小説&まんが投稿
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:旅行記私鉄編 作者:烏山鉄夫

第7回 第六章 群馬の私鉄二題
今回は群馬県の私鉄を訪ねる事にした。
しかし、余り気勢があがらない。昔なら、高崎線に乗って高崎へ行くと聞けば、前夜は眠れなくなる程期待に胸を膨らませたものだが、今でもわくわくする事はするけれど、以前より興奮が少ないのである。
まあ、それだけ高崎線に乗ったと言う証拠であり、今回は何度目かわからないが、目的地までの交通手段に利用せねばならない。
平成二五年九月二日、家を4時45分に出て、総武線と山手線を乗り継ぎ、お馴染の上野駅へやって来た。暗いうちから雨が降って居て、強風に煽られて持参のビニール傘を壊してしまった。早く止まないかと、願わずにはいられない。上野のホームもびしょ濡れになって居る。
コンビニのおにぎりを頬張り乍、6時26分発が来るのを待つ。東京上野ラインとして東海道本線と直通運転をして居るから、南側から来た電車は、既にぱらぱらと客があった。
尾久の車庫を眺めてから、とにかく複々線を走り続けて行く。高崎線であろうが、東北本線であろうが、大宮までは退屈に思う。
大宮から通勤通学客が一斉に乗って来た。しかし、最後尾なので、独占して居たボックスに相席で人が座り、満員になった程度である。
何処かの駅で停まり、窓の外を見やると民家があって飼い犬が、淋しそうにこちらを見て居るのと視線がぶつかった。天候も相俟って、何とも言い難い重い気分になった。
深谷の発射の際、何時も「おねぎのマーチ」を聞きそびれ、今回こそはと姿勢を正すのだが、結局今日も聞き忘れて居た。気が付けば走り出しており構内のはずれまで来てしまい、どうも相性が悪い。
北へ進むにつれて空模様の機嫌が良くなって来た。勿論、朝を迎えて明るくなって来た事もある。いずれにしても烏川を渡る頃には、青空すら見える様になった。
高崎8時16分着。急げば、まず最初の標的である上信電鉄上信線の接続する電車に間に合う。けれども、私はのんびりと構えて居た。と言うのは、乗り場の光景が変わり、かつては直接JRのホームと繋がって居たのに、分離され、一旦改札を出なければいけないのである。時間はあるので、次の電車を選んだ。
だから私は改札口を通って、日差しの眩しい駅前に立ってみた。バス乗り場で回転式方向幕の趣の残る車と出会ったり、一服したりして時間を潰してから、案内標識に従って歩いて上信線の改札の前に立った。
切符は券売機で買った。窓口で硬券を売って居る筈だが、ゆっくりし過ぎて発車寸前となり、迷惑をかけてしまうから、この場は諦める事にした。但し、乗りつぶしの証拠として領収書を発行して貰った。
私の事を待って居たのは、群馬サファリパークの広告として、しまうまを擬した白黒の電車だった。この二両編成で、こんにゃくとねぎで知られる下仁田までの三三・七キロを移動しようと思う。上信線は明治三〇年に開業、計画では「信濃」を目指して居たが夢に終わってしまった。
高崎8時50分、しまうまは走り出した。ワンマンカーなので、テープによる案内が流れて居る。ロングシートだが、高崎を離れる列車だからか、さらりと埋まる程しか乗って居ない。運転台に近い座席に腰掛けた。
車庫で休んで居る色々な電車を横目に、最初の南高崎へと行き、更に信号場で交換をした。
遠方に新幹線の高架橋が見える。すると、高速ではあるが目を凝らせば向こうからも見えると言う事か。地図を見ればわかりそうな事だが、実際に来てみないと納得出来ない事は多い。
高崎商科大学前は、まだ夏休みのせいか、学生の姿が少なくひっそりとして居る。それとも、折角駅を造ったのに、車やバイクを使ってしまうのだろうか。
山名を出ると直線区間となり、実に開放的である。上州ののどかな明るさを帯びて居ると感じた。
真庭の先に鏑川を渡る鉄橋がある。日差しを浴びてその反射のせいもあるが、夢の中に飛び込んで行く様に思われた。だから、では無かろうが、情緒を損ねない様にゆっくり走る。尤も、現実は急カーブと勾配が控えており、それに畏敬して居るのかも知れない。
その名も目出度い吉井で対向列車と落ち合う。次の西吉井は新興住宅地の趣だが、上信電鉄が開発した土地だそうである。
俄に緑が増える。丘陵地帯である。
妙義山が左前方に、ちらほらとその男前の姿を見せ始める。この武骨な山容に見惚れるヒマもなく、上州一ノ宮に停まった。一之宮貫前神社の最寄りだ。
すると、保線作業用の黒い貨車が、機関車の代わりの電車にひかれて、現場に向かう(或いは帰る)光景と出会した。ここまでローカル線らしい、縦揺れと横揺れを味わって居た。この状態が合格範囲と言うならば、その列車に活躍させて保線をして居なければさらなる悲惨な事、例えば「斜め揺れ」なんかを起こして事故になって居ただろう。国は勿論だが利用客が納得出来る程度に、仕事はされて居る訳だ。
印象が強い珍しい駅名の南蛇井は、現地は島式ホームの平凡な処であった。名ばかりが先走って居るから、得てしてこうなるものだ。
千平から先は、人が変わった様に表情が異なる。山岳路線そのものである。傾斜が険しく、鏑川に挟まれた身動きが取りにくい処に線路が続き、急勾配に挑んで居ると、はっきりわかる位に樹木が身近になった。赤津信号場もあっさりと通過し、上信電鉄が「上野鉄道」と称して居た時代の古いトンネルを前後に、物凄いS字カーブが敷いてある。延長四〇メートルの白山トンネルを潜り車内は暗闇が出来た。
吾妻線の大前にも似た雰囲気の、山の手前のどんづまりに、下仁田の構内が広がって居た。切符を渡して駅前に立つと、木造駅舎が健在であった。と言うのは、この駅舎自体は訪問した事があるのだ。
もうこれ以上、現代の技術を採用しても、信濃に線路を伸ばす事を考える人は少なかろう。
街を散歩する。非常に静かな街である。この街なりの朝の喧騒が収まって、昼間の静閑を貪って居るのだ。
ひとしきり路地に足を踏み入れ、思わず遠回りを強いられたり、ひょんな処に出たり、そう大きな地域では無いが、旅先の目新しさも加味されて楽しかった。一泊或いは夕傾まで滞在出来れば、舌の名物をも味わって行く処だが、例によって乗りつぶしが優先のせわしない行程だから、三回目の訪問を約して一旦高崎へ戻る事にする。
帰りの切符は、わざと高額紙幣を差し出して、無事に硬券を売って貰えた。なかには、機械の故障時やお札に対応して居ない時しか発売をしないと言う場合があり、案外冷や冷やしながら、駅員に申し出て居るのである。ついでにと言っては悪いけれども、入場券も買った。今度の電車も、行きに利用したしまうま型だ。さっきと同じ場所に腰をおろしたが、当然今度は最後尾である。
千平までの坂道を転がる様にして下って行く。赤津で、対向列車とすれ違ったが、懐かしい人に会った様に、その後ろ姿を見送った。走行音が軽くなった。
上州一ノ宮で今度も交換をする。
上州富岡は、富岡製糸場の最寄り駅で、沿線第二の人口を持つ都会であるとも聞く。ここで、再び貨物列車と道の譲り合いを行う。
上州福島でも交換をする。乗って居る間は時の流れを忘れて満喫して居るが、ダイヤグラムと言う動かす事の出来ない時間割は、確実に進行して居るのだ。なるほど、ここが丁度中間点であり、また高崎の市街に一歩一歩と引き戻されつつあるのだ。
水田の向こうに見える高圧線の鉄塔と言うのも、味があって何時も見掛ければ視線を送ってしまう。平和を謳歌して居てこちらも嬉しくなる。
また鏑川をそろりそろりと渡る。
11時24分、高崎に帰って来た。改札で切符の持ち帰りを許可され、通路の横にある立ちぐいそば屋に寄った。僅かに時間が早いけれども、見付けた時に寄っておかないと、あとが恐いので昼食とする。だるま弁当で有名な「たかべん」の経営で、そう思うせいかそば屋も弁当と等しく旨く感じる。弁当にも使って居るそぼろ飯がおまけに付く定食を注文した。
茶髪で厚化粧の女子高校生が歩いて居る。郊外にはこの様な人種の若い子が、まだまだ居るのかと思った。
一服をつけてから、JRの電車に乗って、少し移動をする。
12時08分発の両毛線は、国鉄型車両であった。独特の乾いた声の車内放送が、近郊型電車に乗って居る気分にさせてくれる。扉の横に座った。
高崎からたった一五分。前橋駅は群馬の県都だが、不覚にも乗降をした経験が無く、物珍しい気分で駅前広場を見廻した。ここにも回転式方向幕を含む路線バスが頻りに発着しており、群馬は路線バス不遇の地と言う認識で居たから意外であった。
ここから暫く歩く事になる。第二の標的である上毛電鉄上毛線に乗りに行く為である。私は、暑いけれども散策を兼ねて遠回りをしたので二倍の時間を要したが、直接急げば一〇分程の距離である。神社があって、カラスが何羽も居て悪戯の相談に忙しそうであった。帰宅後、バスがある事を知った。
写真で見るよりも、改装されて立派で奇麗な駅舎で、中央前橋駅と称する。この一階が上毛線の乗り場となって居る。
券売機で、終点までの切符を買った。
小さな駅員が、改札に立って居る。中学生による「職業体験」で、仕事を手伝って居るのだ。その改札を入ると、既に二両編成が停車して居るので、早速乗り込んだらこちらも体験中の男の子が「先輩運転士」の指導を受けて居た。勿論、運転台の後ろに侍立して居るだけだが、案内人付きで鉄道の仕組みを勉強出来る良いきっかけであろう。
中央前橋13時15分発、第33電車は静かに走り出した。終点は西桐生と言って、ほぼ両毛線と平行して居る。延長二五・四キロとそこそこ長い路線である。
進行方向左側、つまり北側のロングシートに着席して居る。強い太陽を背に浴びて、汗がなかなかひいてくれない。しかも暑さを我慢してそっぽを向いてしまったので、後ろに聳える赤城山を見損ねてしまった。国定忠治が怒って、仕返しをしたのかも知れない。
山麓の平野を快走して居る。是も右に左に大きく揺れる。これは先入観と言うか個人的な印象に過ぎないのだが、上信線と比較してもう少し洗練されて居るとばかり思ったのに、純朴さを帯びており驚いた。
駅に着くたびに、例の先輩運転士がホームに降りる。ワンマンカーだが、後方確認の補助をして居るのだ。格好良く、そしてさりげなく指差しをする。
駅名と言う物は、歴史の重みや風格を備えて居るものだが、一方で分かり易さも求められる。だから、心臓血管センターと言う駅名は、非常に強烈である。名前の通り、病院の最寄りとして利用されて居るが、午後のせいか人影も少ない。ここで交換をする。全線が単線となって居る。
大胡は車庫もある中心的な駅である。従ってここで数分停車をして、運転士が交代をする。中学生たちは終点まで行くらしい。
新屋と粕川の間が中間点で、且つ最高地点なのだと言う。その粕川で交換をする。
赤城は、東武桐生線との接続点である。浅草行の特急が停まって居るが、鄙びた田舎駅で見掛けると、誠に奇抜に見える。対向列車を待つ。
車内を見渡すと、前の車は私しか居らず、後方には二人組の若い女性しか見当たらず、空間がとても広く見えてしまう。
桐生球場前は簡素な造りであるが、野球が好きな者として気になる存在である。桐生市運動公園の一画で、昭和四九年に広島対大洋の試合が行われたそうである。是は余談だが、我が家の近所に市川市営国府台球場と言うのがあって、昭和二五年に国鉄対大洋戦が行われたそうだが、こちらはフランチャイズ制導入前の放浪的に各地を転戦して居た時代の事だけれど、東北を中心とした慈覚大師の足跡が全国に残って居るかの如く、あちらこちらにプロ野球の歴史が散見される。
富士信仰による富士塚に由来する富士山下を出ると、渡良瀬川に架けられた鉄橋が登場する。実に絵画的な情景である。きっと撮影の名所に違いない。私もふらっと行ってみたいが、装備をして居ないから別の機会とする。
14時07分西桐生に到着をし、今日の獲物は全て味わった事になる。とりあえず改札を出ると、洋風の洒落た駅舎が静かに私達の事を出迎えてくれた。
記念品の代わりに時刻表を貰った。両面印刷で、全駅が載って居る。蛇腹折りで、表紙が二ヶ所あり、上下線の象徴としてその方角の行先の写真があしらってある。上りなら西桐生行の電車が写って居る。なかなか楽しい演出である。
両毛線の桐生駅まで、また歩かなくてはいけないが、今度は五分もかからないから楽である。例のお姉さんは道に迷った顔色であったが、案内を請われた訳では無いので、さっさとJRの駅に向けて歩行する。高架の立派な駅が見えて来た。
街歩きをしようと、駅の反対側に通り抜けてみた。人通りが全く無く、店舗は開店して居るものの、静寂に包まれており、真夏の太陽に照らされ街全体が黄色に輝いて見えるのみであった。少し物悲しい気分になったので、駅に戻り休憩で一服をする。今度の電車は小山行だと言うし、散々悪口を言った高崎線に戻るのも照れ臭いから、大人しくそれの世話になる事にして、ホームに向かう。
緑と橙の二色の電車が停まって居る。方向幕は「小山」を表示してあるが、まるで回送車かの様に、誰も乗って居ないから心配してしまう。手動の筈と扉に手をかけると、開いたので間違いなく次の列車だと安心をして、選び放題の座席の中から、左側のボックス席に座った。段々と人影が増えて来て、14時57分、定刻発車をした。群馬とはお別れである。
色々な旅行記で。上信線と上毛線をまとめて扱われるのは、同じ群馬県内であるし近所同士だからだと思われる。また東武の様な大手では無いから、独自の持ち味を打ち出して個性を発揮して魅力的だと言う点も見逃せない。いずれにしても、何故今まで乗らなかったのか、とおおいに反省をして居る。
さて、両毛線も高速道路との競争に巻き込まれた格好で、北関東自動車道の開通は痛手だった事だろう。平日の午後とは言え空いており、乗り込んで来るのは高校生ばかりである。髪の毛が長い清楚な女子高校生が乗って来た。あの娘もいずれは東京へ出たり、運電免許を取得してこの路線との御縁が無くなってしまうのかと思うと残念である。
電動車に乗ったから、走行音がひときわ大きく聞こえる。好きな事だから、じっと堪能して居たら、思川に停車をした。近所を流れる川に由来する駅名だが、物思いに耽って居たから一寸驚く。中抜けをしたが両毛線の旅もあと一区間を残すのみである。
小山15時52分着。東北新幹線の高架下にあるうす暗いホームに降りると、東北本線の乗り場まで、長い距離を歩かなければならない。流石に疲れて来たし、太って居るから「ほんの少し」がそうとは受け止められないのである。さっきの美少女が歩いて居る。張り合う必要は無いのに、格好を付けて元気を取り戻す。
16時04分発に間に合ったが湘南新宿ラインで、上野には寄らないけれども、待つのが嫌になって居るから強いて利用する事にした。
来た電車はロングシート車だったが、座れた事に満足をした。この電車は、東北本線内を快速運転するので、幾つもの駅を通過して行く。実は丁度一週間前に愛知を旅しており、東海道本線の快速で大府と豊橋の間を乗ったので、場所は異なるが幹線の速達列車を利用した事になり、何だか不思議な気分だった。
また、国鉄時代の「急行」に乗って居る気分を、疑似体験だが味わった。
利根川を渡る鉄橋の骨組みを通して、真っ赤な太陽が、夕方の帰りを急いで居る。こちらは急用に迫られた訳では無いが、とにかく俊足を飛ばして行く。
気が付けば大宮である。満席になり賑やかになった。
基本は上野経由なので、ある意味珍しい車窓となる目白やら池袋等を通って、とりあえず新宿まで帰って来た。何時も階段の位置によって苦労するのだが、すんなり見つけて僅か六分しか要さず、総武線各停に乗り座る事が出来た。
地元の市川まで、あと四〇分。無事に乗り換えが出来たので、うつらうつらしながら東へ進んで行く。
こうして、二つの私鉄の乗りつぶしに成功して、合計五九・一キロを消化した。


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 小説&まんが投稿屋 トップページ
アクセス: 973