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作品名:ノベライズド・ライフ 作者:alone

第4回 第一章 この世界は C
 ツィカはトイレのドアに身体を寄せて、外の音に耳をそばだてる。アンレッドと呼ばれる黒い球体の放つ音を探っていた。
「大丈夫。近くにはいないわ」
 ツィカはそう言ってドアから離れた。タイミングを見て 俺は疑問を投げかける。
「それで、そのアンレッドとか行間に巣食いしモノとかって何なんだ?」
「アンレッド(unread)は読んで字のごとく、本来読まれるはずのないモノのことよ。昔から言うでしょう、行間を読みなさいって。行間には何も書かれてなんかいないのに。
 物語が決められた通りに進んでいれば何も問題は起こらないんだけど、今回みたいに筋道を外れて崩壊に向かいだした場合は、世界にヒビが入ってしまうの。すると、そこから本来は文章で書かれているはずのないアンレッドが入り込んでくる。でもアンレッドもすぐには物語世界の中枢まで入り込むことができないから、世界を部分的に隔絶させて、そこに現出するわけ。今みたいにね。
 ここに逃げ込む前にもジンは見たでしょ、真っ暗な教室を。あのとき私が『綴られていない場所』って言ったのもこの空間ならではのことなの。この被綴(ひてい)空間と呼ばれる場所ではね」
「ひてい空間?」
「綴られることで事物が作り出される空間だと思えばいいわ。元の物語世界も言ってしまえば巨大な被綴空間上に存在しているわけなんだけど、あの世界では主人公であるジンの視点を通じてリアルタイムに世界が作り出され続けるから、あの教室のようなことはほとんど起こりえない。
 でも今の状況は違う。私たちが今いるここは、隔絶されてしまった被綴空間。ある時点での限定された空間なの。分かりやすく言ってしまえば、物語を生み出している小説から、章や段落、文といった単位で、文章が切り抜かれてしまった状態という感じね。だから新たに書き加えられることがなくて、あの教室のような綴られていない場所が生まれてしまう。あの場所に踏み入れたら最後、存在は黒く塗りつぶされ、アンレッドと同じ運命を辿ることになる。今度からは無思慮に振る舞わないことね」
「それって、あのまま教室に入ってたら、俺もあいつみたいな怪物になってたってことか?」
「……それは分からない。あそこは私たちの物差しでは測ることのできない場所だから」
 ツィカは不安そうに瞳を曇らせた。が、すぐに振り払い、話題を変える。
「さあ、もう出ましょ。これ以上ここに長居は無用よ」
 そう言ってツィカはドアを少し開け、辺りを窺った。アンレッドがいないことを確認すると、俺に手招きをしながらドアを開けて外に出る。俺も続いてトイレを後にした。
 周囲をざっと見回してみたがやはり黒い影はどこにもなかった。窓にも張り付きそうなほど顔を近づけて他の廊下を見てみたが、それらしきものは何もなかった。
「アンレッドはどこに行ったんだ?」
「おそらく、どこかの綴られていない場所にでもいるんでしょう」ツィカは警戒を怠らず周囲に目を配る。「私たちとは違ってアンレッドにとっては故郷みたいなものだから、落ち着くのかもしれない」
「……そうなの?」
 俺は真に受けてしまう。ツィカは呆れたような表情を浮かべた。
「冗談よ。私にあいつらの気持ちなんて分かるわけないでしょ」ツィカは視線を移す。「とりあえず、ジンの教室に行きましょう。あそこなら広さも十分だし、綴られていない心配なんてないから」
 スタスタと歩き始めたツィカの後に俺も続いた。このまま廊下を進んで角を曲がれば、俺の教室の前にある廊下になる。だが、その角の手前にある階段に目が留まった。
「なあ、ツィカ」
「何?」
 ツィカが肩越しに視線を向けてきた。
「階段で降りて中庭とかで戦った方がいいんじゃないか?」俺は足を止めて窓から下を眺めた。「ほら、中庭も見えるしさ。見えるってことはちゃんと存在してるんだろ? 綴られてない場所とは違って」
 ツィカも足を止めた。ちょうど階段の前だ。身体を翻し、俺と向き合う。
「一理あるわね。でも残念ながら今回は無理よ」
 良い案だと思ったのだが、あっさりと一蹴されてしまう。俺は不満げに眉根を寄せつつ訊ねる。
「どうして?」
「行ってみれば分かるわ」そう言ってツィカは階段を指し示した。「どうぞ」
 なんだか小馬鹿にされているような気がしたが、ツィカを咎めたところですぐに答えてくれるとは思えず、俺は諦めて階段を下りることにした。
 一応綴られていない場所のことを考慮して一歩ずつ注意して臨んだが、特に変わったこともなく踊り場に着いた。あまりの呆気なさに気を張って損したと思ってしまう。
 振り返ってみると、ツィカはひらひらと手を振って笑っていた。あれは絶対にからかっている。
 あ、また地の文読んでるな、ツィカ。ビビってるとか思ってるんだろ。クソがッ!
 俺は憤り露わに大股で踊り場を横切ると、折り返し階段の残り半分に向かった。すると不思議なことが起こった。なんと階段を下りた先に、またツィカの姿があったのだ。
 慌てて踊り場を戻り、下りてきた階段を見上げた。視線の先では変わらずツィカが手を振っている。
 もう一度踊り場を進んで下階を見下ろす。そこにもやはりツィカの姿があった。手を振りながら笑っている。どうなってるんだッ?!
「これで分かった?」ツィカが悪戯心を抑えきれていない表情で言った。「ここにはひとつの階しかないの」
 俺は一段飛ばしに階段を駆け下りた。着いた先はもとの三階とまったく変わりない。ツィカの言う通り、ここには三階しかないようだ。
「知ってたのなら、俺がわざわざする必要なかったんじゃないか? 教えてくれれば済んだ話だろ」
「自分で体験した方が分かりやすいでしょ?」
 ツィカはフフッと鼻から息を漏らした。俺をからかうことができて一人満足しているみたいだ。
「はいはい。よーく分かりましたよ。つまりは踊り場のあたりで下りる階段と上がる階段が繋がってるってことだろ」
「そう。その通り」よくできましたと言わんばかりの調子でツィカは話した。「綴られていない場所とは言っても、被綴空間上では視覚的な矛盾は忌避されるの。つまり、綴られていないから存在するはずのない場所なんだけど、まるで在るように思わせているってことね。階段があるからその先があるように感じてしまうし、ここの中庭や他の階だってあるように思ってしまう。実際はただの背景だったりするんだけど、触れてみたりしなければ分からない。見た限りでは判別できないってわけ」
「じゃあ、あの教室が綴られていない場所になってたのは、扉とかで中が見えなかったからってことか?」
「そうね。あの場合は教室の窓とかに教室内があるように見せる画像が張られていただけで、実際の中身は空っぽだったってこと。要は張りぼてね。ここは学校だからたくさんの教室があるように思えるけど、基本的にはジンの行動する範囲の場所しか存在していない。だからアンレッドから隠れるときも、私はすぐに男子トイレを選んだの。女子トイレが存在している可能性はないでしょうから」と言ってからツィカは俺の顔をじっと見つめると、真剣な口調で訊ねてきた。「ないわよね?」
「ねえよ! 誰が女子トイレなんか行くかッ!」
 突然降りかかったあらぬ疑いを全力で否定するが、ツィカは納得のいかない様子で俺に猜疑的な視線を向けた。まるで街中で不審者らしき人を見かけたときに向ける目つきだ。断じて俺には後ろ暗いことなんてないぞ!
「まあ今回はそういうことにしておきましょう」
 ツィカは真偽をうやむやにして一方的に話を終わらせると、俺との距離を開けようとするみたいに足早に歩き始めた。慌てて俺もついていくが、なぜだかツィカとの距離は縮まらなかった。
 ハイペースに進んだために教室にはすぐに到着した。静かではあったが、少なからず警戒して中を確かめてみた。教室は空っぽで黒い影はどこにも見当たらない。アンレッドはどこか別の場所に潜んでいるようだ。
 ツィカと二人で教室に入った。そこで今更ながら一番大事なことに思い至る。
「ツィカ。俺たち、どうやってアンレッドと戦うんだよ。武器なんて何も持ってないぞ」
 俺は何の対策をせず、のこのことトイレを出てきてしまったことを今になって後悔した。せめてトイレの掃除道具のひとつでも持ってくれば、わずかばかりでも役に立ったかもしれない。あんな怪物に素手で挑むなんて自殺行為だ。
 次第に焦りを募らせていく俺とは対照的に、ツィカは落ち着き払い、けろりとしていた。
「大丈夫。ジンには言葉があるじゃない」
 真意どころか、そのままでも意味を理解できない言葉を突然かけられ、俺は呆れてぽかんと口を開けた。こんなときに冗談を言ってる場合じゃないだろう。
 ツィカにふざけるなとでも言ってやろうとした瞬間、彼女の表情に緊張が走ったのを見て取り、込み上げてきた言葉を飲み込む。
 ツィカは真剣な面持ちで、忙しなく視線を走らせる。その緊張が伝染したように、俺も辺りを見回した。
 机や椅子は一切ない。備品といえるものは教室後方に並ぶ、掃除用具用ロッカーと数個のゴミ箱。教室の前後にかかる黒板は、後ろのものは無事だが、前のものにはアンレッドによる大穴が開き、壁のなかが露わになっていた。教壇にはその残骸が淋しげに転がっている。
「ジン!」ツィカの真剣さの詰まった口調。「アンレッドはどこから来た?」
「どこからって」俺は視線を下に落とした。「ここの床からだ。それが――」
 落とした視線を持ち上げる最中――俺の視界がツィカの表情を捉える前に――彼女は俺の身体を激しく突き飛ばしていた。揺れる視界の端で、焦りの色を彼女の顔に見た。だが、その表情も、すぐに見えなくなった。
 目の前に一本の槍が立っていた。わずか一瞬のうちに、床を貫き、天井に突き刺さったのだ。もしツィカに突き飛ばされていなければ、俺の死は確実なものだった。
 床に投げ出された身体を慌てて起こし、謎の槍との距離を取る。槍の影になって隠れていたツィカの姿を捉え、彼女も間合いを取っているのが見えた。
 天井に刺さった槍がぶよぶよと震えだす。そこでようやく、それが槍ではないことに気づいた。
 表面を覆う細かな凹凸。弾力のある生物的な赤味。粘り気を帯びた光沢に濡れた肉。それはまさに、あいつの舌だった。
 舌は天井から引き抜かれ、ゴムが一気に元の長さに戻るように、床の下へと引っ込んだ。後にはぽっかりと穴だけが残され、闇を抱えた深淵が覗いている。
 床が細かく震え始めた。飛び散った破片が床のうえで跳ね、カタカタと音を刻む。小さな地震を思わせたが、不意に始まり、唐突に止んだ。
 沈黙が辺りを包んだ。俺もツィカも呼吸を忘れ、状況を注視していた。自分の体内に響く鼓動が、やけにうるさく聞こえていた。
 瞬きすら躊躇された刹那、唐突に目の前の床は、食い破られた。湿った巨大な白い歯がムシャムシャと床材を噛み砕き、舌の開けた小さな穴は易々と飲み下される。そして一頻り咀嚼を終えると、アンレッドが大口を開いて、飛び出してきた。
 開けた穴よりも大きなアンレッドの図体は、穴まわりの床を捲りあげ、まるで火口から噴出した噴煙のように映る。異なる点は、拡散することなく一所に留まり、その表面に唇がついていることだ。
 唇が開閉し、眼球が覗いた。唇は黒い球体の表面を縦横無尽に滑り動き、そのなかで黒目も踊る。今の状況を余すことなくすべて把握しようとしている様子だ。
「ジン! 大丈夫?」
 ツィカがアンレッドの背後から走り出た。俺は「大丈夫だ」と返して、声を頼りに互いの姿を認め合う。すると驚いたことに、ツィカは頭に手を当てていた。まさか何かの破片が頭に当たったのだろうかと心配になったが、その手がヘアピンを外すさまを見て取ると、余計な心配だったと気づかされる。
 けど……ヘアピンなんか、どうするんだ?
 ツィカの顔に幾筋かの細い髪束が垂れかかった。だがツィカは気に掛ける様子もなく、右手に外したヘアピンを強く握った。
 そして一振り。腰の高さから胸まで。ツィカは一気に、振り上げた。
 次の瞬間――ツィカの手には、一本の大剣が握られていた。
 平仮名の『す』の形をした、大剣が。


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