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作品名:クロード・レヴィに捧げる弾丸 作者:葦原瑞穂

第1回 夏に夜、平原の怪
 祖母の家に夏休み、預けられて過ごした時の一夜のこと。

 ど田舎で、二時間に一本の単線の列車に乗り、くねるような雑木林の鬱蒼のトンネルが窓の外に触手を伸ばしていて、列車はかき分けるように青臭い草いきれの中を進みやがて、田畑の広がる青々とした山の裾野の集落に朽ちた駅舎のホームに停まった。

 祖母は無人の改札に独り、麦わら帽子を手に提げて笑ったような皺に埋もれた表情を掲げて立っていた。

「おばあちゃん!」

 叫んだが、何か中空を遠く見つめていて、薄く擦り切れそうな綿のシャツには汗染みが浮いていて、渋色の前掛けの前で麦わらを握りしめた両手がいかったように震えていた。

「志郎、よく来たのね。そうなん? 一人で来たん? なんだ大きくなって、立派なもんだね。はは――。」

 祖母に手を引かれて、ひどく引っ張られながら引きずられて畑に挟まれた未舗装の畦道を途方もなく歩き家まで向かった。
 夕刻には空がカンカンと朱色になりところどころに鰯雲が浮かんで身動き一つしない。
 木の電柱を伝った電線に、黒い小さな鳥がびっしりととまっていて、時おり畔のまん中をエンジンのうるさいボロ車が人を轢くような勢いで走り抜けていった。

「おじいちゃんはどうしたの?」

 引きずられて、手首の骨がぎしぎしと軋み、喉もからからに乾いていて、笑いをつくるのは大変だったが、子供らしく訊ねると、祖母の皺の隙間には目の光が見えなくなり、麦わらのぐしゃりと潰れる音が聞こえて電線の鳥が一斉に山へ向かって飛び上がった。

「山向うに、新しく家がいっぱい建ったんよ。でもな、住んでるのはみんなよそ者だけん、あんまり近づくもんじゃないと言ってるんね。なにさ、おまえ。じじに会いたけりゃいつでも会えるのに、もっと早く言え」

 茅葺きがほとんど剥げ落ちて、土壁も中の藁がぼうぼうに露出した祖母の家は、土間があってかまどと井戸と土蔵もあり、トイレは家の外のかわやというものだったので、夜には怖くてよく行かれなかった。
 なんだか畔の奥の畑から機械のモーターが唸るような音がして、祖母に訊ねると祖母は口元に柔らかい笑みを浮かべて肩を小刻みに震わせた。

 田舎の子供たちは総じて同じような顔をしていて、半纏を着こんで髪は薄く、目の玉が落ちくぼんでいた。言葉が大抵うまくなく、一人一輪は風車を持っていた。
 貸してくれるが、見返りを求めているようであまり長くは一緒にいると居心地の悪さがあり、かといっていつまでもいつまでも帰ろうとはしなかった。

「なんで帰らないの? もう遅いよ?」

 そう訊ねると、はにかみの笑みをして、抜けた歯の穴を見せて口を開け、笑っているのだった。

「平原は怖ぇなあ。都会の子はいいなあ。あっちの原っぱには良いもんがあるけんね、明日の夜にでも一人で行ったら」

 そう言って、半纏のすそをひらめかしながら夜半に近い時間に帰っていった。
 祖母はその時分にはどこかへ行ってしまっていて、田舎の子が帰ってしまうと、家の周りには人がいなくなった。

「あーあ、明日にはうちに帰れるのかなぁ」

 そんなふうに、独り言を真っ暗な家の中で壁に向かって呟いてみると、心細さが消えるはずだったが一向に寒々として夏なのに虫の音が余計に空想を掻きたてて空恐ろしかった。

 もちろん、うちになど帰れるはずはなく、夜は深まるばかりで、家を出て月明かりが照らす庭であちらこちらから近付いてくる物音に耳を澄ませた。
 あんな祖母でも良いから一緒にいて欲しいと思いつつも、田舎の子が言ったことを思い出して、草原の方に歩いていくことにした。
 足元はほとんど暗くて見えず、月のおかげで空の方が明るく、何度かつまづいて畦道を田んぼの方へ転げ落ちそうになったが、そこを抜けると山の裾野に広がる未開拓の草原に着いた。

 遠くの方で仄灯りが、提灯行灯のようにゆらゆらと揺れていた。
 そういえば、祖母はじじにはいつでも会えると言っていたことを思い出し、毛の全て抜け落ちた禿げ頭の老人の姿を思い描いた。
 灯りはゆらゆらと揺れながらこちらへ近づいてくるようだった。
 夏の夜風が、蒸し上がったような草原の草いきれを運び、急に空気が生ぬるく湿り気を帯びて全身を包み、虫に声がそこらじゅうの草葉の陰から湧きあがった。


あの光は誰が持っているんだろう? 


 考えながら、寝間着のもんぺだけで上半身は裸だったので草いきれにかぶれたのか背中や胸がひどく痒くなり、悶えるように掻きむしりながら段々と大きくなってくる光を見つめた。
 その向こうに影がある。
 やはり、人が灯りを持っているのだ。
 そのうち、がさがさという草をかき分ける音も聞こえてきた。


あっちの原っぱには良いもんがあるけんね――。


 田舎の子は、たぶん妬んだのだ。
 都会がうらやましかったのか、あるいは風車を貸してあげたのに……なんてことも思ったのかもしれない。


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