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作品名:ノベライズド・ライフ 作者:alone

第6回 第一章 この世界は E
 アンレッドの攻撃を避けつつ廊下を後退しながら、思いついた考えをツィカに説明した。
「なるほどね。行けるかもしれない。でもその作戦では、どちらかが囮にならないといけなくない?」
「囮は俺がするよ」
 俺はこの作戦を思いついたときから決めていたことを告げた。
「それは私が女だから、気でも遣ってるの? もしそうなら余計なお世話よ」
「残念ながら俺はそこまで紳士じゃないよ。ただ合理的に考えた結果さ」
 そう。アンレッドにとってはツィカより俺の方が囮にはふさわしい。それにツィカには大剣を扱ってもらわないといけない。俺の刀では寸足らずだ。
「分かった。それならいいわ。ジンが囮でいきましょう」
 そうして作戦の説明をしているうちに目的の場所に着いた。俺たちは各階を結ぶ折り返し階段を背負う形になる。アンレッドとの距離も絶妙だ。これならちょうどいい位置取りに持っていける。
「来いよ、アンレッド。ほらかかって来い!」
 刀を適当に振るってアンレッドを挑発する。唇のなかに眼玉が現れたと思うと、白目に細い血管がいくつも走った。
 それを見て俺たちは階段を上った。踊り場に立ってアンレッドを見下ろし、さらに挑発を重ね、アンレッドを階段へと誘う。
 アンレッドは多少の感情を持ちあわせているが、知能自体はさほど高くないようだ。まんまと俺たちの思い通りに階段を上り始めた。
 よし、俺の出番だ。
 俺はひとりで踊り場を進み、さらに階段を上った。そして上り切ると、アンレッドの背後に回り込む。
「おい! こっちだ!」
 アンレッドに言葉を投げると、すぐに表面を唇が滑って俺のことを見た。さっきまで前方にいた奴が背後に立っていることがよほど不思議なようで、踊り場に立つツィカと、背後に回った俺のことを交互に何度も見直していた。
「なんで俺がいるのか分かんないんだろ。バカな奴だな」
 俺はアンレッドを罵り、挑発する。
「ほらどうした。お前に考える頭なんか無いんだから、さっさとかかって来たらどうだ」
 さらにアンレッドの目の前で刀を振るった。次第に唇がピクピクと震えだす。怒りを抑えきれていない証拠だ。俺はダメ押しをする。
「なんだよ。ほんと口だけだな。って、まんまそうだったか」
 俺の言葉を聞いて、アンレッドは完全にキレた。
 アンレッドが雄叫びをあげた。獰猛な響きを備えたそれは、猛獣の咆哮にしか聞こえない。音圧がビシビシと肌を打つ。
 限界まで開かれた口の中では、歯の形がみるみるうちに変わっていった。先ほどまで人間の歯だった形状が、今では鋭く尖り、さらに幾列にも並んでいた。まるでサメの歯だ。食い殺すという意思が、形を得て顕在化している。
 死臭を思わせる饐(す)えた臭いが、アンレッドの口腔から零れ落ちた。生温かい息が鼻にかかり、胃が一気に縮み、捻じれる。だが吐き気を気持ちで抑え込み、俺はじっとその場に立ち続けた。それが俺の役目だから。
 二度目の咆哮。恐怖心が音に乗って身体を這い伝う。今にも逃げ出したい思いに駆られた。だが心を奮い立て、アンレッドと対峙し続ける。
 アンレッドが歯を何度も打ち鳴らした。鉄と鉄をぶつけたような響きは、その力量と鋭さを物語る。噛みつかれた暁には、痛みを感じる間もなく食いちぎられてしまうだろう。
 アンレッドが再度叫んだ。今までのなかで最も大きく、最も野性的で本能的だ。
 俺は攻撃の気配を感じ取った。ほんの一瞬が明暗を分ける。
「ツィカ、今だ!」
 俺は叫んだ。辺りにはアンレッドの怒号が響き渡っている。ツィカにちゃんと届いたかどうか確認する手立てはない。届いたと、信じることしかできなかった。
 刹那のうちにアンレッドが動き出した。脳内で大量分泌されたアドレナリンが、俺の見ている世界をスローモーションに描き出す。
 迫り来るアンレッド。その口から迸る唾液が、糸状から小さな球状の連なりに変わり、幾列も並ぶ歯は、光を反射して鋭利な光条を映す。視界は次第にアンレッドに飲まれていく。アンレッドの口腔内を覆う生々しい赤が、今では眼前に広がっていた。
 アンレッドの唇の動きを固定するにはこの方法しかなかった。アンレッドが捕食しようとするときだけは、唇がその方向に向いていなくてはいけない。つまりアンレッドが俺を攻撃するように焚き付ければ、自ずと唇は俺に向けて固定される。
 俺の仕事はここまでだ。あとはツィカを信じることしかできない。
 目の前の光景は照度を落としたように暗さを増していく。唾液の粒は見失い、歯からは光条が消えた。今では視界はすべて口腔内を映していた。
 ツィカ……――!
 その瞬間、目の前に刃が現れた。正反対の位置から刺し込まれたツィカの大剣が、黒い球体を抜け、アンレッドの喉(のど)奥を突き破り、口腔へと侵入してきたのだ。そして刃先は俺の鼻先で止まると、続けて横ざまに振り動かされ、唇を内側から切り裂いた。
 刃に切り開いた部分が次第に広がっていき、目の前の光景は晴れ渡っていく。唇は割れた風船のように縮み上がり、球体を形成していた黒い靄は形を失って霧散していった。そして遂に、アンレッドの向こうの映像がこちらに届く。
 ツィカが大剣を手に、俺を見て、微笑んだ。
「呼んだ?」
 その言葉を聞けて、ようやく俺は安堵を覚えた。
 終わったんだ。そう実感できた。


 かつて恐怖したアンレッドは、今では黒い球体部分を失い、斬られた唇だけとなって階段の片隅でボロ雑巾のように転がっていた。肌を震わせた咆哮もただの奇声に成り下がり、ぴぎゃあ、ぴぎゃあ、と泣き喚くばかりだ。
「さあ止めを刺して」ツィカがアンレッドの成れの果てを指差して促した。「それでこの空間は消えてなくなる。ジンは元の被綴空間上に戻れるわ」
 俺は軽く頷き、『け』の刀を構えた。刃先をアンレッドの唇の残骸に向け、一気に突き刺す。アンレッドは声にならない叫びを最期に短く漏らすと、完全に沈黙した。そして端から解かれるように細かな粒子に変わっていき、遂には跡形もなく消え失せた。
「それでツィカは――」
 そう言いながら顔を上げると、もうそこは階段ではなくなっていた。
 俺は元の教室にいた。アンレッドによる被害を微塵も感じさせない、以前のままの教室だ。
 教壇に立つ教師が黒板からチョークを離して、振り返った。
「なんだ明浜(アケハマ)、急に喋り出して。夢でも見てたか? 寝るなら顔でも洗って目ぇ覚ましてこい」
 教師の言葉を聞いて、他の生徒が囃し立てた。普段の授業だとお通夜みたいに黙り込んでいるくせに、こういうときだけ水を得た魚のように元気になる。教師は神経質そうに眼鏡を押し上げて、授業中だぞと怒鳴った。
 教室がふたたび静かになる。廊下越しにどこかの教室の授業が聞こえてきた。
 俺は椅子を引いて立ち上がる。
「先生、顔洗ってきます」
 教師はすでに黒板に向かっており、背中越しに了承の意を口にした。俺は静まり返った教室を横切って廊下に出て行った。
 トイレに向かう途中、折り返し階段の前で立ち止まった。アンレッドとの戦いの跡は、ここにもやはり見て取れない。ふと気になって、俺は階段をおり始めた。
 踊り場を抜けて、階を一個下におりる。窓から見える景色は少し高さが下がり、地面が近づき、ここが二階であることを示していた。
 試しにもう一階おりてみると、目の前には中庭が広がっていた。そこは確かに存在していた。視覚的な嘘ではない。
 中庭に出て、空を見上げてみた。四角く切り取られた青空が見え、白い雲がいくつか横切っていく。
 どこまでが本当か分からなかった。あの白い雲は存在しているかもしれない。でもその向こうはどうなのだろう。
 一本の飛行機雲が伸びていく。機影が光を反射していた。あの飛行機のなかには多くの人が乗っているはずだ。それは存在していることの証明になるのだろうか。
 空の向こうには宇宙が広がっている。けどそれを俺は見ることができない。その存在を確認することはできない。それは、存在しないことの証明になってしまうのだろうか。
 どこまでが本当か分からなくなっていた。
 俺はただ、夢を見ていただけなのだろうか?
 どこからか教師の怒る声が聞こえてきた。授業中だぞと怒鳴っている。俺はそそくさと中庭を後にして、階段を上っていった。


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