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作品名:掌の囁きに耳を傾けて 作者:alone

第8回 僕と愛犬と賢者の石
僕は天才だ。しかし先天的なものではない。



僕は昨晩から手掛けていた論文をようやく書き上げることが出来た。
机の端に置かれた時計を見てみると、もう朝になっていることを告げている。どうやら論文ひとつに徹夜してしまったらしい。
だいぶ時間がかかっちゃったな。やっぱりわざわざレベルを下げて書かなくちゃいけないのは面倒だな。当たり前のことを改めて書かないといけないなんて……。
僕はわずかにべた付く頭を掻きながら、そんなことを考えていた。
まあいい。今は熱いシャワーでも浴びたい気分だ。
僕は椅子を後ろに引いて立ち上がり、そのまま風呂場に向かおうと思ったが、背後の存在に気付き、足を止めた。
「なんだアトラス。僕が終わるのをずっと待ってくれていたのか?」
僕はその場に屈み、そこに横たわっている毛むくじゃらの巨体を撫でた。
彼の名前はアトラス。セント・バーナードという種類の大型犬で、独り暮らしをしている今の僕にとって家族と呼べる唯一の存在だ。
アトラスはのっそりと顔を上げると、そのつぶらな瞳で僕を見つめ、撫でる僕の手をひと舐めした。まるで「お疲れ」と労をねぎらってくれているようだ。
「お前は可愛い奴だな」
僕は自然と笑みを零しながらアトラスの身体をわしゃわしゃと撫でてやる。アトラス自身も気持ち良さそうに目を細めて顎を持ち上げていた。
リリリリンッ! 突然、電話が鳴った。
誰だよ……。
幸せな時間を邪魔されたことに対して心の中で舌打ちを漏らしながら、僕は電話に出た。
「もしもし?」僕はぶっきらぼうな声で言う。
「もしもし。私だが、少しよろしいかな?」
私だがって、それじゃ普通は分からないだろうが……と胸の内で毒づきながらも、僕は声から誰であるかを察する。相手方もそうなることを承知で名乗ることを端折ったのだろう。
「西田さんですよね、警視総監の。別に構いませんよ。何でしょう?」
「実は、またしても奇妙な事件がありましてな。君の力を貸して貰いたいのだが……」
やっぱりその手の話か。
「別に良いですよ。ちょうど論文も終わって時間には余裕がありますし」
「そうか、それは助かる。ありがとう、君には感謝してもしきれないよ」
「いえいえ。お気になさらず」
それから西田さんはまた感謝の言葉を並べながら、三十分後には迎えを寄越すと告げると電話を切った。僕は切れた受話器を電話機に戻し、溜め息をひとつ零す。
どうせまた簡単な事件なんだろうな。どうしてあんな事件に悩めるんだろうか……。
僕が世界屈指の天才ということを聞きつけたらしく、少し前から警察の捜査協力要請があった。別に断る理由もないために僕は警察の捜査に協力するようになったが、僕には悩むような事件だとは思えなかった。
しかし解明すると非常に感謝される。不思議なことだ。簡単な命題を解くだけだというのに、そんなに感謝するようなことではないと思うんだが。まあ、これも僕が天才になったからか。
僕は首にかけていたネックレスを外した。銀のチェーンの先には赤い半透明の石がついている。その赤い石を見つめ、僕は十年以上前のことを思い出した――。

まだ小学校低学年だった頃、僕は天才どころか、生来の馬鹿だった。
漢字を覚える以前にひらがな・カタカナすら危なく、掛け算・割り算どころか足し算・引き算すらまともに出来なかった。あまりの馬鹿さ加減に教師たちがさじを投げたほどだ。
しかしある日、そんな馬鹿な僕にも人生の転機が訪れた。
その日は町祭りがある日で、町内には祭囃子が響いて賑わっていた。かくいう僕も貯めていた小遣いを片手に友達と祭りに行き、楽しい時間を過ごした。そして、その帰り道に僕はそれと出会った。
家に帰る途中、祭り会場から離れた場所だというのに露天商が開かれているのが目についた。興味本位で僕は露天商に寄ってみたが、売られているのは箱に大量に詰められた赤い石だけ。そんなものには普通なら金を払うはずもない。
だが、馬鹿な僕は露店商人の巧みでもない口車に乗せられ、なけなしの小遣いを叩いてその赤い石を買ってしまったのだ。そして、僕はその赤い石をお守りのように大事に持っておくことにした。
しかし、それから僕の身に不思議なことが起こった。なんと頭が良くなったのだ。それもとてつもないほどに。
僕は勉強など一分たりともしていないのに、気付けば掛け算・割り算を理解し、それどころか二次関数までも十全に理解していた。言葉だって辞書を読み漁ったわけでもないというのに、いつの間にか頭の中に溢れかえっていた。
僕は勉強ひとつしていないというのに、気付くと知識の塊と化していたのだ。
そして、僕は自然と赤い石の正体を知ることになった。その答えもいつの間にやら頭の中にあったのだ。
その赤い石は賢者の石と呼ばれるものだったのだ。しかし、マンガやアニメに出て来るような不老不死をもたらすものでもなければ、絶大なエネルギーを内蔵したものでもない。それは所有者を賢者にする石、つまり天才にする石だったのだ。
そうして生粋の馬鹿だった僕は世界屈指の天才に変わった。たった一個の石を持ったというだけで。

遠い日のことに遅れてシャワーのことを思い出し、僕は外したネックレスを机の上に置くと風呂場に向かった。アトラスは付いて来てくれるかと期待したが、床に寝転がったまま動こうとしない。僕の仕事が終わるのを待ってくれていたわけではなかったのだろうか……。



熱いシャワーのおかげで心も身体もすっきりとした僕は、バスタオルで頭を拭きながらパンツ一丁で部屋に戻った。部屋の中に入ってみると、そこにはもうアトラスの姿はない。
またどこかで日向ぼっこでもしながら寝転がっているのだろう。
僕はあまり気にすることなく、机の上に置いた賢者の石を取ろうと机に近づいた。しかし、置いたはずのところに賢者の石はなかった。
あれ、おかしいな? 落ちたか?
僕は机の下を覗いてみるが、机の下には何も見当たらない。ではどこに行ったんだ?
あれがないとマズいな……。
僕はもう十数分で来る警察からの迎えのことを考えていた。どうせ警視庁に着いたらすぐに捜査資料に目を通させられ、彼らは事件解明の期待を込めた眼で僕を見てくるに違いない。
だが、賢者の石を持っていなければ、僕は天才ではなくなってしまうのだ。
賢者の石の効力発揮条件としては肌身離さず常備することが必要であり、身に付けていなければ次第に効力は切れていってしまう。おそらく一時間足らずで僕もただの人間に成り下がってしまうだろう。
もし僕が捜査資料を見て解明どころか何の糸口を見いだせなければ、彼らは僕を不振がることだろう。そうすれば僕は信用を失うどころか、天才たる所以である賢者の石すらも失うことになるかもしれない。それだけは避けたいことだ。
僕は机の上を片っ端からひっくり返し、賢者の石が紛れていないかを探す。机の下も何度も確認し、必死になって探してはみるが、一向に賢者の石が見つかる気配はなかった。一体どこに行ってしまったんだ……?
騒がしく部屋を探していると、部屋のドアがガチャリと開いた。どうやら騒音を聞きつけ、何事かとアトラスが駆けつけてきたらしい。
「ああ、すまないな、アトラス。ちょっと探し物してるんだよ」
僕は作業の手を止めることなく、後ろに居るであろうアトラスに言葉をかけた。
だがそこで想像だにしないことが起きる。
「そうか、主(あるじ)よ。して、その探し物とは何なのだ?」
返ってきた声。僕はギョッとなって作業の手を止めた。
この家には僕とアトラス以外だれも居ないはずだ。つまり言葉が返ってくることなんてありえない。僕はいくら天才だからと言ってもアンドロイドもロボットも作った覚えはないぞ。
僕は恐るおそる後ろを振り返った。そしてさらに驚く羽目となる。
そこには美しい直立二足歩行をするアトラスが立っていたのだ。彼は白のバスタオルを用いてまるでトガのようにその身を包み、訝しげにつぶらな瞳を細めて僕を見つめている。
僕は驚きのあまり開いた口が塞がらなくなっていたが、なんとか言葉を紡ごうと口を動かした。
「お、お前……、アトラス……か……?」
僕はアトラスと思われる二足歩行犬を指差し、訊ねた。彼は眉根を一度寄せ、あっけらかんとした口調で答える。
「もちろんだとも、主よ。このアトラスの顔をお忘れか?」
「い、いや……そんなことはないが……なんでお前、立ってるんだ?」
「ああ、このことか。それは少し考えれば分かることだろう、主よ。このような不思議なことを起こせるものなど一つしかない」
「……?」
アトラスの言葉を意味を考え、そして僕は一つの結論に至る。
「まさかっ――!」僕は机の上を見て、そしてまたアトラスの方を見遣った。「賢者の石に関わることか?!」
アトラスは前足を器用に動かし、人間で言うところの指を指すような仕草をする。
「ご名答。さすがは主だ。細かい事情を説明すれば、以前の私が好奇心に負けてしまってな、賢者の石を咥え、そして誤って飲み込んでしまったのだ」
「えっ、じゃあ賢者の石は今……」
「私の腹の中ということになる」
アトラスは自らの失態を恥じるように眉根を吊り上げ、口元を歪めた。
だが、そんなアトラスの様子に気をかける余裕は僕にはもうなくなっていた。賢者の石がアトラスの腹の中にあることは、すぐに取り出すことは無理だろう。吐き出せと言うような酷な真似もあまりしたくない。では、どうすれば……。
「それで、その賢者の石はどうなっちまうんだ? まさか消化されるなんてことは……?」僕は訊ねてみる。
「その点については消化などの心配は不要であろう。並大抵な物質ではない賢者の石どころか、チェーンを溶かすなんてほども胃酸は強力ではないからな。犬の腸の長さを考慮すれば、およそ十二時間ほどの後には糞便とともに排出されることだろう」
「そうか……」
けれど十二時間か……今は一分一秒も惜しいんだが……。いや、待てよ。
「アトラス、今は賢者の石の効力がお前に移っているっていることで良いんだよな?」
「それは間違いのないことだ。現に私は知恵を手にし、歩く様まで変貌しているのだからな。だが、それがどうかしたのか主よ?」
「実はこれから警察の捜査協力に行かなくてはならないんだが、お前も来てはくれないか? 僕の賢者の石の効力は徐々に失われつつあるから、効力なしの凡人になった僕にはどうしても解明できるとは思えないんだ」
「助っ人というわけか。良かろう、手を貸すぞ主よ」
「分かった。じゃあ、僕はさっさと身支度を済ませるよ」
そいて僕は部屋から飛び出そうとしたが、それをアトラスは前足を突き出して制止した。僕は勢いを殺し、なんとか立ち止まる。
「なんだ? どうかしたのかアトラス?」
「主よ。主の服も良いが、私の服は用意してはもらえぬのだろうか?」
「服……?」唐突な話に僕はきょとんとしてしまった。「服なんかがいるのか?」
「服なんかとは、主はアダムとイブの話をお忘れか」
アダムとイブ? 何の話だ?
僕が話の先を読めないでいると、アトラスは苛立ちを押し殺したような様子で話を進めた。
「かのアダムとイブはヘビに唆され、エデンの園にありし禁断の果実を口にした。その結果、彼らは無垢ではなくなり、自らが裸であることを恥じたという。この話は今の私にも当てはまるのだ。私は賢者の石という禁断の果実を口にし、知恵を得た。そのため自らが裸であることが恥ずかしく耐え難いことなのだよ。お分かり頂けたか、主よ?」
アトラスのふるった熱弁により、僕はようやく状況を理解した。以前の僕ならば一を言わずとも十を理解したというのに、今ではもう知能レベルがただの凡人にまで下がりつつあるようだ。
「そうか。それはすまなかった。何か適当なものを見繕ってみるよ」
「ありがとう主よ」アトラスは口元を上げて笑みを浮かべた。「ただ、出来れば知的な服装が望ましいな。私も一度は紳士的な格好をしてみたいというものだ」
なんだかずうずうしくなったなアトラス……。僕は心の中で呻いた。
「紳士的な格好とはまあ考えてみるが、人前に出る以上、二足歩行のままというのは問題だからいつも通りにしてもらわないと困るんだが」
「そうか。それもそうだな。主以外の人間の前では犬の振りに努めるとしよう」
「犬の振りって……」そもそもお前は犬だろう。「まあいい。見た目はともかく、歩き方とかは犬らしくしてくれよ」
「うむ。頑張ってみよう」

アトラスが大型犬であったおかげで僕の服を用いることが出来た。紳士的格好をご所望ということでスーツ一式を用意してみたが、二足歩行時に来ているならまだしも、その姿で四足歩行されると不格好どころか不気味さが漂っていた。まるで大柄の人間が四つん這いで歩いているかのようで恐怖映像という他ない。
さすがに見かねた僕もそのことをアトラスに指摘せざるを得ない。
「アトラス……ちょっといいか……?」
「ん? 何かね、主よ」アトラスは鏡に映る自分の姿をしげしげと見ながら言った。
「正直言うと、その姿は不気味という他ないと思うんだが……」
「ふむ、やはりそう思うか主よ」アトラスは訝しそうに鏡像を見つめて言う。「私も予想とは違った結果に参っているところだ」
ああ、お前もそう思っていたのか。
「ひとつ提案なんだが、家の中ではどんな格好でも構わないから、人前ではペットらしくするわけにはいかないか?」僕は恐るおそる訊ねた。
「つまり私に、恥辱に塗れろ、ということか主よ?」
アトラスは鏡から視線を僕の方に逸らし、横目で僕を見た。自分とさほど図体の変わらない存在に睨まれているためか、僕も胸がざわつくのを覚えてしまう。ここで負けることなく毅然と命令するのが飼い主とペットの主従関係なんだろうが、今の関係は対等どころか僕の方が下になりつつある有り様だ。賢者の石という存在たったひとつでペットとの関係すらもきちんと築けなくなるとは、僕はやはり元より凡人だったというわけか。いや、凡人にもペットとの関係を作ることはできるのだから、それ以下ということなのかもしれない……。
「いや、嫌ならいいんだけどな……」
心が折れ気味な僕は抵抗ひとつ見せることなく降参して引き下がる。だが、アトラスの返答は意外なものだった。
「分かった。私も元は犬だ。腹を括ってペットらしくすることとしよう」
「ほ、ほんとか、アトラス……!?」僕は自分の耳を疑って訊き返してしまう。
「もちろん本当だ、主よ。ここで私が奇異な格好をして我が主の信用を落とすわけにはいかぬからな」
俺の信用……!?
「アトラス……」
あまりの飼い主愛に僕は思わず声を漏らしてしまった。そして、気持ちのままにアトラスに抱きつく。
「アトラス、お前は良い奴だなあ」
暑苦しいほどの抱擁をし、そして僕はアトラスの身体をわしゃわしゃと撫でようとした。だが、それを制止する厳しい声。
「いや、それ以上は結構!」
ビシッと突き出されたアトラスの前足。柔らかそうな肉球が顔を見せている。
「え、でも……」
唐突な制止に、僕は行き場を失った想いとともに路頭に迷ったような気分になる。
「抱きつくのは結構だが、撫でるのは勘弁していただきたい。主の撫で方は毛が絡み合ってしまうものだからいつも苦労させられているのだ」
「えっ……」
そうなのか……?!
飼い主の勝手な思い込みというのはペットを飼う者にはお約束だろうが、こうもハッキリと思っていることを伝えられると逆に悲しい。今では、込み上げていた溢れんばかりの嬉しさも退いてしまい、僕は呆然自失という有り様になってしまっていた。
そこに、タイミングを見計らったようにチャイムの音が響く。どうやら警察からの迎えが来たようだ。
「では行くぞ、主よ」
アトラスはスーツを脱ぎ捨て、素っ裸の姿で四つん這いになりながら言った。
「あ、ああ……」相変わらず立ち直れない僕。
「主よ、その意気では事件など解明出来ぬぞ。もっとやる気を見せぬか。でなければ私も協力を辞退させてもらうぞ」
アトラスの脅しを聞き、僕はやっと正気に戻る。
「そ、それは困る。僕だって信用を失うわけにはいかないからな」
「よし、その意気だ。では、いざ行かん、警視庁」
意気揚々なアトラスの後に続き、僕も玄関に向かった。
アトラスが賢者の石を出してくれるまでの約十二時間。それだけの間、僕は天才であることを誤魔化しきることが出来るだろうか。いや、考えてったって始まらない。僕にはいま賢者の石はないが、アトラスという強い見方がいるじゃないか。
僕は前を歩くアトラスを見下ろした。四足歩行がいつもよりも少々ぎこちない。犬の振りをするというのはどうやら思った以上に大変なことのようだ。つまり、アトラスも僕のために頑張ってくれているということになる。
なら、僕も頑張ろう。
僕は決心を固め、玄関の戸を大きく開いた。この先に待つ事件がなんであれ、必ず解明してやる。そう深く心に刻んで。


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