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作品名:掌の囁きに耳を傾けて 作者:alone

第3回 新たな門出 − 【新人】
私は八十歳を迎えた矢先、おまけに死も迎えてしまった。その呆気ない終わりに、自分でも驚いてしまうほどだ。
実際、いまだに目の前に横たわっている死体が自分であったとは思えない。実は私には双子の兄弟がおり、彼が死んでしまったのだ、とでも言われた方がまだ信じられるというものだ。しかし、目の前にあるのは完全に私の肉体であり、その傍らで私は魂だけとなっていた。
私は死体を残して外に出てみた。幽体というのは便利なもので、老いを感じさせず、飛べそうなほど軽い。さらには、やはり幽霊だからか道行く人々は私という存在にまるで気づかなかった。私が前に立ちはだかろうが、声をかけようが、何の反応も見せず彼らは歩き続けていた。
適当に散策していると、今度は塀の上で昼寝をしている猫を見つけた。いたずら心が働き、私は寝ている猫にちょっかいを出してみる。しかし、それは猫も反応するはずがないと思っての行動だったのだが、意外にも猫は目を覚まして頭をあげた。
「ニャー」
何やってんだよ人間、と言いたげな不機嫌な声を発した。その顔はしっかりと私の方を見つめ、恨めしそうな視線を投じてきている。
「おい、お前! 何やってんだよ!」
突然、声が飛んできて、私はそちらを振り向く。すると、そこには五才ほどの小さな子供が立っていた。
子供は小走りで私の方に駆け寄ってくると、猫に向けて深々と頭を下げた。
「猫さん、本当に申し訳ありません。うちの新人がとんだご無礼を致しました。この通りでございますから、今回は穏便に収めていただけないでしょうか」
小さな子供は猫に頭を下げたまま、ハキハキとした口調で謝罪の言葉を並べる。そして、チラと私の方を見やり、小さく「お前も頭を下げろ」と言ってきた。
私は何が何だか分からないままに一応は頭を下げ、「申し訳ございません」と動揺混じりに謝罪した。
猫はその小さな目で下がった二つの頭を見下げると、「ニャ」と小さく残し、塀の上を歩いてどこかに消えてしまった。子供は猫が去っていくのを見届けると私の方に振り返った。
「お前、なんてことしてんだよ。危うく大問題に発展するところだっただろ!」
彼は明らかに年上である私を「お前」と呼びながら、怒号を発した。
「そうは言われても、私にはまだ何も分からないんだよ、坊や」
「坊や? 先輩に向かってどんな口の利き方してんだ」
「せ、先輩……?」予想外な返しに私は面食らってしまう。
「そうだ。お前はまだ死んだばかりの新人幽霊だろうが。俺はもうかれこれ十年は幽霊やってるエリートなんだよ。先輩には敬意を払うのが当然だろ。今まで一体どんな生前を過ごしてきたんだ」
ハキハキと喋っていく物言いに、私はまじまじと彼のことを改めて見てしまう。
彼は小さな体格で、一見すると無邪気な子供なのだが、どうやらこの世界では見た目というものは関係ないらしい。幼い彼が先輩で、老いた私が新人。幽霊にも上下社会があるとは全くもって知らなかった。
私は小さな彼に対し頭を下げ、謝罪の言葉を述べる。
「申し訳ありませんでした」
「分かればいいんだよ、分かれば。俺が子供だからって舐めてくるやつが多いもんだからついつい熱くなっちまった。すまなかったな。けど、猫さんにだけはちょっかい出すなよ」
「猫……ですか?」
「ああ。知らないか? 猫は九つの命を持ってるって話。俺たちみたいに命が一つしかない連中とは格が違うんだよ。言うなら、猫さんたちが王族貴族で、俺たちはしがない一般庶民ってことだ。レベルが違うし、次元もまるで違う」
「なるほど……」私は猫の地位の高さを教えられ、静かに感嘆のため息を漏らした。
「だから、猫さんたちに対する態度はとことん気をつけろよ。じゃあ、とにかく新人であるお前には幽霊のなんたるかを教えてやるよ。俺は厳しいからな。覚悟しとけよ」
そういうと、先輩である子供はそそくさと歩き始めた。
「え、どこに行くんですか……?」
「ん? そんなの穢れ落としに寺院の営業回りに決まってんだろ。生前の汚れた魂をキレイにしてもらうんだよ」
「営業ですか……」
「分かったらさっさと付いて来い」
先輩は足早に歩いていく。その背を見ながら私は生前のことを思い出していた。
自分がまだ会社に入りたての頃。毎日、営業回りで走りまわっていた。昇進につれて仕事はデスクワークに限られていき、営業なんてもう何十年もしていない。しかし八十年も生きて、そして死に、まさか幽霊となってまた新人となって営業をやることになるとは、全くもって思いもしなかった。
本当に人生とは面白いものだな。
そう思い、私は禿げた頭をぺちりと叩いた。
「いや、私はもう死んでいるんだった……」
小さくなっていく先輩の背を追い、私は営業に向かった。


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