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作品名:ディス・ユートピア 作者:alone

第3回 this utopia ii
「ハウエル。とりあえず、かかって来い」
 サディアス先生はそれだけ言うと、眼をギラギラとぎらつかせて臨戦態勢に入った。ノアを含めた他の五人は壁際におり、僕だけがサディアス先生と向き合わされている。他人事だと思ってエルやファイなんかは「やっちまえ」だとか無責任なことを言っていた。
 一対一。レベルの差は明らかだ。サディアス先生は軍人。その人が怒っている。僕に勝ち目はない。
 でも、だからと言って手を抜くこともできない。それが招くのはより酷い結末だ。敗北でも善戦。それが一番の理想的な終わり方。
 僕は深呼吸を一度して、全身から力を抜く。リミッターを解除。筋肉に課された枷(かせ)を外してやる。
 先手必勝。下らない言葉が思い浮かんだ。臨戦態勢で待っているうえに、サディアス先生の強さのレベルは僕より何段も上だ。先に動いてもすぐに対処されてしまう。けれど後手に回るなんて論外。受けに回ったって攻撃を受け切れるわけがない。ずるずると追い込まれて、詰みになるのが関の山だ。
 だから選択肢は先手を取るしかない。先に動くんだ。でも、それだけでは決まらない。
 僕は考える。少しでも勝てる可能性を高めるために、意識を集中させて刹那の時間に思考を積み重ねる。時間は限られている。使いすぎれば、サディアス先生が動き始めてしまう。
 時間にすれば数秒にも満たなかった間で、僕はなんとか戦略を決めた。それがサディアス先生に対して有効であるかは分からない。思考実験では計測できないものが実戦には多くある。ただ他に比べればわずかに勝算が見込めるというだけだ。
 足に意識を向ける。足の裏、床を踏んでいる感覚。感じる。
 踏みしめる。重心を前に。力の集中をつま先へ移す。
 今だ。
 床をつま先で蹴りつけた。身体を前に押し出す。踏み出した足で、また床を蹴る。
 サディアス先生との間合いを一気につめる。距離にして十メートル以上。筋肉のリミットを解除している今では、一秒にも満たない間の出来事。
 サディアス先生のすぐ目の前で、身体をわずかに左へやって、そしてすぐに右に。小手先のフェイントだけど、無いよりかはマシだ。
 左足を右前に。そのまま身体を翻し、右足で後ろ回し蹴り。目標は、サディアス先生の顔面。
 でも、止められる。いくら速く動こうとも、僕の最高速度よりサディアス先生の方が何もかも速い。
 サディアス先生は右手で、僕の右足の踵(かかと)を掴む。動きに無駄がない。この程度は余裕ということだ。けれど、そんなことは端から分かっている。
 左足で強く床を蹴りつけて、今度は右足を軸に身体を捻る。サディアス先生が僕の右足を放した。半歩後ろに下がり、僕の様子を見る。
 宙で一回転。僕の左足が着地。身体には回る感覚が残っている。左手に拳を。勢いを殺さず、右足を床につけ、拳を前に出す。
 それを見て、サディアス先生は落ち着いて両手で顔を守る。これじゃ僕のパンチは届かない。でも、狙いはパンチを届かすことじゃない。届けたいのは、それじゃない。
 閉じていた拳を開く。掌をサディアス先生に向ける。そして。
 《拡張感覚》――《聴覚》を使う。サディアス先生の頭を狙って、超音波を放つ。
 内耳を狙った攻撃。これでサディアス先生の平衡感覚は狂う。水平は歪んで、床は溶けたみたいにぐにゃぐにゃだ。自然に体勢が崩れる。まっすぐ立とうとして、自分から倒れてしまう。
 そこに一撃。それで決着がつく。
 超音波をサディアス先生に向けて発してから数秒後、ぐらりと先生の身体が揺れた。効いた、と僕は思う。畳み掛けるなら今だと、僕は拳を握り、がら空きの腹部を狙う。
 パシンッ! 予想外の音。そして、感触。
 サディアス先生は僕の拳を受け止めていた。偶然? 僕はすぐさま、もう一方の手を出す。けれど、それもすぐに掴まれてしまう。どちらも振り解くことはできない。
 動揺で視線が浮き上がる。サディアス先生と目が合った。先生は片方の口角を上げて、にやりと笑う。僕の心を見透かしている。
「なかなか良かった」
 サディアス先生は僕の手を掴んだまま話し始める。内容はきっと、今の戦闘訓練の総括。つまり、もうすぐこの訓練は終わる。
「だが、勝負を決めようとするのが早すぎだ。無駄に手数を増やせとは言わないが、色んな手を織り交ぜることで、相手の警戒を分散することもできる。今回はお前が勝負を早く決めようとしているのがすぐ分かった。だから最初からお前の得意な《聴覚》での攻撃に絞っていた。そうなればどうなるか、お前も分かるだろ、ハウエル」
 僕をじっと見る二つの眼。肺の中に留めていた空気を、僕は鼻からゆっくりと吐き出した。
「まあ、まさか超音波で内耳を攻撃して平衡感覚を奪おうとしてくるとは思ってもみなかったな。けど、どうせ音波だ。逆位相の波長で打ち消せる。でもそれは俺が格上だったから出来た技だ。同じか格下には、あの攻撃は止めておくべきだな。加減を間違えれば、平衡感覚の一時的な喪失を通り越して、耳が聴こえなくなることもあり得る」
 そう言ってサディアス先生は僕の手を突き飛ばすように放した。その勢いで、僕は数歩後ろにたたらを踏む。
「そういえばハウエル。お前はこの攻撃、自分でくらったことはあるのか?」
 忘れていたことを思い出したというような口調で、サディアス先生は訊いてきた。
「いや、偶然今日知ったので使ってみただけです」
「そうか。なら味わっとくといい」
 ほんの一瞬で、サディアス先生は両手を僕の耳の横に持っていった。まるで最初からそうだったと錯覚してしまうほど素早い動きで、反応は間に合わない。遅れて眼だけが追い、反射的に見開く。瞳に映ったのは、サディアス先生の爽やかな笑顔。
「良い体験だ」
 パチン。指を弾く音。それを合図に、床が溶けた。まるで沼の上にでも立っているような感覚。動いていないつもりなのに、身体が徐々に倒れていく錯覚。水平が垂直に。上下左右はシャッフルされる。僕の体勢は? 定まらない。
 後頭部に痛みが走った。そこでようやく理解する。
 僕は倒れたんだ。自分から。真後ろに。


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