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作品名:旅行記私鉄編 作者:烏山鉄夫

第6回 6
世間ではひな祭りであるが、平成二七年三月三日、私は市川駅の上り各駅停車の始発に乗った。秋葉原で水色の帯の電車に乗り換え、上野の5番線へと向かった。
これから東北本線(宇都宮線)に乗るのだが、この時間帯に上野駅に立って居るのに始発の521Mに乗るつもりは無い。今回の目的地は、そんなに急がなくても日帰りが可能だからである。
ああ、上野駅に居るのだと思うと素直に嬉しい。それも旅に出ると思うと、感激してしまう。たとえ来る電車が、新型の銀色の車体であっても、普遍的な情緒があると思われた。
5時46分発宇都宮行まで待ち、ボックス席に腰をおろし目をつむる。昨夜は酒を控えたが、矢張り早朝で少々眠い。幾ら鉄道の旅が好きで車窓を眺めるのが至上の楽しみと言っても、ここは複々線で景色が遠いから、じっくり観賞する区間では無い。JRの最近の車両は、遮光幕の代わりにフィルムを貼り付けてあるから、そのせいも存分に加味されるが、空を厚い雲が覆って居る為、薄暗く感じてしまい、気分も台無しである。
大宮を離れて、ようやくのどかな田園風景が姿を見せ、旅の徒然を晴らしてくれる。
寝台特急「カシオペア」とすれ違った。普段と違う機関車に牽引されて居る。道理でめぼしい場所で、写真機を構えた同好の士々が見受けられたのだ。早朝から大仕事である。
宇都宮7時29分着。次の北方面の電車は、7時37分となって居る。人を掻き分けて乗り場を移動すると、国鉄205系が停まって居るが、これが黒磯行である。
私は非常に心配であった。ロングシート故の着席の可否の事では無い。電車の性能の事である。都会向けの通期電車が、勾配のある区間を走る事が出来るのかと。
勿論適応するから、中央本線の201系快速の様に走らせるのだ。都会の満員電車をこなすだけの「体力」を持って居るので、ちょっとした坂道ぐらい苦にしないのだろう。私は運転台の後ろにある小窓を覗いて居る。実はここ数日腰痛に見舞われて居て、電車の揺れに合わせてゆらゆらして居るうちに、軽い体操になったらしく、気が付いたら軽くなった。
その小窓を通じて、氏家で「北斗星」の勇姿を目撃し、或いは雪で純白の那須連山と思しき山並みが視界に見え隠れする。栃木県縦断も間も無く終わろうとして居る。
ずうっと林の中を選ぶかの様にして走って行く。かつて東北特急の「はつかり」なんかが時速120キロの高速で駆け抜けて居たのかと、歴史的浪漫にふける。
車内放送が肉声なのが良い。駅に停まると、坂道発進をして居るらしく、つんのめる様に動き出す。抑速ブレーキを追加装備したと聞いた。
黒磯まで北上をして来た。まだ北を目指す事にして居るので、「関東地方」に身を置く間は序ノ口なのである。
8時39分発2129MはE721系四両編成であった。ボックス席があるので、早速一区画を利用する。
かやぶきでは無いけれども趣のある農家が見える。豊原の前後で、今日初めての検札が来たが、車内精算の受け付けのみであった。
白坂から福島県である。つまり東北の領分に足を踏み入れた訳だ。
新白坂で一四分停まる。新幹線から降りて来た、故郷へ帰る若い男女が、大きな荷物を抱えて乗って来る。ホームで煙草を吸って居たら、貨物列車が通過して行った。流石は大幹線で、長い車列が迫力を残して先に行ってしまった。
駅前に小峰城が見える白河からも大勢の客が乗って、私のボックスも相席で埋まってしまった。
郡山から3537Mに乗る。福島到着は10時54分の予定である。じわじわと目的地が近付いて来る。
今度は二両編成でロングシートだが、着席に成功した。三方を若い東北美人に囲まれ、即席の両手に華を味わった。後ろの窓の向こうに五百川の駅名標が見えた。気になる駅目の一つだが、小駅なのであっさり発車をして行く。
長々と東北本線の模様を綴って来たが、おまけなのである。ここからが本題である。福島交通飯坂線と言う私鉄を訪ねる事にして居る。
電車から下車をして階段を昇る。
中間改札を見つけた。私はそこの窓口でJRの乗車券を提示すると、駅員が外を指差した。改札の外にある機械で乗車券を買って下さいと言って、構内を通過させてくれた。私はもとより無賃乗車をするつもりは無いから、大人しく三七〇円(当時)を支払って、食券の如き薄っぺらい紙片を手にして、改札鋏代用のスタンプを受けた。
乗り場は一面二線になって居て、元国鉄丸森線を引き継いだ第三セクターの「阿武隈急行」と共同使用して居る。既に白い車体に緑の帯の入った阿武隈の電車が停まって居るが、お目当の飯坂線の車はまだ入線して居ない。
踏切の警報機の様な大きな音が鳴り、銀色の二両編成がゆっくりとやって来た。元は東急を走って居た車である。
飯坂線は、ここ福島と飯坂温泉との間に敷かれた九・二キロと小さな路線である。全線が単線になって居る。間もなく開業九〇年と目出度いタイミングでの訪問となった。
車内は、元々通勤電車なのだから当然だがロングシートになって居て、それがさらりと埋まる程度に乗客がある。地元では「飯坂電車」と呼んで親しまれて居るそうで、こうして人々の足として市民権を維持して居ると知って心強い。
若い車掌が乗務して居るのに、テープ放送を実施して居る。
11時20分、第43電車は福島駅に見送られて乗りつぶしが始まった。次の曽根田までは私鉄らしく〇・六キロと駅間距離が短い。
そのせいか、ゆっくり走って居るので却って味わいがある。如何にも故郷の電車と言った様子である。これは所謂「我田引鉄」、つまり贔屓目かも知れぬが、こうしたローカル線の風情こそ、その路線を売り出す絶好の売り物になると思われる。飯坂線も小規模で機動性に優れて居るのだから、雰囲気を大事にして欲しい。
私は勝手に飯坂温泉と言うのは、東北本線から見て右側つまり東側にあると思い込んで居たが、地図を開けば全くの反対である。だから線路も西方に向かって、次第次第に逸れて行く。今回は下調べをほとんどしなかったので、この様な恥をさらす事になった。
東北本線の複線を跨ぐと、岩代清水である。旧岩代国を用いた駅の最後の砦だそうだ。字面だけ見て居ると、何やら御利益がありそうだ。「岩清水」と言う語彙と、東北と言えば米どころとの先入観で、由緒ある美しい地名に思われた。無論、例の如く旧国名を冠して居るだけで、旅情を感じた事も要因であろう。駅自体は、一面一線の簡素な駅である。
三〇〇メートルしか離れて居ない、お隣の泉駅も矢張り水に関る名前だ。松川が近いから、水にまつわる地名が与えられたのだろう。
長い鉄橋を渡る。松川は吾妻連峰を源とする一級河川で、幅が広い分だけ明るくて気持ちが良い。
上松川からきついカーブで右へ折れ、更に北へ向かって走って行く。信夫山の森が尽きるキワに合わせて曲がるのだ。これよりほぼ直線が続く。
笹谷で交換をする。待つ程も無く、桃色の帯をまとった電車が、そろりそろりと停車をした。
笹谷より三・二キロ、二駅を挟んで医王寺前に停まる。医王寺とは、弘法大師を開祖とする真言宗の古刹で、中世の支配者・佐藤氏の菩提寺として知られる。また薬師堂や乙和の椿でも名を馳せて居る。しかし、歩いて一〇分程の距離にあるので、電車の中からそのお堂を一瞥する事は叶わない。
花水坂と言う色っぽい名の駅に停車し、カーブを曲がって、11時43分、飯坂温泉のホームを踏み、乗りつぶしは終わった。
構内は一面二線となっており、乗車と下車とでホームを使い分けて居る模様で、左側の扉から下車をした。
駅名標を見ると、単純な白黒の意匠であった。記念に写真機を向ける。改札で切符を渡した。乗りつぶしの証拠用の切符は別途購入するつもりだから、惜しまずに回収に応じた。階段を昇ると二〇一〇年に改築したばかりだと言う、洒落た駅舎が待って居た。摺上と言う川の岸に立つ断崖の上であった。
周囲を見廻すと、つい嬉しくなった。今回の目的地である飯坂温泉に、自分の足で立って居るのだ。東北の出で湯と聞くだけで、憧れの土地の一つだと思うから余計に感慨も大きい。
今回は予算が少ないが、とりあえず昼食を志し、店を探しがてら散策を始めた。少し歩くと、薬師神社と言う社を見つけた。境内が公園として整備されて居て(と言うより共同浴場の「波来湯」の敷地か)、池の水の代わりに、温泉を溜めてある。三月の肌寒い時期なので試しに手を差し入れると、なるほど温もりを感じた。
暫く歩いた後、結局コンビニで買った弁当になってしまった。買い物を済ましてから、再び神社に戻りベンチに腰掛けた。
温泉の中心街から少し離れて居るし、平日であるせいか人通りも疎らで、静かな時間を過ごした。空気も旨く、雰囲気のある食事であった。
またぶらぶらと歩く。路地の入口に道標が立っており、松尾芭蕉でお馴染の「おくのほそ道」の古道であった。民家と民家の隙間で、旧跡として足を踏み入れて良いのかと、逡巡してしまう。
摺上川を跨ぐ、大正四年に完成した五七・七メートルある、街のシンボルとして親しまれて居る十綱(とつな)橋の上に立つ。吾妻連峰と思しき、真っ白い山並みが遠望される。生憎の曇り空だが、うっすらと見える美しい女性の様で、却って色っぽく感じた。
駅に戻り、記念のスタンプが二種類あったので、両方を手帳に押してみる。一つは、福島交通で作ったもの、一つは同好の士が有志で作って寄贈したのだそうだ。印影に、「復興!ふくしま/飯坂電車・飯坂温泉/がんばろう!東北」と刻まれてある。素敵な東北がよみがえる日を、私も待ち望んで居る。
飯坂線は、所謂列車別改札を実施して居る。つまり、発着の直前にならないと、構内に入れて貰えないのである。
だから、手洗いを借りるべくコンコースの階段を降りると、折りしも電車が出発する処だったので、駅員に乗るかどうかを、大きな声で聞かれた。私は乗るつもりが無いから、両腕を胸の前で交差させてバツ印を作り意思を伝えたら、怪訝な表情をされてしまった。
次の電車まで、二五分の待ち時間である。
帰りの乗車券を機械で買い、併せて記念用に入場券を求めた。ぶらぶらと友人窓口を覗いてみた。何か記念切符の類が売られて居ないかと期待したが、残念ながら空振りであった。
立ち寄り湯にすら浸る事無く、帰途につく訳だが、私自身は満足をした。今日の主題は飯坂線に乗る事であり、これで再訪する理由が出来たし、その時は観光バスや自家用車でも、気兼ねなく遊ぶ事が可能となり安心である。
こう言う訳で、さっぱりとした気分で福島行の電車に乗り込む。旅行中らしき若い美人の三人組が乗って居る。この車両も幸せ者だ。
笹谷で交換するのも、長い鉄橋を渡るのも、全てが朝来た時と同じであった。この日常こそ、しがない都会人である私にとって、至上の土産話になるのである。
福島駅では改札を出てみた。
県庁所在地の中心駅であり、新幹線停車駅であるから、大きな駅舎が視界を遮る様に建って居た。煙草をふかし、路線バス乗り場を眺め、記念スタンプを押してから、JRの切符で入場をした。
仙台行が、四両編成で停まって居る。ひょいと乗ってみたくなるが、郡山行に大人しく世話になる。発車時刻まで暫くるので、車内は回送列車の如く空いて居た。
14時20分、南下の第一列車が走り出した。あれが噂に聞く「弁天山」かと思いつつ森を見下ろすうちに、ぐいぐいと加速をする。
それなりに疲れて居たらしい。或いは肌寒い春の東北の列車で、暖房がよく効いて居たのだろう。私は珍しく座席で居眠りをしてしまった。隣に、福島の美人なお姉さんが座って居て、何も文句を言われなかったが、肩に寄り掛かった筈である。どうも失礼をしました。
郡山15時07分に到着をした。ここでは二三分待つ事になる。本当は、もう一本下り列車があるが、矢吹行で乗り換えが増えるし、接続時間もそう長く無いので、見送る事にした。
今度来る電車は、黒磯行である。座ると眠くなるから、わざと立ってみる。
夕方となり、段々と暗くなりかけて居る。それをはね返す様な高速走行をして、車内が大変揺れる。これが同好の士が、この車両を嫌う理由の一つである。しかし、今の私にとって眠気を排する体操となり、また好きな車だから感情も湧かず、車窓を楽しんで居た。
矢吹から、先の列車の客と共に大勢の人が乗って来た。私の後ろに、二人組のブレザー姿の女子高校生が立って居る。訛りを含んだ、如何にも子供らしい話題が自然と聞こえてしまい、こちらも楽しくなる。
朝、長時間停車をした新白河で、ほとんどの客が降りて行く。足音が賑やかに鳴り響く。流石に疲れて来たので、空席を求めてキョロキョロした。後ろに居た女の子も降りる様子で、色の白い御河童頭の清楚な横顔をちらっと見た。
白坂と豊原の間に、福島と栃木の県境がある訳だが、交流型電車に乗って居るので何となく実感が持てず、ただひたすらに地理上の事実を心の中で言い聞かせて居た。
黒磯に着くと、終点なので当たり前かも知れないが全員下車をするから、ホームは勿論階段が渋滞して居る。視線の向こうに、次の列車の姿が見えて居るのにもどかしい。皆が改札口を目指して居る中、人の流れを横断して、1番線にたどり着いた。大汗をかいてしまった。
16時36分発は、現行の時刻表では珍しくなった、上野まで直通する恵みの様な列車である。「通勤快速」であるのも、私にとっては驚くべき点である。この為一五両も連結した長い電車であった。汗をかいたついでに、先頭車まで急いだ。お陰で、空いたボックス席を利用出来た。後は、上野まで何もしなくて良い。
宇都宮まで、こつこつと停車を繰り返して行く。
空はだいぶ灰色を帯びて来た。駅に停まるたびに、下校する女子高校生が乗って来て、黄色い声に包まれる。ローカル線と見紛う光景である。都会なら怒られるだろう。
そろそろ帰宅が楽しみになって来た。折角東北本線を旅して居るのに、東京の香りが濃くなって興醒めしたものと思われる。それと、日が暮れて車窓が見えないせいもあるだろう。しかし電車は私のわがままに付き合えないから、律儀に停車をする。
こうして見ると、宇都宮と言うのは矢張り大きな駅である。即ち照明の数も惜しまず明るいし、この列車に乗るかは別として人影の合計が、断然違うのである。
七割か八割の乗車率となり、社会人が中心に変わった。
ここからは名前らしく、高速走行が期待出来る。私は、列車速度に余り拘らないが、汽車区間で長い処を飛ばして走るのは矢張り気分が良い。
小山まで南下して来た。寝て居た気もするが、それさえ記憶が無い位に逆上して居た。起き抜けに似た気分と症状があるから、言い訳を並べても無駄であろう。
大宮である。ついに都会に戻って来た。窓の外で、光の帯を作る電車の頻度が多くなった。終点に向けて、坦々と走って行く。自動車で言えば、東京インターを目指して多摩川橋を渡って居るとか、高井戸に向けて深大寺辺りを走って居る様な、上野が近いからと言って気を緩める事なく、電動機を唸らせて居る。
上野19時10分着。日帰りの旅は終わった。小腹が減ったし、真っ直ぐ帰る気にならないので、駅そばを啜った。上野にはまだこの手の店が残って居るから嬉しく、何度かお世話になった。東京駅には無いから、この点でも上野の肩を持ちたくなる。そう言えば、福島でも郡山でもそばに手を出さなかったな、と後悔をした。
ここからは適当に、と言うのは来た電車に素直に乗れば良く、山手線の黄緑の帯を選択して、秋葉原までの四分を楽しむ。乗り換えて、総武線の電車で黙って市川まで運ばれた。途中、車内急病人があって救護で遅れたが、当方は無事に帰宅を果たした。


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