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作品名:線路がある限り 作者:烏山鉄夫

第3回 くちなおしの自力旅
旅の醍醐味は計画を立てる段階にある。この当たり前の事、少なくとも旅行が好きな人にとって常識である事を北海道の旅で痛感した。つまり人がお膳立した旅は、もちろん楽しいけれど心から嬉しく無いのだ。特に母は、「北斗星」に乗れなかった事は悪天候のせいとして諦めたが、温泉に不満が残って居るらしく、何処かへ一泊で良いから出掛けたいと言うので、長野県の野沢温泉を選び、それで納得してもらえた。
平成一九年一一月二三日、最寄りのバス停から出発をした。平日と違って本数の少ない総武線快速で東京へ行く。ここから長野新幹線(当時)に乗る。
意外にも長野新幹線に乗るのは初めてである。中学二年生の時に廃止された「並行在来線」である信越本線横川・軽井沢間の、お祭りにも似た熱狂から丁度一〇年となるが、時機を逃して乗りそびれて居たのだ。
駅弁を買って、東京7時52分発「あさま」507号に乗り込む。車内はさらりと埋まる程度である。早速朝食に駅弁を開くうち、大宮が近付いく手前で富士山が見えた。これから長野へ行こうと言うのに浮気者と思うが、やはり気分が良い。楽しい旅になりますようにと願う。
高崎から、いよいよ長野新幹線の乗りつぶしが始まる。開業当時の期待が大きすぎて空回りをして居る雰囲気の安中榛名は、一部の人の間で「秘境」とされて居るらしいが、何年経過してもまだ変わらぬとは淋しい。
ヨコカルの歴史を忘れて「あさま」に乗るべからず。私も、あさまの車内で「峠の釜めし」を食べる勇気が無い。新幹線とは不釣り合いだ!一〇年前の熱気は冷めたけれど、私達愛好者の胸の中では、何時までも走り続けて居る碓氷峠をう回する、屈辱の経路で腹立たしい。軽井沢の駅もどこかよそよそしく落ち着かない。
上田でようやく東京行「あさま」とすれ違った。
長野9時47分着。
路線バスに乗りて善光寺まいり。大門と言う停留所から、名の通り参道が伸びて居る。沢山のお店が並び、一軒一軒のぞいて歩くとキリが無く、昔の旅人と違ってここが目的地では無い事もあって、つい早足になってしまう。急がなくてもお寺は逃げないのに。
威風堂々と柔和さが混じった大きな本堂が見えて来た。やはり実物を拝見すると圧倒的である。仏さまを信じる人なら誰でも受け入れてくれると言う。だから善光寺には所属する宗派が無い。万民を救うと言う大志と受け皿の広さが放つ優しき空間に対して、私の様な不真面目な者が批評めいた事を言ったら、失礼と言うか余計な事と笑われてしまいそうだ。
まずは参詣し、「胎内くぐり」をやさせていただく。これで生まれ変わった事になるが果してどうだろうか。一介の物見遊山である事をお許しください。
境内をゆっくり歩く。木々は秋らしく赤や黄に色づき、木造建築による茶色と調和して居る。良き眺めである。この様な古寺にもっと早く訪れるべきだった。二回目なら別の感想も浮かんだと思う。
大門に戻った。時計も腹が減ったと言って居る。そば好きが長野へ来て食べない理由があるか。と威張る事では無いが、すぐ目の前にある店に入った。天ざるそばを注文し、えびと三種の野菜の天ぷらととびきり美味しいそばを、きちんと味わったのかと思う程の勢いで平らげた。本場のそばを食べ、これだけでもゼイタクな気分になり、ゆったりと店を出た。
川中島バス(アルピコグループ。長野電鉄との混同を避けての事と思うが、あえて川中島の戦いで有名な地名を冠した心意気が楽しい)に乗り一二時半頃長野駅に戻る。
駅で休憩および私の趣味である撮影の時間にあてる。
宿へ向かうついでに乗りつぶしも行う。
長野発飯山線137Dは遅れた特急列車の影響で、およそ四分待って動き出した。二両編成のディーゼルカーは、電化された信越本線上を進み、本当の始点である豊野にやって来た。これより越後川口までの九六・七キロの単線ローカル線である。今日は途中で一度区切る予定だ。
気持ちを改め直して発車した。実際に二つの線路が分かれるのは少し走った場所で、右へ、つまり東へ進路を変えると、ゆうゆうと流れる鳥居川を渡る。向こうには雪化粧をした湯田中方面の山々が見える。ここから千曲川を景観に添えて目を楽しませてくれる。
替佐にて対向列車と交換をする。
後ろ寄りの車に乗って居る。ワンマンカーなので車掌の邪魔にはならないので、思い切って貫通扉の前に立ってみる。遠ざかる景色は、銀世界となりその中央にぽつんと敷かれた直線の線路だけである。これが、地元の人が誘致した文明の道なのだ。信越本線を建設する際、飯山の人は千曲川を利用した水運で生計を立てて居た為、経路になる事に反対をし、政府も、「ああそうです。それなら仕方がありません」と言ったかどうかは知らぬが、とにかく蒸気の煙を拒んだのだ。ところがフタを開けてみたら人や物流の風向きが変わってしまい、あわてた人々は改めて陳情したものの、どこ吹く風の結果に終わり、有志を中心にお金を集めて軽便鉄道を敷いた。これがのちに国有化され、現在のJR飯山線の姿になる。
私は海よりも山が好きだ。急勾配との戦いへのロマンも素敵だが、新緑や紅葉、雪による純白の世界と変化する車窓に興味があるのだ。だから雪道を走るローカル線を堪能して居る。キハ一一〇のボックス席を確保した事もあるが、乗りに来て良かったと満足をして居る。
信濃平。「しなの」と名付けた大和朝廷の役人に会って、リンゴを一〇〇個位贈りたい。語感と言うか語呂が良くて、如何にも旅情をかき立てる、美しい地名の一つである。
次の駅が宿の最寄りの駅である。長野からの距離が近いせいもあるが、楽しい時間ほど過ぎるのが速い。階段をあがって、改札を出てから視線がさまよう。これからバスに乗るのだが、バス停がわからず、他の人のあとを追いかけてやっと、「湯の花」号と書かれたポールを発見する。
15時丁度、のざわ温泉交通のマイクロバスに乗り、およそ一五分で、下高井郡野沢温泉村に足を踏み入れた。ここはスキーのメッカで、長野五輪の会場になったので「のざわ」の地名をご存知の方も多いと思われる。
まずは今夜の宿に行き荷物を置きたい。もしかすると中学生時代以来となる民宿である。
身軽になったところで、街の散策に行く。
スキーが盛んと言うだけあって、街角のどこもかしこも白くて小さな山脈が連なって居る。スキーは中学校の行事で一回挑戦したきりである。そもそも運動は音痴と言うか苦手で、「スキップ」でさえスポーツだと思って居る程だ。
そう言えば、宿の女将が、
「驚かれたでしょう、すごい雪で」
と言って笑って居た。今季は初雪が早かったらしい。
温泉街と言えば外湯である。「大湯」と言う建物がそれなのだが、満員である。玄関に折り重なる様に、脱いだくつがところ狭しに並んで居る。興醒めしてしまい、とにかく歩く事にした。雪に埋もれた様な道祖神を祀ったお社がある。多くの旅人を見守って来た風格や年輪があって良い。
結局宿の風呂に入ったが、誰もおらずのんびりと過ごす。こんこんと湧く水音、私が身動きをする際に発する音が、静かにこだまをする。どうやら私は本州の温泉がお好みらしい。単純温泉の由。
ご飯は食堂に集合のうえ供される。小さく切ったリンゴに肉を巻いて焼いたものが旨かった。きのこも良かった。
母と話すうちに、そばの事が議論されたが、そば粉の割合を示す「十割そば」より「二八そば」の方が好ましい事、昼に入った店は信州そばらしく、こしが強く白く輝かんばかりの麺で奇麗だった事で、意見の一致をみた。
母はテレビドラマを見て居る。私は興味が無いので、布団をかぶって旅行用の手帳を整理するうちに眠くなって来た。

夜が明けた一一月二四日、ものの試しに窓を開けて驚く。軒下に一メートルはあろうかと思われるツララが何本も垂れて居る。私の喚声に覗きに来た母も目を丸くする。快晴。
朝食は所謂「旅館の定食」だが、昨夜は心づくしのご馳走だったから、その余韻の残る美味しい献立だ。
身も心も温かい夜を過ごした宿と別れる時が来た。後ろ髪を引かれると言う言葉の意味の見本の様な場面であった。
バスの発車まで暫くそぞろ歩きをする。雪おろしをやって居て、大きな白い塊が落下する。パラリンピックの聖火台が展示されて居るのを眺める。土産を求めてから、私の好物の発祥地とされるところへ行く事にした。母は街で待って居るとの事、雪で滑りそうになりつつ一人で歩いて行く。人通りが無くなった街のはずれの様な位置に目的地は建って居た。
健命寺である。昔ここへ京から来た人が、京野菜を置き土産にし、ときの住職が折角だからと庭に植えたところ、土壌の関係で全く別のものが生えて来た。もったいないと言って食べてみたら美味しかったとの逸話を持つ。これを人は「野沢菜」と呼ぶ。昨夜も食卓に並んだので、阿呆みたいに大食してしまった。
朝の優しい光と、高地の清々しい空気の中に浮かんだ本堂を見て、静かな感動を覚えた。昨日は紅葉と古寺を見たが、今日は雪と健命寺の取り合わせが私を待って居た。そして、野沢菜発祥の碑が目に止まり、私のささやかな「聖地巡礼」に箔を加えてくれた。母もくれば良かったのに。
母と合流して、10時45分の「湯の花」号に乗り、戸狩野沢温泉発11時07分の131Dに乗り継いだ。今日は飯山線の残りを乗り通す予定だ。そしてこの路線の見せ場が待ち構えており、非常に楽しみにして居る。ただし、オレンジカードを求めたら、交替の時間なので対応出来ないと駅員に窓口を閉められてしまった。残念。
またも二両編成だ。この駅で運転系統が分かれる為、長野方面からの乗り換え客が一杯で、折角の区間なのに横向きの席しか残って居なかった。でも、これ程混んで居てくれないと、廃止への道を進んでしまうので、半分は嬉しいのだ。
教習中の新米が運転台に陣取る列車がゆっくり走り出す。
千曲川沿いに走るので、名の通りくねくねと川が左を向けば列車も左を向く。仲の良い兄弟みたいだ。ぬくぬくとした車内から見て居るせいか、冬の冷たい景色がことさら奇麗に見える。人間にとっては寒々と見えるのに、川は凍る事なくとうとうと流れており、周囲の中で水温の高さが際立って居るが、自然の営みの断片を見せ付けられた気がする。これ程千曲川を味わえるのが飯山線の偉大さと思う。
信濃白鳥と平滝の間でみぞれが降って来たと思ったら、線路ぎわの木立から残雪が落ちて来ただけらしい。それにしても毎度の事だが、よくぞこの様な立地に線路を敷いたと思う。
ローカル線ならではの光景を目にする。交換が可能な駅に着くとY字分岐器があるせいか速度制限を受けるのだが、二〇キロとか二五キロと言う低速に規制される為、停車に時間が掛かる。
今回の重要地点にやって来た。森宮野原で、ここが信濃越後国境に近く、日本で最も高い積雪を記録した土地で、駅に記念塔が立って居る。曰く、積雪七・八五M昭和二十年二月十二日記録(表記ママ)。
戦時中でも自然は関係無く作用したのだ。恐ろしくもあり敬いたくもなる。その様なただならぬ土地であるが、現在この辺りはトマトの産地であるらしく、その記念塔が広告塔も兼ねて居る。
津南は松之山温泉の最寄りだが、今は北越急行も出来たから、交通の便も良くなったものと思う。
いくら山河が好きだと言っても、たまに見るから良いのであって、要するに飽きて来た。もう山場を過ぎたので、車窓を眺める張り合いが無くなった。それに暖房のせいで窓が白くくもって眺望が効かぬ。それで捻り出した遊びが、運賃表示器の数字を見て、駅間距離の長短を判定し体感する事である。一四〇と表示されたら近い、一八〇と言ったら遠い等と観察して悦に入って居た。こんな事をして時間をムダにするうち十日町の街が近付いて来た。例の北越急行とまさしく十字に交差する駅を発車する。
米どころの魚沼をたんたんと走る。地図を見て居たらこの地域に鉄道が引いてあり、何線かと思えば飯山線なのである。その時はびっくりしたが、地味ながら土地の大切な足として頑張って居る。しかし、JRはあまりやる気が無さそうな顔色で、魚沼中条や越後岩沢には国鉄時代の駅名標が残って居て、復古調としては楽しいが、予算の配分が少ないだけなので、金のお化けが出て来そうだ。
今回もローカル線を思い切り味わい、越後川口には、12時51分停車をした。
上越線に乗り換える為に対岸のホームに移動して、飯山線の乗り場を改めて眺めたら、短いホームと簡易な待合室があるだけのささやかな構図に嘆息が出た。単なる判官贔屓かも知れぬ。
良い思い出ばかりを土産に12時57分の電車で浦佐へ行き、昼飯の弁当を買い、新幹線に身を委ねた。
夏の旅と同じ列車と気付く。因縁と言う呪縛から逃れる事は出来なかったらしい。


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