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作品名:ディス・ユートピア 作者:alone

第17回 dystopia i
   ―― dystopia ――

 そこは《ユートピア》中央司令塔の一室。中央管理室と呼ばれ、《ユートピア》のシステム中枢を担う場所である。
 半球状の広い部屋には薄暗さが立ち込め、冷たい静けさが覆っている。明かりと呼べるような設備はなく、壁の手前の空間に映し出された映像だけがうっすらと照らして部屋を囲んでいる。
 部屋の中心には一人の人間が立っており、その人を囲む形で十人の人間が配置されていた。中心に立つ人間は中央管理室の室長であり、《ユートピア》のシステムにおける最高責任者だ。彼は忙しなく瞳を動かし、彼を囲む映像のすべてをチェックしている。もちろんただの人間に全方向の映像をチェックすることなどはできない。彼は《拡張感覚》を用いて情報のすべてをチェックしているのだ。そのために人間としての機能を最小限に抑えながら。
 彼を囲む十人は皆ある装置のうえで横になっている。身体には無数のコードが接続され、身動ぎひとつ取ることはない。生命維持以外、人間としての機能を失っている。なぜなら必要とされているのは脳だけだからだ。
 十人は男女混合であるが、男性は三人に対して女性は七人と多い。これは男性の脳が論理演算処理を得意とする一方で、女性の脳が感情演算処理を得意とすることに起因する。彼女らに課された仕事は感情が強く関わるため、女性が大きい割合を占めるのは必然なのだ。
 彼女らの脳内には膨大な情報が絶えず流れ込んでくる。その情報の基は《ユートピア》に住む人々――《ユートピアの民(ユートピアン)》の脳だ。彼女らは人々の脳から情報を受け取り、知覚情報や思考情報などすべての情報を監視する。つまり人々の目はそれぞれが監視カメラのように働き、思考の内容も大声で話しているように隠し立てできない。なぜそのようなことをするのか。それは《ユートピア》の平穏を保つために必要だからだ。そのため彼女らはその膨大な情報を適切に処理し変換して、室長である彼のもとへと送る。この作業にすでに彼女らの感情や思考は関わらない。彼女らはもう情報を変換するただの関数に過ぎず、《ユートピア》のシステムを支える部品のひとつに過ぎないからだ。
 一人の女性が膨大な情報の中から気になるものを見つけた。口を動かすという機能すら失った彼女らは、ほぼ意識のみの存在として《思考同調》を用いて室長に報告する。
(室長。現在《悪魔狩り》を行っている訓練生第三班において危険思想を持つ可能性がある要注意者がおります)
 人間味の抜け落ちた機械的な言葉。抑揚を欠き、ひどく冷め切っている。だがそれは彼女に限ったことではない。室長も同様の響きで応じる。
(要注意者の視覚映像を映せ)
 室長の言葉に従い、囲む映像のなかに新しく大きな画面が立ち上がった。そこには薄暗い部屋と一人の少女が映っている。
(要注意者は訓練生第三班所属、生体コード46RV2K7F――“ハウエル”です)
(客観視覚と主観視覚を)
 室長の言葉により、映されていた映像は二つになり並べられる。一方には薄暗い部屋にいる一人の少女。もう一方には少女の代わりに小さな《悪魔》が映っている。客観視覚と言われる加工の加わっていないオリジナルの視覚映像と、主観視覚と言われる現在ハウエルが見ている視覚映像。
 少女と《悪魔》は同時に歩きだし、要注意者へと近づく。視覚映像が揺れ、要注意者が後ずさりしたのが分かった。少女たちはその動きを見つめたまま、黒いものの前で立ち止まる。
(視覚情報に合わせ、その他感覚情報および思考音声を出せ。情報にもとづく没愛度もグラフ表示だ)
 室長の指示に従い、ハウエルのあらゆる情報が開示される。視覚情報に加え、聴覚情報や嗅覚情報などの感覚情報、そして思考もリアルタイムで音声として再生される。ハウエルは遠く離れた場所にいたわけだが、彼の脳が知覚している情報はすべて中央管理室においても共有されていた。まさにハウエルの脳を中央管理室で再現していた。中央管理室自体がハウエルの脳の複製と化していたのだ。
「僕に危害を加えるつもりではないみたいだ」ハウエルの声が室内に響く。「この《悪魔》には敵意がない」
 ハウエルの思考音声に反応して、視覚情報の横に映されたグラフが下降した。室長の指示により映された没愛度のグラフだ。
 没愛度とは《神様》への『愛』を数値化したもの。視覚や聴覚などの感覚情報に加え、思考情報などから総合的に算出される。すなわち脳内を監視して不穏な動きがないかを調べた結果、算出される数値が没愛度なのだ。算出の演算処理においては論理性よりも感情性が重視される。そのため女性の脳が多く求められる。没愛度の値については《神様》を深く愛せば愛すほど高くなり、最大値として100が設定されている。一方《ユートピアの民(ユートピアン)》としての足切り線(ボーダーライン)は95。すなわち没愛度が95を下回った場合、《神様》への反抗可能性のある危険分子として『粛清』の対象とされる。
 中央管理室内には奇妙な音が響いていた。室長たちがその音に対して困惑していたのは言うまでもない。なぜならそれはピアノの音であり、彼らはピアノを解する心を持っていなかったからだ。音楽を解するには特別な感性が必要とされる。その点、ハウエルの脳は違っていた。
 中央管理室にはハウエルの興奮が直接流れ込んで来ていた。聴覚を中心に感覚が昂りを見せ、思考は奔流のように押し寄せた。日々ひとりで何百という人間の感覚情報や思考情報を処理する彼女だったが、いまのハウエルの情報処理は手に負えなかった。変換処理の行えていない未加工情報がそのままで室内に流れ込む。過去に類を見ない混乱が中央管理室を襲っていた。
「音楽だ!」
 ハウエルの叫びが室内に響いた。床を覆うコードの群れが震え、室内の空気は掻き乱される。円を描いて囲む映像はハウエルに関するものを残し、すべてがERRORの文字に塗りつぶされた。静かに情報処理を遂行していた残り九名までが悪影響を受け、その演算処理を停止せざるを得なくなった結果だ。
 残された映像のうち、ハウエルの主観視覚が変調をきたす。色を失い、モノクロの映像が混じった。だがそれだけじゃない。そこに映るのは客観視覚と同じ映像だ。つまりそこにあるのは《悪魔》ではなく人間の少女の姿だった。
 没愛度のグラフが緩やかな下降を描く。まだ95を下回ってはいないが、それは時間の問題だと思われた。室長は焦る気持ちを抑えながら《拡張感覚》をフル稼働させ、事態の収拾を図る。しかし室内はすでに阿鼻叫喚に包まれていた。
 ハウエルの困惑と混乱が思考音声とともに室内にどっと流れ込み、そこにピアノの奏でる音楽が五月蠅く掻き鳴らされて混ざり込む。室長以外の十人は絶えず代入され続ける未知の値に脳が過負荷を訴え、叫び出した。久々に音声を発した彼らの喉はひどく嗄(しわが)れ、まるで初めて声を発する赤子の鳴き声のようだ。大きな赤ん坊がそろって泣き喚いている。室内は音の洪水に呑み込まれ、情報過多の深淵に沈んでいた。
 ハウエルの脳内で過去の記憶が溢れ出す。彼の脳を再現している中央管理室内にも感覚情報が溢れ出し、急激な速さで反芻が試みられていた。《悪魔狩り》の映像が押し寄せ、黒い血潮と肉片が飛び散る。《悪魔》が叫び回り、ハウエルが泣き叫ぶ。混濁する記憶映像のなかで《悪魔》と人間の姿が代わる代わる映りこむ。没愛度はいまだに下降軌道を描き続けていた。このままでは足切り線と交わってしまう。プログラムされていた機能が始動し、ハウエルの疑問に「《悪魔》だ」という答えを押しつけ続けた。すべて悪いのは《悪魔》だ。憎悪せよ。《悪魔》を憎悪せよ。ハウエルの意識に思想矯正を行っている。
 下がり続ける没愛度のグラフが遂に足切り線を目前とする。足切り線に漸近していき、限りなく近づく。このまま二つの線が交差する、そう思われた瞬間、没愛度はギリギリのところで足切り線と平行線を辿り始めた。
「そう、《神様》のために!」
 室内にハウエルの思考音声が響き渡った。一瞬にして、場は静けさを取り戻す。ハウエルの感覚情報の奔流は静まり、掻き鳴らされていた音楽は止んだ。赤ん坊のように泣いていた人々は黙り込み、ふたたび脳を働かせるためだけの容れ物に戻る。
 なんとか凌(しの)ぐことができた、と室長は胸を撫で下ろした。しかしそこで、ハウエルの聴覚情報がある声をりんと響かせる。
「大丈夫?」
 映された視覚映像が動く。声の方へと視線が移っていく。ぼやけた視界。焦点が正しく結ばれる。明瞭な映像が映し出された。画面に映る像は、客観視覚と主観視覚ともに同じものだ。
 人間の女の子が青い瞳で覗き込んでいる。瞬間――ハウエルの没愛度は足切り線(ボーダーライン)を割った。
 刹那、堰を切ったように、先ほどの比ではない量の情報が押し寄せてきた。思考音声はハウエルの叫び声に塗り潰されている。記憶のなかでは死に行く《悪魔》――人間が断末魔の叫びを上げる。感覚情報が氾濫していた。ハウエルの《拡張感覚》が暴走を起こしている。弾け飛ぶ死体が音を奏でていると錯覚している。脳内に音楽が溢れ起こる。情報の波が中央管理室に襲い来る。不気味な音楽が掻き鳴らされた。叫ぶしかなかった。自己を守るには叫ぶしかなかった。だが叫び声が誰のものかもう判然としない。ハウエルか、死に行く人間か、横たわっている十人の誰かか、それとも室長か。誰が叫び、誰が叫んでいないか。それはもう誰にも分からなかった。叫んでいる本人ですら自身が叫んでいると認識できなくなっていた。この場はすでに狂乱に満たされていた。
 しばらくの後に、ようやく叫び声は止んだ。ハウエルが呆然と見下ろす地面が、視覚映像として画面に映し出されている。
 ERRORの文字が並んでいた映像は、徐々に元の光景を取り戻していく。脅威は去り、中央管理室には平穏がまた訪れている。室長を囲む十人は何事もなかったように仕事を再開していた。彼女らはもうシステムの一部でしかない。不具合が取り除かれれば、もとの仕事に戻るだけだ。日々の度重なる演算処理のもとで、すでに彼女らの意思と呼べるものは限りなく磨滅してしまっていた。
 室長も身体を襲う平常時と異なる反応を抑え込み、以前の静けさを身に纏う。そして没愛度が足切り線を下回ったハウエルに対し、規定通りの措置を取る。
(生体コード46RV2K7F――“ハウエル”に関し、《神様》への没愛度が不十分であることから粛清対象とする。対象の《拡張感覚》はこれより凍結。加えて対象は《ユートピア》追放および、《悪魔》堕落とする。まずは対象の近くにいる《ユートピアの民(ユートピアン)》の《拡張感覚》について対象の《悪魔》堕落処理を行い、粛清部門には対象の粛清指令を伝達。対象以外の訓練生第三班には一時的な記憶偽装を施し、《ユートピア》帰還後、対象に関する記憶を完全抹消とする)
 室長の指示に対して、ハウエルの情報を扱う女性が答える。
(対象より三百メートルの位置に《ユートピアの民(ユートピアン)》の反応を認めました。《拡張感覚》の《悪魔》堕落処理は完了済み。対象との接触が予想されます)
(接触可能性のある者の視覚映像を)
 すぐさま視覚映像が映し出される。ハウエルの視界とノアの視界が並んだ。
(接触します)女性は静かに言った。
 先にハウエルの視覚映像にノアの姿が映る。ハウエルの視界は揺れ、腕が何度も横切った。ノアを呼んでいる様子だ。一方、ノアの視覚映像はきょろきょろと辺りを見渡し、声の主を探していた。そして遂にその姿を視界に捉える。
 ハウエルの視覚映像でノアの目がこちらを見る。二人の目が合っていた。だがノアの視覚映像に映っているのはもうハウエルではない。そこに映っているのはただの《悪魔》。憎み殺すべき、《悪魔》だった。
 そしてハウエルは殺された。友であったノアの手によって。


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