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作品名:Masquerade 〜マスカレード〜 作者:alone

第3回 ハーフマスク
 彼がベルを振ると、チリンチリン、という高く透き通った音が響く。部屋の中に少しの間余韻を引いてから、静けさが戻る。
 静かになってから数秒後、ドアをノックする音が部屋の空気を震わせた。数回のノックの後、ノブが回され、ドアが開かれる。そこにはメイドが一人立っていた。深々と頭を下げてから話す。
「御呼びでしょうか、ご主人様」
「こいつを少しはまともにしてくれ」
 彼の言葉を聞き、メイドは俺に一瞥をくれるが、すぐに彼の方に視線を戻し、「畏まりました」と頭を下げる。
 彼女は頭を上げると、俺の元に寄り、「どうぞあちらへ」と言って部屋を出るように言う。俺はただ、その言葉に従ってこの部屋を後にした。
 メイドの背中を追って二階に上がり、長い廊下を歩いていく。屋敷の中は妙に静かで、足音が響き渡っていた。
 いくつか扉を過ぎたところで、メイドはある扉の前に止まる。その扉を開き、俺が中に入るのを待つ。
 中に入ってみると、その部屋がどういうものかすぐに分かった。目の前には洗面台や脱衣所があり、その向こうには曇ったガラス戸があった。見えたわけではないが、見える限りから察するに浴室だろう。
「では、失礼します」メイドが言う。
 どういうことだろう、とか考える前に、彼女は俺の腕を持ち上げ、服を脱がせにかかる。さらには、いつの間にか幾人かのメイドも加わっており、複数のメイドが俺の服を脱がせつつある。
「いや、ちょっ、まっ」
 数瞬なされるがままになっていたが、すぐに脱がされないようにズボンを抑えたりする。
 しかし、メイドたちは顔色一つ変えず、「ご安心ください。慣れておりますので」と言って、俺の抑えを優しく取り払う。そして、ズボンも下着も脱がされ、俺は生まれたままの姿にされる。
 恥ずかしさで顔を歪ませながら、手で股間を隠す。そのまま彼女たちに連れられ、ガラス戸を抜けた。
 曇ったガラスを越えると、その全貌が視界に入る。湯気が薄らとかかってはいるがよく見えた。綺麗にタイルが並べられ、奥には大きな浴槽が見える。獅子の頭を模したオブジェの口からは湯気とともにお湯が流れだし、浴槽になみなみと注がれていた。
 メイドの一人がどこからか小さな椅子を持ち出し、そこに俺を座らせる。そして、数名のメイドたちが分担で俺の身体を洗い始めた。
 長年の汗と埃でガビガビに固まってしまっている髪の毛には、丁寧に湿り気を与えつつ、手櫛で梳きほぐしていく。十分に濡れたところで石鹸を取り、頭皮をマッサージしながら丹念に洗われた。
 身体の方は、何層にも重なっている垢をすっていき、それが終わると、柔らかな布と石鹸を使って丁寧に洗われていった。身体を覆った泡を流されると、まるで脱皮でもしたかのような感覚にとらわれた。それほどまでに垢が積もり積もっていたのである。
 洗う作業が終わると、今度は散髪が開始された。櫛とハサミを用いて、自由気ままに伸びている髪の毛を整えていく。そして、同時進行で手足の爪も切られた。雑に切られていた爪が綺麗な形に整えられ、その表面さえも磨き上げられる。
 すべてが終わり、俺は脱衣所へと連れ戻された。メイドたちが真っ白なタオルを持って待っており、それで身体を拭かれる。綿のような柔らかさをもちながら、絹のような肌触りを兼ね備えていた。(どちらも触れたことすらないのだが)
 彼女たちは俺の身体を拭き終えると、用意していた衣服を俺に着せる。肌に吸いつくような黒のズボン。シルクと思われる真っ白なシャツ。光沢のある糸で編まれた白の蝶ネクタイ。銀色を思わせるようなグレーがかったベスト。そして、漆黒のテールコート。
 すべてを着せられたところで目の前に姿見が置かれる。その鏡の中を覗くと、見慣れない姿が映し出されている。
「これが……俺か……?」
 そこに立つ紳士姿の男を見て、自分であると信じられずに声を漏らした。あまりの変わりぶりに、目の前に映るものが現実であると全く信じられない。ついさっきまでゴミ溜めで生きていた俺が、今では貴族と同じ格好をして立っている。その様をまさに夢心地で見つめた。
「なかなか様になっているじゃないか」
 突然、後ろから声をかけられる。俺の影から誰かが姿を現すのが鏡に映し出される。ゲルトラウスという名の男だ。髭の剃り残しがないかを確認するかのように顎をさすっている。
「これなら十分通用しそうだな」そう言うと、彼は視線をメイドたちの方に移し、次の指示を出す。「よし、次は教養などの類を頼む」
「教養と仰いますと……?」メイドの一人が訊き返す。
 その言葉に彼は不機嫌そうに眉間に皺をよせ、「舞踏会なんだぞ。見た目だけでは不十分だ。話し方、マナー、態度。それに、ダンスのステップが出来なくてはいかんだろうが」と語調強く言った。
「も、申し訳ございませんでした」彼女はすぐに頭を下げた。その口調は怯えて微かに震えていた。
 彼は不満そうに口元を歪ませたまま、その場を去って行った。
 そして、メイドたちとのレッスンが始まった。

 丁寧な喋り方。
 落ち着いた物腰。
 紳士的な振る舞い。
 すべてが数時間程度で叩き込まれていく。メイド長の叱咤に耐えながらも、なんとか乗り越え、立派な紳士の出来上がり。自負できるほどの出来だ。
 そして、今は最後の仕上げに取り掛かっていた。ダンスのステップである。ワルツ、タンゴ、クイックステップ、ヴェニーズワルツ……。曲調が違えば、そのつど刻むステップも変わってくる。頭で覚えようにもこんがらがってしまい、こればかりは身体で覚えるしかない。メイドを相手にステップを重ね続ける。
「マルクレイ様、全然なっておりません。もっと真面目にしていただけますか?」
 メイド長の言葉が飛んでくる。丁寧な物言いだというのに、鋭利な刃をもって胸に突き刺さる。「真面目にやってるよ」とでも反論したいものだが、それでは彼女の神経を逆撫でにし、事態の悪化を招くだけだ。「分かりました」としぶしぶ了承する。
 そうして練習が続く中、メイドたちは舞踏会の準備があると言って居なくなってしまった。残された俺は一人でステップの確認を続ける。鏡を見ながら、何度も、何度も。
 時間は過ぎ去り、夜の帳が下りる。街のガス灯には火が灯され、柔らかな光を注ぎ始める。屋敷内部も電球が点き、明々と室内を照らし出す。エントランスにあるシャンデリアは昔ながらの蝋燭であり、メイドたちの手により一つ一つ火が灯されていった。
 窓ガラスにその身を映して練習していると、声をかけられる。
「時間だ。準備はできたか?」
 その声を聞き、俺は足を止めて振り返る。声の主はゲルトラウス。黒の燕尾服に身を包み、ドアのところに立っていた。
「はい、大丈夫です」落ち着いた口調で返す。怯えなどは一切の気配を見せていない。
 彼は改めて俺の姿を頭から爪先まで見ていく。見終えると頷きをひとつ取り、俺を呼ぶ。
「よし、こっちに来い。これからが本番だ」
 その声に従い、俺はドアの方に向かった。彼は俺が近づくと、燕尾服のポケットから何かを取り出す。
「これを」彼はその何かを受け取るように促す。
 俺は手を出し、それを受け取った。手の上に軽いものが乗っけられた。彼の手が退くと、それが何であるかを理解した。白地に金の装飾を施されたヴェネチアンハーフマスク。目の周りに金色の線が波を描くように引かれており、高い芸術性を感じさせる。
 そのマスクを早速つけてみる。まるで吸い付いているかのようなほど、顔にぴったりとフィットした。特注などする時間は無かったはずだから、それには少々の驚きを覚えた。
「なかなか似合っているじゃないか」彼が感心するように言った。
 そして、彼もハーフマスクを付けた。目鼻立ちが隠れるだけで、随分と分からなくなるものだなと思ってしまう。
 彼はマスクがしっかりとついていることを確認すると、「では、行くぞ」と言い、部屋の外に出る。俺もその後に続いた。
 長い廊下を歩いていく。足音は同じように響いていたが、緊張であまり気が向かない。気付けば廊下は終わり、階段に変わる。エントランスホールは蝋燭のシャンデリアで柔らかく照らされており、日中に見た時とはまた別の、どこか幻想的な雰囲気を醸し出していた。その中をコツコツと音を響かせつつ下りていき、一階に着く。彼は身を翻し、玄関扉とは反対の方に向く。そこにはニスにより光沢を放つ赤茶色の二枚扉があった。その向こうからは人の話し声が漏れ聞こえてくる。彼はその扉の前に向かい、何の躊躇も見せずに扉を両方とも手前に引いて開いた。
 そこはまさに別世界だった。
 あえて電球を点けずに蝋燭だけで明かりを灯しており、幻想的な空間を演出している。その空間には、黒の燕尾服を着た紳士たちと、艶やかなドレスに身を包んだ淑女たちが居り、皆が仮面をつけて舞踏会にその身を投じている。中央の壁際には音楽隊の場所があり、生の演奏を披露している。食事の乗せられたテーブルは両脇に並んでおり、中央はダンスのために確保されている。
 魅惑的なその空間に、言葉を失い、息を飲む。その妖艶な雰囲気にあてられ、自分が誰であるかを見失いそうであった。そんな有り様で佇んでいる俺に、彼は言葉をかける。
「あとはお前次第だ。せいぜい頑張るんだな」
 彼は激励のつもりか、俺の肩を一度ポンと叩いた。それをきっかけに、俺は一気に現実に引き戻され、「え、あっ……はい」と間抜けた声を漏らしてしまった。そんな俺に彼は一瞥をくれながらも、何も言わずに一人で行ってしまった。
 俺はその場に、ひとり残されてしまう。


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