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作品名:友あり遠方へ向かう 作者:烏山鉄夫

第4回 「三」
 彼の事をN君、N君と呼んで居るが、今更N氏と改まって書くのも照れ臭いので、結局N君と書いて行く事にします。
 そのN君は、忙しい筈なのに約束の時間通りに広島駅の改札口に姿を現した。僅か数ヶ月の別離だったのだが、変わらぬ様子に安心した。
 「おお、久し振りだね。ジョニー、元気だったかい?」
 「それは禁句だよ」
 「そうだったね、ここは東区だったね」
 嗚呼、人間の風上に置いてはならない見本の如き洒落なのに、この時は何ら恥とも思わなかったのである。
 ただ、先制攻撃にも満たない、子供に後ろ指を指される様な洒落を聞いて、苦笑をした。但し、優しい微笑にも見えるが、N君が本気で怒った場面を知らぬ位に温厚な者である。案外、素直に面白く感じてくれたのかも知れない。
 外は清涼な風が吹いて居る。N君は仕事帰りだから、背広のズボンにワイシャツを身につけて居るし、私もよそ行き用の柄入りのワイシャツ姿で歩く。
 ジョニーなんて、何年振りに口にしただろう。プロ野球の黒木投手の愛称としてであれば、しょっちゅう用いるが、N君の事となれば高校一年生の時以来であろう。
 仲間うちで、僅か三日位で廃れた遊びで、互いに外国人の如き呼び名を与えたのである。私はどうしてだか、「ウッド」であった。太って居るから、ウドの大木とでも言いたかったものと思われる。半ば正当ではあるが。
 その様な青春の思い出であると同時に、一種の黒歴史であるから、挨拶の代わりに使うのは場違いだ、とN君は言いたかったらしいが、友達の気安さで茶化した訳である。
 さて、彼は紙屋町へと、案内をしてくれたが、何て事は無く、広島市民球場の近所に舞い戻って来たのだ。
 札幌なら「すすきの」、名古屋なら「栄」、同列でこの「紙屋町」が広島の中心街で、広島電鉄やバスの大きな停留所があるばかりでは無く、広島県庁を軸にして繁華街を成す、人通りの多い地域である。こんな事は、広島市民にとって常識で、何を偉そうに解説して居るのかと笑っておられよう。
 その中のとあるお好み焼き店に入った。
 カキ・・・・・・ウグイス目イタボガキ科及びベッコウ科に属する二枚貝の総称と辞書にある。
 如何に好きか。それは山程食べて、店員も呆れて下拵えが面倒になり、カキ特有の毒にやられて死んでも構わないと思って居る。
 参考までに記しておく。
 私の母方の祖父母の新婚旅行は広島で、当然名物故に食膳に並んだそうな。しかし、食中毒にしっかりやられて下痢に見舞われてしまったと伝え聞く。所謂隔世遺伝が認められぬ限り、私はカキの持つ細菌を恐れるつもりは無い。
 平成の世でまさか、と思われるだろうが、それだけ好物だと言う喩えに過ぎず、漁師さんも板前さんも安心して下さい。尤もそんな大言壮語を言いつつ、実際には、三つ四つ、せいぜい五つ食べれば気が済んでしまう。何故なら、実が大きく盛岡のわんこそばの如く、百、二百と食べたら今度はお好み焼き口に入らなくなる。

 ところで、私はN君の事を下戸と申したが、成人になり荒波にもまれるうちに、ほんの少し、私が十杯呑むならその半分はいける様になったらしい。私は、呑めない人に「オレの酒が呑めないのか」式の無理強いは決してしないが、矢張り付き合い程度でも呑める相手が居るのは心強い。
 但し、この人、泣き上戸である。
 初めて彼と呑んだのは、高校時代の友人達と夜を過ごした時である。私はこう言う時、一人ではしゃぎ一人で騒ぎ、一人でベロベロに酔うのであるが、私のつまらない冗談を聞いたN君が突然泣き出した。所謂泣き笑いでは無さそうだから、困惑して、隣人にぼそっと助けを求めた。
 「なあ、オレ、何か悪い事を言ったか?」
 「いや、こいつ、泣き上戸だから、ひょんな事で泣くのさ」
 だから、私は彼を泣かせた事に罪悪感を持って居ない。
 しかし、竹馬の友として一応の気遣いから、余り多くの酒を呑ませぬ様に見張っては居るのだが、その賛否は如何に。
 他方、私の方は、酒の席となるとついはしゃいでしまうのは、思い出したくも無いのだが、小学校が極めて面白くなく、友達だって居ないに等しく、その反動で中学進学を機にひとつ気分を変えてみようと発願し、男子校ならではの雰囲気のもと作戦が成功し、多くの友人を得たのだが、その頃の調子を現在も要求される為に、幇間みたいな地位に立たされ、かつ男にはもてはやされるが、一方で女の子に白い目で見られると言う、男として残念な、むしろ屈辱的な境遇に甘んじて居るのだ。
 私とN君は、別々の大学へ進んだので、共通の話題と言えば、自然と中学や高校時代の思い出、或いは野球の話に集中してしまう。
 私は、六年間で三回「学級委員」に指名されたが、先輩・後輩と言う存在が出来たけれども、それは委員会活動をする時だけの随分希薄な存在だ。それに対して、N君には、今でも連絡を取り合う人があっても不思議では無いが、今の学校や先生の消息をどうしてだか、私の方が詳しかった。申し訳ない気分になり、それなら徹底して古い話をする事にした。
 別の友人が、後輩の女の子と話し込んで居た。彼女の名前を知って、アッ、妹の友達だと気付き、ふうん、この娘なのか、と思った事を話すと、N君もその娘を知って居るから、意外な接点に驚いて居た。
 言い忘れて居たが、元々男子校であったのに、在学中に共学化されたのである。
 試験の思い出。
 数学の、中学一年生の初めての課題が、十問全て作図を要するものだった。公式を用いれば簡単な事とは言え、極端に数字が大きいから却って面倒臭い、数列の和や微分法の試験。
 特に前者は、私より数倍理科系科目が得意だったN君でさえ、
 「いやあ、あれは参ったよ」
と、思い出し大笑いをした。
 手書きで「達筆過ぎる」英語の問題は、文章の中に生徒の苗字が紛れ込んで居て、試験終了後に皆で、
 「あっ、あいつだ」
と笑ったものである。N君とは別の教室ではあったが、そちらも同様の状況であったそうである。
 それから忘れてはいけないのが、「落書き」である。
 高校一年の国語が余りにもつまらなくて、私が仮に代講しても成立すると思われる酷さで、教室の中は、お喋りに夢中の人、昼寝をする人、私の様に教科書を改造するのに命をかけて居る人・・・・・・私は面白い「作品」が出来たとほくそ笑んで居た。何と言っても、一年かけた力作である。
 でも、「巨匠」とは思わぬ。上には上が居るからである。
 彼の「傑作」は個人的に、音楽の教科書だと思って居る。
 年代順に、古い人は肖像画、山田耕作辺り迄と記憶して居るが最近の人は写真が、並んで居る頁があった。そのうち、ドヴォルザークに漫画の吹き出しが加えられ、
 「とうとう、私を怒らせてしまった様だね」
と仰って居る。どうしたのかと思い目を追うと、ベートーヴェンのこめかみに水玉模様を浮かせて居るのだ。是は心から笑ったし、「職人」への道は険しい、と思ってしゅんとしたのである。
 それにしても、ベートーヴェンよ、一体何をやらかしたのかい?

 「いやあ、あの頃のオレは、本当に馬鹿だった」
 「そんな事は無いよ。Uさんは努力家だったよ」
 「それが、どうして勉強を嫌って、好きな事ばかりやって、自業自得じゃないけれど、今になって業が振りかかって来るんだい?」
 「それは被害妄想だよ。Uさんは、何時か必ず大物になると思うよ」
と言って、私の肩をポンポンと叩いた。「Uさん」とは、私の本名を捩った綽名である。
 私は、大きな欠伸をした。充分に酔ったし、満腹をしたのである。それで、勘定は勿論二等分をし、店の外へ出た。夜風があるとは言っても、まだ地面に蓄積された昼の熱が我々を直撃して来る。
 私は、酔うと歌いたくなる悪癖があるが、今日は珍しく自重する事が出来た。N君と酔い醒ましに歩き廻って汗をかき、お喋りに興じたからであろう。
 広島電鉄の世話にならず、宇品まで来てしまった。
 向こうに見えて居る立派な橋は、宇品大橋と言って広島高速3号線の一部である。奇麗に見えるのは、夜間の照明で照らして居るからである。現実をいちずに忘却して何時までも視線を送りたくなる。
 「あっ」
 私は暗闇に放り込まれた。と言うと大ゲサで、時間を決めて高架の証明が落とされただけの事である。
 美しい夜景の値段の相場は百万ドルである。しかし、ここは日本である。「円」を用い給え。私が見て居る景色は、一億円位の価値があろう。酔って居るから、多少のざれごとや目の霞は否定出来ないが、それでも高値が付くのは正当な査定であろう。
 広電が動いて居るうちは、「その日」のうちである。流石に深夜は本数が減ると思われるが、それでも電車が走って居る間は平気なので、ここは広島だ、東京のつもりで居ては失礼である。一体誰が東京を基準に生活せよと命じたのか。郷に入らば郷に従えのつもりだが、何やら言い訳を繕い、遊びたいのである。N君こそ、はた迷惑であろうに、是また下町人情の代表みたいな表情を崩さすに、私のやりたい様にやらせてくれて居る。


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