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作品名:Masquerade 〜マスカレード〜 作者:alone

第10回 青年と乙女
 月明かりが俺と彼女を包む。優しい柔らかな月光の中、木々の影が浮かび上がり、肌這う風はその葉をそよがせる。賛否両論を喚く外野のように、木々は葉をすれ合わせ、ざわつく。そのざわめきは俺の中に広がりを見せ、心をざわつかせていく。
 乱されている気持ちを落ち着かせようと、深く、長く、息を吐く。肺が空になってしまうかと思えるほど、吐き続ける。
 もう出せないほど息を吐くと、ゆっくりたっぷりと息を吸う。肺が膨らみ、横隔膜が下がり、胸が張っていく。心臓がドクンッと鼓動を鳴らし、吸った息の中に浸透するように、心音が余韻を残して胸中に響く。
 ドクンッ…………。ドクンッ…………。
 ゆっくりと深く鼓動が響く。その間隔は徐々に長引いていき、心は落ち着きを見せ始める。
 数回の深呼吸を経て、心は平穏を取りもどす。それに呼応するように風は凪ぎ、木々はざわつくのを止める。
辺りは静まり返り、心音だけが体内に反響する。
 他方、緊張の名残として口には生唾が溜まり、唇は渇きを訴えてくる。俺は乾いた唇を舐めて湿らし、固く閉じていた口を開く。
「アリス……、君に話したいことがあるんだ」
 彼女は視線を移すことなく俺を見つめ、言葉を返す。
「……何ですか?」
 まだ戸惑いの色が拭いきれていないその表情は、月明かりの下でどこか悲しげに映る。俺は彼女の瞳から視線を逸らす。
「実は――」
 言葉の先を語ろうとするが、それをあるものが阻止する。静けさの立ち込めるこの場で、それは鈍い足音を鳴らし、荒い呼吸を漏らしながら現れた。
 ローランドだ。
 彼は俺が彼女を連れ去った後、すぐにでも追って来たようだ。それも呼吸を荒げるほど慌てて。俺とアリスの姿を見つけると走ってきた足を止め、呼吸を整えつつアリスの前に歩み出る。深く息を吸って吐くと、毅然とした瞳で俺を睨む。
「一体なにをしたのか、分かってるんだろうな?」
 ローランドは、怒りがこもってはいるが冷静さを保った調子で言う。一方の俺は、その瞳に少々動じ、「あ、ああ……」とはっきりしない返答をした。
 それを聞いたローランドから、残っていた冷静さが消え去る。突如、彼は左手を出して俺の胸ぐらを掴み、右手でストレートを顔に向けて放ってきた。そのパンチは顔面に直撃し、俺は顔を仰け反らせるが、胸ぐらを掴まれているために倒れることは出来ない。顔に痛みが鈍く残りつつも、反射的に閉じてしまっていた瞼をゆっくりと開くと、ぼやけた視界に新たな拳が捉えられる。
 ふたたび顔面に衝撃が走る。鈍い痛みが広がるが、一発目の痛みと混じり合い、二発目の痛みがどれほどのものかは判然としない。ただ重い痛みが骨を伝って広がっていき、口の中には鉄の味が広がる。
 それから何回殴られたかは分からない。痛みはある度合いを越えると意識を削るようになっていき、痛みの感覚を麻痺させていったからだ。文字で綴るように『痛い』という漠然とした概念となり、頭の中で雑に処理されていった。
「やめて! やめてよ、ローランド!」
 どこか遠くで声がする。高い、女性の声。聞き覚えがある。聞くとなんだか安らかな気持ちになれる声。
 どこのだれだったっけ……? 思い出せない。頭の中では衝撃がわんわんと振動と共鳴を繰り返す。
 いつの間にか閉じてしまっていた瞼に力を込め、開こうとする。瞼の重さを痛感する。こんな重いものをほぼ無意識にいつも動かしていたなんて全くもって信じられない。こんな重いものを常に持ち上げ続けていたことも信じられない。
 じわじわとだが視界が開いていく。焦点が合わず、ぼやけた視界の中で、人影を見つける。荒いモザイクのようなその姿に意識を向け、焦点を合わせていく。モザイクは徐々に細かくなっていき、その姿は鮮明になっていく。そして、一人の男が浮かび上がる。
 彼は瞳に何かを滾らせ、こちらを睨みつけている。けれど不思議と襲いかかってきたりはしない。どういうことだろう、とよく目を凝らせば、その背後にもう一人の人影を見た。
 小柄で華奢な女性。彼女はその腕を男に巻きつけ、必死に彼を止めている。そして口を開き、何かを叫んでいる。
「やめて! もうやめてよ、ローランド」
 ああ、そうだ。彼女はアリス。そして俺は殴られてたんだった。
 漠然としていた意識の中にかかった靄が少し晴れた。それは、雲が月明かりを遮っていた所に風が吹き、月がその姿を垣間見せた感じだった。
 自分の置かれた状況を思い出し、足を一歩退かせる。だが、その足に俺を支えることは出来なかった。膝はガクッと曲がり、俺は体勢を崩してそのまま背中から倒れる。地面に倒れ込むと、意識が揺らされる。じわじわと鈍い頭が後頭部に広がる。その痛みに侵食されるように、意識は黒く塗りつぶされていき、最後には目の前が真っ暗になった。



【アリスベルティーヌの視点】
 少しだけ時間は戻り、ローランドが現れたときに戻る。

 静けさを取り戻した森に、足音と荒い息遣いが響く。背後から届くそれらは私の脇を抜け、その姿を露わにした。ハアハア、と肩で息をしているけど、見覚えのある背中だった。
 ローランド!
 頭の中をその答えが巡る。けれど、なんで彼がここに居るのか分からなかった。その理由を模索するうちに、事態は刻々と変化していく。
 ローランドはマルクレイ様の服を掴み、容赦なく右手で殴った。それも、一発に留まることなく、何度も、何度も。
 私は驚きのあまりその場に佇んだままになってしまうが、我に返ると、すぐにローランドを止めようと動く。
「やめて!」
 私はローランドに向けて叫ぶ。けれど、私の言葉は届いていないのか、彼は手を止めない。また一発殴る。
「やめてよ、ローランド!」
 なり振り構わず私はローランドにしがみつく。腰に手を回し、頭を彼の背中に埋めて叫ぶ。「やめて!」と何度も。暴れるローランドを掴んでいる内に仮面は外れて地面に落ち、服装も乱れてしまう。けれども叫び続ける。「やめて! やめて!」と。
 その想いが通じたのか、ローランドは右腕をだらんと垂らし、左手をマルクレイ様から離す。マルクレイ様は息も絶え絶えという感じで、立っているのがやっとという有り様になっている。
 ローランドは息を荒げ、肩を上下させる。背中に押し当てた耳を通じて、激しい鼓動が伝わってくる。バクバクと心音が響いてくる。
 抵抗をする様子のなくなったローランドから恐る恐る手を離す。そして、ほぼ同時にマルクレイ様が地面に倒れ込んだ。
「マルクレイ様!」反射的に声を出す。
 ローランドの横を抜け、マルクレイ様のもとに走り寄る。ぐったりとした様子に最悪の事態が頭を過ぎったが、マルクレイ様は切れ切れながらも息を漏らした。心臓もしっかりと動いているようだ。
 あまりマルクレイ様に無理をさせないように、慎重に様子を見ていく。すると、ちょうど後頭部に石があるのを見つけた。もしかすると倒れた時にそれで頭を打ってしまったかもしれない。慎重に手を後頭部に滑り込ませて、傷の有無を確認する。けれど血は出ておらず、わずかにたんこぶが盛り上がっているだけのようで、安堵の溜息を漏らす。
 そこにローランドが来る。彼は倒れているマルクレイ様を見下ろしながら話し出す。
「全部コイツがいけないんだ……」ローランドは荒れた息を整えつつ続ける。「コイツがいけないんだ」
「だからって殴ることないじゃない!?」私はぴしゃりと言う。
 ローランドは一瞬動じて引け目を感じたようだが、言い訳がましく言い返してくる。
「で、でも、俺たちは許婚なんだぞ。さっき言ったじゃないか。結婚相手は決まってるんだ。俺と結婚することになってるんだよ」
 許婚……。そのことはさっき聞いた。マルクレイ様とテラスで居た時にローランドに連れ出され、ダンスをしている最中に彼から告げられた。ローランドと私は許婚なんだ、と。
 でも、そんなの初耳だった。お父様もお母様もそんなことは一切言っていなかった。そんな大事なことをなんで教えてくれなかったんだろう。考えてもそんなの分からなかった。
「コイツが現れてからおかしくなってきた。お前は俺を見てくれなくなった。全部コイツが来てからおかしくなったんだ」ローランドが落ち着きを無くし、声を震わせる。
 私は立ち上がり、ローランドの方に振り返るなりその頬をぶった。乾いた音が庭に響き、闇夜に吸い込まれていく。そして、ローランドの方も動揺は消え去り、落ち着いたようだった。
 ローランドは落ち着くと現状が認識され、ふたたび取り乱す。だが、先ほどとは違い、荒れた感じはない。
「ごめん……アリス。悪いのは彼じゃない、全部俺なんだな……」彼は静かに語る。「彼は大丈夫そうか? 殴った俺が訊くのもどうかと思うが……」
「一応、大事には至ってはないみたい」私は小さく答える。
「そうか……なら、良かった」ローランドは少しのあいだ黙り込んでから言葉を続ける。「本当に……ごめん、アリス」
 そう言ってローランドは数歩足を退かせてから走り去る。足音だけが耳元に届き、遠くなったかと思うとそのまま消えていった。
 私には男の意地とかプライドとかは何も分からないけど、ローランドはその場に居られなかったみたい。もしかしたらマルクレイ様が目を覚ました時に自分が居たらいけないとか、勝手に考えてたのかもしれない。彼の真意は分からないけど、それが彼の選んだ答なんだから、責めるつもりもないし、馬鹿にするつもりもない。
 私は静かに眠っているようなマルクレイ様を見つめる。すると、ふとズボンの横に何かが落ちているのが見えた。白い布と思われるもの。シャツか何かがはみ出しているのかなと思いつつ、手を伸ばし摘み上げてみる。
 それはシャツでも何でもなく、ハンカチーフだった。倒れた時にポケットから零れたみたいで、そのまま地面に落ちていたようだ。
 端を摘み上げたために、丁寧に畳まれていたハンカチーフが開く。どこかで見覚えがある。それに、どう見ても男物っぽくもない。
 広がってしまったハンカチーフを改めて畳もうと、両手で持つ。月明かりの下にその真っ白な姿が光るが、その中で違う色味があることに気付く。真っ白な中に無作為につけられたような赤い点がいくつかついていた。そういうデザインだというにはあまりにも不可解に映る。
 不思議に思いながらマルクレイ様の顔を覗くと、そこでやっと思い出す。
 ああ、あの時の男性は、やっぱりマルクレイ様だったんだ、と。
 街で見かけたあの男性に、マルクレイ様のような印象を受けたのはやはり思い過ごしではなかった。今、やっと分かった。このハンカチーフに見覚えがあるのも納得がいく。だってもともと私のものだったのだから。
 それに、気付いたのはそれだけじゃない。あれが本当のマルクレイ様だということも分かった。
 マルクレイ様にはどこか他の方とは違う印象をもともと感じていた。気取った感じもないし、自慢することもない。それに、話しているときには息苦しさも感じなかった。他の方と話しているときには、色々なしがらみが付いて回る感じなのに、マルクレイ様と話しているときは気持ちが楽だった。
 だから私はマルクレイ様に惹かれていった。
 手元のハンカチーフを丁寧に畳み直し、それをマルクレイ様のポケットに滑り込ませる。視線を彼の顔に向けると、瞼が微かに震えているのに気付く。そして、その重い瞼がゆっくりと開かれていった。


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