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作品名:線路がある限り 作者:烏山鉄夫

第7回 北陸特急街道とその脇道へ
東京6時32分発、上越新幹線「たにがわ」401号で、平成二〇年五月四日から一泊二日の旅は幕を切られた。
これから北陸へ行こうとして居る。それには主に三つの行き方がある。第一は、上越新幹線で長岡へ行き、特急「北越」に乗り継ぐ事。第二は同じ新幹線で越後湯沢まで乗り、北越急行経由の特急「はくたか」に乗り継ぐ方法。第三は東海道新幹線で米原へ行き特急に乗り換える方法。今日はJR東日本のフリー乗車券を利用して居るので、実質二択である。北越急行は第三セクター、つまり広義の公営鉄道だが乗った事が無いので魅力的だ。
こうして、新幹線を越後湯沢で捨てる決断をした。一六分ものゆったりとした接続をして、特急「はくたか」2号は最高速度一六〇キロで爆走をして、信越本線直江津にすべり込んだ。
直江津から西へ行く北陸本線は、全くの手付かずなので、どこまで乗っても「乗りつぶし」の新記録となる。
北陸と言うと日本海側と言う印象もあって、また土地勘も無いから、地図上で灰色がかった地方と思って居た。しかし今日は快晴で、田植えの時季を迎え、なみなみと張られた水面がキラキラと光って居る。その田圃の中を制限速度ぎりぎりの一二〇キロで走る電車に手を振る人々が居て、灰色の霧がみるみるうちに晴れて行く感覚に、心も楽しくなって来た。
豪華な、と言っても普通車指定席だが、特急列車だから、過ぎ行く小さな駅を観察する暇が無く、酷い場合は通過した事も知らず、遥か彼方を突き進んで居る事もあった。
しかし、特急街道とも呼ばれる北陸本線の優等列車に乗った実感と共に、10時14分富山のホームを踏んだ。このあとの接続の関係で、時間調整が必要な事と、普通列車にも乗りたいと言う、二つの理由でこの駅を選んだだけで、特段の思い入れがある訳では無い。
富山発10時19分の426Mに乗ろうとホームを移動したら、平たい顔をした通称・食パンと呼ばれる電車が停車して居た。そして車内に足を踏み入れると、ああこの事か、と実感をした。この電車は、元々寝台電車だったものを改造した為、睡眠の邪魔にならぬ様に、窓が小さくてうす暗いので、口うるさい人が言う評判を聞いて、どれどれと思ったのだ。確かに陰気な空間だが、北陸路の普通列車とはこの様なものだと思うと、それ程気にならなかった。
とにかく高岡まで乗って、10時37分着。
これから高岡より南北に分かれる二つの線区に両方乗る計画で、まずは南へ向かう城端線の乗り場へ行く。
車庫があって、小豆色の気動車が入れ換え作業を始めた。既に写真入りのヘッドマークを取り付けられて居る。
城端線は、高岡から城端までの非電化路線であり、二九・九キロの鉄道である。この沿線は、チューリップで有名な砺波平野を走って居る。
丁度満開を迎えて、お祭りが催されて居るそうで、見物客向けに設定された臨時列車「チューリップ」号に乗る。車両は普通列車と同じだが、先述のヘッドマークには、可愛い要請みたいなチューリップの顔をした子供の絵が描かれ、二両編成の車内は都会の朝の様に満員になった。
高岡11時28分9331Dは定刻にホームから離れて行く。だが、ローカル線だから万事がのんびりしており、私一人が勝手にやきもきして居るのだ。妙に恥しくなって来た。
三つ目の戸出で、交換の為に六分も停まると言う。時刻表を見て居ると、臨時だからダイヤにかなりのゆとりが与えられてある。この駅舎は明治時代のままらしいが、乗客の賑しき姿に負けてしまい、ちらっと見る事も出来ず、時間だけが黙々と過ぎて行く。
油田と言う由緒のありそうな駅がある。「あぶらだ」では無く「あぶらでん」と名乗ると、途端に歴史の香りが漂って来る。歴史と言えば、車窓に元々は海か池沼で、小島が浮かんで居た名残りの様に、緑地が沢山ある事に気付く。これは一般に散村と言うのだが、この地方独自の言葉で「散居村」と言う呼び名が根付いており、樹木が植えられてあるところに屋敷がある事を物語って居る。この樹木をこの辺りでは「カイニュ」と言い、垣根は当然として、防風林の機能も持たせてあると言う。
砺波で、公園のお祭りに出掛ける人が下車して、車内はほとんど無人になった。一応列車はこの先の線路を行くが、大役を終えて肩の荷がおりたと言って、ほっとした様にも見え、心做し走行音も軽快になったと思う。
東海北陸自動車道をくぐって、テニスコートとグランドの間の緩衝地帯と言う趣のところを、線路が素知らぬ顔で通じて居て、物騒な光景を無事過ぎると、終着の城端である。どん詰まりなので、二面あるホームがくっついており、連結されたところが通路になって居る。12時23分、2番線に入線した。
とりあえず改札を出る。城端と書いて、じょうはな、と読む駅舎をじっくり眺める。明治から残る木造駅舎である。城端線は、あと一つ明治駅舎があり、歴史の深さを感じさせる。ここから合掌集落で有名な五箇山や白川郷へ行く路線バスが出て居るし、この街も善徳寺を中心とした小京都の一つに数えられて居るので、遊ぶにも楽しいところだ。それらは別の機会に譲り、ホームの花壇のチューリップに見送られ12時57分、高岡へ戻る。
昼時だが列車に乗る事に夢中だから、あまり腹は減っておらず、もう少しだけ我慢が出来そうだ。
高岡14時12分の氷見線539Dの車体がとても賑やかである。「忍者ハットリくん」のイラストが描かれてあり、風呂敷を使って空を飛ぶハットリくんがあしらってある。
ワンマンカーなのでテープが流れるのだが、その声はハットリくんなのである。もったいぶったが、この車は「忍者ハットリくん列車」と言って、作者の藤子不二雄・A氏が沿線の出身である事にちなんで登場した企画車両である。もっとも、ハットリくんの声を聞くのは初めてである。氷見線でしか流されず、既に城端からの帰りに乗ったのだが、別の線に乗ると、その可愛い声に出会えないのだ。
百名城の一つ、高岡城最寄りの越中中川に向けて線路はカーブをする。
能町で交換をする。あちらは通常の車だ。
間もなく越中国分と言う位置で急制動がかかった。運転士が降りて走って行く。最初は悲鳴をあげた乗客も、何事かとざわつき始めた。窓の外で怒声がして居るので、外を覗き込むと、男性が線路内にはしごを立てて作業をして居て、それを叱り付けて居る声だ。天気が良く、列車も一時間に一本しか無いから、安心して居た様子だ。
急制動の弾みにつんのめって、向かいの席に座ったおばさんに体当たりをしてしまった。謝ったら、状況もあって笑って許してくださり、これを機会におしゃべりもしてくださった。
「あら、どちらから?」
「東京です」
「あら、今日は天気が良いから、立山が奇麗に見えて居ますよ」
確かに山が見えて居る。海の向こうに浮かぶ、その山がきちんと見える事は珍しいとのこと。遠くに白い帯の様に見える立山、標高三〇一五メートルの降臨に感謝せねば。
越中国分のホームの端から始まる左カーブは、その先が海なので急角度になって居る。この海は、雨晴海岸と言って、砂浜と奇岩とまでは行かぬが大きな岩の島が点在する、風光が目に優しいところだ。短いトンネルをくぐると、その名も雨晴と言う駅が待って居た。
有名な寒ぶりのほか、ハマチやイワシも獲れる漁港を控える氷見には14時39分着。
帰りの列車が雨晴に差しかかると、また急制動、今度は写真機を持った観光客の男が、身を乗り出して居たのだ。行きと同じ運転士で、今日は特異日になってしまった。昔は直江津へ連絡船が出て居たと言う交通の要衝で、今は工場地帯になって居る伏木を通って、また高岡駅に降り立つ。
15時34分発の普通列車440Mで金沢へ。本音では、乗りつぶしをする時は一本の列車で乗り通したいのだが、特に幹線では運転系統が細分化されてしまって、記録上も細切れにならざるを得ない事が多い。乗車を果したと言う、実績には変わりなく、今回は北陸本線に入って三本目、金沢に無事到着したとして、一七七・二キロも消化する。
博多あるいは福岡県と間違えてやって来る人が少なくないと聞く福岡や、いするぎと読む石動と、平坦なところから、突如坂道が現れる。加賀と越中の国境をなし、木曾義仲が五百頭の牛に火をつけ平家軍を攻めたと言う、有名な倶利伽羅である。峠と言うので、どんなところかと思って居たら、人里から急に山に分け入ったが、並はずれて高い訳では無く、標高二七七メートル、少し走ったらまた街だった。
森本で一〇分停車し、特急の通過待ちをする。いかにも幹線で、国鉄時代の残り香がする。白くて長い編成の「サンダーバート」36号のあと、今度は短い編成の「サンダーバード」36号が轟音を残して走り去る。二本まとめて追い抜きをやったのだ。それぞれの編成は、金沢で連結して仲良く大阪まで長駆する。
16時22分金沢着。まだ陽は高いが、今日はこれで打ち止めとして、宿として予約してあるビジネスホテルへ行こうと思う。その前に、「白山そば」と言う明媚な名前の駅そば屋で天ぷらそばを求める。白山からの湧水が良いのか、単に腹が減って居るせいか、長かった一日の終わりにふさわしい、美味しい食事となった。
県都の駅なのに有人改札が現役で、古き良きターミナルの趣に思えた。
宿から夜の街に出てみたら、連休のせいか開いて居る店が無く、諦めてファミリーレストランで酒を呑んだ。

翌五月五日、こどもの日。
私は、午前を観光に充てて、昼から乗りつぶしを再開する事にした。と言うのも、本来一泊するつもりは無く、夜行で来て昨日のうちに帰る筈だったが、夜行は人気があるうえ、編成が短いのでB寝台でさえ取れなかったのだ。こうして時間が出来たのだから、名所見物をしても損はしない。私だって、鉄道ばかり乗って完乗を優先して居ても、素通りするのが惜しい街を幾つも見て来た。
加賀百万石、前田家の城下町。私の地元は旗本領だったそうで、お殿様が居た町に憧れを持って居る。それも前田家の様な名門となればなおさらだ。
金沢駅からバスに乗って約一五分、二〇〇円を支払って降りたら、桂坂口と書かれた看板の立つところにある窓口で三〇〇円支払った。水戸の偕楽園と岡山の後楽園に、この場所を取りそえて「三名園」と呼ばれて居る。
気持ちの良い緑とそれが反射をする鏡の様な池の水面が静かさを呼び、観光客の話声が大人しく聞こえ、派手に騒ぐ人も無く、みんな神妙になって歩いて居る。庭と言ってしまえば簡単だが、ここを歩くとは芸術を観賞して居るのに等しい。そして、この景色を何に例えるべきか。極楽、天国、夢の世界、精神世界の極み……どれも俗臭がするし、意味が違う気がするから、単に美しい庭園に感動した、とだけ書くしかない。生憎の灰色の曇天の下で、象徴として有名な石灯籠が優しく微笑んで居る。
これで兼六園の訪問を終えて、隣の金沢城を覗きに行き、外観だけ見て満足をしたので、バス停に戻る。行きとは違う系統番号のバスに乗り、金沢駅に一〇半頃戻る。
ホームの駅そばで、ラーメンを頼み、大汗をかいたが、昨日のそば同様旨かった。
これから特急に乗る。今回の旅では、「北陸フリーきっぷ」と言う、周遊きっぷに若干の制約を加えた効力のある切符を使用しており、指定された区間内なら自由席に何回でも乗る事が出来る。
その特急は、金沢11時20分発「サンダーバード」7号、和倉温泉行である。
元々「雷鳥」と言ったものを、新型車両導入の際に、英語表記にして差別化したもので、本家「雷鳥」は車両の老朽化もあって、わずかな本数しか運転されて居ない。
大阪から来た列車は金沢で分割され、身軽な短い姿になって七尾線へ分け入って、和倉温泉へ足を伸ばすので、これに乗れば、まずは乗車距離を五九・五キロ増やす事が出来る。問題は帰途である。和倉温泉と七尾の間はJRの路線だが、管理をして居るのは第三セクターの「のと鉄道」である。この区間を走る普通列車は、電化区間なのに気動車が運行されており、これを体感する為に、あえてゆっくりと時間を使うつもりだ。
列車は、特急らしい滑らかさで、北陸本線を走って行く。七尾線は、津幡と言う駅が始発点で、そこから能登半島の西岸を北上する。
宇野気で交換する。明治の鉄道唱歌第四集で、「すぎゆく駅は八九(はっく)箇所」として他の駅と一括して登場する、七尾鉄道時代からの駅の一つである。
高松を過ぎ、目出度い字面の宝達、海の香りがする敷浪など例の省略された駅を通り、羽咋で普通列車と交換をする。
線路は向きを変え、今度は半島の横断を試みる。能登部と言う由緒ありげな駅を横目に、七尾の街にやって来た。能登地方の中心である。現存はして居ないそうだが、能登国分寺が建立されたのもこの土地であった。
最後の一区間を、考え事するヒマを与えぬうちに走ってしまい、12時17分和倉温泉の駅に、列車は静かに停まった。
これで、この二日間の計画は無事に終わり、あとは帰宅と言う名の旅を黙々とこなすだけである。
先程述べた通り、七尾まではJR線なのにJRでは無いと言う顔をして居る区間で、「のと鉄道」の気動車による普通列車である、橙色の車両に乗り、ブルルンと揺れながら七尾へ進む。
駅員が私の姿を見て、声を掛けて来た。
「どちらまで?」
「金沢」
と答えると、当然と言う表情で、
「特急ですよね?」
と重ねて聞いて来る。
「いいえ、普通で」
と言うと、怪訝そうに、
「じゃあ、3番線です」
と言って、中間改札(一応管理する会社が異なるので、境界線の意味もあるのだろう)を通してくれた。
七尾13時01分発850Mは、交直流型の国鉄車両で、ボックス席がある。七尾線はやはりこの電車で無くては、気分が出ない。
徳田と羽咋で交換をする。この羽咋で雨が降って来たので、幾ら空を見つめてもUFOの姿は無かった。残念。
宝達の南で、天井川である宝達川をトンネルでくぐるのだが、行きはやたらに短いトンネルだと思ったが、地図を見直してやっとわかった。やはり特急は、便利な反面で色々な事を犠牲にして居ると思う。
免田で「サンダーバード」15号を先行させる為に三分、隣の高松で「はくたか」7号に道を譲る為に四分停まる。まとめて追い抜きをすれば良いのに、と思って居るうちに雨が小降りになって来た。
本津幡で交換をし、交流区間へのデッドセクションを突破し、津幡まで逆戻りを終えたら、ここでも四分停まる。
津幡と金沢の間を何度も通るのは芸が無いが、金沢で自由席に乗る為に並ぶつもりなので、このまま終点まで行く。高架に登ると、ホームの端を欠いて造った乗り場に降ろされた。
横着をして駅の売店で土産のきんつばを求め、駅弁を買って、案内板の下に立つ。一人だしタバコを吸うから喫煙席でも構わないので、要するに通路側だが空席を見つけ、隣人に断って着席出来た。
金沢15時12分、「はくたか」17号は、途中でもう一度降り始めた雨の中を走り、直江津から三分遅れのまま、ほとんど近所と言える越後湯沢に着いた時には、外がすっかり夕暮れになって居る。
越後湯沢の新幹線改札は、遅れの為に開放され切符拝見はして居なかった。


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