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作品名:ノベライズド・ライフ 作者:alone

第1回 第一章 この世界は @

 第一章 この世界は


 高校の教室では生徒がみな席に着いて、教壇に立つ教師は熱心に授業を進めている。
 ひとつの空間をみんなで共有している。けれど感じている時間の感覚はさまざまで、退屈のあまり授業がはやく終わらないかと思っている人もいれば、教師の話に夢中になって流れる時間の速さを忘れてしまっている人もいる(かもしれない)。なかには、夜遅くまでゲームをしていた結果居眠りをしている奴がいたり、袖口から忍ばせたイヤホンでわざわざ授業中に音楽を聴いている奴がいる。
 ひとつの空間に同時に存在しているのに、その意識のむく方向はひとつじゃない。かくいう俺も教師に向けていた視線を外して、窓の外をぼんやりと眺めていた。
 高校は住宅地のなかに建てられていた。三階からの眺めとはいえ、お世辞にも良い眺めとはいえない。見えるのは一戸建てにアパート、マンション。高さはまちまちで統一感なんてあったもんじゃない。バラバラな大きさに切り分けた積み木をぶちまけてみれば、きっと同じような風景を簡単につくれる。
 俺だってそんな積み木と変わらない。大きさはバラバラだけど材料は変わらず木材である積み木と一緒で、同じ材料を使いながらも身長や体重の値をいじってバリエーションを生み出しているだけの、しょせん大量生産された人間のひとりだ。現在という時間を無益に消費しながら俺という人間を維持しているにすぎない。明日は明日の風が吹く(トゥモロー・イズ・アナザー・デイ)なんて言うけれど、明日になってみれば、今日を表面的に変えただけの、本質的には変わらない新しい『今日』がやってくるだけだ。
 ならいっそのこと、明日を定めてくれればいいのにと思う。明日も、その明日も、そのまた明日も、ずっとずっとどこまでも続く明日を定めて、最終的に描き出される人生さえも定めてくれたらいいのに、と俺は思う。そうすれば大量生産された凡庸な俺であっても、安心して現在を無駄に消費しながら生き続けることができる。それに、個人の未来が確定していれば、世界の未来を予測するのに僅かではあるけれど役に立つはずだ。すべての人間の行動を予測するよりかはその数が少しでも少ない方がいいに決まっているし、どうせ世界を動かすのは大量生産された人間の役目じゃない。いつだって世界をかき乱すのはブラウン運動みたいに不確定な行動原理を持つ連中であって、それは俺じゃない。
 そのとき、静寂が耳についた。
 静かすぎる。さっきまで教師が熱心に喋っていたし、教師が黙っていたとしても何十人という人がいるのだから生活音がなくなるはずがない。だが、いまこの瞬間は完全な無音だ。ペンがノートと擦れる音もしなければ、誰かが息を吸って吐く音さえもしない。不気味なほど静まり返っていた。自分の鼓動だけが、いやにはっきりと聞こえてくる。
 俺は恐るおそる窓外に向けていた視線を教室に戻す。次の瞬間、目の前に広がっていたのは、誰もいない教室だった。
 衝撃のあまり俺は弾かれたように立ち上がった。強く押された椅子が後ろの机と激しくぶつかる。大きく硬い音が教室内に響き渡ったが、その音を聞くのは俺以外にやはり誰もいない。整然と机と椅子だけが並んでいる。さっきまで人がいたことが嘘みたいに、机と椅子は丁寧に揃えられていた。
 どうなってるんだ……?
 何が起こっているのかさっぱり分からなかったが、とりあえず教室を横切って扉を開けると、身を乗り出して廊下も確認してみる。可能性は低いが、みんなが俺に気づかれないように外に出たのかもしれない。誰が得するドッキリかは知らないが。
 しかし廊下にも人っ子ひとりいやしなかった。それどころか廊下も静寂に満たされており、どこの教室からも何ひとつ音が漏れ聞こえてこない。まるで世界にただひとり残されてしまったようだ。いや実際にそうなのかも……――なんてことまではさすがに考えない。そんな可能性よりは、これが夢だと思う方が理にかなっていたからだ。
 そう。これは夢なんだ、きっと。
 自分にそうやって言い聞かせ、乗り出していた身体をゆっくりと教室に戻した。そして身を翻して教室をふたたび見ると、今度は机と椅子が何もかも消え去っていた。がらんどうになった教室がただただ殺風景に広がっている。
 俺は若干の気持ち悪さを覚えつつも、まあ夢って変なのが多いよな、と得心しようと自らに言い聞かせる。だってこれが夢だと思い込まなければやっていられなかった。これが夢じゃないとしたら、これが現実なんだとしたら、いったい何が起きているっていうんだ?
 そのとき、無音だった教室にどこからか音が聞こえてきた。ヘビの威嚇のような、歯の隙間から漏れる息のような、生物的な響きを秘めた音だ。辺りを見回してみるが、まるで教室全体が鳴っているかのようで、音のもとを探ることはできない。
 今度は床の辺りに変化が起きた。教室の床は組み木を思わせるパターンを成しているが、その組み合わせた木と木の隙間から、湯気があがるように黒い靄が立ちのぼり始めた。俺は気味の悪さから後じさりして、一段高くなっている教壇に逃げ上がる。
 立ちのぼる黒い靄は渦を描くようにゆっくりと教室の中央に集まっていき、その濃さを増す。もとは透けて教室の後方が覗けていたが、次第に薄れ、遂には黒く塗りつぶされた。今では教室の中心に黒い球体が作り出されており、靄が集まっているというより、黒い球体が靄を吸い上げているように映る。まるで黒い球体自体に意思があるかのように。
 床から立ちのぼっていた黒い靄が止み、そのすべてが黒い球体に吸い上げられる。靄で形作られた球体は輪郭が漠然としており、おぼろ気で不安定だ。その覚束ない感じがまた、妙に不安をそそる。
 突然、明瞭な直線が球体のなかに現れた。水平を描く直線は明確にその存在感を顕示して、ぼやけた輪郭と対照を成して異彩を放っている。しかし次の瞬間、その直線が開いた。閉じられていた袋の口が開くように、直線を境に空間がぱっくりと割れたのだ。そしてその中から裏返すようにしてあるものが出てきた。鮮血を思わせる真っ赤なルージュで彩られた、唇だ。
 唇は福笑いの一パーツのように明確な輪郭を持ち、黒い球体に張りついていた。最初に現れた直線を思わせる真一文字に結ばれていた唇だったが、不意に、微笑むかのように口角が吊り上がったかと思うと、固く閉ざされていた口が開かれた。
 真っ赤な唇のあいだから白い歯が姿をあらわす。唾液に濡れた歯はルージュとは異なる粘り気のある輝きをてらてらと放ったが、さらに奥から上下の歯を押し開いて、一本の舌が突き出てきた。舌はそれ自体がまるで別の生物のように動きまわり唇をねぶる。真っ赤なルージュが粘液に濡れ、くすんだ輝きを浮かべた。
 ひとしきり唇を舐め終えると舌は奥に引っ込んだ。そして唇もゆっくりと閉じられたが、唾液が乾く間もなくすぐにまた開かれた。接した唇のあいだで唾液が細く糸を引いて切れる。だが意識が注目したのはそこじゃなかった。なぜなら開いた口の中にあったものがさっきまでの歯や舌ではなく、唇のあいだには、新たに巨大な眼玉が納まっていたからだった。
 唇で縁どられた眼がぎょろぎょろと黒目を動かした。それはまるで獲物を探す殺人鬼のものだ。興奮で血走り、衝動を抑えきれない。誰ひとり逃がしはしないという悪意を滲ませ、唇のなかで暴れまわる。が、ついに黒目は動きを止めた。俺という一点を凝視して。
 唇が閉じ、すぐに開く。今度は白い歯が現れた。口角が吊り上がり、何を考えているか分からない不敵な笑みを湛える。
 こいつはやばい。本能的に生命の危機を感じ取った。このままでは殺される。けどすぐには逃げだせない。いま背中を見せて逃げれば、確実に死を早める結果になると感ぜられた。時機を見極めなくちゃいけない。俺は全神経を注ぎ、その時を待った。
 唇がすぼみ、誕生日ケーキに立てられた蝋燭の火を消すように、生温かい息を吹きかけてくる。鼻に息がかかると瞬時に嗅覚が爆ぜた。死臭を思わせるすえた刺激臭が鼻を襲ったのだ。まるで吐瀉物を鼻から流し込まれたかのようで、嗅いだ瞬間に胃の中をぐちゃぐちゃに掻き混ぜられた感覚に陥った。
 今すぐにでも胃の内容物すべてをぶちまけてしまいたい衝動に駆られた。だが激しい吐き気に襲われながらも、俺はなんとか耐え切り、黒い球体から決して目を離さなかった。生き永らえるためにはそれが必要なことだと本能的に思えた。目を離したら最後、次の瞬間には死が待っている気がしていた。
 すぼまっていた唇が元の形に戻り、白い歯を見せながら声もなくケラケラと笑った。こいつは俺のなかの恐怖を見透かして楽しんでいるらしい。けれど、そんなお遊びの時間はもうそこまでだった。
 唇が大きく開かれた。そのさまを見て認識した刹那、黒い球体はこちらに向かって突進してきた。
 反射的に身体が動いて飛びのく。しっかりと見ていたおかげでギリギリのところで避けられた。代わりに黒い球体は黒板に向けて突っ込み、激しい衝突音が空気を震わせた。その威力たるや目を瞠るもので、黒板は後ろの壁もろともまるでケーキでも食べるかのように容易く食い破られていた。
 粉塵が立ち込めるなか、球体の表面を移動して唇がこちらに向いた。そして瞬きするように一度開閉を行うと、ふたたび唇のなかに眼玉が現れた。黒目がぐるりと回ってから俺を睨みつけ、怒りを露わに白目部分に細かい血管を走らせる。
 唇がまた閉じて開くと白い歯が顔を覗かせた。また来る。そう肌で感じた瞬間、全身の血液が急激に冷めていくのが分かった。さっきの攻撃の威力を目の当たりにして怖気づいていた。肌が粟立ち、背筋を悪寒が走る。身体は恐怖に主導権を奪われ、金縛りにあったように床に縫い付けられた。
 夢であったらいい。そんな儚い望みはもう抱いていなかった。肌にひしひしと感じる感覚は確実に現実のそれだ。逃げなきゃ殺される。動かない身体に焦燥感ばかりが込み上げてくる。
 黒い球体が口を大きく開いてふたたび突進してくる。そのさまを見た途端、生への執着はあっさりと事切れた。死の恐怖を前にして、生き残ろうとする考えを呆気なく放棄したのだ。今では残された刹那の生を無価値な走馬灯の上映準備に充てて、死んであの世に逝ったときのための言い訳を考え始めていた。
 どうせ俺は大量生産品なんだ。あのまま生き続けたって仕方がなかったんだよ――。
 あれほど必死に向けていた視線を伏せ、瞼を閉じて視界を闇に委ねる。すぐそばで死が俺のことを待っているのが、背筋を撫でる寒気によって分かった。
 俺は死ぬんだ……。俺は死を覚悟した。
 しかしそこで訪れたのは激しい衝撃でも耐えがたい苦痛でもなかった。代わりに何者かの悲鳴が俺の耳をつんざいた。
「ぎゃあぁああぁあぁあああぁあ」
 黒板を引っ掻いたような高周波の叫び。固く閉じていた瞼を開けて見てみると、目の前では黒い球体が叫声をあげながら暴れていた。その唇には縦に斬られたような傷があり、傷口から血と思われる黒い液体が噴き出ている。
「逃げるよ!」
 突然、背後から声がした。振り返って見るとそこには一人の少女が立っていた。
 同い年ぐらいに思われる彼女は、カーキ色をした膝下丈のパンツに、首から離れたところで襟が立っているカットソーを着ていた。カットソーは白地に黒色で模様が描かれており、その模様は一つひとつが直線や曲線の交錯に円形や三角形、四角形を組み合わせて作られた平仮名になっていた。その平仮名がいくつも寄り集まり、襟元にあがるにつれて密度を増していくグラデーションのようなパターンを描き出している。とても不思議な印象を受ける服だ。
 髪型は黒色のショートカットで、前髪が目にかからないように左上をヘアピンで留めていた。そのヘアピンのデザインもよく見てみると平仮名になっており、平仮名の『す』を模していた。
 もちろん今の状況でこんなにも詳細に観察する余裕なんてあるはずがないのだけれど、実際に俺は穴が開くんじゃないかってほどしげしげと彼女のことを見てしまっていた。つまりは彼女に見蕩れてしまっていたのだ。こんな状況下でありながらも。
 惚けてしまっている俺に苛立つ様子で、彼女は大きな黒目でキッと俺を睨みつけた。そして右手を突き出すと、喝を入れるような口調で短く言う。
「ほら早く!」
 その声で俺はようやく我に返り、彼女の差し出す手を取った。そして彼女に手を引かれるまま廊下を走り出した。


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