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作品名:後ろの正面だあれ 作者:alone

第13回 少女と咄人 その伍
 私は目を大きく見開いた。心臓は全力疾走をした後のように跳ねていた。呼吸は一定の間隔を保たず、激しく乱れてしまっていた。全身には嫌な汗が滲んでおり、不快感に包まれている。
 不快この上ない有り様の私とは対照的に、外は清涼感のある雨音に包まれていた。しとしとという単調な音が耳に届く。空は厚く重ったるい雨雲に覆われているのか、朝とも夕方とも判断のつかない薄暗さだった。
 汗でべたべたとする身体を冷やすために外に出ようと、私は布団から起き上がろうとした。しかし、私の身体はまったく動かなかった。驚きのあまり、口からは言葉になりきれない息が零れた。
 私の身体はまるで金縛りにでもあっているかのように、指先ひとつ自由に動かせなかった。杭でその場に固定されているかと思うほど、まったく動かなかった。私の気の焦りに合わせ、心臓が鼓動を早めていく。全身が鼓動とともに震える。呼吸が震えに掻き乱されていった。
 私の頭の中は半狂乱状態に陥っていた。一体自分の身に何が起こっているのか、さっぱり分からなかった。視線は何を見るでもなく絶えず右往左往としていた。金縛りされている今、自分の意思で動かせるのは目だけだったというのに、その有様ではどこに焦点を合わせているかさえも分からなかった。気の焦りばかりが加速していき、私の意識は虫食い状態になっていた。
 突然、私の意識に土足で音が踏み込んできた。その音を聞いた瞬間、私の中での気の焦りが一気に引いていき、不思議なことに静けさを取り戻した。どこか遠くでしとしとと振り続ける中、その音は近づいてきた。
 ズシャッズシャッ、というぬかるむ地面を踏みしめる音が近づいてくる。足音ははっきりと私の耳に届き、その他の音はどこか遠くで無関係そうに鳴っていた。先ほどまでの焦燥感は潮が引くように消えていき、安堵感の波が少しずつ打ち寄せてきた。
 障子に人影がうつる。見覚えのある姿に、私は安心を覚えた。東斎さんなら私を助けてくれる。きっとそうだと信じていた。
 草履と地面が擦れる音がして、東斎さんは縁側に上がった。障子に手を伸ばし、するすると優しい音を奏でて障子は開かれた。
「おや、今日は横になっておられるんですね。お疲れのところなのでしょうか?」
 私の都合を問いかけつつ、東斎さんは慣れた様子で肩に背負っていた荷物を下ろす。私は今の自分の状態を伝えようと口を開き、言葉を出した。
 けれど、私の口から言葉が漏れることはなかった。零れ落ちるのは空気ばかりで、何の意味ももっていないものだった。けれど、私は必死に伝えようと、意味のない空気を吐き出し続けた。だが、それが東斎さんに届くことはなかった。
 東斎さんは荷を下ろし終えると、私の枕元に座り、私を見下ろす。
「では、御咄を始めましょうか」
 一見すればいつもと同じような口調の言葉。けれど、なぜだか違和感があった。私の胸の中がざわつく。何だろう、この感じ。何かがおかしい。
 東斎さんは瞼を下ろし、深呼吸を数回。そして瞼を上げると、そこには冷ややかな瞳があった。その瞳が私を見下ろし、私と眼があった。瞬間、氷水の中に飛び込んでしまったかと勘違いするほどの寒気が私を襲った。寒気に続き、死んだような冷たさの恐怖感が這い上がってくる。
「これからお話ししますは怪談咄」
 東斎さんは淡々と冷たげな口調で語りはじめる。瞳は相変わらず冷め切り、虚ろなものだった。そこに私が映っているとは思えないほどに。
「アヤカシや幽霊、怪異や化物に纏(まつ)わる類から、出所不明の噂咄に至るまで、種類は様々に御座いますが、全てに一様に申しあげられることが在ります」
 機械的に進んで行く言葉。それは本当に私のために語られているものなのだろうか? 湧き起こってくる疑問が恐怖に挿げ変わっていく。なんだか怖くて堪らなかった。
「それは、これから致します御咄は何処かの土地に息づいているということで御座います」
 東斎さん。あなたは一体、誰に話しかけているの?
 そう訊ねたいけれど、私の口から虚しく空気が漏れるだけだった。


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