小説&まんが投稿
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:クロード・レヴィに捧げる弾丸 作者:葦原瑞穂

第8回 ラム酒の夜は
 ステージの上で微笑んだ女に、アルコールを絡めた息を吹きかける。女は別に嫌がる様子もなく、口元に薄ら笑いを残したまま、客席から離れていった。
 音楽がほとんど聞こえない。耳に水が溜まったようだ。女はグループに混ざって踊り続けている。ステージの傍らで、黒いタンクトップを着た長髪の男が何か叫んでいる。頬が酒に染まっている。白人のようだ。肩幅が広く、身体の肉がぶ厚い。
 ウーハーの低温が胸の骨に響いてくる。この浮遊するようなグルーヴ感も今夜だけだろう。朝になれば、またメールが山のように送られてくる。PCを開くのは憂鬱だ。せめて、今は音に興じていたい。
 女の薄着は汗に濡れて、髪は蔓延した煙草の脂に汚れている。黒髪が油を含んだようにじっとりと湿っていて、それを振り乱すのはひどく重そうに見える。声や、形のある音はほとんど聞こえない。グラスの割れる音。まるでぶ厚い防音ガラスの向うで起こったことのようだ。
 なんなのだろう? 思考力が低下している。酒の味は分かるが、人の声が聞き取れない。不意に、ステージ上に警備員の集団が押し寄せてきた。女たちが次々に押し倒される。半分裸で、汗と化粧にまみれた女が、床の上に組み伏せられている。赤い唇を大きく開いて、何かを叫んでいる。先ほど、微笑みを浮かべていた女は、ステージの端に身体をよけて、近くの男の口から煙草を奪い煙を吐いている。さらに叫び声。人の声のようには聞こえない。ヴォイスチェンジャーを通したロボットの金切声みたいな雑音が遠くに聞こえる。警備員の一人が女の尻を警棒で打ったのだ。女は涙を流しながら口を開け拡げている。舌に白い苔が浮いている。歯は黄色い。口蓋も爛れているようだ。唇のピアスの穴に血がにじんでいる。警備員たちは次々と女を殴り続ける。一人は目の上を殴られたようで血の飛沫を散らしながら頭を押さえてステージの上から転げ落ちる。タンクトップの外人が駆け寄り、介抱するふりをしながら身体中を触っている。男は、おそらく性病をもっている。ヘルペスは間違いない。煙草の煙の中に、誰かが消化器をぶちまける。ひどいありさまだ。薄ら笑いの女はとっくに姿を消している。女に煙草を取られた男が、別の男と口論をしている。目が魚のように死んでいるのは酒の飲み過ぎか、別の何かのせいだろう。
 気が進まない。あまり面白いショーではない。せっかくの夜が台無しになったかもしれない。このまま帰るのも癪なので、カウンターに新しい酒を買いに行く。バーテンダーは男装した若い女で、胸や腰がひどく細い。髪はポニーテールに結っていて、化粧はしていない。ジンライムを注文したのに、何故かラムのロックが出てきた。女の体臭みたいであまり好きじゃない。警備員は三人の女をステージの中央に縛り上げた。一人が何かの紙を取り出し、観客側に向かって突きつけている。何かの礼状か? するとあれは警備員ではなく警察なのかもしれない。もっとも、夜に警察にできることなど大してない。薄ら笑いの女はとっくに店を出ていっただろう。あれも不潔に変わりはないが、たまにはいいかもしれない。
 饐えた中年女みたいなラムロックを呑み干して、喉の奥の嗚咽を噛み殺しながら店を出る。どこに行ったんだろう? 煙草の脂と汗にまみれた女。股はきっと汗を煮詰めたような臭いがするだろう。昨日の精液さえ残っているかもしれない。垂れてくるのは気持ちが悪いが、ウォッカで洗ってやればいい。瓶ごと突っ込んでやったっていい。別に嫌がるふうでもなかった。頬を二三発やってやれば、この気分の悪さも薄れるだろう。あの女を見つけたら、その時はとりあえず――。


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 小説&まんが投稿屋 トップページ
アクセス: 56