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作品名:ノベライズド・ライフ 作者:alone

第5回 第一章 この世界は D
 ツィカは、自身の身長ほどもありそうな大剣を軽々と振るった。
 平仮名の『す』を模したその剣は、『す』の上に突き出た部分が柄となり、横棒が鍔、そして残りの湾曲した部分が刃となっていた。見た目としてはカットラスを大きくしたものに近い。ただ、用途が不明な丸が、余分に刃の背に付いている。
 アンレッドの唇の動きが止まった。黒目がツィカの姿を捉え、品定めをするように唇を軽く閉じて目を細めてみせる。ツィカはその視線と真っ向から対峙し、逃げる姿勢は見せずに睨み返した。
 まるで西部劇の早撃ち対決のような睨み合いが続いた。が、アンレッドが唇を閉じた瞬間、戦いの火蓋が切られた。
 ツィカが先に動いた。足を踏み出し、間合いを詰めた。
 対するアンレッドはその場を動かず、開いた唇から舌を発射した。真っ直ぐと伸びて迫りくる舌を、ツィカは剣の背で弾き、さらに距離を縮める。
 アンレッドは弾かれた舌を持ち上げた。そして鞭を振るうようにツィカに向けて素早く振り落とす。
 だがツィカは身を翻して回避する。おかげでアンレッドの舌は空を切り、床を打ち砕いて破片を散らした。
 アンレッドは苛立たしげに舌を引き戻すと、すぐに横ざまに払う攻撃をしかけた。が、ツィカは軽々と跳びあがって避け、大振りな攻撃によって生まれた隙に一気に攻め寄る。
 遂に間合いに入った。ツィカは剣を大きく振り上げると、アンレッドに向けて容赦なく振り下ろした。
 ようやくアンレッドがその身を動かし始めたが、間に合わない。ツィカの剣は黒い球体の上部を斜めに斬り裂いた。
 決まった!
 そう思い、俺は拳を握りしめた。ツィカと初めて会った時の攻撃ほどではないが、有効な攻撃であるのは間違いないと感じていた。
 だが次の瞬間、アンレッドはまるで何事もなかったかのように、ふたたびツィカに舌で攻撃を食らわせた。予想外のことにツィカも反応が少し遅れてしまい、正面から剣の腹で攻撃を受ける。そのため威力を流すことが出来ず、ツィカの身体は床から浮き上がらされ、そのまま壁に叩きつけられた。
「ツィカ!」
 思わず俺は叫んだ。今にもツィカのもとに駆け寄りそうになるが、びくりと身体が震えて制止させられた。見れば、アンレッドの不気味な視線が、今ではすっかり俺に注がれていた。
 次は俺ってことか……。心のなかで苦々しく呟いた。
 武器を持たない俺に何かできるはずもないが、なぜだが俺は拳を構えてアンレッドと向かい合っていた。どうやら恐怖で頭も回らなくなってしまったらしい。自分で自分のことが笑えてくる。素手で挑むなんて、大馬鹿野郎だ。
 アンレッドは瞳の端を持ち上げ、俺を見ながら笑ってみせると、ゆっくりと唇を閉じ始めた。じわりじわりと閉じゆく唇は、真綿で首を絞めるように俺を焦らしていた。
 しかし、あと少しで唇が閉じるというところで、アンレッドに向けて小石程度の瓦礫が飛んできた。瓦礫は黒い球体に当たったかに思えたが、すり抜けて床に転がり、軽い音を虚しく響かせた。
 アンレッドは唇を閉じるのをやめ、表面を滑らせて瓦礫の飛んできた方に眼を向ける。同様に俺もそちらに視線を向けて、ツィカの姿を捉えた。
 ツィカは大剣で身体を支えながら立っていた。肩を大きく上下させて荒く呼吸をする様は、アンレッドの攻撃を一度受けただけとはいえ、すでに満身創痍というようにも映る。だがツィカは、退かなかった。
 ツィカはふたたび剣を構え、刃先をアンレッドに向けた。
「まだ終わりじゃないでしょう」ツィカは呼吸を整えつつ話す。「すぐ目移りするなんて、彼氏だったら妬いちゃうよ」
 余裕だと思わせるためか、ツィカは薄らと笑みを浮かべたが、すぐに真剣な面持ちに飲み込まれ、笑みは消えた。
 ツィカが深く息を吸って、止めた。
 刹那の静寂。そして――
 ツィカは床を蹴って一気に前に出た。
 ふたたび幾度もの攻防が起きた。アンレッドの舌をツィカが避け、距離を次第に詰めていく。攻撃の処理に関しては明らかにツィカの方が上手(うわて)に見えた。だがツィカがようやく間合いに入って攻撃を振るうと、今回は、アンレッドは避けようとさえしなかった。
 ツィカの剣が黒い球体に一閃を描いた。上から下へ、縦一直線。アンレッドは一刀両断されている――はずだった。
 しかし、アンレッドは無傷だった。ツィカの斬った痕は、すぐに消えてなくなっていた。
 ツィカは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべたが、アンレッドからの攻撃に備え、すぐに距離を取った。
 案の定、アンレッドは再三繰り返している舌での攻撃を行ってきた。ツィカはその攻撃を受け流しつつ、好機の到来を窺った。
 なぜ攻撃が効かないのか、傍らで見ている俺にも分からなかった。
 確かにツィカの剣は黒い球体を斬りつけていた。だがまるで雲でも切っているように、不定形のもののなかを素通りしてしまっているように見えた。そう……雲みたいに――。
 そのとき俺は思い出した。あの黒い球体はもともと黒い靄のようなものが集まってできていたことに。だから物理的な攻撃が効かないのかもしれない。
 でもそうなると、初めてツィカと会ったときの攻撃はなんで有効だったんだ?
 俺は記憶を探った。そこに答えがあると信じて。すると、あのときの情景が浮かび上がってきた。
 襲い来るアンレッドの姿。
 瞼のうらの闇。
 諦めと死の覚悟。
 耳をつんざく悲鳴。
 泣き叫ぶアンレッド。
 唇に走る傷跡。――唇?
 そうか!
「ツィカ!」俺は気づいたことをすぐに伝える。「黒い球体への攻撃は意味がない。そのアンレッドの弱点は唇だ。唇がそいつの核(コア)なんだ!」
 俺の言葉を聞いて、ツィカは唇の片端を吊り上げると、大剣を上段に構え、一気に攻勢に転じた。
 突然の攻めに、アンレッドは焦ったように舌を四方八方に振り回した。一見して不規則に思える攻撃だったが、実際は単純なパターンを繰り返しているだけにすぎず、ツィカにしてみれば避けることは造作もないことだった。
 またたく間にツィカが懐に入る。そして右下に構えた大剣で、左上へと斬り上げた。
 唇が斬られているはずだった。しかし――
 ツィカの剣は、またしても、届かなかった。
 狙った唇は黒い球体の表明を自在に滑っていた。それも素早く、縦横無尽に。
 その動きは、あまりの速さに一連のパターンを描いているかに見えたが、実際は円周率のように捉えどころがなく不規則(ランダム)だった。偶然に賭けた様子でツィカが大剣を球体に突き刺してみるが、唇は器用に剣の周囲を避け、動きを止めることはなかった。
 これじゃ埒が明かない。こちらの攻撃は当たることすらなく、アンレッドも唇を留めて攻撃を仕掛けてくることもない。膠着(こうちゃく)状態だ。このままだと、永遠にこの閉じられた空間に閉じ込められることになってしまう。
 だがそこで、アンレッドは唇を動かしながら舌を突き出した。
 先ほどの動揺まかせの抵抗とは違い、唇の動きに従って周囲一帯すべてを蹴散らしていく。床が爆ぜ、窓が割れ、天井が破られた。そして視覚的な矛盾が、露わにされた。
 闇が立ち上る。コーヒーから香る湯気のように。
 もう教室はかつての姿を失っていた。アンレッドを中心に、床は抜け、天井は剥がされていた。しかし床の先に階下の教室はなく、天井の向こうにも何もない。あるのは闇ばかり。綴られず存在していない場所が姿を現していた。
「ジン、逃げて!」
 ツィカが剣を構えつつも後退しながら言った。
 俺は、言われるまでもないと教室後方のドアに向かい、廊下へと跳び出した。少し遅れて、前方のドアからツィカが出てくる。
「どうすんだよ、これから?」
 俺の問いかけに、ツィカは呼吸を整えつつ答える。
「私だけじゃどうにもならない。ジンにも戦ってもらわないと」
「でも俺、何もできないぞ。武器もないし」
「大丈夫。言ったでしょ? ジンには言葉があるって」
「言ってる意味がさっぱり……」
「なら簡潔に言うけど、この空間は小説の一部を抜き出したようなものだって言ったでしょ。だからこの限定された被綴空間には新しく書き加えることができない。でもジン、あなたは違う。あなたには物語を紡ぐことができる」
「でも……それをすると崩壊を招くんじゃないのか? そうツィカも言ってたじゃないか」
「ええ、そうね。登場人物の勝手な行為が物語に崩壊をもたらすことがある。けど、それは程度の問題よ。崩壊は物語が既定の筋道を外れていくことによって起こるわけだから、外れない程度に抑えればいいってわけ」
「なんだか屁理屈にしか聞こえないんだけど、本当にそれ、いいの?」
「いいの!」
「分かった、分かったよ。それで俺はどうすればいいんだ?」
「文章を綴って」
「綴る? ペンとかで?」
「いいえ、思い浮かべればいいわ。ここはジンの視点で描かれる一人称小説。ジンの心のなかの言葉が、地の文の言葉になる」
「でもこの空間にはもう書き加えられないって――」
 俺の言葉が終わる前に、ツィカは教室の方を睨み付け、剣を構えた。わずか数瞬後、真っ直ぐに伸び来る舌を、ツィカは剣で弾きとばした。目標を外した舌は、廊下の窓を打ち抜き、丸く穿った。
「この空間に書くんじゃない」ツィカは教室の方から視線を外さず話す。「ジン、あなたのなかに書くの。あなた自身にね」
「俺……自身……?」
 舌が引き戻されて数秒後、教室と廊下を隔てていた壁は、あっさり食い破られた。
 俺とツィカは廊下を逃げ、アンレッドとの距離を取った。しかし逃げすぎないように注意する。距離が開きすぎればアンレッドが突撃してきてしまう。もしそうなれば、この直線の廊下では逃げ場がない。傍らの教室が存在している保証はないし、背中を見せて逃げるにもアンレッドの方が速いのでは逃げ続けることもできない。
 だから戦うしかないんだ。今ここで、倒すしかない。
「来る! ジン、剣を持って」
 崩れる瓦礫の音に混じって、ツィカの声が届く。俺は頭のなかに文章を思い浮かべた。
 ――俺の右手には剣がある。
 念仏でも唱えるようにブツブツと心のなかで呟き続けた。だが一向に剣が現れる気配はない。アンレッドの眼が俺たちを睨み付けた。縋(すが)るように唱え続ける。しかし――現れない。
「違う、『剣』じゃない!」ツィカがこちらを見ずに叫んだ。「平仮名の『け』よ!」
 け?
 一瞬、思考が停止した。
 だがアンレッドが唇を閉じて開き、眼球から口に切り替えた様を見て、すぐに我に返る。
 もうどうにでもなれ! そんな思いで強く『け』をイメージした。頭のなかにでかでかと『け』の一文字が描かれた。すると――
 目の前に、平仮名の『け』が描かれた。
 まるで筆と墨で書かれたように、黒々とした『け』が宙に書き出されていた。いまだ平面的なそれは、まだ自らの役割を理解していないようだ。
 いや、まだ役割を与えられていないだけなんだ。
 ――君は武器だ。
 そう俺は心内で呟き、『け』の右側の上に突き出た部分を掴んだ。
 途端、『け』はただの一音の響きから、一振りの刀へと変化した。
『け』の右側は、上に突き出た部分が柄となり、横棒が鍔、払いが刀身となった。そして残りの左側は鞘となり、一振りの日本刀が目の前に出来上がっていた。
 軽く刀を振ってみると、不思議なほど手に馴染んでいるのが分かった。今までに木刀や竹刀を持ったことすらなかったのに、この刀の振り方は無意識に感じ取ることができた。まるで身体の一部としてずっと一緒に生きてきたかのように。
 アンレッドが舌で突いてきた。俺はごく自然にその攻撃を避け、舌に向けて刀を振り下ろした。まるで刀自体が俺の動きを導いてくれているかのようだ。歩いたり息をしたりするときのような、意識しない自然さを感じていた。
 俺は舌を一刀両断した。斬り落とした部分がトカゲの尻尾のように床の上でのたうち、アンレッドは痛みからか泣き叫び、眼球に変えて俺を睨み付けた。
 状況を落ち着いて見ていられた。恐怖心が完全になくなったわけではないが、不思議と心は波紋ひとつなく静まり返っていた。
 階段を一段上ったのだ。だからさっきまでの恐怖に慄いていた自分を、一段上から見下ろしていられる。もう何もできなかった過去の自分とは違う。今の俺なら勝てる。そう自負できた。
 右手に刀、左手に鞘を持って、俺は突っ込んだ。
 ツィカの制止する声が聞こえた。大丈夫、俺ならできる。そう心のなかで答えた。
 アンレッドに振りかかる。狙った唇は表面を滑って移動した。そう簡単に当たるとは思ってない。
 唇を追って手数を増やす。上から下に振り落とし、右から左に横ざまに斬り、ときには真っ直ぐ突く。しかし俺の刃はまだ届かない。
 必死に刀を振るった。だが俺は気づいていなかった。いつの間にか自負心は驕りへと変容し、今では自暴自棄に刀を振ってしまっていることに。
 胸の内が波打ちはじめていた。落ち着きは失われ、過去の自分どころか、今この瞬間さえも見えなくなる。遂には……。
 ガキィン――と音を立て、俺の刀はアンレッドの歯に挟まれていた。
 食いしばる歯の間で刃が軋む。このままでは砕けてしまうと思い、撥(は)ね部分がバールに似た形状をしている鞘で歯に殴りかかるが、鈍い音を響かせるだけで効いている様子はない。ずいぶんと硬いエナメル質を持っているようだ。
「どいて!」
 ツィカの声を聞いて、まったく動かない刀から手を離した。次の瞬間、目の前をツィカの大剣が過ぎる。唇に向けた攻撃であったが、今回もぎりぎりのところでかわされてしまう。
「下がるよ」
 ツィカに言われ、俺は従った。見ればアンレッドは唇を上に向け、剣を飲み込む曲芸師のように俺の刀を食べていた。バリバリという音を立て、刀が噛み砕かれているさまを悟った。
「一人で突っ込むなんてバッカじゃない!?」ツィカが横目で俺を睨みながら言った。「私でもダメだったのに、ジンが勝てるわけないでしょ!」
「……ごめん」
 それ以外に言葉が思いつかなかった。
 力を得て浮かれてしまっていたのは事実だ。落ち着いてものを見えていると思っていたのに、気づいたら何ひとつ見えてなんかいなかった。何が階段を一段上った、だ。上るどころか踏み外して真っ逆さまに落ちてるじゃないか。
 ほんと、バカだな……俺……。
「もう終わった?」呆れるような口調でツィカが言う。「今はそんな暇ないんだけど?」
 また地の文を読まれたみたいだ。いや、気落ちした俺を見れば、自己嫌悪に浸っているのは容易に想像のできることだったのかもしれない。とりあえず俺は「ごめん」とまた謝っていた。
「ほら、早く『け』を持って」
「でももう……」
 見ればアンレッドは煎餅でも食べているような音を鳴らしながら咀嚼を重ねていた。その音も次第に弱まっていくことを感じ取れば、『け』の刀は原型を留めないほど、細かく細かく噛み砕かれてしまっていることは容易に知れた。
「綴り直せばいいでしょ」
 ツィカがあっけらかんと言った。その言葉に俺は驚きを隠せない。
「えっ、そんなこともできんの」
 と言うが早いか、俺は頭のなかに平仮名の『け』を思い描いた。すると瞬く間に目の前に『け』が現れ、ふたたび一振りの刀に姿を変えた。そしてすでに手にしていた鞘は霧のように消え、新しい『け』にその役割を譲った。
「おお、便利!」
「感心してる場合じゃないでしょ!」
「分かってるよ」と言って俺は何度か刀を振って感触を確かめた。「それで、何か作戦はあるの?」
「いやそれは……」とツィカは言葉を濁した。「とにかく! あの唇の動きを止めないことには、攻撃は当てられない。ジンこそ何かないの?」
 あまり期待はしていないというような口調でツィカが訊き返してきた。
 唇の動きを止める手段……?
 何かいい手はないかと考えたとき、奇跡的にある考えが思い浮かんだ。もしかすると、これなら行けるかもしれない。
 俺はツィカの肩を掴んで、告げた。
「ツィカ、俺に考えがある」


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