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作品名:線路がある限り 作者:烏山鉄夫

第8回 関西家族旅行
この年に取得した夏期休暇を利用した旅の第一歩として、品川から乗った東海道新幹線から、9時26分に新大阪へ降り立った。平成二〇年八月二〇日の事である。
今回は、お馴染となった母に加えて、久し振りの妹を連れての家族旅行を兼ねており、乗りつぶしとしては、JRは勿論だが私鉄に沢山乗る計画であるが、主目的は観光なので移動の経路に組み込むのがやっとで、折角関西まで足を伸ばしたのに、全体的に距離を格段に増やせた訳では無い。これが同行者のある時のつらさである。
文句を言っても埒が無いので、一区間だけ在来線に乗り大阪駅の改札を出る。コインロッカーに大きな荷物を入れる。
さあ、観光と乗りつぶしを足して二で割った様で申し訳無いが、大阪の街を見物する事にしよう。
大阪から、大阪環状線に乗ったり降りたりしつつ一周するつもりで、まずは10時04分の外廻り電車に乗る。東京の山手線に相当する電車だが、距離は少し短くて二〇・七キロ、西成線と城東線がくっついて全線がつながったのも昭和三六年と割合新しい。
東京では珍しくなった103系が来た。伝統的に、まず東京に新型車両を導入して、それによって余った「お古」の車を大阪に持って来て、「新型車両」と言って宣伝する。この103系だって、昭和三八年の誕生で、初期型では無いとしても、昭和五九年まで製造されたのだから、相当なおんぼろである。私は嬉しいが、大阪の人がよく黙って居るなと思う。
これより向かう場所は、駅名を聞けばすぐにわかってしまうが、大阪城公園であり、となれば太閤・秀吉の居城だ。そこまでたった九分乗っただけで下車する。駅の近くからロードトレインと言う、自動車を改造した乗り物を使って、入口まで連れて行ってもらう。歩く事はたいした事では無いが、とにかく夏の暑さに負けて、トレインと言う言葉に反応した事も否定しないが、遊園地的要素もあるから、主に妹へのサービスのつもりもあって乗り込み、およそ一〇分かかった。
斯くして、大阪市中央区大阪城1番地と言う位置に立った。住所になる程、大阪の人は子の城に対して思い入れがあるのだ。家康とか言うタヌキが造営した江戸城に負けてたまるか、と言う気合が込められて居る。もっとも、秀吉はサルだが、それは内緒らしい。
またロードトレインのお世話になり、大阪城公園12時13分発の電車で新今宮へ行き、所謂「新世界」で食事を兼ねて名物の串揚げを試した。
鉄道旅行の特権である酒を呑みつつ、盛り合わせを注文する。本場で楽しむ、と言う調味料も加わり堪能する。東京のとある酒場の街に大阪の串揚げの店があり、たれの二度付け禁止等作法は心得て居たから、酒に酔って破らないかが心配だった。無事に店を出る。
新世界地区らしい、派手な飾り物や宣伝の旗がひしめき合う通りの向こうに、摩天楼がそびえて居るが、これが通天閣である。
展望台から大阪の街を見渡す。今日は晴れて居るが、夏のせいか霞んで見える。大都会として栄えて居る証拠、つまり人の息や自動車の排気ガスと言った生活の結果であり、もしもこれらが無ければ大阪市はさびれて居る事になり、この線引きが難しい。
ビリケン様にお目にかかる。いたずらっぽい表情をして居るが、優しそうな顔もして居る。これは大正時代の総理大臣・寺内正毅のアダ名がビリケンと呼ばれて居て、米騒動により辞任に追い込まれた事による先入観と、写真で見た顔と比較して居るからで、こんなどうでも良い事を考えたのも、ビリケン様のいたずらであろう。
新今宮に戻り、残る環状線を乗り通す。
大正とか弁天町とか、地名の響きだけでも降りたくなる駅を過ぎ、桜島線との接続をする西九条で、遊園地のユニバーサルスタジオジャパンへ行く電車だと妹に言うと、何故だか笑った。行ってみたいと思って居るところなのだろう。私も乗りつぶしの為にも、再訪をしなければならぬ。
大阪には、15時13分着。しまっておいた荷物を取り出して、歩いて阪急電車の梅田駅へ行き、ワインレッドと言うそうだが見た目は茶色の電車に乗って、「十三」と書いてじゅうそうと読むところのそばにあるホテルに行く。
夕食は、お好み焼きと決めてあったので、阪急電車にまた乗って、梅田から市営地下鉄御堂筋線を利用してなんばへ行く。
梅田駅にて、運賃表の路線図を見ながら、なんばと平仮名である事に疑問を持ちつつも、「可愛い」と言って居る女の子が居たが、うちの妹も阪急の梅田で買った切符の田の中が「バツ」になって居るのが「可愛い」と言って、写真に撮って居た。関西の鉄道は、若い女の子にとって「可愛い」と思う事が豊富の様だ。これも女心なのだろうか。
同じ経路で十三に戻り、第一日目は終了。

翌八月二一日。
十三から阪急電車に乗って、三宮へ行く。今日は神戸で遊ぶ予定である。
私は子供の頃から、緑色と茶色が好きで、鉄道に興味を持つと当然の様にその色の車両に関心を持った。だから阪急は憧れの電車なので、乗る事が出来て嬉しい。この茶色と言うのは、株主の意向があって変える事が出来ないらしいが、個人としては良い話である。
特急だから速く、何時の間にか駅を通過して居る。それでも三〇分近くかかったのに、わずか三一〇円であった。
生田神社の朱色の門をくぐり、同じく朱色の本殿の前に立つ。ああ、神戸に居るのだなと思う。
移動手段は忘れたが、恐らく歩いたと思うが北野の異人館を見て歩く。坂道を中心とした景観を眺めて居るうちに、時間が止まり、時代がさかのぼって行く感覚になり、ふと我に返ると交差点の信号であった。
神戸に来たのだから、いささか豪華な食事をしようと、ステーキ店に入った。味は勿論だけれど、明るい女将が操る神戸弁の上品さも素敵だ。関西弁と言うのは、首都だった京都の言葉が郊外に広まるたびに変化して出来た言葉と思われる。この辺りまで行くと、却って上品になるらしい。これも五港の一つとして外国との付き合いが長く、妙な言葉を使って居ると貿易の対手にされる無いからだと、ぶらぶらと元町の旧居留地を歩きながら勝手に想像をしてみる。
神戸電鉄で有馬温泉に行く。
神戸の街は、六甲の山並みが近くまでせまり、海までのわずかな土地に都を造ったので、東西に細長い。電車が走り出して五分もしないうちに急勾配の坂道を行き、座席に腰かけて居ても視野が斜めになって見える事で充分に理解出来る。
二回乗り換えて、15時38分、玄関となる有馬口に着いた。
お湯は三名湯の一つとして、誇りと自信に満ちて居た。食事も品数が豊富で満腹をした。今日はJRの世話にならなかったが、充実した一日であった。

第三日目。天候に恵まれた朝。
これ程山の奥に居るのに、神戸市北区なのだ。何だか不思議な気もする。高架道路が見えるが、阪神高速であり、神戸市内だからその名も当たり前だが、これも不思議な気がする。
とにかく、神戸電鉄で下山をし、途中から北神急行へそれて、神戸市街に戻って来た。
阪神・淡路大震災で大きく被害を受けたが、それを忘れさせる程の立派な街並みにある新長田からJRの旅を再開する。
10時06分発の各停で大阪へ行き、大阪環状線乗り場から11時03分発「大和路快速」に乗り、一路関西本線を西へ行く。
天王寺まで内廻りを半周し、阪和線が私鉄だった時代のままの行き止まり式ホームの気配を感じつつ、3344Kは、初乗り区間を快走する。
天王寺までは一昨日も見た景色のおさらいだったが、ここからは全く知らぬ世界だから楽しい。快速だからどんどん過ぎる八尾や柏原の街並み、河内堅上の手前で渡った鉄橋やトンネル、その下を流れる大和川、王寺に漂う近鉄電車の匂いと和歌山と言う文字。関西本線の名に恥じぬ、おだやかな郊外の車窓のうつり変わりを、満喫して居る。
金魚で有名な郡山。東北本線の駅と同じだが、そちらで発行された乗車券には(東)と言う区別の記号が付く。地名の方は大和郡山市で、すっかり地図を見落として居たが、大和川を見て暫く先で県境を越え、すでに奈良県を走行中である。
奈良には11時50分の到着である。
奈良駅は改装中で、それまでの寺院風の駅舎を移転し保存してある。
昼食を摂ってから観光をする。すでに修学旅行で目ぼしいところは見学してあるから、その時に行けなかったお寺を巡る事にしてある。妹もそれで納得して居たが、彼女は別に仏教に興味がある訳では無いから、どうでも良いのだろう。
まずは、少し戻る形になるが斑鳩と呼ばれる地域に行き、世界遺産に登録された法隆寺へ行く。ここで正岡子規が、鐘が鳴る中柿を食べたのかと思いを馳せる。観光客の姿が多いが、境内が広いから割合に静かな場所である。
次は薬師寺。こちらも世界遺産の一つである。昭和五一年に再建された金堂は、中国の影響を受けたのか、単に古刹が醸し出す風格なのか、とにかく威圧的に見えた。アメリカの学者が「凍れる音楽」と評したのは東塔だが、同じ伽藍にある為に、冷たさを湛えて居る様に思えてならない。何とも居心地が悪いけれど、普段の行いが良く無いからだろうか。
巡礼の締めくくりに唐招提寺に寄ったが、改装工事中で建物をじっくり見る事は叶わなかったが、名前だけ知って居る寺の前に、実際立って居る訳であり、その点成果が皆無とは言わない。
この三つの寺院を歩くうち、初めて覚えた事だが、いにしえの官寺制度が生きて居た時代に、幾つかの階級と言うのか、格式があったのだが、その最高位に指定された寺の塀に、五本の線と菊の紋章が刻まれてある由で、唐招提寺の赤茶色のそれに、模様の意匠かの如く白い線が入って居る事を目にした。
宿は猿沢池のほとりにあるので、散策してから入る事にした。
清楚な池で、興福寺の一部だったそうだ。亀が泳ぎ、サギが羽を休めて居る。また周囲には鹿の姿が見られ、人に物怖じせず、のんびりと過ごして居る。その姿が旅の疲れを忘れさせてくれる。さすがは神様の使いとされる生き物である。この季節はオスの気性が荒くなる発情期だと言うが、観光客の相手をするのに疲れたらしく、大人しく寝そべって居る。
食事は旨かった。そう言えば、関西の所謂「うすくち」を特別に意識せずに、旅を続けて居る事に気付いた。旨い物は旨いのであって、関東と関西を対立させて面白がって居る人とか、料理人だけが気にして居る事である。

今回の旅行も最終日となってしまった。
奈良の人が鉄道の駅と言ったら、近鉄電車の方である。駅までタクシーを利用したので、行き先を告げる際に、「JRの」と断わりを入れた。運転手も、私達がこれから京都へ行くと知り、それなら近鉄の方が速くて安いのに、と言って助言してくれたのだが、JRの「周遊きっぷ」を利用して居ると伝えると、理解をしてくれた。
こう言うやり取りを交わしたのち、奈良9時49分発628Mに乗り込んだ。
母は、鉄道旅行に出掛けると、速達列車を敬遠したがる傾向にある。今から乗る奈良線には、「みやこ路快速」が運転されて居るのに、各駅停車で充分だと主張をする。結局は乗りつぶしが出来るのだから文句は言えないが、折角JR西日本がアーバンネットワークと呼ぶ関西路線網に、東海道・山陽本線の新快速を中心に、各方面へ愛称を付けた快速電車が走っており、昨日の「大和路快速」もその一つで、その様な性格の電車には一回乗れば充分、と思われてしまったのかも知れぬ。
木津までは関西本線で、ここから北へ分かれて京都まで、三四・七キロの電車である。
黄緑色の103系電車は、空いて居た。このあと快速があるから、通過駅を利用する人だけなのだろう。平城山を出ると京都府に突入する。
木津で分かれて最初の上狛で奈良行と交換をする。一部を除いて単線である。
玉水と言う奇麗な名前の駅があり、次の山城多賀、山城青谷と連続して交換する。下りの「みやこ路快速」と続行する普通電車とのすれ違いをする為に、面倒だが時間を割かれる。
区間電車の終点にもなる城陽は、山城国の南部で陽の当たる豊かなと言う意味がある。
次はお茶で有名な宇治で、唱歌として知られる、夏も近づく八十八夜……で始まる「茶つみ」は、当地の茶つみ唄が起源と言われて居る。この宇治で、快速電車との緩急接続の為に暫く止まる。先に出て行く電車を、恨めしく見送る。
二つの都市を結ぶ路線だから、本数も多く、その分だけ線路の譲り合いも忙しい。妹は神妙に、と言うより無表情でロングシートに座って居る。
黄檗と言う難しい駅は、近くにある万福寺の山号に由来し、江戸時代に中国から伝来した禅宗の宗派の名前でもある。精進料理は、山盛りになったおかずを小分けして食べるのだと言う。
伏見桃山城の足元を通って、伏見稲荷のそばも通って、開通した頃の東海道本線の旧線を利用した区間を進めば、大都会・京都が近付いて来る。
やはり、せかせかして居てぎすぎすして居る。古都らしいのどかでほんわかとして居て、ゆったりとした街と、そこで暮らす人々が織り成す、桃源郷の如きところから思えば、全てが逆に見えて堅苦しい。
市営バスで四条大宮へ行き、嵐電と親しまれて居る電車に乗り、太秦広隆寺で下車したのは12時22分になって居た。
時代劇が好きな人間として、映画村は聖地と言える。但し、見学の前に食事を済ませる。
「銭形平次」の自宅、チャンバラショー(公演後、撮影用の模造刀を構えさせてくれた)、奉行所を見て歩く。職場への土産を求める。
本屋の宣伝の為に、浴衣を着た若い女の子が何人か居て、「夏の江戸」に華を添える。
文章で書くとこれだけになったが、充分に遊ぶ事が出来たから、足取りも軽く駅(と言うより停留所が正しいか)に戻り、また嵐電に乗り、嵐山へ行き、散策をしてから市営バスを使って、時代劇の「撮影協力」でよく見掛ける大覚寺に顔を出す。市バスは何かと批判の的になって居て覚悟はしたが、無愛想なだけで乱暴な運転はせず安心した。
大覚寺と聞くと、時代劇を思い浮かべて破顔してしまうが、それ程盛んに制作されて居たと言う事である。だから境内を歩くと、何度も来訪したと言う錯覚を起こして、ここであの役者がこうした、あそでこの役者がどうしたとわかるから面白味が増す。
しかし、笑ってばかりは居られない。大覚寺は、南北朝の合体の調印が行われた、歴史上の大きな舞台なのである。そう思うと、かしこまってしまう。年月と言うよりも何世紀もの長い時間、この日本を見て来たのだ。物見遊山なる言葉は一見軽く聞こえるけれども、山には寺院の意味(山号の事)もあると、拡大解釈かも知れぬが、その様に考えると、今回訪れた寺社は、どれも勉強や清遊だった。
嵐山の街に戻り、京都駅へ行く方法を合議する。まだ一六時半、帰りの新幹線まで時間がある。大覚寺から京都駅まで、市バスの28系統が走って居る(見学に利用した路線だ)。これにすれば電車利用よりも時間が掛かるだろうと予測して、停留所に立って居たら、京都バスの茶色な車体が来た。これも大覚寺から来た71系統である。何ら不自由はしないので、そのまま乗って、およそ四〇分消化して二五〇円が運転箱に吸い込まれた。
京都駅前をぶらぶらと歩き、駅弁を買って、19時32分発の「のぞみ」に乗り込むと、旅の終わりと共に夕暮れが深くなって行った。


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