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作品名:線路がある限り 作者:烏山鉄夫

第6回 北関東横断
中央本線と大糸線に乗った翌日、二月一〇日。宿代を浮かす為に一度帰宅をしたので、実質的に一泊二日の旅の二日目である。
上野から常磐線の特急「フレッシュひたち」5号の自由席に腰かけたところで本格的な旅が始まる。
車内でドキリとする話を耳にする。これから乗るつもりの路線で車両故障があり、遅れが生じて居ると言うのだ。今日は本数が多いところばかりだから、少し位なら問題が無いとはいえ、昨日もはらはらする様な緊張感の中で旅をしたばかりなので、二日連続となるとうんざりする。しかし、8時半頃運転が再開されたと知り、急に積極的な気分になる。
どこの駅だか忘れたが、窓の外に眼鏡を掛けた真面目で大人しそうな女子高校生が電車を待って居る。多分口を開けばなまりがすごくて田舎っぽさを感じるのだろうが、なかなか可愛い娘である。ああ、一体何時恋人が出来るのだろうか。一人旅は気楽な半面、一抹の孤独に胸をかきむしりたくなる事もある。人は、私の事を飄飄として居て何を言われても平気とか、冗談しか言わぬお調子者と評してくれるが、恋愛に関しては決して楽天家では無いのだ。
友部8時39分着。これから乗る水戸線は五〇・二キロの路線で、栃木県の小山まで延びる。その小山の近くにデッドセクションがある都合で、交直流型電車が使用されて居る。
まだ遅れを取り戻せて居ないらしく、駅員がアナウンスをするのだが、そのたびに三分遅れだったり五分遅れと言ったり、ころころ変わる。水戸始発だから、常磐線を走る間の回復運転がままならぬらしい。
ようやく9時06分、740Mの415系電車が姿を見せてくれた。思って居たより混雑をしておらず、ゆうゆうと座る事が出来た。女性車掌の可愛い声の案内のもと、電車は西へと走る。
焼き物で有名な笠間。
岩瀬では、対向式ホームになって居るのだが、下り線ホームは人が鈴なりになって居る。国鉄時代のままの駅名標を見つけた。
新治で交換をした。水戸線も単線なのだ。
どうも水戸線の駅名は、全て苗字になりそうな、と言うよりそのものになって居る。宍戸も然り、岩瀬も然り、この先には川島とか結城と言う駅が待って居る。
下館で長く停車する。二本の電車と交換の為なのだが、一本はダイヤが乱れて居るせいか、時刻表に載って居ない列車の気がするのだが。それはそうと、ここは関東鉄道と真岡鐡道との交差点であり、乗り換え客等で活気のある駅である。
10時に西進を始めた。
つむぎで名高い結城で交換をした。
景色の事を全く書かないのは、第一に窓に背を向けるロングシートである事、第二に関東周辺の「落ち穂ひろい」みたいなもので平凡な景色だから、第三に引退がささやかれて居る国鉄型電車の姿を目に焼き付け様と意識が車に向けられて居る為。これらを言い訳にして居るうち、デッドセクションで車内の電灯が消え、また点灯してから、小山の構内に入って行く。
次は、小山から西に進んで群馬県に向かい、上毛(上野)と下毛(下野)を結ぶ両毛線である。小山駅の端から端までを移動して、東北新幹線の高架下の暗い乗り場へ歩くうち車が見えて来て、またも国鉄型車両に乗れる事が判明し小躍りしたくなる。
小山10時45分発446Mの先頭車が高崎に向けて、国鉄型特有の重々しい音を発して出発をした。
この線も一度乗った事があるが、例の基準により一旦白紙になって居る。だから景色に見覚えがあるのに、初めてと言う顔をしなければならぬ。
思川と言う、かつて流行した縁起駅の一つにちらっと停まり、小京都の栃木駅で東武線の線路を一瞥し、岩舟で交換した。
岩舟から隣の佐野まで七・三キロあるが、大昔は小野寺・犬伏と言う駅があったそうだ。もちろん跡形も無く夢の彼方である。
佐野と言えば、厄除大師を忘れてはいけない。またラーメンの街でもある。ここでも東武の気配を感じたのち、更に先へ急ぐ。
富田で交換をする。
足利学校のそばを通る。桐生は高架である。
相沢忠洋氏ゆかりの岩宿で交換の為に小休止をする。折りから、運転席の背後に同好らしい少年の仲間が陣取って居る。この電車の扉は、半自動に設定されてあり、乗降しようとした人が、扉が開かずまごついて居るのに気が付かず、咄嗟にその子達に、
「トビラ!トビラ!」
と叫んだ。その声にやっと彼らも振り向き、扉横にあるボタンを押した。私も人の事を言えないが、周囲にもっと目を配りたいものだと感じた。
うすく残雪で白くなった線路を銀色の電車が走って来て、私の乗った電車がその上を通過して行く。
何時の間にか遅れが生じて居て、伊勢崎到着が三分もずれてしまった。交換をする。
新前橋の車両基地を見届けて、両毛線の乗り直しは終わった。電車は高崎まで上越線に直通するので、そのまま座り続ける。
高崎12時30分着。名物の「だるま弁当」を販売する「たかべん」が営む駅そば屋があり、月見そばを頼む。
今日最後の仕事は、信越本線に乗り群馬県のはずれの横川を目指す事である。食後の一服をしても、まだ余裕があった。以下蛇足だけれど、旅行の際に持ち歩く小型手帳にタバコ代三〇〇円と記してある。この小さき事柄でも、なつかしいとかあるいは別の意識があれば嬉しい。
高崎13時07分の137Mは湘南色の国鉄型であり、またこれで帰りの電車も確定した事になる。と言うのも、信越本線の高崎と横川の間を残して、あとはみんな廃止されてしまった。だから行き止まりで、引き返す事になるのだ。軽井沢と篠ノ井の間は第三セクターの「しなの鉄道」として生まれ変わる事が出来たが、急勾配で知られるヨコカルこと、横川と軽井沢の間は真の意味で営業を止めてしまった。信越本線の歴史を語ると一冊の本になり得るので、ここでは多くを触れないが、かくも姿を変えさせたのは、長野新幹線のせいである。この事は、「くちなおしの自力旅」の章でも少し述べた事なので繰り返しは避けたい。
とにかく115系電車で聖地・横川を目指す。たった二九・七キロとはいえ、本線を名乗る資格かの様に複線姿で残って居る。単に線路の撤去費用を惜しんで居るだけかも知れぬが、相手が悲運の信越本線となれば、むしろありがた味を覚える。
モーターが唸り続ける。ああ、このまま長野まで続いて居た時代に乗っておきたかったと思うが、それは無理と言うもの。
13時16分、とんがった岩山が見えて来る。上州の名峰、妙義山である。この奇勝をじっくり見つつ、安中に付く。中山道の宿場町である。
昔話「舌切り雀」の舞台である湯の街の入り口、磯部を通り、やはり中山道の宿場だった松井田へ。
碓氷川と並走を始めると、山の手前で突然線路が途切れる。つまり、終点の横川である。
それにしても、何とも素っ気無い地名だが、「川の横に大きく開けた集落」(竹書房・国鉄全駅ルーツ大辞典、四一六頁)の意味があるそうだ。
ヨコカル専用のロクサンと呼ばれたEF63形機関車のねぐらだった場所も、鉄道資料館として第二の人生を送って居る。また碓氷峠がハイキングコースになって居るので、一応の活気は残って居る。その証しに、
「時代香る里 信越線 またのお越しをお待ちしております」
と書かれた黄色の看板が吊るされてある。
駅員が常駐して居るが自動改札機が置かれる一方で、釜めしで名高い「おぎのや」の駅そば(何とここで釜めしが味わえるのだ!)があるのが、現役時代に売り子さんが列車に頭を下げて見送って居た事を受け継ぐ伝統が残って居る様で嬉しい。
「高崎・上野方面」と書かれた国鉄時代のホーロー板も涙を誘う小道具である。
白雲が浮かぶものの、明るい日差しが気分をほぐしてくれる。これ以上、ここに居ると大泣きするかも知れない。でも後悔はして居ない。横川駅の近況を知れて良かったと思う。この駅の思い出に新たな歴史を加え、時間切れとなったのを潮時に、下手くそな短歌をよんだ。
「無残やな ああ横軽の 面影も 遠くなりけり 夢の彼方へ」
さすがに恥しくなったが、13時47分、逃げる様にして高崎へ引き返す。こうして二日間に予定して居た全五線区を無事片付けた。距離にすると、二六一・七キロとなる。

ここからは完全におまけ。
高崎から湘南新宿らいんの特別快速3180Yの客となり、新宿を過ぎても降りず、横浜駅の改札を出た。友人と酒を呑む約束をして居たのだが、一向に来る気配が無い。それで連絡をとってみると、約束を忘れて居たと言い、すぐには外出出来ないらしいので、この日は会わずに横須賀線の電車に乗った。自宅最寄りの市川まで丁度五〇分である。


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