、長閑だった。
「……お父、遅いな……」
 あまりにも平和で、誰も通らない道に独りぽつんと座り続けていたら、娘は呟かずにはいられなかった。
 抱え込んだ膝の上に顎を乗せて、真正面の茂みを見やる。
 自由気ままに伸びた草草。蝶や蜂が、花の蜜を求めて飛ぶのが見えた。
 時折、ずっと奥の木陰を何かの動物が通り過ぎる。
 熊や狼が出たと言う話は聞いていないので、特に警戒することもなく、その場で見るとはなしに眺めていると、ふと、自分が眠りかけていることに気がついた。
 ハッとして、いけない、いけないと頭を振る。
 このままでは眠ってしまう。せっかく出迎えようと思って待ち構えていたのに、眠ってしまっては意味がない。とりあえず何かをしなければと思い、辺りを見回す。
 そしてふと、自分の右隣にある小さな祠に眼が留まった。
 そして今更のように疑問が湧いて来た。
(そう言えば、この祠の中にはどんな神様がいるんだろう?)
 いつもいつも、父親たちは村を出るとき、この祠に両手を合わせる。そして、帰って来てからも両手を合わせる。毎日村の人達が、順番にお供え物をしている。
 娘も、そうすることが当然なのだと思っていたが、一体何の神様が住んでいるのか、娘は知らなかった。だからこそ、過去に一度父親に問い掛けたことがあった。
 その時父親は、こう答えた。
『この神様は、村の守り神なんだ。だから、こうやって大切にしていれば、いざと言うとき守ってくださる。でも、神様は嘘吐きや悪い事が嫌いだから、いつも正直に暮らしていかないと、オラ達のことを守って下さらない。だからな、お願い事をしたいなら、おめぇも嘘なんか吐かず、正直に良い子でいないと駄目なんだぞ』
 子供心に「そうなのか」と肝に銘じた覚えがある。
 だが、結局何の神様なのか分からずじまいだったことに気づいてしまった。
(……本当に、何の神様なんだろう?)
 純粋な気持ちで、娘は祠の真正面に立って、今更のようにまじまじと見詰めた。
 古くて小さな祠だった。
 風雨避けの小さな木箱の中に、斜めの屋根のついた小さな社が収められていた。
 色は煤けて、元が何色かも分からない。所々ささくれ立っている部分もあるが、虫に食われているようなところはない。注連縄のようなものが戸口に掛かっていて、お供え物の芋とお酒がひび割れたお猪口に少し入っていた。
(……神様って、ちっさいんだな……)
 娘はしみじみと思った。
 箱に収められている社は、娘の両手を広げたよりも小さい。そんな中で生活をするのなら、それより小さくないと無理だという単純な結論から、娘は何の疑いを持つことなく、自分の結論を信じた。
 そんな小さな神様が、村の人たちを守ってくれているのかと思うと、感動にも似た感情がむくむくと膨れ上がって来る。同時に、やはり神様は凄いんだと、心の底から感心する。
 だからこそ娘は閃いた。祠の傍に咲いている花を一つ手に取り供えると、両手を二度打ち合わせて祈ったのだ。
(どうか、お父たちが早く帰って来ますように!!)
 それはもう、熱心に祈った。神様は、正直者の良い子の願いを聞き入れてくれると教えられて来たため、いかに父親不在の間、自分が良い子にしていたかを報告し、少しでも早く願いを叶えて欲しいとお願いしたなら、
「おーい。与依(よい)」
 祈りは神に通じた。弾かれたように声のした方を振り返れば、待ち望んでいた父親たち一行の姿が飛び込んで来たのだ。
 与依は満面の笑みを浮かべて、帰って来た父親の腕の中に飛び込んだ。
 それは夏の終わりのある日のことだった――


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