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作品名:除獣怪 ―ノケモノノケ― 水行区編 作者:ススム

第4回 第二暦・陰 寅の子
 夜半過ぎに地賀の里へと戻った俺は、かつてないほどの自責の念に捕らわれていた。
 母上からの命に背いて先走り、二人加えて一人に姿を見られたばかりか、始末もできないままに帰ってきてしまった。
 言い逃れも申し開きも仕様がない。
 せめて偽りなく事実を伝えることが、今の俺がすべきことのはずだ。
 屋敷の仕掛けを潜り抜け、最奥の戸の前まで来ると合言葉の確認がある。
 母上の声だ。俺は緊張に身を固くする。
 定められた文言で応じると、しばらくして音もなく戸が開いた。
「失礼します。母上、ただいま戻りました」
 俺の母――地賀つぐみはゆったりとした動きでこちらに体を向けた。
「遅かったね。何があった?」
 単刀直入に話に入る。余計な問答など、忍には不要なものだ。
「北門の探索に当たっていましたところ、城北東に不審な男があったらしく、その者の追走及び捕縛に城門守護四士含む全兵が動きました。
 門前が無人となったのを受けて、好機と判断し母上の命に背き城内への侵入を試みました」
 母上は何の反応も見せずに俺の報告を聞いている。
 俺もあくまで感情を排し、理路整然と語るに集中した。
「しかしながら、確認を怠ったために浪人風の若い男と接触。排除に当たりましたが増援があったのもあり、仕損ないました。
 その後、里への帰路に際し先に申し上げた不審な男と思われる者が門番らに取り囲まれている場に遭遇。情に流され救出しました」
 すべてを語り終え、俺は元より伏せていた頭を完全に床へつける。
「忍にあるまじき失態の数々。どのような仕置きでも受け入れる所存です」
 対して、母上はふうと小さく息をこぼした。
「別にどんな仕置きもする気はないさ。顔を上げな」
「ですが――」
「琥珀」
 決して荒くはない、むしろ優しげな呼びかけに俺の弁は閉ざされる。
「仕置きがあるとすれば、『何の仕置きもない』という屈辱に耐えることさ。
 大体、もう二人だけの忍軍でけじめだ何だと言ったところで何の格好もつかないもの」
「…………はい、母上」
 ありがたいことだ。
 無論、母上が言葉通りに俺の行いのすべてを許しているとは思っていない。
 心の内ではしっかりと俺の評価を下げているに違いなかった。
 里長としても母親としても、地賀つぐみは徹底した合理主義を己に強いている。
 この場で俺を叱りつけるのは士気を下げるだけだから、穏便な対応をしているに過ぎないのである。
 確かに、仕置きとしてこれ以上に厳しいものはないのかもしれなかった。 
「それにしても、ここにきていきなり慌ただしくなってきたようだね。
 いい傾向だ。私たち地賀忍軍が奴ら天賀御庭番と対するには、不確定要素はどうしたって必要になってくるからね」
 母上は俺の処遇についてはこれまでとばかりに、今後の話に移る。
「そいつらに関して、何か分かっていることは?」
 問われて、俺は推測を交えた上で先程出会った彼らのことを話す。
「俺が交戦しました浪人風の男、それから増援に来た男の妹らしき娘。二人は娘の着物にあった紋と一族に共通する髪ハネから、狛走家の者だと思われます。その狙いは男の言葉を信じるならば、門の内にいるという父親に会うためとのことです」
「父親? 狛走の当主といえば、あの英雄だね」
「はい、そうです」
 狛走家当主・狛走一黙斎。
 彼はその弱きを助け強きを挫く生き様から、英雄と呼ばれて『いた』。
「このところめっきり名前を聞かないと思ったら、土行区にいたのか。へえ」
 そう、母上の言う通りその名前はここ一年の間、忘れられたかのように人々の口から聞かれなかった。
 俺も彼のことはほとんど忘れかけていたが、一度思い出してしまえばあれほど印象的な者もいない。
「まだはっきりとしたことは言えません。彼らが本当に狛走家の人間かどうかも含めて」
 続けて残るもう一人の不確定要素について話した。
「もう一人の男については声も聞いておらず、顔も面によって見えませんでした」
「そいつを捕まえるのに城門守護四士が出張ったというのが、気にかかるね」
 確かに、北の城門守護四士はなぜあそこまでしたのだろうか?
 何とかして暴きたいところだが、今の時点では判断材料が少ない。
「状況から考えるなら、面の男が門番を引きつけている間に狛走の兄妹が城に入る手筈だったと見るべきかね」
「…………いえ、その線はないのではないかと思われます」
 俺は母上の推測を畏れながらも否定する。
 そういった計画性のようなものは、どちらの男からも感じられなかった。
 この考えを告げると、母上はなるほどと頷き返す。
「現場でしか感じられない機微ってのはあるからね。琥珀がそう言うのであれば――」
 母上の言葉はそこで途切れた。
 屋敷の入口の方からガラガラと侵入者迎撃用の仕掛けが作動する音がしたのだ。
 俺と母上は弾かれるように距離を取ると、武器を構えて周囲への警戒を強める。
 しばし沈黙が辺りを漂うが何も起きる様子はない。
 母上は手の動きのみで、俺に屋根裏から音のした方へ回るよう指示する。
 それを確かめると俺は了承の意を示し行動に移した。
 屋根裏には怪しい者も物もなく、入口まで難なく到着する。
 天井板を外して下を確かめると、別手から回り込んでいた母上の姿が見えた。
「琥珀」
 呼ばれて俺は屋根裏から降りる。
 すると、真っ先に視界に映ったのは格子に捕らわれているひょっとこ面の男だった。
「何か見つかった?」
 俺は首を横に振る。母上の方も、ここまで何も見当たらなかったらしい。
「こいつ、さっき言っていた面の男に間違いないかい?」
 当然の流れとして母上は俺にそれを確かめる。
 今一度、目の前の男を見てみた。あのときと同じように、もごもごと面の向こうで口元を動かしている。
「はい。間違いないと思います」
「そうか」
 言って、母上は男に近付くと彼の面をはぐ。
 顕(あらわ)になったのはこけた頬に出っ歯、鼠のように伸びた無精ひげ。
 何ともさえない、とうが立った中年の顔である。
 鼠に似た男はぜえぜえと必死に息継ぎをしているようだった。
「たたた……助かりました。面に空気穴を作るのを忘れて、ずっと息苦しかったもので……」
 こいつ馬鹿なのか? あるいは道化を装っているのか。
 母上はさすがに油断することもなく、冷静に鼠似の男に詰め寄る。
「まずは名前と目的を話しな。嘘はつかない方が身のためだよ」
 ありふれた科白だが、歴戦の忍である母上の口から出れば効果は覿面(てきめん)だ。
 鼠似の男は途端に縮み上がり、堰(せき)を切ったように語り出した。
「おお……おらは忠吉(ちゅうきち)というもんです。
 そこにおります忍者の方に危ないところを助けていただき、何とか御恩に報いたいと思いまして……」
 俺の方を見ながらそう言った。
 殊勝なことだが、もちろん鵜呑みにできることではない。
 母上の尋問は続く。
「忠吉ね。あんた、さっき城の周りで不審な動きを取っていたそうだね?」
「ははは……はい。え、えっと実はおらはつい一月前まで北門の番兵をしておりまして……」
 ここにきて、忠吉が話初めにどもるのと話終わりの歯切れの悪さが、緊張や恐怖からきているものではないことを知る。
 聞いていて苛立ちが募ってくるが、必死にそれを打ち消すようにした。
「ひ、一月前に水行区で大規模な川の氾濫があったのを御存じでしょうか?」
「ああ」
 短く答える母上。
 忠吉の言う通り、水行区が未曾有の水害に遭ったのは先月のこと。
 今なお完全な復旧はされておらず、水没している地域もあった。
「そそそ……そのとき、おらたちも人々の救出などに当たっていたのですが、その……おらには子の処に妻子がおりまして……」
 忠吉に嫁がいたことを少し意外に思いながら、俺は先の話を聞いた。
「何とか家族の無事だけでも確認したく、少しだけ様子を見に行きたいと船島巌流(ふなしま がんりゅう)様にお頼みしたのですが……」
 北の城門守護四士――船島巌流は強情なまでの厳格さで知られた人物だ。
 あの頑(かたく)な堅物が意見を曲げることは絶対にありえないだろう。
 予想通り、忠吉の頼みは断られたらしい。
「何度頭を下げても聞き届けてもらえず、そのうちに家の近くが被害甚大とも聞こえてきまして。
 ついには辛抱堪らず役目を放り出して妻子の元へ駆けつけたのです」
 珍しく言葉に乱れを見せない。その語り口からは偽っているとは思えない必死さが伝わってきた。
「家族は無事でした。しかし命令に背いたおらは巌流様の怒りを買って、門番ではおれなくなりました。
 そればかりか、そのせいで妻と子にも見捨てられて……」
「それで巌流に逆恨みしたってわけか」
 母上が忠吉の歯切れの悪さを繕(つくろ)う。
「さ、逆恨みなのは分かっておりましたが、おらはどうしても……」
「別にあんたの行いが正しいかどうかなんてのはどうでもいい」
 合理を重んじる母上らしく、そこから先の忠吉の思いに興味はないようだった。
 あくまで『なぜしたか』より『何をしたか』に話を絞る。
「それで? 実際にはどう動いた?」
 忠吉は自分の気持ちを蔑(ないがし)ろにされたことに不満を感じているようだったが、この場面で文句を吐けるわけもない。
「ほ、北東から城に侵入し火を放とうとしました。ですが、途中で怖気づき引き返そうとしたところで、見回りの兵に見つかってしまって……」
 これまでの言動から分かっていたことだが、相当に鈍臭く度胸も欠けているようだ。
「あっという間に袋の鼠となってしまい、おらは死を覚悟しました。そのとき! 空から救いの神が舞い降りたのです!!」
 途端に芝居臭い物言いをする忠吉。
 これには母上も呆れを隠せなかった。
「…………で?」
「あ、はい。それで先程も言ったように御恩に報いたいと思いまして……」
「どうしてここが分かった?」
 母上はちらりと俺の方を見やりながら言う。
 まさか尾けられたというのか? 俺がこんな男に?
 不安に駆られながら忠吉の言葉を待った。
「その見事な身のこなしを見て、門番たちの間で噂になっていた地賀の忍に違いないと。
 それで隠れ里があるという木行区寅の処に来れば会えるのではと……」
 忠吉は興奮気味に語った。
 どうやら推測だらけの衝動的な行いが、たまたま当たっただけのことらしい。
 だが噂とはいえ俺の存在は幕府にかなり悟られてきているようだ。
「まずいね。まあ、そんな段階ならまだ兵を動かせないとは思うけど」
 俺は母上ほど楽観的にはなれなかった。
 いいや、母上のことだから口ではこう言っていても俺以上に悲観的な心積もりかもしれない。
 分からないが、とりあえず表面的にはすぐに切り替えていた。
「最後だ。あんたを捕まえるのに、北門前は一時とはいえ無人になったんだってね。何で奴らはそこまでしたのか、心当たりは?」
「あ、ありません」
 これで一通り忠吉から引き出せるものは引き出した。
 俺は巌流が門の護りを捨ててまで動いた理由を推測しようと、忠吉の話から分かったことをまとめた。
 時は今夜子の刻頃、所は温応城北東、人は忠吉、事は火を放とうとしたが、怖気づき逃げ出した。
 この中に巌流を動かす要因があったとすれば、どれになる?
 助けを求めるように母上の方を見ると、俺と同じく考え込んでいた。
 そして組んでいた腕を解いたかと思うと、何と格子の仕掛けを解き忠吉を自由にした。
「母上っ!!」
 あまりに予想外の行動に、俺は思わず声を張り上げる。
「まさか今の話だけで、こいつを信用するというのですか!?」
「信用するんじゃない。利用するのさ」
 言い方を変えても結局は忠吉を野放しにすることに変わりはない。
 当の本人を見てみてば、怒鳴る俺と受け流す母上の間で、当惑と期待とが入り混じった視線を泳がせている。
「その価値もあるとは思えませんが」
「そうかい? 私は意外とこの男は使えるかもしれないと思ったよ。どちらにしても、これから先あんただけで動くのも限界みたいだしね」
 俺は反論することができない。
 そのうちに、母上は続けて言った。
「それにさっき言っただろう? 圧倒的に不利な私たちが奴らに対抗するなら、不確定要素に頼らざるをえないと。
 猫を狩るのに鼠の手でも借りたい状況ってことさ」
 危険を飲み込んだ上で勝つために忠吉に賭ける、とそういうことのようだ。
 母上らしくもない、一体何を考えているというんだ?
「…………俺はそう簡単にこの男に心を許すことはできません」
 忍にあるまじき感情論であろうと、こればかりは譲れない。
 すると、母上は俺の言うことをあらかじめ分かっていたかのように、即座にこう返した。
「なら確かめてみればいい、忠吉が使えるかどうか。二人で今夜もう一度、北門に行ってね。それで認められなければ、琥珀の好きにしていい」
 相変わらず、母上の考えはまるで読めない。
 しかし俺はこの提案に乗ることを決めた。
「分かりました」
「あんたもいいかい?」
 母上が忠吉の方にも確認を取ると
「はは……はい! 精一杯やらせていただこうと思います!!」
 と、どもりながらもやる気を見せていた。
 こうして、今晩の働きを見ることで忠吉の処遇を決めることとなった。
 日が沈むまでの間は軟禁用の部屋にいてもらう。
 夜。忠吉の姿は変わらず部屋にあった。言っておいた通りに黒装束に着替えている。
「行くぞ」
 俺は言葉少なに忠吉を連れ出し屋敷の外へ出た。
 まずは北上し水行区丑の処を目指すが、その前に難所がある。
 水行区と木行区の境にある艮(うしとら)峠――別名・鬼殺し峠とも呼ばれるほどの険(けわ)しい道である。
 俺はさすがに慣れたものでほとんど苦にはしないが、忠吉はこの峠に大分参っているようだった。
 やはりこんな男、足を引っ張るだけではないか。
「も、申し訳……ありません、琥珀様。ですが、水行区に着いた後(のち)には必ず御役に……立ちますので……」
 会話は最低限に留めたかったが、名前を呼ばれるのは不快だった。
「気安く俺の名を呼ぶな。助けられた恩だか何だか知らないが、貴様の献身など迷惑なだけだ」
「見返りを求めないその姿勢……感服致します、琥珀様!」
 俺の話を聞く気がないのか、こいつは。
「いいか、俺はまだ貴様を認めていない。そもそも巌流の指示に背き家族を優先した貴様に、忍としての素質は皆無だ」
「で、では琥珀様はなぜおらを助け――いや、いやいや失礼いたしました。ななな……何でもありません」
 忠吉は今の物言いが『俺にも忍の素質がない』と暗に口答えしていることに気付いたのだろう、途中で言葉を取り下げた。
 途中までで十分に伝わりがしたが、俺は気付かないふりをしてその失言を見逃す。
 せっかく忠吉が大人しくなったものを、わざわざ話を続けるような真似をしたくはなかったからだ。
 口を閉じ足を動かすのに集中したからか、そこからは自然に速度が上がり艮峠を無事に越える。 
 そして水行区に着くころには、月は中天で淡く輝いていた。
「そそ、それで琥珀様。これからおらは何をすれば……」
 いつも以上におどおどと話す忠吉に、俺は策を伝える。
「昨日と同じだ。貴様は北東で騒ぎを起こし、敵兵を引きつけろ。俺はその間、北門を見張って奴らがどう動くかを見極める」
 もちろん、今回はたとえ門前が無人になろうが侵入する気はない。
 ただ北門の警備の対応を知るために、忠吉には完全に囮になってもらうつもりだ。
「もし無事に果たせたなら、貴様のことを認めてやる」
 俺の助けなしでは捕まっていた忠吉が、昨夜よりも警戒が強まっているだろう中逃げ切れるとは思えない。
 十中八九こいつの身柄は取り押さえられる。
「は、はい。分かりました。では早速……」
 忠吉にもそれは十分に分かっているのだろう。
 それでも今更止めたいなどと言えるはずもなく、蒼い顔で持ち場へ向かい始めた。
 徐々に小さくなっていく背中を眺めていくうち、俺の中に妙な気持ちが湧く。
「…………いいや、待て」
 それから三十分ほど後。
 俺はひょっとこ面をつけて温応城北東に来ていた。
 別に仏心が芽生えたわけではない。
 忠吉が俺たちのことを喋るかもしれないと考えれば、捕まっては困ると思っただけだ。
 次第に城の姿を捉え始める。その前には堀と塀。
 そして、そのさらに前に大きな人影があった。
 その正体は何と、北の城門守護四士――船島巌流その人だった。
 馬鹿な。まさか初めからこの場所を張っていたというのか?
 巌流はこちらの臓腑まで響くような重苦しい声で話し出す。
「……やはり、今夜も現れたか。この私がいる以上、この場所を荒らす輩は何人たりとも逃さん」
 俺は守護四士と対峙するのは初めてではあったが、その実力が自分のはるか上であることは分かっていた。
 勝てるとは思っていないが、簡単に逃げられるとも思えない。
 何とか隙を作り出してから即座に撤退。これしかない。
 俺は苦無は出さず、少しで軽快に動けるよう素手で構える。
「ん、逃げないのか? いい度胸だ」
 そう言う巌流も徒手空拳。
 ただし、両の手首足首には黒曜石製の大鉄輪が輝いている。
 巌流が一歩、こちらに近付いた。
 それだけで大地が震えているような錯覚を覚える。
 その震えが治まり切ったと感じた、次の瞬間――巌流はあっという間に俺の目の前まで迫っていた。
 こんな筋肉の固まりのような大男のくせに、その速さは俺をはるかに上回る。
 そこから繰り出される拳打の破壊力は、当然ながらに桁違いのそれだ。
 全力の回避でも躱し切れず、巌流の拳は俺の体を掠める。
 続けて襲いかかる衝撃は想像を絶していた。
 ほんの少し接触しただけにも関わらず、俺はそのまま宙を舞い、はるか後方まで吹き飛ばされる。
 巌流の拳はなおも勢いを失わず、真っ直ぐに地面に突き刺さった。
 今度ははっきりと大地が震えるのが分かる。容易に身動きさえ取れないほどの揺れ。
 そんな中でも、巌流は平然とこちらに歩いてきていた。
「その動き……どうやら昨夜の面の男とは別人のようだな」
 まずい。完全に甘く見ていた。まさか、これほどのものだったとは。
 打つ手のない状況に、俺は諦めて目を固く閉じた――そのとき。
「危ないっ!!」
 俺の体はまたもや突き飛ばされた。
 しかし今度は攻撃ではなく、俺を庇った男の――忠吉の仕業だった。
 忠吉は俺の代わりに巌流の拳をまともに喰らう。
「――――!!」
 俺は思わず忠吉の名前を叫びそうになったが、息継ぎさえ困難なひょっとこ面のせいでできなかった。
 冷静に考え直せば、面のおかげで巌流に余計なことを聞かれずにすんだとも言える。
 それでも俺は、この場で忠吉に何も言えないことがもどかしかった。
 なぜここに来た、とか。
 どうして俺を庇った、とか。
 俺に認められたいのではなかったのか、とか。
 言いたい言葉はいくらでもあった。
 だが聞かずとも忠吉には俺が何を求めているか分かっていたようだ。
 蚊の鳴くような声で俺の耳元に囁く。
「申し訳……ありません、琥珀様。北門を見張れと……言われていたのに……。巌流様が不在なのを見て……もしやと……おらはじっとしてられ……なくて……」
 それだけ言って、忠吉は気を失った。
「………………」
 こいつは馬鹿だ。
 あれだけ言ったのにも関わらず、またも命令に背き、その上で俺の名前を呼ぶなといっても聞かない。
 忍の素質は皆無だ。
 そしてそれは、俺も同じなのかもしれなかった。
 俺が忍として抑えつけている感情を、忠吉の言動は揺り動かす。
 だから俺はこの男に対してあんなにも苛立っていたのだ。
 それに気付いたところで、この発見を持ち帰ることはできそうになかった。
「そいつが昨日の男か? まあいい。捕えてからじっくりと聞くことにしよう」
 気絶した忠吉を連れて巌流から逃げられるわけもない。
 少しだけ伸びた寿命は、今度こそ終わりを迎えるはずだった。
 そのとき、空から救いの神が舞い降りた。
 母上――地賀つぐみが、俺たちと巌流の間に割り込んできたのだ。
 巌流と向かい合ったまま、手の動きで背後の俺に指示を送る。
『ここは私が食い止める。忠吉を連れて早く逃げろ』
 俺はそれに従って、辛くも窮地を脱することができた。
 地賀の里に戻ってからすぐに忠吉を布団に寝かせた。
 その後、俺を庇って負わせた傷の手当てをしながら考える。
 忠吉の処遇をどうするか。
 どうするも何も、忠吉がいなければ俺は巌流にやられていたのだ。
 この結果を前に『使えない』なんて判断を下せるわけがない。
 夜が明けたころに母上が帰ってきた。
 何とか巌流から逃げてきたらしいが、黒装束が所々擦り切れている他には怪我一つないのはさすがだった。
 俺が忠吉を認めることを告げると、初めから分かっていたかのように一言、そうかと言った。
 忠吉の怪我が大事に至らないことが分かると、俺は二日ぶりの睡眠を摂るため自室で着替える。
 眠気が頂点に達していた俺は、少しだけ気を緩めてしまい、その結果とんでもない失態を冒してしまった。
「こここ……琥珀様!! つぐみ様からお聞きしました! おらのことを認めてくださっ……た……と」
 目を覚まし部屋に駆け込んできた忠吉は、俺のはだけた胸部を見て凍り付く。
 何たる不覚か、俺の最大の秘密があっさりとばれてしまったのである。
「あ、いや、琥珀……様? その決してわざとではなく……そもそも存じておりませんでしたので……あの、その」
「忠吉。貴様、今からもう一度巌流と戦ってこい」
「そ、そんな殺生な……」
 俺は忠吉を蹴り飛ばして部屋から追い出した。
 戸の向こうで、忠吉は何度も俺への謝罪の言葉を繰り返す。
 あの男を本当に認めるのは、まだまだ先になりそうだった。


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