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作品名:旅行記私鉄編 作者:烏山鉄夫

最終回 第八章 伊豆箱根鉄道大雄山線
地図が好きだから。色々に眺めて居ると気になる場所と言うのものが出現し、私の心を放してくれない事が多い。山奥でひっそり稼働して居るダム施設であるとか、河川の水源地の如く大仰な処も魅惑的だが、もっと身近と言えば良いのか、人家の多い処にもひっそりと地図に記されてある。
今回乗ろうと思って居る伊豆箱根鉄道大雄山線の終点である大雄山駅と言うのも、地図上で視界に入ると、「そう言えば、ここは気になるな」と呟いてしまう箇所の一つだ。尤も、直ぐに私の眼球は別の地域に向けて移動し、あっけ無く忘れてしまう。
そう言う状態から、そろそろ卒業しようと思う。始点は小田原で、東京から一時間半と大した距離では無いのだ。路線全体も九・六キロと手頃だから、日帰りはおろか半日もあれば用事は済んでしまう。
だから、いざ片付けようと平成二八年三月二五日に家を出たのも、六時三五分と旅行としてはのんびりであった。
市川から総武線快速に乗ったが、朝の混雑のほか、東京行の後だったから、普段なら品川で空くのにその恩恵に与る事が出来なかった。
大雄山線の乗りつぶしをする前に、東海道本線の幾つかの駅で途中下車を志して居るが、真っ直ぐに行ってもなお時間を持て余すだけなので、東戸塚で一旦ホームに逃げ次の電車に乗り、一つ隣の戸塚で東海道本線に乗り継いだが、始発の東北本線で生じた遅れを引きずって、時刻表と異なる列車が来た。
藤沢で降りて、やりたかった用事を済ます。江ノ電或いは小田急にも顔を出そうかと思ったが、面倒になって次の立ち寄り場所に向かおうと、藤沢の構内に戻った。
続いてのお目当は、茅ケ崎である。ここでも街をぶらぶらしつつ、目的を達して満悦な表情で駅に戻った。
日差しが出て来て、湘南らしい明るさを感じる様になった。地方と天候の組み合わせと言うのも、旅情を形成する大切な要素と思われる。その点、今日は上天気である。
本題の前の足ならしはこの位にして、小田原に行こうと思う。
10時29分に来た列車に乗ると、着席出来た。向かいの席に居る男の人が、居眠りしながら大きな声で寝言を言うから、怒鳴り声にも聞こえてヒヤリとする。
小田原10時53分着。この駅を利用するのは、小田急に乗った時以来である。その時は気にしなかったせいで、大雄山線の乗り場に行くには、JRの改札を出て通路を介して別の処へ行かねばならない事を知らずに居た。昔はJRの構内の片隅に専用の改札があって、電車も間近に見られたのだが、随分と様変わりをしてしまって、正直に驚いた。それも平成一五年の事だそうで、無関心振りに我ながら呆れてしまう。
と言うと大儀に聞こえるかも知れないが、一人旅なのでスタスタと歩いて、たった七分しか要さなかった。
大雄山線小田原発11時00分の第51電車は、既に座席が埋まっており、致し方無く立って行く事にした。
隣には、開業一〇〇年を記念したヘッドマークを顔に取り付けられた電車が停まって居て、食指が伸びそうになるが発車の準備が進んで居る。余りうろちょろすると迷惑なので、吊り革を握る拳に力を込めた。尤も、あちらに乗っても特段の差異は無いだろう。
先述の理由に伴って線形変更がなされ、動き出したと喜んだのも束の間で緑町に停車をした。たった一駅だが、無人駅なので淋しい雰囲気である。
駅の外れに急カーブがあって、車輪がキイキイと悲鳴の様な音を発して、ぐいと曲がって行く。
五百羅漢で交換をして直ちに動き出したが、ちらっと見た駅名標が、駅名と書体が相俟って情緒を感じた。
今回も例によって立ち寄らなかったが、五百羅漢とは、近所の天桂山玉宝寺の事である。
小田急小田原線の築堤を潜る。この立体交差ではお互いに無視をし合って居る。接続は小田原で充分、私は箱根私は大雄山を目指して居るので、貴方の事なんか構って居られません、と言う意見の一致をみたかの様だ。これこそが、私がこの地域の地図上で最も気になる場所であり、その入口にやって来た訳である。
太平洋から見て、東海道本線と新幹線があって、陸地が山にぶつかる手前の最後の砦と言う感じで小田急が横たわって居る。その長城より外側の、いわば「関外」が一種の夢の国或いは遠い国に思われたのである。
但し、是は鉄道好きの勝手な理屈であるから、実際には足柄平野の明るい景色の中を、のどかに走る(この点はローカル線だが)小田原の郊外電車そのものである。
穴部の次の飯田岡にて、車掌が精算と回収の為に歩いて来た。三両編成でテープ放送をして居るが、ワンマン運転はして居ないのである。
相模沼田で交換をする。ここより南足柄市の所在となる。
岩原に停車すると、視線の向こうに次の駅が見えて居る。塚原で、公式には〇・三キロとされて居る。気持ちの良い直線である。
和田河原でも交換をする。運転間隔は一二分だから、少し動いただけで直ぐに対向電車と出会わしてしまう。尤も、ほぼ同時に入線して一緒に駅を離れて行くから、待ち時間は殆んど無い。
五〇キロから六〇キロ位の速度で淡々と走り、単線のせいか余計にゆっくりに感じられる。ジョイント音が快く響き、丹沢の山並みらしき水色の影を目がけて進んで行く。
通勤時間帯では無いから人の姿が無い、「まぼろしの駅」にも思われる富士フィルム前を出ると、大雄山まで一駅分しか残されて居ない。
11時21分、一番線に停まって、乗りつぶしは完了した。
一面二線で、保線車両の車庫が一段高い処にあって、機関車の代用として残された旧型車両が、こちらを向いて昼寝をして居る。
ホームはそのまま改札と繋がって居る典型的な頭端式である。自動改札なので、切符を挿入する。おや、小田原では急いで居て気が付かなかったが、IC乗車券が使えるのか。しからば、帰路に試してみよう。
駅前には、当地きっての名士である「金太郎」の銅像が立って居て、昔話そのままに熊の背中に跨る姿を象って居る。金太郎物語は好きな話の一つだが、その連想もあってか「足柄」と言う地名も好みなのだと思われる。
大雄山とは、山号で最乗寺の事である。そうとは知らずに、一所懸命に「大雄山」と言う峰を探した少年時代が懐かしい。
このまま折り返しの電車に乗っても良いが、そんなに焦る必要は無いから、ぶらぶらしてみる。
試験中だからか、学期末だからか、とにかく女子高校生が沢山歩いて居る。眼鏡をかけた子は、束ねた髪の毛により真面目そうな表情に見え、或いは友達数人と歩く娘は、明るい笑い声と共に大きな声を振りまき、長い髪の毛を左右に揺らして若さを発散して居る。金太郎の里の子だからか、皆優しそうに見える。
さて、そろそろ小田原へ戻る事にしよう。所持をして居た「パスモ」を、改札機の光る箇所にかざした。「ピピッ」と言って、読み取りを終えると、11時50分発が待って居た。長い事居た気分だったのに、思った程時間を経過して居なかった。是は、恐らく電車の本数に起因する類いの話で、もしも本数が少なければ、乗り遅れに落胆して次の列車までの時間潰しに頭を抱えるだろう。実際、私の乗った電車の折り返しか、次の電車で先程すれ違った美人達も帰宅、若しくは小田原の街へ遊びに出掛けた後で、残香も嗅ぐ事が出来なかった。要は、心に余裕があるかどうかである。
大雄山線の電車は、区間便が無く全線走破をする電車ばかりである。だから、正面の行先は、「小田原」と「大雄山」しか無く、プレートを固定しておき、必要な行先を裏から光らせて表示をさせる。だから、小田原側の表示が黒字の中に白い文字が浮かび上がって居る。初めて見た時には、具合が良くて物凄く関心をしたものだが、今では旧式の物に拘る様になってその思いが強まって来た。
今度乗った電車は、関東の私鉄では珍しいボックス席になって居る。小田原行なのに、正午が近いせいか、空いて居る。行く時に見た景色と同じ筈なのに、視角が異なるせいか全く別の処を走って居ると錯覚をしてしまう。是も気分の問題であろう。また、私は帰りも先頭車に乗ったが、中間車も味わっておけば良かった、と思ったが無論後の祭りである。
一回乗ったら降りたくなくなる悲しい性(或いはクセと言っても良い)が頭をもたげ始め、散策の都合に良い緑町を通過して、四〇〇メートルも余計に乗ってしまった。無人駅でパスモを利用する機会は少ないのに、根性がチャランポランだから、細やかな心配りにまで意識が回らないのだ。
こうして12時11分に小田原に戻り、改札機でピピッと音を発して通り抜けた。後で利用明細を確認すると、きちんと二七〇円が差し引かれてあった。
昼食は、大きな食堂の様な立ち食いそば屋にて、カツカレーを注文した。単に好物を言っただけでひねくれたつもりは無く、汗をかきながらも美味しく食べ終えた。
少し歩くと、僅かな距離なのに閑静となる。むしろ電車の音がうるさい位である。飲食店の前に狸(の置き物)が居て、にっこり笑って居るから、つられて挨拶をしてしまう。端から見たら、変な人である。
件の緑町駅を外から眺める。駅舎が無く、簡素な造りだが、街に溶け込んで居る様に思われ、大変に好ましかった。
その後はひたすら歩いて、城下町(都会)で無ければとっくに郊外へ抜けたとカン違いする程だ。その間に一服をしようと足を休めたが、何時もなら車で国道一号線を通過するだけだから、家並みや商店を見渡しながらのそぞろ歩きで、ゆっくり見物をし退屈をせず、充実して居た。町内一周と言う範囲を超えたけれども、無事駅前の歓楽に戻って来られた。
今日は時刻表を開かずに生活をして居る。後で記録を作る為にやっと利用した、と言う有様である。それだけ便利な処を往来して居るのである。
ここまで来たのならば、もう二ヶ所下車をしてみたい駅があるから、訪問を済ましてから帰っても罰は当たるまい。昔は市川から熱海までの普通乗車券があれば、この辺りは途中下車が可能だったのに、営業規則の改正により難しくなってしまった。それで行きそびれた駅を追い求めて廻って居る訳である。こんな理由で、引き続き下り電車に乗る。目指すは、早川である。三分で着くから眠る間も無い。
そばを通る国道一三五号線に出ると、道の反対側は海である。空模様が何時しか灰色の雲が主役に交代して居たので、反射する海も何となく元気が無く、虚ろに波立つばかりだった。
駅に戻る途中、ねこが居た。一匹、二匹、三匹、まだ居るなと指を折ると五匹以上は居るだろう。ここは「猫町」かと嬉しくなる。珍客にも関わらず怒るどころか、目元を細めて「親愛表情」をしてくれる子もあって、そこはかとなく心が暖まった。矢張り、ここを選んで正解であった。何時までも長生きをして欲しい。
駅舎はささやかな大きさで、駅前広場からは全く物音が聞こえず、悲しくなるが天候のせいでもある。何故ならば、天下の東海道本線の中でも、屈指の風光明媚な区間の一角だからである。海より山が好みなので中央本線と聞くと血が騒ぐのに、東海道本線と聞くとがっかりしてしまう人間なのに、それだけは認めざるを得ない。
ホームに上がっても、端っこに立ったから尚更ではあるが、矢張り人影に出会う事が出来なかった。早川(河川)に架かる鉄橋を眺めて居ると、東京行の特急列車が申し訳無さげに通過して行った。
早川から普通列車を使って国府津に行く予定である。車内は九割程の乗車率だったので、運転席後ろの小窓の前に立った。ふと横を見ると、通称「特改さん」と思しき小柄な女性車掌が立って居る。何も掴まって居ないから、列車の揺れに逆らう為均衡を取ろうと、身体を小刻みに左右へ動かして居る。音楽を聞いてリズムを取ろうとして居るか、踊りを練習して居る様にも見えて可憐である。彼女は、小田原で降りて行った。
国府津で下車して、駅前をウロウロする間に雨がぽつりぽつりと落ちて来て、とうとうやってしまったかと肩を落とした。傘を持っておらず心配をしたが、小雨かつ俄雨で済んだ。
今まで気にしておらず仰天したのだけれど、国府津は小田原市内なのだそうで、結局同市とお別れをしたつもりだったのに、メソメソと復縁をしてしまった訳である。と言うより、掌中で転がされて居たと申すべきか。
それは良いとして、昭和九年までは今の御殿場線が東海道本線であった事は有名な話だと思われるが、この国府津で機関車の連結をしており、その為の機関庫があった。勿論、機関庫は廃止となったが、留置線が幾つもある広い構内はその頃の名残りと言えよう。その御殿場線の衰勢振りには強く同情をすべきだが、お陰で「鉄道唱歌」に富士山を登場させる事が出来た功績は、永く記憶する義務があるだろう。
さて、国府津とは斯様に、いわば列車の運転上の必要で造った駅だからか、駅前広場はある様な無い様な、所謂猫の額の見本の如き面積である。御殿場線の怨念が降り掛かったのだろう。
冗談はさておき、東京方面へ大移動をする事にしており、14時25分の電車が来ると、遠足か合宿の帰りと思われる子供の団体と乗り合わせ、賑やかで楽しそうであった。私は酔っ払い声では無いから気にする事無く居眠りを楽しんだ。
別に家に帰りたく無い訳では無いのだが、折角外出したのだから、あちらこちらと寄りたい場所があるのだ。だから、素直に品川や東京駅まで行かずに川崎で腰をあげた。
しかし、東海道三番目の宿場町であっただけに大都会で、人の多さにめまいを起こしそうになった。尤も、何時もここへ来るのは夜であったから、街並みをゆっくり観察した事が無く、新鮮な風景を歩く気分も俄かに湧いて来た。
単に疲れただけ(だとすると随分非力になったものだ)なら良いが、濃い日差しを浴びてどうでも良くなってしまった。まだ一五時半だし、東京の近所に居るのに帰りたくなって来た。
やるべき事は全てやったし、門前町(是はほんの入口だけだが)、城下町、海の近くの街並み、鉄道の要衝、大都会、色々な種類の街の表情を体験出来てもう満腹である。川崎は、本当におまけみたいなもので、久し振りにここで乗降をしたと言う事実を記録出来ただけで充分なのである。
では、市川に向けて、と思うのだが、色々と迷った。東海道本線で東京まで乗るか、京浜東北線で品川まで行くか、いずれの場合でも横須賀線への乗り換えが必要となる。そのどちらにするかと言う、ささやかな悩み事をして居る訳だ。
結局、本数の多い京浜東北線を選んで、三駅(是が案外もどかしく感じる)乗った。
相変わらず人が多くて歩くのに苦労をする品川の「自由通路」を踏破して、13番線に転進する。
16時02分の総武線直通電車が、当たり前な顔付きで入線して来る。
何だか悔しいけれども、一日遊んで来たのだから多少のヒガミは甘んじなければならない。だから受けて立つ、と言う程勇んだ訳では無いけれど、千葉方面への身体の中へ飛び込んでみせた。
市川には16時28分に帰って来た。朝のうちは列車の遅れがあったけれども、その他は何事も無く順調に行程が進んで良かった。
バスに乗って自宅最寄りの停留所で下車をして、スーパーで缶ビールを買い求め、歩いて帰宅をした。今日は車内で一杯ひっかける余裕が無かったので、家でゆっくり乗りつぶし完了と帰宅の祝いをしようと思って居たのだ。
シャワーを浴びてから、ぐいっと呑む缶ビールは旨かった。


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