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作品名:旅行記私鉄編 作者:烏山鉄夫

第5回 第四章 小湊鐵道・いすみ鉄道
平成二三年三月一一日、午後二時四六分。東北地方の太平洋側を中心に、日常が一変してしまった。三分に及ぶ地震とそれに伴う大津波により、街は破壊され尽くされ、人々の命を呑み込んで行き、大好きな東北がその日を境に別世界の様相を帯びてしまった。「東日本大震災」の発生である。
我が本拠地の千葉県も、東北に比べれば軽微で済んだけれども、それなりの損害を受け、悪い事に所謂「風評被害」の洗礼を浴びせられ観光客の足並みを減らしてしまった。これを助ける目的で、期間限定ではあるが県内のJR線を中心に提携した私鉄線にも乗れる一日乗車券を発売する事になった。「パワフル×スマイルちばフリーパス」と名付けられ、価格も一八〇〇円と低廉に設定された。
思い切った事を考えたものだと、感心しつつ私も手に入れたので、出掛ける事にした。行き先だが千葉県内のJR線は既に乗り終えて居るので、私鉄が主題になる。成田空港近辺の路線は未乗車だが、京成は加盟して居ないので別料金である。苦戦が続く銚子電鉄に顔を出すのも楽しげではあるが、矢張り手を付けて居ない路線である、小湊鐵道と終点が同じいすみ鉄道を選択した。いずれも今回の切符で乗車出来るから、実質二択であっても考える時間は愉快でたまらなかった。
さて、当日を迎えた。平成二四年三月二二日である。
私は地元の市川駅まで歩いた。快晴の中、近所の街並みをテクテクと進む。
市川から千葉方面への快速電車を待った。千葉までなら各駅停車でも一〇分位の違いしか無いのだが、「快速」と言う語感と、近郊型の車両の誘惑につい負けてしまうのだった。この日は、8時17分発の列車を利用した。一五両もつながって居れば、通勤電車でも「列車」と呼んでも良かろう。津田沼行が二本続いたあとなので、座席が埋まる程度に混雑をして居た。千葉まで二一分。
小湊鐵道に先に乗る事にして居るから、今度の内房線に乗り換える為4番線へ移動をした。
すっかり209系電車の独壇場になった「房総各線」であるが、私はこの車を気に入って居る。どうも、一部の人が113系時代を忘れる事が出来ずに、「走ルンです」だの「プレハブ電車」だのと言って敬遠されがちなのが残念である。国鉄型車両が蒸気機関車の如く一〇〇年でも二〇〇年でも走り続けて居ないと満足出来ないらしい。最早、願望では無く悪質な言いがかりである。
千葉8時47分発の車内で、見えない敵と戦って居るうちに、第一の目的地である五井に到着をした。千葉県市原市である。
これから乗車を目論む小湊鐵道は、大正一四年に五井と里見と言う駅までが開通し、順次距離を伸ばして行き、昭和三年に全線開業した。本当は会社名の通り外房の小湊地区を目指して居たが、昭和九年国鉄木原線の開通により「房総半島横断鉄道」構想は断念させられた。五井と上総中野までを結ぶ三九・一キロ、非電化路線である。
都心から近い位置なのに、如何にもローカル線だと言わんばかりの光景が現役の為、ドラマやコマーシャル等映像分野でひっぱりだこなので、小湊鐵道の名は知らなくても、その景色は広く知れ渡って居るものと思われる。また、ローカル線特有の「鉄」では無く旧字の「鐵」を用いるが、縁起担ぎかとも思ったけれども、趣と言う意味では成功であろう。
さて、五井駅自体はJRの管理駅であり、小湊鐵道は共同使用と言う形で3・4番線を利用して居る。君津側の跨線橋を渡ると、昭和のまま時間が止まって居るかの様な雰囲気が漂って居る。
黒い文字の数字だけの乗り場表示がぶら下がって居る。横に広がって居る基地で昼寝して居るクリームと赤の二色の車両、歴史がありそうな建物が見えるからだろう。或いは細かな点だが、車両が国鉄の気動車を参考にした名残りで、顔付きが似て居る事も、大事な要素であろう。
春の朝の日差しが、クリーム色の部分に反射する様に風合を帯びて思わず飛び付きたくなる。
駅の観察をして居ると、下りの内房線がやって来て、乗り換え客がこちらのホームにやって来る。一本早い列車を利用した甲斐があった。
二両編成のキハ二〇〇形と言う気動車がやって来た。座席は煙突部分だけ仕切られているもののロングシートで、地域の公共の乗り物だなと嬉しくなる。この感覚については若干説明が要るかも知れない。
私の幼少時代、地元の路線バの一部にロングシート車が走って居た。これはボンネットバス時代の名残りとすれば当然の構造であり、実体験して居るから地方鉄道に乗った際、ボックス席でなくとも地域の人の足として元気にして居れば充分満足が出来るのだ。
9時22分発の第一三列車は、軽い準備運動をするかの様にエンジンを吹かして五井駅4番線から離れて行く。こうして小湊鐵道の「乗りつぶし」の旅が無事に幕を開く事が出来て目出度い。
上総山田で上り列車と交換をした。小湊鐵道は全線が単線となって居る。
馬立と言う駅がある。どうも気になる名前だ。馬市の「せり」に出して居た事を由来に持つ地名だと言うが、他の駅の多くに重複を回避する為の「上総」が付くから、超然として居る印象を抱かせたものと思われる。
その次の上総牛久に、一本前の列車が止まって居る。この駅が終着なので、既に無人となって居る。この列車からの乗り継ぎ客があって、ますます混雑が酷くなる。運転士も交代し、男性が下車をし眼鏡を掛けた女性が乗り込んで来た。
ここまでは沿線のだいぶ近くまで住宅地が続いて居たが、俄かに田園風景が幅を利かせる様になった気がする。
車内は春休みの時季ともあって賑やかであった。女性車掌が車内検札を実施したところ、周囲の客の九割が、私と同じ切符の利用者で、何人かが今では珍しい手書きの車内補充券を作って貰って居た。私はそれを見て、乗車記念に一区間のものを作って貰えば良かったと反省したが、いささかマニアが過ぎようか。
私は、運転台の斜め後ろに立って居る。カーブ等で警笛を鳴らすと、もの凄音量が耳をつんざく。運転士が、何かストレスを抱えて居るかの様だ。雑木林等見通しの悪い箇所や、遮断機が無い第四種の踏切があるのが本当の理由である。撮影か何かで外から眺めれば、迫力と言って片付けるであろう。私は、列車旅の大事な養分なのでこれ以上の文句は言え無い。
大銀杏が目印の上総久保を出ると、わずか一・八キロで高滝に着く。駅自体は無人駅で味気が無い。すぐそばに寄り添う様に、養老川に平成二年完成をした高滝ダムが広がって居る。ダム湖の愛称はそのまま「高滝湖」と言う。
小湊鐵道のかつての終点だった里見を出ると、桜の木と菜の花で有名な飯給に着く。「いたぶ」と読み、壬申の乱の際に当地へ敗走して来た弘文天皇一行に食事を出した故事による地名だが、漢字は読めなくても、この駅を題材にした写真を誰もが一度は見た事があるものと思われる。
10時11分、短いトンネルをくぐった。月崎第一トンネルである。房総の山容は低くとも、トンネル王国とでも呼びたくなる位に、線路も道路でも、或いは水路でも、とにかくトンネルが多い処である。この線路に短くとも穴をくり抜いた箇所があろうと、特段驚く事では無い。
月崎を出て、短い暗闇を抜けると、今度は当路線で最長の大久保トンネルが待って居た。長さ四二一メートル、これを脱して県道三二号を跨ぐとすぐに上総大久保に進入する。
二級河川である養老川の上流域までやって来た。養老渓谷駅では、秋の紅葉の季節では無いので期待して居た下車客は少なく、これでほぼ全員が次の終点まで行く事が確定となった。
川は南(右)へそれて行く。今回初めて知ったのだが、この養老川は延長七・四キロ「も」あると聞き、少々驚いた。
短いトンネルを二つこなすと、10時30分丁度二上総中野に停車をし、小湊鐵道の旅の終演を迎えた。念願だったこの駅に、やっと立つ事が出来たのに案外冷静だった。
この駅は、いすみ鉄道の終点でもあるので、線路自体は、まだまだ先まで続いて居る。また大多喜町であると言うが、実感が湧かない。
私はこのままいすみ鉄道に乗って、外房へ抜けるつもりだが、次の列車は一〇分後なので一旦改札を出てみた。
昭和三年に開業し、現在は無人駅だが平成元年に改築された木造の小さな駅舎がぽつんと建って居る。大多喜町の名産である竹の子の形をした公衆便所が可愛い。
自動販売機があって、乗務を終えた二人の女性が談笑をしながら飲み物を買って居る。のどかなターミナル駅で、心が優しくなる。
黄色の二両編成がゆっくりと線路の奥を曲がって来るのが見えた。梅が植わって居て、白く反射をして居る。
レールバスと呼ばれる、簡易な構造の車でもある。不覚にも、この手の車に乗るのは初めてなので、少なからず期待をして居た。厳しい人が、乗り心地が悪いと言うが果たしてどうだろうか。それとも楽しみにして居る項目なのである。
接続の良さに気が付いた人が、この列車に集中して混雑を招いて居たのだ。小湊鐵道の車内で見掛けた人が沢山居る。即ち、向こうも私を見て同じ事を考えて居るに違いない。上総中野10時43分発14D列車は、落ち着いた所作で走り出した。後ろ髪を引かれるが、旅の中途だ、ガマンせねば。
いすみ鉄道は、外房線大原と上総中野を結ぶ二六・八キロの第三セクターであり、昭和六三年までJR木原線として運行されて居たローカル線である。全線が非電化で単線である点は、小湊鐵道と変わりが無い。
水田や里山が広がる中を、コトンコトンと軽快に走る。乗り心地も思って居た想像よりも良好だ。小湊鐵道が難工事を予想して建設を断念した区間だと言うが、地質の問題だったのかと思う位に穏やかで明るい景色である。例の計画は、別の経路の事だったのだろうか。しかし、目に入るものは、梅・菜の花・桜である。
車内はまさしく、バスそのものである。本来なら禁止行為なのだが、乗客が運転士に話し掛け、操作しながら案内の為に返事をして居る。更に、運転台の仕切り扉が開いてしまい、初めはいちいち直して居たが面倒になったらしく、股を開いて片足を伸ばして靴で押さえてしまった。
11時05分の、本多氏で有名なお城のある大多喜で、ほとんどの乗客が下車をし、それに合わせて運転士が肉声放送で、
「本日に限り、車内での精算はいたしません」
と言って居る。ホームは玩具箱を引っ繰り返した様になって居る。二両合わせてこんなに乗って居たのかと思う。二分停まる間に、同じ列車かと疑う程閑散としてしまった。
駅名標の意匠が、JR東日本と同じ形式で、矢印状の帯が黄色になって居る。路線自体が元々JR(国鉄)だった事もあって、私鉄に乗って居る気が全く起こらない。尤も、第三セクターと言う名の公営鉄道なのだから、香りと言うか歴史の記憶が依然残って居るのだろう。今でこそ軽快な車両が往来して居るが、国鉄型の重量感ある気動車が活躍して居た時代の沿線の人々には、木原線がどの様に映って居たのだろうか。
新型車両の試運転列車と交換をした。
三〇キロ足らずの短い路線なので、大原の専用ホームに、静々と進入したのは11時35分であっけなく感じた。
乗り終えた列車の余韻を味わいたいのに、他の乗客の足取りに釣られて、慌ただしく改札を出てしまった、
売店があって、いすみ鉄道を題材にした土産が並べられてあり、目移りをしてしまう。あれも買いたい、これも良いと欲張りになるから却って何も買い求める事が叶わず、一旦JRの駅舎に顔を出して見た。
しかし、これと言った収穫も得られず、手持ち無沙汰に駅前をぶらぶらとし、線路に面した公園を見つけ、ベンチに腰をおろした。
私が乗った列車が上総中野を目指して出立する処だった。いすみ鉄道が提携協定を結んで居る童話「ムーミン」の登場人物をあしらったステッカーが、別れを惜しむかの様に、物悲しさを帯びて遠ざかって行く。本来は可愛らしい筈なのに、どうしてだか感傷的に見えた。春は別れの季節と言わんばかりに、ぽかぽかと日が照って居る。
さて、休憩ばかりもして居られない。先を急ぐ事は無いが、するべき用件は終えたので、そろそろ帰ろうとJRの改札に入った。
特急を一本見送る。外房のリゾート地帯の入口に位置するから、ここから南は特急といえども停車駅が増える区間になる。
12時4分発の千葉行に乗る。長い編成で空いて居た。
三門はいすみ市(旧夷隅郡岬町)に所在し、日在地区は、かつて文化人らの別荘地として人気があったと言う。
長者町は縁起の良い名だ。ここから複線区間が始まり、列車の速度も心なしか速くなった感じがする。
夷隅川を大きな鉄橋で渡る。
東浪見は、長生郡一宮町。残念だが隣の駅まで単線が復活してしまう。何時の間にか駅舎が新しくなって居る。知らなかった。山の真下にあって、緑が目に優しいが、地図を広げてみると、この部分だけがポツンと色分けをされてあって、その分りやすさに笑ってしまう。
単線を進んで上総一ノ宮に着く。名前の通り、上総国一宮である玉前神社の最寄りである。ホームは二面三線もある大きな駅で、都心へ行く快速電車の始発でもあるので、乗客が賑やかである。ここで降りて総武線直通快速を待っても良かったが、折角座席を占めて居るのに手放すのが勿体無くて、千葉まで四三・〇キロもある(意外と遠い)から大人しくして居た。今日は余計な事はするまいと心に決めてある。
ここから八積を経てほぼ一直線に北西へと進路を取る。
茂原は、九十九里地方の都会にあるだけに、駅が高架になって居る。
こうして外房線の旅を楽しんで居る様に見えるが、私は内房線を断固支持する。外房即ち太平洋の外洋に面した明るい処であり、内房は東京湾と言う内海が醸し出す閉鎖的と言うか暗い印象を持って居る。私は内房の雰囲気の方が性に合って居る気がする。勿論、鉄道に乗れば、何でも構わないので、一応わくわくとはして居るけれども。
電車は低い丘陵地を走って居る。これでも県都であり、政令指定都市である千葉市内の景色である。杜の都と呼ばれる仙台と比べたら、勝てないにしても引き分けになら持って行く事は出来るかも知れない。と言う下らない事を考えて居るうちに蘇我である。これで一周を果たした事になる。京葉線が高架で分かれて行く。
千葉には13時48分に到着した。直ちに13時57分発の快速電車に乗り継いだ。市川に着くまでの二〇分の間に、私は所謂被災地に足を向けなかった事の是非を考えた。一種のご都合主義ではあるが、「是」とした。今回使用して居る切符は、風評被害若しくは自粛傾向が蔓延して居るから、千葉県或いは房総半島だけでも活気を呼び戻そうと言う目的の企画乗車券だと解釈し、実際に千葉の元気な姿を駆け足で刹那的ではあるが断片を目撃したと思って居る。
何やら偉そうな事を長々と書いて居るが、要するに銚子電鉄にも遊びに行けば良かったと未練なのである。計画立案の段階では、大網から東金線を再訪して銚子へ行く事を試みて居た。何を思ったか実行しないまま、ずるずるとここまで帰って来てしまった。
総武快速線は彼の責務を果たすべくただ淡々と高速走行をして市川に停車をした。もう引き返す事は出来ない。途中下車の扱いとなり切符が手元に残った。
バスを利用して帰宅をしたのは、一四時四五分頃であった。
昼食を摂って居なかったので、スーパーの弁当を開いてテレビの高校野球を視ると、被災地の宮城県から「21世紀枠」として出場を果たした石巻工業高校が、鹿児島県の神村学園高校と対戦をし、石巻が一時逆転をする等好試合となって手に汗を握った。結果神村学園が勝利したものの、試合後の整列時に固い握手を交わす姿を拝して、素晴らしき夕方を迎えた。

JR運賃二一〇〇円(当時)、小湊鐵道一三七〇円(同)、いすみ鉄道七〇〇円(同)であったから、二三七〇円も得をした計算になる。非常に便利でお得な一枚の切符であった。
因みに、銚子電鉄の再訪並びに完乗は、平成二五年八月二三日に果たす事が出来た。


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