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作品名:旅行記私鉄編 作者:烏山鉄夫

第3回 第二章 阪神電鉄本線
私は、近所と言う事もあるが、京成電鉄が好きである。これの関西版と言ったら、どの会社になるだろうか。
父に言わせると、南海電鉄であると言う。確かに、国際空港連絡(成田と関西)、大寺院への参詣客(新勝寺と高野山)と言う共通点は多い。
しかし、敢えて阪神電鉄と答えたい。車両の塗り方が、昔の京成と同じ橙とクリーム色である点や、沿線の土地柄が大阪の下町で庶民的な乗り物である点も見逃せない。更にJR或いは旧国鉄との乗客争奪戦に参戦して居るのも同じだ。
その様な、親近感の湧く阪神電鉄に乗る機会を得た。作ってくれたのは、日光の旅を共にした友人の誘いで、甲子園球場に夏の高校野球の観戦に行く事になった。
帰りの予定は決めて居ないので、片道分の乗車券と特急券しか用意はしなかった。
当日は、総武線快速の始発である5時05分発に乗り、品川まで三〇分揺られる。
売店でサンドイッチと缶ビール、これは朝酒をやってみたかったので、この際だからと思い手を伸ばしたのだが、とにかく食べ物を求めてから、新幹線乗り場へ向かった。
品川6時07分発「のぞみ1号」を利用した。小田原を通過した辺りで車内検札が来た。夏山の緑色の富士山が、ガスに覆われる事も無く、くっきりと山容を見せてくれた。
掛川辺りで、在来線を青い車体が走って行くのに気が付いた。紛れも無く「富士」「はやぶさ」の併結列車である。時刻表をめくってみると、その通りだった。
二本目の缶ビールを開けた。今日は土曜日なので、始発とはいえ「のぞみ」だは可成空いて居る。朝から酒を片手に持つ姿を、人が見たら相当の「呑ん兵衛」に思われるだろうが、今日は何を言われようと気にする必要が無い。完全な開き直りに似た気分である。
飯田線の二両の電車が、そろそろとのんびり入線するのが見えて、実に可愛らしい。
名神高速と併走する区間では、次々と自動車を追い抜き、思わず喝采を送りたくなる。岐阜羽島の出口標識が見られるとは知らなかった。快晴のもと、車もわが「のぞみ」も快走して居る。
斯様にして、普段なら味気無いと思って居た新幹線の車窓を楽しんで、8時25分に新大阪で降りた。車内の空調に慣れて居たので、むわっとする暑さが直撃して来た。
在来線乗り場に移動すると丁度電車が来て、五分だけ各駅停車の世話になってから、大阪駅の改札を出た。流石は都会だ、良い時間帯でもあるが通路が客で一杯である。
関西の私鉄の独立性と言うか、国鉄或いはJRへの対抗意識が強いので、同じ位置にあって乗り換えが可能な駅であっても名前を揃えてくれない。これから乗る阪神も、阪急も、実質「大阪阪神」や「阪急大阪」なのに梅田駅と称して居る。
阪神電鉄の乗り場は、地下駅で頭端式になって居る。「ラクヤンカード」を用いて入場すると、昔の塗装の所謂「青胴車」が停まって居る。各駅停車なので逡巡したが、結局少しでも早く姥久手地へ行き、既に待って居るであろう友人に会いたいので、記念に写真だけ撮って、8時50分発、山陽電鉄直通の特急・須磨浦公園行電車に乗り込んだ。
阪神の側面方向幕は、種別の部分が楕円形で無いが丸味を帯びた囲みになって居て、お洒落だなと感じた。
阪神本線は、神戸の元町まで三二・一キロとなって居る。今回は半分まであと僅かの位置にある甲子園で下車する訳で、梅田からの距離は一四・一キロである。こうしてみると、案外大阪市街から甲子園球場まで近い。
夏休みの土曜の午前中と言う事もあって、遊びに出掛けるのか、中学生か高校生位の若い男女が沢山乗って居る。当然着席は叶わないが、それでも初めて利用する会社の電車に満足をして居た。
この電車は定期列車なので、何駅かに停車をする。臨時便だと無停車となると聞いて居たが、お陰で加減速の減り張りを体験出来た。
特急を名乗るだけあって、一二分で甲子園に到着してしまった。各駅停車でも良かったと反省をしかけたが、車内を飛び交う言葉を聞いて、大阪を旅して居る気分が味わえたのだから、何の不自由では無い。若い人の日常の会話だから、右から左からひっきりなしに楽しい話を聞くかたちになった。女の子の操る関西弁は良いものだ。
千船と杭瀬の間で県境を越えた。尼崎に停車し地名(駅名)を聞いて兵庫まで来たと言う実感を持った。目的地である西宮市までもうひと踏ん張りだ。
甲子園駅は名が表わす通り、阪神甲子園球場の目前にある。阪神高速の高架を挟んだ向こう側に、改装によりかつての名物だったツタこそ迫力が無くなったが、外壁が見えて居る。もう一度振り返ると、集客を意識して臨時出口と言う空間がある。JRで言うと信越本線の横川みたいに有名な割に、駅舎自体は小さな印象を持った。緑色のW字型の窓と屋根が可愛い。ここは西口である。
駅の観察はこれ位ににして、球場に行こう。
試合開始予定時刻に間に合う事は確定して居るので、如何にも手慣れた態度を示そうと、内心は気が急ぐが粛粛と歩みを進めた。誰も見て居ないのに、である。こう言う行動を難しい言葉で「自意識過剰」とか「自己陶酔」と呼ぶ訳だが、私も若かったのだなと思うと、些か恥しい。
友人と無事に落ち合い、球場の中に足を踏み入れる。客席への通路を歩くと、次第に明るくなって行き、目前には高校球児では無いが一種の憧れを持って居た甲子園のグラウンドが視界に広がった。何と言う美しさか。野球場の内野を「ダイヤモンドと呼ぶが、それに付け加えて本来の宝石の様な輝きを伴って居る。きっと、試合前だから阪神園芸の皆さんが心を込めて念入りに手入れをした賜物であり、一〇時半を少し過ぎて夏の強烈に光り輝く日差しを反射して居るからであろう。
この球場は一九二四(大正一三)年に開場、今年で八四年と言う事になる。また、夏の大会が第九〇回と言う事で「記念大会」とされ、我が千葉県からは二つの学校(木更津総合高校と千葉経済大学付属高校)が出場したものの、既に涙を呑んで居る。今日は大会一五日目で、準々決勝の第二日目に当たり、開始時間も少し遅めに設定されてある。だから、始発の新幹線だなんて悠長な芸当が許されたのである。
内野席に陣取り、一塁側ベンチの近くともあり選手や監督の声がする良い処であった。不覚にも知らなかった事だが、外野席は無料なのだそうだ。つまり内野(アルプス席即ち学校関係者も含む)に着席する人だけ料金を請求されるのだそうだ。
午前一一時、お待ちかねの試合開始となった。
第一試合は、智弁和歌山高校(先攻)対静岡の常葉菊川高校の対戦である。
二回表、智弁和歌山が一点先制をし、五回に追加点となる二点目を挙げた。しかし、その裏常葉菊川が三点を取り逆転を果たした。六回裏には打者九人を送って本塁打を放つ等して、「ビッグイニング」となる一〇得点を記録した。だが、強豪が黙って居る筈も無く、終盤の八・九回に本塁打が出る等四点ずつ入れたが反撃も虚しく、一三対一〇で常葉菊川に勝利の女神は微笑んだ。こうして得点経過を見れば一目瞭然だが、終わってみれば両者一五安打ずつと言う打撃戦であった。「手に汗握る」とは、こう言う事なのかと思った。
閑話休題。今日は一日をかけて、存分に酒を呑もうと思って居るから、ここでも酒に手を出す事にする。私は、神宮球場の右翼席によく行くが、その時も野球を観に来たのか酒を呑みに来たのか判別しかねる状態に陥いるのが常である。また女の子にもてないから、きれいなビールの売り子さんから買い物をして、二言三言の会話を交わす事で憂さ晴らしをして居る事も否定しない。その意味で、今日出会った売り子さんは、明るくて可愛らしい娘であったので、継続してこの娘から買うぞと決めた。三〇分毎に来て欲しいと、半ば冗談で言ったが、先方も商いだから本当に何度も来てくれたので、ビール代と引き換えに笑顔を見せて貰い、記念写真をお願いした。
昼飯に何を食べたか、すっかり忘れて居る。
第二試合は、福島の聖光学院(先攻)と、南神奈川の横浜高校が登場をした。
横浜が二回裏に二点取り先制し、四回にも一点、五回に二点、六回には九人を送る集中攻撃を見せ一挙に六点を取った。
ただ、ここで雨が降り出し試合も中断となった。本当に、何時の間に、と言う感じである。何故なら、要するに酔いがまわって居眠りをして居たのだ。
子守歌は素晴らしい。明るい太陽と暑さ、好きな野球の熱戦、美人な売り子さん、本来は応援の為だが大音量の軽快な音楽。まるで夢の国に迷い込んだ気分である。
雷まで鳴り始めた。
一六時を過ぎて、雨雲と夕暮れが重なって、うす暗い。得点板には、
「ご覧のような天候でございますから 試合を中断しております ご了承くださいませ」
と白い文字の電光表示が浮かんで居る。
話によると、この得点板に表示される文字は、かつての職人による手書きだった頃に使用された明朝体を再現したものだそうだ。テレビ中継で見ながら趣きがあり格好良いと思って居たのだが道理である。
さて、友人と相談の上、誠に残念だがこのまま球場をあとにする事にして、甲子園駅発16時19分の特急電車で梅田に戻った。
駅の近くの路地にあるビジネスホテルに友人は投宿しており、私も空室があったので、ここに一夜の仮枕をする事にした。
テレビをつけると試合が再開され、七回裏に横浜高校が打者八人で四点を取った。一方、聖光学院は、九安打を放ったが、四回表に中安打を足掛かりに適時打で奪った一点で終わり一五対一で横浜の圧勝となった。
私の部屋は四畳半位か。その九割を寝台が占めて居るが、寝転んで生活が出来るので却って楽である。前述の通りテレビもあるし、冷房もきちんと用意されてある。
さて、夕食を兼ねて夜の街に出る打ち合わせをしてある。休憩も程々にして、ロビーで集合をした。
以前、ドラマを見て居たら、主役が大阪で夕食をとろうと居酒屋に入り会計を求めたら、店主に阪神ファンかと聞かれた。訝しげにして居ると、画面に以下の主旨の貼り紙が映し出された。
「阪神ファンは半額、巨人ファンは二割増」
もしも実在するなら、私はつばめ党だから正規代金を請求されるであろう。
今回は、その様な仕儀には至らなかったのは残念だが、関西らしい安くて美味い店を選ぶ事が出来たので、割り前勘定で二〇〇〇円の支出で済んだ。
流石に酒が好きでも、今日は呑みすぎた。今、私は大阪を歩いて居るのだった。もう、京都だか神戸だか、或いは奈良だか判らなくなって居る。
宿に戻って、早く寝ようと思った。

翌日、打って変わって上天気になった。
私は、旅に出るとついはしゃいでしまって、帰宅した翌日は休息日にしたくなる。しかし、明日は仕事が待って居る。折角大阪へ来たのに勿体無いが帰京するか、奮起して今日も球場に足を運ぶか、いずれにするか迷って居た。普段なら即決をして、後者を選択するのに判断がつかない。認めたくないし、自覚症状は感じないが、要するに二日酔いで行動するのが面倒臭いのである。
旅費を惜しむ様に朝食も食わず、友人に帰京する由の連絡をしてから宿を出発した。
まずは、大阪駅で切符を買わねばならない。JR東海の窓口へ行くと、指定席対応型の自動券売機が設置されてあり、きちんと地元の市川までの乗車券を発券して貰えた。特急券は、自由席の「特定特急券」として発行された。
全国第三位(当時)の乗降客数を捌いて居るだけあって、賑やかに靴音を鳴らす雑踏をかき分けて改札を入り、発車標を見上げると、夏休みの日曜日とあって、少し待てば臨時列車が来ると言って居る。帰宅を急いで居るのに、こう言う事に気が付くと放っておけぬ悲しい性で、暫く滞留して列車の到着を見物する事にした。姿を見せたのは、青森から日本海縦貫線を長駆して来た急行「あおもり」号であった。
満足をして、東海道本線の各駅停車に乗る。高槻行と聞いて何故だか嬉しい。高槻に知り合いが住んで居る訳でも、特別な思い出がある訳でも無いので、妙な気もした。関東なら、新宿で総武線を待って居たら西船橋行が来た時の様な、上手に説明が出来ぬが、とにかく行き先から旅情を感じたのだ。
尤も、五分で降りる。淀川の鉄橋は長くて美しいと思った。
新大阪だって大きな駅だが、大阪に比べて静かに思える。矢張り、新幹線は「よそ行き」の列車なのだろうか。
新大阪で駅弁を買ったらしい。妙な言い方だが、私は記憶しておらず、「旅行記録」と呼んで居る資料整理のスクラップ帳に、売店の領収書が貼り付けてあるのを、今頃になって発見したのだ。トンカツ弁当を選んだ様である。
新幹線ホームに行くと、東京行の列車が二本並んで停車して居る。散々口先では急いで帰りたいと言って居るが、本音は野球より鉄道に意識が向いてしまったのである。私は、後発の方に乗った。五分でも一〇分でもゆっくり出来るし、まだ空いて居るから、弁当を食べるのにも窓側の座席を確保するのにも都合が良いと考えたのである。
10時20分発「のぞみ」214号は静かに動き出した。
大阪の街との別れに未練は無かった。無機質な新幹線だからでは無い。三日後に再び関西を旅行する予定があるので、一時的なものだからである。
進行方向右側、即ち海側に座ってしまったので、日差しが眩しく暑い。私は普段なら車窓が見たいが、今日ばかりは流石に耐えかねて遮光幕を降ろした。
だから、東寺の塔も琵琶湖も伊吹山も知らないまま、名古屋に停まった。
それにしても静かな車内で、私が一人で借り切って居るのかと思う程だ。試しに腰を浮かして周囲を見渡すと、頭がぽつんぽつんと見え人が乗って居る事が判ってほっとする。天下の東海道新幹線でも、自由席とはいえこんなに客が少ない事もあるのだ。尤も、この列車は臨時列車だから、一般客の傾向として敬遠されただけなのかも知れない。
浜名湖も、海側なのでちらっと視野に入った位の体感で、通る度に私の目を引き付けるハゲ山(立岩と言って、ロッククライマーの間で有名であるそうだ)も見る事が出来なかった。
何故、右側の座席を選んでしまったのか、一種の自己嫌悪が湧いて来る。でも、ガマンをしよう。数日後に、もう一回車窓を楽しむ機会があると思うと、ここまでいい加減になれるのだ。
茶畑や富士山とも瞥見をし損ねたが、早早その様な事を気に掛けて居たら、キリが無いし身がもたぬ、全てを諦めたところで多摩川を渡り、東京都に戻って来てしまった。
忘れ物が無いかを確認した。たいした荷物では無く、カバン一つなのですぐに終わった。友人は細々と買って散財したらしいが、私の土産物は、出場代表校の名前の一覧表になって居る「下敷き」一枚である。
品川に12時49分着。ただちに横須賀線乗り場へ足を運び、13時03分発の成田空港行に乗り込んだ。
市川からタクシーを奮発して、帰宅したのは一四時半丁度であった。父が庭木に水をやって居た。
私は全く意識して居なかったが、日焼けをして真っ黒な顔をして居るらしく、父は驚きの声を発した。確かに、風呂でシャワーを浴びると全身がひりひりした。
翌日、職場に顔を出すと、皆に驚かれた。言い訳に追われたが、楽しい夏の思い出が作れたと満ち足りた精神であった。


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