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作品名:線路がある限り 作者:烏山鉄夫

第2回 北海道騒動
きっかけは父が貰って来たチラシだった。
仙台から海上を通り、帰りは豪華寝台特急として知られる「北斗星」に乗車すると言う、北海道四日間の旅である。
もちろん、北斗星に魅力を感じた。列車自体も素敵だが、貧乏性なので「乗りつぶし」の手段と考えるクセが出て、経路上の路線名や区間が頭をよぎる。北海道の鉄路は手付かずなので、少しでも乗る事が出来れば嬉しいのだ。
北海道自体は今までに二回行って居る。
初回は物心の付く前の事なので、写真で知るだけだが、二回目は小学生の時で、北海道への往路と道内の移動の一部に列車を利用した。しかし私はこの体験を乗りつぶしの記録に加えずに居る。ある一日を境としてそれ以前の事は全て参考記録として扱って居る。旅行記録と称するパンフレットや行程表をまとめたスクラップ帳を作成する以前なので、適当な事を云わぬように口を閉ざす為である。
タラコ色の気動車など、もうすでに過去帳入りをして居るだろう。711系とはまともにお目に掛かった事が無い。
さて、実際の旅はどうなったかをご披露しよう。

平成一九年九月四日、団体旅行なので集合場所と言うものが設定されており、その目的地である東京駅へ降り立った。出発は夕方なのに午前中から東京駅構内をぶらつく。五目汁そばの昼食をとり、一四時受付一四時四〇分再集合。
東京15時08分の東北新幹線「Maxやまびこ」121号に乗る。順調に北上をして行く。黒磯を過ぎると日差しが出たりかくれたりの繰り返しになる。郡山、福島と進む。昔は福島でさえ遥かに遠い異国と言う感覚だったのに今では鼻で笑う距離になり、これは喜んで良い事なのか悩む。仙台17時20分定着。
仙台港までわずかの時間だが観光バスに乗車する。仙台駅で少し時間があったので夕食の為に駅弁の「南三陸ウニめし」を買った。
仙台港20時15分、今夜の宿でもある太平洋フェリー「いしかり」の無事な船出を迎える事が出来た。デッキに出ようとすると雨だった。乗船記念にキーホルダーとメダルを買い、弁当をつまみにして酒を呑む。船室の窓より外を眺めると漁火か小さな光が見える。船のエンジンの揺れが身体に心地良い。昔の青函連絡船にも寝台があったそうだが、それを利用して居れば今の様な雰囲気だったのだろうか。それで思い浮かべた事がもう一つあって列車やバスだと現在地が気になる性分だが、フェリーなら広い海上で地名にとらわれないから、多少不安を覚えるが場所の特定作業をする必要も無く気分的開放感を味わえるのも面白い。
目的地である苫小牧港に何事も無く接岸をする。日付が変わって九月五日。

ここからは観光バスによる移動なので、くどくどと経路は書かない事とする。
まずは有珠山と昭和新山だ。不覚にも、元郵便局長の三松正夫氏個人の所有とは知らず、まして噴火の時の事を詳細に記録して居られたとは!その日記が地元出版社発行のもと売られて居たので迷わず求める。食堂で飯を食いながら有珠山噴火の被災体験談を拝聴する。そのあとロープウェイで頂上を目指す。ロープウェイも法律上鉄道の一部なので、早くも線路の香りを嗅いだ事になる。新山はこの時点で六〇歳!茶色の岩が緑の山肌の一部に出来たタンコブの如く見える。やはり自然の力はすさまじく、人間が勝手にいたわしく思って居るだけで、当の山は当然の事と思って居るかも知れない。そう考えても、同情を禁じ得ない。
移動中のバスの車窓もそうであったが、見る景色は、本州と比較してもやはり迫力が違うし雰囲気も異なる。元々「外国」だった事による異国情緒と言う訳でも無い。旅先での興奮による目の錯覚か。あるいは雪国に対する無意識な同情か。とにかく見るもの聞くもの、全てが新鮮に思う。
また、これは北海道に限った事では無いけれど、駅名や看板に記された地名を見て、その土地に居る事を実感する。今回は高速道路の標識の緑地に白抜文字の道路公団書体で書かれた苫小牧や有珠山と言う地名を見ると、やはりここは日本の一部であり国内旅行をして居るのだと思い安心をする。全国一律の制度が適用されると何故だか嬉しい。
洞爺湖の広々とした顔を見て、これはまずいぞ、と思った。湖の美しさでは十和田湖が一番と思って居たのに、それを上回るしとやかさを感じるのだ。美人はとかく冷たく見られがちと言うが、この湖も華やかだが、同時に盛夏だと言うのに冷たく映ってしまった。
宿には早目に着いてゆっくりすべし、と言う行程なので街を散策して、土産物屋に寄る。アイヌの木彫を求める。現代日本人、特に都会人が何処かに置き忘れてしまった、神々や自然への感謝の念を教え直してくれる、優しい表情をした小人(コロボックル)である。むしろこれを買いに北海道へ来たと言っても差しつかえは無いのだ。
北海道の温泉に入浴してご機嫌となる。
夕食は淋しかった。いくら団体旅行を相手にするからと言っても、レストランの定食に似た内容で残念だ。私はひねくれ者なので、呑み代で稼ごうとして居るのではと推理して、びんビール一本を開けただけで引き上げた。花火大会があるらしいが、面倒になる。なんともすっきりしない北の夜であった。

翌日、早起きをして朝風呂。
バスに乗って積丹半島をめぐる。
日本海の荒々しさは、アイヌの人にとっても畏敬の対象だったのだろう。夏だから少しだけ大人しくして居るが、何かあればすぐにキバをむきますぞ、と威嚇して居る様にも思える。
小樽で昼食。
ここで重大発表があった。すなわち、折しも台風が北上中で、夕方に乗る予定の「北斗星」が運休になり、千歳からの航空機に振り替えとなったのだ。
冗談じゃない。「北斗星」はともかく北の大地の鉄路を楽しみにして、今回の旅では、何かと不満が積み上げられて居たのを抑えて来たのだ。
離脱が認められ、小樽駅へ行くと、みどりの窓口が台風の余波もあってか混雑して居て、臨時窓口みたいなところで、駅長さんに今日の列車の指定席と共に市川までの乗車券を作っていただく。
やはり本州の列車に軒並み運休が生じて、指定券の取消や動いて居る列車への変更が相次いで居る模様で、私が希望する列車も運行が確かなので満員に近く、バラバラに離れた二つの席を確保出来たのは幸いだった。これで懸念が片付いたので、ゆっくり観光が出来る。
小樽と言ったらもちろん運河であろう。もっとも見物にたえる光景になったのは近年になっての事らしい。そんな事を知りもせず、純粋にその風情を味わう。海が近いから淡水では無いが、川のかもし出すほのかな色気は存分に発散して居る様に思う。この川べりに店を構える甘味処で休憩をした。
次に手宮線と言うすでに廃止された路線の跡地を見学する。公園として整備され線路を敷いたままにしてある。もうこの上を汽車が走る事は無い。しかし、北海道で最初に開通した場所と言う歴史上の事実の偉大さと記憶までもが消える事は無い。私は廃線跡と言うものはあまり好きでは無いが、この雨に濡れた二条の鉄を見て居たら訳もわからず黙礼をした。
そうこうするうちに、東京へ向けて出発をする時が来た。つまり、お待ちかねだったJR北海道の列車に乗る事が出来るのだ。
改めて小樽駅を眺める。石川啄木も石原裕次郎も見た建物を見る光栄な機会を得て居るのだ。これはすごい事だ。これは素晴らしい事だ。鉄道を愛する者の冥利に尽きる。あまり立ち止まって居る訳にもいかぬ。時間にして一分か二分の脳の活動である。
18時08分の区間快速「いしかりライナー」にて、小樽の街と別れる。
入線と共に乗り込んだので座席が好きに選べる。3扉車だが、中央の扉にもデッキがあり、外気が客室に入り込まぬ様に造られて居るのが、北海道ならではの車内光景である。発車時刻が近づくとさすがに混んで来た。この電車(交流型電車である)は手稲までは各駅に停まって行く。
夕方でうす暗くなって車窓が見えず、朝里と銭函の間で見えるはずの海に気付かず、トンネルを通った事がわかったほかに風景の記憶が無い。しかし、函館本線の列車に乗って居ると言う現実にわくわくして居る。本当は喜びの大声を出したいところだが、それは控えた。確か、宮沢賢治が花巻農学校の教師時代に、修学旅行の引率でこの区間に乗り、生徒達が乗客を相手に歌ったと聞いたが……時代も立場も異なるので大人しく座って居た。
札幌には定刻に到着し、改札口で乗車券に下車印を押してもらう。夕飯として本場の札幌ラーメンを味わうつもりである。
さて、改札を出たのは良いのだが困った。札幌は寄らぬ予定であったので何も下調べをして居ない。悩んでも仕方が無いので駅ビルに行ってみる事にした。そして適当な店をみつくろい暖簾をくぐった。
私の個人的意見だが、ラーメンは細麺が好きだが、札幌や会津の様に寒冷地で暖をとる手段を兼ねており、長時間熱を保つ為の工夫であるなら、地方の特色として楽しく、そう言う訳でみそ味の太い麺を堪能して駅のホームへ戻る。二時間近くあるが、見物に行く元気も無く、またこの先何が起こるか不明なので、体力温存の意味もある。
平日の夜なので帰宅ラッシュの真っ最中である。北の都の中心である札幌駅から人の気配が消える事が無い。発着する列車はどれも満員である。国鉄型の古い車の姿も見る事が出来た。老兵にも出来る仕事はあるのだ。
夜食用に駅弁とお茶を求める。珍しく酒では無い。別に呑んでも良いが、車内が乾燥して居るから酔って寝るとカゼをひくに決まって居る。それを防ぎたいのだ。東京へ帰ればまた仕事が待って居る。おっと、余計な事を考えてしまった。
21時38分、少し遅れて青い車体の目的の列車が入線して来た。七両の客車が回送用の車をおまけで連結した姿に、往年の優等列車の風格を連想させる。日本ではあと数本しか無い夜行列車で、本人は何を言って居るのかと呆れて居るかも知れぬ。「北斗星」の代替案として遜色の無い列車である。
早速座席に腰をおろす。さすがに窓側では無いが、座れるだけ感謝せねばならぬ。カーペット車と言うのがありこれを含めたB寝台・指定席は全て満席だと放送が流れて居る。隣人は発車間際に乗って来た。
初めての客車急行、客車の座席、乗りつぶし、夜を明かす事が出来る安心感、様々な要素が胸を高鳴らせる。22時00分、雨が降り出す中、ガクンと揺れて、202レ「はまなす」は青森に向けて動き出した。札幌を出たところで車内放送が入り、これをもって「お休みコール」とする旨が伝えられた。私は座席の人だが、B寝台利用者は照明を深夜灯にし、放送も休止となるそうだ。
千歳で雨足が強くなる。回送車両のせいでホームをはみ出して停車する。
23時苫小牧着。これで道内のひと筆書きが完成した。そして千歳線を乗り終えた。
自由席も満席となり5号車と6号車の通路が開放された。それは良いのだが、誰も騒いでも良いとは言って居ない。缶ビールを片手におばさんが盛り上がって居るのだ。この人達も含めて通路も一杯となり車掌も歩きにくそうにして居る。
列車は室蘭本線に分け入り、伊達紋別の暗いホームに停まって居る。北海道における好きな駅名の中でも上位に入る。語感が格好良い、字面が美しい。そして「はまなす」が停まるのが良い。割合大きな駅なので、ああ北国の夜汽車に乗って居る実感がふつふつと湧いて来る。
夜行列車特有の時間調整を兼ねて居るのか、車窓が暗闇のせいか、やたらとのんびり走って居る。長万部で函館本線に舞い戻り、駒ヶ岳周辺にある急勾配対策に増設された通称。砂原(さわら)線と言う区間を経由したが、その駒ヶ岳も夜のとばりに隠れてしまって拝めない。
函館のホームの明るさに目が眩む。8番線にて二二分停車し、機関車の付け替えをする。ここからディーゼル機関車から赤い電気機関車へと引き継がれる。作業を見学しようと車外へ出ると、灰皿が無いのであちらこちらで紫煙が立ち昇って居る。
線路の向きの関係で座席も反対になり、すっかりおなじみになったアイヌの地名と別れを惜しむ様な姿勢で3時00分に南下を再開する。
今度は江差線の登場である。ここもたんたんと走って行く。あとは本州へ連れて行けば良いのでしょう?と言って平然な顔をして居る気がする。
4時丁度、青函トンネルに突入。真っ暗だ。蛍光灯が消えて居るのだ。スラブ軌道と言う砂利を使わぬ線路独特のかん高い音に混じって、不思議な音を反響させて汽笛が聞こえる。およそ四五分掛かって本州に上陸をした。窓の外が明るくなりローカル線の風情に気が付いて、興奮を鎮め、頭を冷やす。楽しかったJR北海道の旅は終わった。しかし、JR東日本の津軽線も初乗車なので、ずるいけれど乗りつぶしと言う名の延長戦を味わう。
五時過ぎに車内放送が入り、定刻通りと知らせる。普通列車や貨物列車と線路を譲り合いながら、終点を目指してトコトコと進む。もっと乗って居たいが、青森駅のホームに停車してしまった。
さて、この先は奥羽・羽越本線の特急「いなほ」8号を乗り通して新潟を目指す。台風がどうなるかわからず酔狂だが、冒険と思って計画を押し通した。結果、「いなほ」はもちろん、新幹線でも一部区間で遅れたが少し取り返して、東京にはほぼ時間通りに着いて安心をした。


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