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作品名:友あり遠方へ向かう 作者:烏山鉄夫

第3回 「二」
 私は鉄道が好きである。だからまず目を奪われるのは、路面電車の姿である。
 甲高いタァンタァンとか、タタンタタン・・・・・・とにかく専用軌道のそれとは異なる音を、まるでこの街の音色は我々が支配するのだと言わんばかりの、自信に満ちた表情で発するのである。
 ミョンミョン・・・・・・と聞こえるのは、古い車両の電動機である。発車する時、即ち駆動する時に発する独特な音である。或いは、安芸の宮島の方へ行く三両編成が居たりして楽しい。私は目撃出来なかったが、「被爆電車」と呼ばれる車両もある。
 路面電車が走って居る街は美しい。この感情は、自覚が無いが、一種の贔屓かも知れぬ。絵になるだとか、情緒があるとか、何処か旅行者の視点で見て居るのであろう。そうか、東京から失われた風景への、憧れ、羨望、物珍しさなのである。それでも矢張り、路面電車が走って居る街は美しい。
 N君とは、夕方に会う事にして居る。当然の事だが、彼には仕事がある。それが済むまで、一人で時間を潰す必要がある。私は、一人旅に慣れて居るし、わずか半日の事なので、その気になればたちまち時間は経過してしまう。
 私は、広島駅で弁当を買った。「元就むすび」と言って、中身はお握り弁当なのだが、例の修学旅行の際に配られてとても気に入ったから、再会出来るのなら是非と思って居た。だから、手にした時は素直に嬉しかった。
 おや、是は駅弁では無い様だ。地元の有名な店の仕出し弁当らしく、日本鉄道構内営業中央会会員を示す日の丸が見当たらぬと、肩を落とした。
 広島の街を歩いてみようと思った。修学旅行ではバス移動だったから叶わなかった広島電鉄に乗る、その様な安直な事をしたくなかった。
 私が何を言っても、それはキザの一言で片付けられるのだ。漢字で書けば「気障」であり、文字通り相手を不ユカイにさせる事は必定である。尤も、片仮名で書く時点で何やら下心や妙な期待を持って居る事は確かである。但し、その下心とやらが成功した局面は一度も無いけれど。
 要するに、一種の自己愛が強いのであろう。
 話が逸れたが、広島の街は東京と遜色が無い立派な処である。別に田舎扱いして居た訳では無く、素直にあの日、昭和二十年八月六日の事を思い馳せば、東京と比較するのが阿呆らしい程に街を再建したのだ。是は凄い事で、日本を敵に回してはいけないのである。
 幾ら、当時軍都としてこの辺りに日本軍の施設が数多点在して居たと言っても、原子爆弾を投下しても良い理由になる訳も無く(軍事の専門家なら一家言あるかも知れないが)さしずめ私の如き素人にとっては、単なる詭弁である。
 廣島懸産業奨励館は、毒々しい例のきのこ雲の代わりに、夏の日差しを反射した、もくもくとしたわた雲に見守られて居る。
 原爆ドームなる不名誉な命名をされるに至る経緯には深く同情をする。建物は何も言わず、ただ静かに立ち続けて居る。この歴史に興味が無いから、周囲の木々に止まったセミの大合唱だけが、あっけらかんと聞こえる。
 米国め!セミめ!
 私が一人で憤怒しても、プランクトン程の威力は発揮出来ぬが、是だって平和である証左であろう。
 戦後、国鉄の特別急行に「へいわ」と命名されたと聞いた時、私はガキだったから、何と格好の悪い感覚かと呆れたが、勿論この年齢になれば、平和と言う言葉の重み、深み、威厳を知り、「命」と同等と思って居る。
 平和記念公園の片隅へ歩き、長椅子に腰掛けて、弁当を開いた。駅弁に非ず、とは言え土地の名品に変わりなく美味しく平らげた。
 ずっと私の顔がくすぐったいのである。こめかみから頬に汗が滴り落ちて居るのだ。広電を利用しなかった罰だと、人々は笑うだろう。
 電光表示は三二度と主張して居る。是が華氏だと八九・六度だなと下らぬ計算をする。尤も、明治の世に同じ装置があればあり得る事だ。更に乱文を足すと、明治の世は体温を摂氏、気温は華氏を用いて居たらしい。「らしい」とは、証拠が正岡子規の「仰臥漫録」の記述にあるからである。ああ、この人は海の反対側の出身だったなと思った。
 のんびり過ごしたつもりだが、まだ一三時半を少し過ぎたばかりである。
 広島市民球場へ行ってみようと思う。但しまだ試合開始時刻までだいぶ時間がある上に、燕以外の球団との対戦であるから、入場してみるつもりは無い。
 散策を兼ねて乱雑に歩いたから、妙な処に辿り着き、太田川と元安川の分岐点に架かる相生橋の歩道を、てくてくと進む。橋の中央で欄干に手をついて川面を眺める。全長一〇三キロメートルの大河故、河口が近くなったので、悠々とした水の運びだが、都会の時の流れに反抗して居る様に思われた。この辺りは三角洲であるそうだが、その一端として納得した気がする。
 横をのどかに広電が走って行く。
 今日と言う日も、既に半分以上を通過し、相変わらず安寧な世界である。太陽も、あと数時間で地球の裏側へと姿を消す前に、焦った様に強い光線を降り注いで居る。金曜日の気怠い昼下がりと言う表現を今利用しないで、何時引用するのか、いみじくも言葉と光景が協力して居る。要するに、暑くてだらけて居るのだ。
 さて、原爆ドームとは国道(地元の人は相生通りと呼ぶ)を挟んだ反対側に、凛と立ちはだかるのが、広島市民球場である。なるほど歴史を感じさせる、或る意味で古臭さを放つものの、広島市民を中心にカープ党が手塩をかけて大事に育てて来た、その様な人情みたいなものが込められて居ると思われた。この球場で試合が出来る選手は幸せ者だと思う。勿論、応援席に座るお客も俗世をしばし忘れる事の出来る夢の世界である。
 ところが、野球好きは贔屓球団の勝敗を引きずって、翌日の生活態度に直結するのである。勝てば機嫌良く、周囲とも友和的に対応するが、負けたとなると一転して心の余裕を失い友人知人に対して八ツ当りをしてしまうのだ。
 だから、今夜カープが負けると、私の立場を失うのである。旅行者たる部外者と知るや、つっけんどんな冷たい対応をされたら適わない。それも、巨人を応援して居ると誤解されたら、折角の旅心が霧散してしまう。燕と聞いてキゲンを取り戻してくれれば良いが。その意味でカープの勝利を願って居る。
 いずれにしても、私の修業が足らないだけかも知れない。
 この後の事は省略しよう。皆に伝える程の事件が起きなかったのだから、書きたくても書けないのである。
 と言って、広島は荒れ果てた街では無いから、人間観察の如きお節介はして居た。視線がぶつかる等の失礼が無ければ、金のかからない遊びである。
 小さな女の子が歩道の上でしゃがみ込んでしまい、母親が如何に促しても、全く耳を貸さず、小石か何かに夢中になって居る。その小石がまるで宝石であるかの様に、うやうやしく拾いあげぽんと地面に落とすと、同じ石ころなのに大発見をしたと言う顔つきで、優しくつまみあげた。遠くで見て居て、ほのぼのとして来る。
 もし、N君が結婚をしたら、俚言にある様に、私は彼女から悪友と認定され、邪険に扱われるのかと思うと、今から背筋が凍りかけて居る。作家の北杜夫氏とその友人である辻邦夫夫妻の様な、奥さんからも友情と一定の敬意が窺われる間柄が羨ましい。当然、逆も然りで、私の伴侶になる女性には「教育」を施すつもりである。
 飲み物を買おうとして、店に入ったら会計係のアルバイトの女の子が、物凄く美人でこんな処に押し込めておくのが勿体ない位で、きっと彼女に惚れた男性は星の数と等しいと思われ、竹取物語の「かぐや姫」の気分を味わって居ると考えると、却って腹立たしくなって来る。
 私の人生の栄養分は、逆うらみである。つまり是を分解して体外へ放散してしまうと、私では無くなるのである。実に恐ろしく、不気味で、けがらわしい人間である。清き心など何処かに置き忘れて来た。
 私は、片想い斗して来た。内心では勿論交際したいが、告白する自信が無く、更にその人に既に良い人があると知ると、その子を寝取る勇気は毛頭湧かず、それなら次の対象へと、意識を向けるのだ。転石苔を生せず、比治山貝塚に穴を掘って埋めて、カチンコチンになるまで踏み固めてやりたいことわざである。虚仮に非ず。
 もてない男の僻みだとか悲しき性の台詞で済めば、是ほど楽な事は無いが、常套句である分だけに、実は責任の重い宣言である。
 その女の子の営業用の微笑にすら、頭がくらっとしてしまうのだから、如何に私が女に飢えて居て、そして色気の無い人生を送って居るか、推し量る事は、声を出すのよりも簡単であろう。
 そして、私と仲良くなってくれる女性は、皆結婚をして居るか、恋人と深い関係にある人しか居ない様に思う。私が妙な気に、即ち告白じみた挙動や寝台への誘いをしたら、断る大義名分や助けてくれる者が居る安心感で、からかわれて居ると痛感をする。
 人は、是を難しい言葉で被害妄想と言うのだが、私にとっては切実なる大問題なのである。そう女は、地獄の果てまで追い掛けて、塩のひと塊でも投げつけてやりたい。
 悪霊退散!

 閑話休題、私は何だかんだと遊んで居るうちに一七時をまわって居た。広島駅に戻って、N君との再会を待つ事にした。もし、待つのに疲れたり、飽きたりしたのなら、入場券を買って在来線の乗り場で列車を眺めて居れば良い。流石に、東京の電車と違って本数は少ないが、かと言ってローカル線に落ちぶれた訳でも無いので、ヒマ潰しには持ってこいである。
 山陽本線、可部線、芸備線、呉線、入線発車の続く構内は面白かった。


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