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作品名:掌の囁きに耳を傾けて 作者:alone

第15回 私だけの、小さなアイドル − 【アイドル】
私が夕ご飯を作るとき、キッチンはコンサート会場になる。
観客は私。舞台はキッチンの床のうえ。そして主演は五才になる娘のハナ。
ハナは流行りの歌を歌い、キッチンの床のうえを飛び跳ねて踊る。気分はまさしくアイドルだ。
トン、トトン――。
ハナは楽しそうにステップを刻み、小気味よくキッチンの床を鳴らして踊った。
でも、もうそのステップは聞こえない。すべてはあの急ブレーキに掻き消されてしまった。


その日は近くの公園でハナとかくれんぼをして遊んでいた。
鬼となった私は十秒数えてから「もういいかい?」と訊いてみたが、ハナの返事はなかった。私はもう少し声を張ってまた訊いてみる。
「もーういいかーい?」
今度も返事はなかった。けれどその代わりに、耳をつんざく音が辺りに響いた。
キイイイィィィ――――ッ!
車が急ブレーキを踏む音。私は嫌な予感がして、すぐさま音がした方に走った。
道路には一台の車が止まっており、そしてその前には――――。
「ハナッ!!」
私は叫び、車の前でぐったりと倒れるハナのもとに駆け寄った。
「ハナッ! ハナッ!!」
私は必死にハナの名前を呼んだ。するとハナの瞼が震え、ゆっくりと上げられる。
「マ……マ……?」今にも消えてしまいそうなハナの声。
「そうよ、ママよ、ハナ。でも今は無理に喋っちゃダメ」
けれどハナは喋り続けた。
「見て……ちょうちょ……」
ハナは震えながらも右手を上げ、閉じた手を開く。するとハナの手の中には小さな蝶がいた。蝶は手が開いたのに気付くと、ハナの手の中から飛び立った。
「かわ……いい……でしょ…………」
ハナの声は徐々に小さく消えていく。さらに瞼もゆっくりと閉じられていった。
私はその後、何度もハナの名前を呼び続けたが、ハナの瞼がふたたび開くことはなかった。打ち所が悪かったらしく、救急車が着いた頃にはもう手遅れだったのだ。


私は目を覚ます。どうやら泣き疲れて寝てしまっていたらしい。
目の周りがとても熱かった。きっと泣きすぎで腫れているのだろう。でも涙が涸れるほど泣いたというのに、心の中ではまだまだ泣き足りなかった。
突っ伏していた机から身を起こし、腫れぼったい目を開けて辺りを見渡す。
部屋の中には西日が差しこみ、夕日が部屋を紅く染め上げていた。以前なら綺麗とか思ったかもしれないが、今ではただただ悲しみしか感じ得なかった。
目元から涙が零れ落ちる。もう涸れたと思ったのに、悲しみに際限はなかった。
腫れぼったい目を開けていられなくなり、私は瞼を下ろした。瞼の裏にハナの姿が映る。ハナは楽しそうに歌って踊っていた。でももう、その姿を見ることはできない。
けれど、その時だった。
トン、トトン――。
キッチンの床が鳴った。最初は気のせいだと思った。ハナのことを思いすぎて、遂に幻聴が聞こえ始めたのだと思った。けれど、音はふたたび聞こえた。
トン、トトン――。
はっきりと聞こえる。私は腫れた瞼を上げて、涙で滲む瞳をキッチンの方に向けた。
涙で視界が歪み、最初は見間違いだと思った。けれどキッチンには、ステップを踏んで踊る小さな人の姿があった。
私は涙を拭って、よく見てみる。するとその姿はまさしくハナだった。
ハナは以前のように小さな身体で飛び跳ね、キッチンの床をあのステップで鳴らしていた。
トン、トトン――。はっきりと私の耳に届く。
私は身体を起こし、キッチンの方にゆっくりと歩み寄った。ハナは変わらず踊りつづけ、今では歌を歌っているのも聞こえる。
私はキッチンの床のうえで踊るハナのもとに行き、そして抱きしめた。ハナの感触が広がっていく。それはまさしく本物だ。私はもうハナと別れまいと抱きしめ、離さなかった。
「ねえ、ママ」ハナがとても落ち着いた声色で囁いた。
「なに……ハナ……?」私は涙で上擦った声を返す。
「もう泣かないで。泣いてるママは見たくないよ。だから笑って。笑ってよ、ママ」
ハナの悲しそうな声を聞き、私は泣きながらもなんとか笑顔を作る。
「分かったわ……ほら、笑ってるでしょ? ね?」
ボロボロと涙を落としながら、私は笑顔を保った。それを見て、ハナは最後に一言だけ言った。
「ありがとう、ママ」


私は目を覚ます。どうやら夢を見ていたみたいだ。
でも幸せな夢だった。私はハナを抱きしめた感触を思い出そうとする。
けれどそこで、私は手の中の別の感触に気付いた。見てみると、いつのまにか右手を軽く閉じていた。
恐るおそる指を上げて手を開いていく。するとそこには一羽の蝶がいた。
蝶はふわりと飛ぶと、私の目の前でゆっくりと舞い踊る。
「笑って」
ハナにそんなことを言われた気がして、私は笑顔を浮かべた。
蝶は私の笑顔を見ると、開いていた窓から外へと飛んでいった。その姿を見つめながら、私は呟く。
「ありがとう、ハナ」


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