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作品名:Masquerade 〜マスカレード〜 作者:alone

第5回 純白のハンカチーフ
 最後の音が後を引きながら響く。音楽家たちは演奏を止め、楽器を構えるのを止めた。ダンスをしていた人々は皆、相手から手を離し、互いに礼を交わす。俺は右手をへその辺りに添えて、左手を腰にやり、頭を下げる。彼女はスカートを摘み上げ、膝を軽く曲げてお辞儀をした。
「マルクレイ様、今宵はとても楽しかったです」彼女が穏やかな笑顔を浮かべる。
「こちらこそアリスさんのお相手が出来て光栄です」俺は彼女の笑みに笑顔で応える。
 互いに微笑み合い、いい雰囲気に包まれる。もっと何かを話したいと思うが、それを誰かの声が遮る。
「紳士淑女の皆さん、今宵は私の開催する仮面舞踏会にお越し頂きありがとうございました」
 声をする方を見ると、そこにはゲルトラウスという名のあの男が立っている。両手を広げ、全身で感謝の意を表現しているようであった。
「楽しい時間をお過ごしのところではありますが、残念ながら幕引きの時間となってしまいました」人々が軽くざわつく。終わることを名残惜しんでいるようだ。「今宵の宴は思い出として胸に刻みつけてお帰り下さい」
 そう言うと、彼は出口となる扉を指差す。それを受け、仮面をつけた二人のメイドが二枚扉の片方ずつを押し開く。
 俺は彼女に視線を戻す。すると、偶然にも彼女も視線を戻すところで、互いに視線が交わり、笑みを零しあう。
「これでお別れですね、マルクレイ様」
「そうですね。今日はとても楽しい時間をありがとうございました」
 まだ何かを続けて言おうと口を開いてはみるが、何を言えば良いか分からず、ゆっくりとまた閉じることになってしまう。そのような俺に対して、彼女の方が話す。
「もう帰らなければいけませんので、私はこの辺でお暇させていただきます。またお会いできることを願っております」
「こちらこそ、またお会いできることを楽しみにしております」
 そして、互いに会釈のような小さい礼をまた交わし、彼女は俺の前から去って行った。その行方を目で追っていくと、夫婦と思しき男女の元に行った。おそらく彼女の両親なのだろう。楽しそうに口元を動かしているが、俺のことが話題に上っているなどは全く分からない。三人揃って出口へと向かい、その背中は他の人々の中に紛れ、消えていった。俺はまた独りになる。
 寂しさを感じる間もなく、背後から声をかけられる。主催者であるあの男だ。
「失敗してしまったようだな」
 残念がるような調子は全く含まれておらず、明らかに他人事と言う感じだ。俺は彼の方に一瞥をするが、何も言葉は返さない。いや、返せない。
「やはり親に似るものだな。せっかく与えたチャンスを、こうもふいにするのだから」一度鼻で笑い、嘲笑を浮かべる。「見るに堪えん。さっさとこいつを追い出しておけ」
 彼は虫を払うように数回手を振り、俺に背を向けて去っていく。
「ご所望通りに」
 突然、背後からキリッと締まった低い声が届く。驚いて一瞬身をすくめるが、恐る恐る後ろを振り向く。すると、黒の背広を着た男が立っており、俺に冷ややかな視線を投じている。おそらく執事なのだろう。
 バタンッ、という扉が閉まる音が響き渡ると、執事は俺の肩を掴む。頭には抵抗の二文字が過ぎりはしたが、肩を掴む握力の強さに、その考えも握り潰されてしまう。
 ほぼ強制的に奥の部屋に連れていかれ、そこで待っていたメイドたちに服を脱がされる。代わりに着せられたのは、俺がここに来るときに着ていたボロ雑巾のような服であるが、そこに染みついていた汗の臭いは石鹸の匂いに取って代わられていた。
 俺の着替えが終えるのを確認すると、再び執事は俺の肩を掴んだ。半分押すような形で出口へと連れていかれ、エントランスを抜け、正面扉から追い出される。押し出されるような形だったために俺は体勢を崩し、そのまま地面に倒れ込んだ。一方、執事は変わらず冷めた視線を向け、何事も無かったかのように屋敷へとその身を退いた。
 俺は倒れたまま地面を見つめる。心の奥からは惨めさが込み上げ、その気持ちを抑えようと手に力がこもり、土を握る。鼻には土のにおいに混じって石鹸の香りがまとわりつき、惨めさを一層増させる。処理しきれない気持ちを断つように、握った拳で地を叩いた。拳は、小石が刺さり、薄皮が剥がれ、耐えきれず皮が裂けて血が滲みだす。けれども、気に留めるどころか、そのような痛みさえも感じる余裕を持たずに、何度も地面を殴り続けた。土に血が垂れて混ざり合い、薄暗い中でもその部分の地面だけは色濃く見えた。
 拳にやっと痛みを感じ、俺は殴るのを止める。悔しさは相変わらず胸に抱きながらも立ち上がり、重い足取りで帰路に着く。手にじんじんと鈍い痛みがあるが、その方がなぜだか落ち着きをまだ持つことが出来た。
 人通りの減ったヴェレンツェ通りを進む。すれ違うような人はほとんど居らず、道路を歩く馬車馬のパカパカという足音だけが虚しく響いていた。辺りを照らすのはガス灯と、閉店の準備をする店明かりだけだが、俺の存在を否定するように、俺が店前を通る前にその明かりは消えていく。
 やりきれない思いが湧き起こり、どう処理をすべきか分からず、むしゃくしゃして歩道を強く蹴る。だが、石畳を形成している石の一つが偶然にも突き出ており、そこに足が引っ掛かり、俺は無様に倒れ込んだ。行き場のない悔しさが募り、俺は「クソッ! クソッ!」と言いながら傷ついた拳で地を殴りつける。
 カランカラン、と不意に軽快な音が耳に届く。音とともに香ばしいパンの匂いが香ってくる。顔を上げてみてみると、パン屋が最後の客と別れている所だった。店主は小太りはおばさんで、前で両手を結び、相手に対し「これからもご贔屓に」と言って頭を下げている。客の方は女性で、パンが入って膨らんだ袋を抱えている。服装は赤色のドレスを着ており、その頭には――。
 見覚えのある薔薇のコサージュ。
 俺は思わず目を見開いてしまう。彼女は女店主に別れを告げて振り返ろうとするが、その途中で俺と目が合った。俺は気付かれたくない想いで、すぐに視線を逸らす。しかし、俺が地面に倒れたままで居るのを彼女は心配に思ったようで、俺に声をかけてきた。
「大丈夫ですか?」
 彼女が心配そうに俺を見ている。一方、俺の頭の中では、彼女であるという事実に気を動転させつつ、自分の正体を知られたくないという思いが駆け巡っていた。ばれないようにするため、俺は声を変えて答える。
「だ、大丈夫です」
 低めの声を意識し、手で日除けをするように顔を隠した。だが、それが自らの首を絞める結果を招く。
「手を怪我しているじゃないですか」彼女はパンの袋を抱えたまま、俺の傍に駆け寄る。「大変……」
「こんなの大丈夫です。唾をつけておけば勝手に治ります」
 俺は起き上がりながら背中に手を隠す。だが、彼女はその程度で諦めるつもりはないようだ。パンの袋を傍らに置き、何かを取り出している。
「手を出してください」優しげだが毅然とした口調で言った。それを無視し、俺は黙りを続けたが、彼女はよりきっぱりとした物言いでもう一度言う。「出してください」
 俺は根負けして手を出す。彼女はその手に見て、「血が出てる」と小さく呟きながら、手元に取り出したものを俺の手に巻きつける。それは真っ白なハンカチーフだった。
 結び目をきつめに締め、ハンカチーフが外れないことを確認すると、彼女は「これで大丈夫」と呟く。
「おい、アリス! 何をしているんだ?」低く野太い声が、道路に停められていた馬車から聞こえてきた。
「お父様、今戻ります」大きめの声で彼女は返すと、俺の方に向き直り、「ごめんなさい。もう行かないといけません」と言った。
 彼女はパンの袋を抱えて立ち上がり、小さく一礼をするとその身を翻し、そのまま馬車の方に去って行った。彼女が乗ると馬車は動きだし、俺はひとり残される。だが、不思議と寂しさなどは込み上げてこない。手に結ばれた彼女のハンカチーフが、俺の胸に穏やかさをもたらしてくれていたからだ。

 工場が建ち並ぶ中を抜け、脇道から貧困街へと入っていく。薄暗さの中でも、そこが煤などで黒く汚れているのが分かる。一日足らず離れていただけだが、懐かしさのようなものが起こり、一方では煌びやかなあの世界への羨望の念が混ざっているように感じた。
 鼻にまとわりつく悪臭が石鹸の匂いをかき消していく。嫌でも自分の身分というものを思い知らされる。
 家に着き、戸を開ける。ギィッ、と小さく軋み、床に積もった埃や煤が月明かりの下に舞い上がる。
「ただいま……」
 小さく声を零す。しかし、それに答える者は誰も居らず、家には静寂だけが居座っている。もう自分の帰りを待ってくれている人は居ないんだと、実感を覚える。もう誰も俺のことを待ってくれていないのだと。
 扉を閉めると、部屋は窓から差し込む月明かりだけに照らされる。その下では埃が行くあてもなく浮遊し、もう誰も寝ていない布団に降っていく。
「ダメだったよ……父さん」俺は力なく独りごちる。
 支えを失ったように、俺はその布団の上に膝をつき、手もついて四つん這いの形となる。視界の中で、彼女に付けられたハンカチーフが月明かりによって美しく輝いて見えた。胸の奥にいろいろな気持ちが湧き起こる。その気持ちをどう処理すればいいか分からなくなり、俺は両手の間に頭を埋める。
 もう何も考えないようにして、その夜はそのまま眠りについた。


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