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作品名:掌の囁きに耳を傾けて 作者:alone

最終回 生と死の共立


部屋の中は静かだった。
必要なもの以外は何もない僕の部屋。がらんとしていて味気ない。シンプルと言えば聞こえはいいかもしれないが、実際にはシンプルというのも憚られる有り様で、寂し気というにふさわしかった。
陽が傾き、高さを下げていく。紅い西日がレースのカーテン越しに窓から入りこみ、室内をうすら紅く染め上げる。そして同時に、ひとつの影を不気味に浮かび上がらせる。
天井からぶら下がった一本のロープ。先には顔が通るほどの輪が作られている。その高さは僕の身長よりは高くにあり、そこに届くように僕はロープの真下に一脚の椅子を置いていた。
僕は椅子に足をかけ、上に立つ。ちょうど目の前にロープの輪がくる。僕はその輪に手をかけて、自らの顔を通した。輪はするすると僕の頭を通していき、僕の顎の下、首に差しかかったところで止まる。
僕は椅子の上に立って、首に輪をかけていた。もしここで僕が椅子を蹴り飛ばせば、僕の身体は一瞬宙に浮き、次の瞬間には一本のロープに支えられる。ロープは僕の重さに引っ張られ、みるみるうちに首に食い込んでいき、僕一人ではもうどうにもならなくなる。そして最後に、僕は死に至る。
僕はロープの輪を持つ手に手汗が滲んでいくのを感じる。全身を寒気に似た感覚が走り抜け、身体中が粟立つ。そして汗腺という汗腺がすべて開き、そこら中から油汗が滲み出る。
もし僕が椅子を蹴れば、僕は死に至る。
僕は足の指先に全神経を傾ける。そのたった一点の場所の判断で、僕の命はどうにだってなってしまう。生きるか死ぬか、すべてはそこに懸かっている。
僕は一分ほどの間、首にロープをかけたまま過ごした。その時間はいかなる時間にも代えがたい。あれほど長い一分間を味わうのは、他の手段では不可能だろう。それこそ命を懸けた場面でしか味わせない。
僕はゆっくりとロープから頭を抜かせ、ロープを元の垂らした状態に戻す。そして椅子から床に足を下ろすと、肺に留まっていた息を一気に吐き出した。
全身を駆け抜けていく快感。僕は生きている。僕は、生きている――――。


その日課を始めたのは、交通事故で両親を亡くした日のことだった。今から数えれば、もう三年以上前のことになる。
その日、僕は両親とともに買い物に出かけていた。場所は大型ショッピングモール。少し遠くではあったが、それに見合うほどの価値はある巨大な場所だった。
僕らはそこで色々なものを買って、ついでに夕食も済ませた。そして帰り路につき、もう少しで家に着くというところで、事故は起こった。
相手は飲酒運転の車だった。こちらは普通に走っていたというのに、対向車線を走っていたその車は突然中央線を越えてこちらの車線に入ってきて、こちらは避けることができずにそのまま正面衝突となってしまった。
両親は即死だった。ついでに相手の飲酒運転手もだ。幸い僕だけは病院での集中治療の甲斐もあって、なんとか一命を取り留めた。
けれど、僕は両親を失い、生きる意味のようなものも見失ってしまった。感じるのは孤独や絶望、そんな負の感情ばかり。幸せどころか生きる意志すらも持ち合わせてはいなかった。
僕はもう生きる意味がないと考え、一人孤独な家の中に一本のロープを吊るした。そしてロープに輪を作り、僕はその輪を首にかけた。
このまま椅子を蹴れば、僕も死ぬことができる。たった椅子を蹴り飛ばすだけで、もう生きなくてもいいんだ。もう生きなくても、いいんだ。
僕は椅子を蹴った。身体が宙に浮かび、そして次の瞬間、ビンッ、とロープが張った。
僕は顎の下から一気にロープに引き上げられ、宙に浮いた状態で足をバタつかせた。苦しい。息ができない。痛い。苦しい――――。
しかし次の瞬間、ロープは、ビシッ、という音を立てて切れた。そして僕の身体は支えを失い、僕は床の上に尻餅をついた。
首からは切れたロープがぶら下がり、僕の激しい喘ぎに合わせて揺れ動いていた。気管を空気が忙しなく行き来する。もうロープによる塞き止めはない。
もう死ぬことはない――――――そう思った瞬間、不思議と僕の身体を快感が満たしていった。
生きている実感。僕は今、生きている。今なら僕にも『生きる』というものが分かる。『生きる』というものが――!


その日以来、僕はこうやって毎日、首にロープをかけるようにしている。
それは死にたいからじゃない。僕はこのまま生きていたいから、首にロープをかけるんだ。
首にロープをかけるとき、僕は生と死の狭間に立たされる。一歩前に進めば、僕は死に至り、一歩退けば、僕は生を手に入れる。そのとき僕の部屋の中には、生と死がともに存在しているんだ。相反するはずの二つが、同時に存在しているんだ。
もしあなたが今の生に実感を得られないのなら、試してみるといい。用意するものは簡単だ。たった一本のロープ。それだけでいい。
そしてロープを部屋に垂れ下げ、ロープの輪に自らの首を通せばいい。そうすれば分かる。生きている心地と、死に接する心地というものが。
あなたもいつか分かるはずだ。そうやって身近に死を用意することの重要性を。生を実感する価値を。
繰り返すが用意するものは簡単だ。
たった一本のロープ…………それだけでいい。


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