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作品名:線路がある限り 作者:烏山鉄夫

最終回 春の日本海、打ち上げの旅
平成二二年五月一三日、平日に一泊ではあるが旅行へ出掛ける機会を掴んだ。切符の購入や宿(ホテル)の予約等全てを揃えてあるから、東京駅へ行く事が旅の開始となる。
駅弁を片手に乗ったのは、秋田新幹線「こまち」1号である。この列車にも開業以来乗った事が無いので、やっとその時が来たと言う感じである。全席指定なので割り当てられた一二号車に乗ると、いよいよだな、と思える。
6時56分に、北への旅の第一歩を踏んだ。
今回も富士山が見える上天気である。車内は八割方の乗客だが、平日の朝なので静かである。車内販売のコーヒーを啜りながら眺める景色は、新緑の季節とあって好もしい。
この列車は、宇都宮も郡山も、福島すら通過する。秋田までの速達が至上命題であり、手を組んで走る「はやて」も青森まで同じ事情を胸に秘めて居るからである。だから、仙台で二〇名乗せたあと、一ノ関にておよそ二時間経った時、少ししみじみとした思いに耽った。
盛岡9時22分着。ここまでは、ただの前哨に過ぎない。「はやて」との切り離しを行い、9時24分に発車をした。
これから田沢湖線を通るのだが、これも初乗車だから楽しみにして居た。
田沢湖線とは、かつては橋場線・生保内線・生橋線と呼ばれて居たが、一九六六年に改称された。一九八二年に東北新幹線が盛岡まで開通した際、それに合わせて秋田への乗り継ぎ連絡の役目を期待され、電化及び優等列車(特急「たざわ」)も設定する等、単なるローカル線(地方交通線)では無くなる改良が行われた。そして、「たざわ」と交替してミニ新幹線と言う形で、東京から直通列車が走る様になったのが、一九九七年の事である。
この様な栄光の歴史を持って居て、車両も現代的ではあるが、景色はのどかである。
大釜で、「こまち」8号と交換をする。新幹線といえども単線なので、行き違いをする場所が限られて居る。
農場で知られる小岩井を9時33分に通過した。新幹線が停まらない駅は、ホームが短くて何時の間にか過ぎ去り気が付かない事もある。
地上を走行し一二〇キロまで速度が落ちて居るから、窓の外が急に身近なものになった気がする。実際、この辺りでは「こまち」を在来線の特急と同じに扱う事になって居るし、住宅街と雑木林が次々に現われ、人の息吹を感じる。
沿線で桜を見受ける。今年は寒さが続いた為桜前線も若干遅れ気味だと聞いて居たので、咲いた姿を見て一安心をした。
赤渕は、やや大きな駅だ。そのわずか三分後に雨粒を確認した。左側に御所湖があると思われるのに、林が眺望を遮っており見えない。
田沢湖に停車をする。四〇キロポストがあったので、もう半分を過ぎてしまった訳だ。
田沢湖の玄関口であるが、例によって例の如く遊びに行く余裕を作らず、ひたすら先へ行く事しか眼中に無い。
雨足が強くなる。雨に濡れた小京都・角館の見物にも食指が動いたが、矢張りガマンをして居るうちに、田沢湖を取り囲む山々の一角を越えて、開けた明るいところを快走する。通過をする小さな駅の駅名標が読み取れず、従って位置がわからないから一種の不安を抱く。
平地だがスイッチバックになって居る為、線路が「八の字」に敷かれた大曲が近付き減速をする。線路の間の小さな広場に、全て平仮名で「よいこはここではあそびません」と大書きされてある。
田沢湖線七五・六キロを乗り終えた。
大曲で列車の進行方向も変わり、路線名も奥羽本線となった。当然、この区間も初めての訪問である。秋田まで、五一・七キロが残って居る。
やや大きな神宮寺駅を過ぎた場所で、対向の「こまち」と出会う。「こまち」は三〇分おきに運転されて居る。
大仙市協和町を走って居る。秋田の「あ」の字が見えて来る頃合いだ。かつてここは特急「つばさ」が力走した区間であり、今は主役が代わって仲間の「こまち」が走る時代となった。
自動車販売店だと言う時計塔や、羽州街道桜並木であろうか、並走する道路の向こうに桜が植えてあるのが見えた。
少しずつカーブを繰り返して秋田に近付こうと努力して居る。そして、海沿いから来た羽越本線と手をつなぐと、10時54分、新幹線移動が終了する。
この次は、五能線一四七・二キロに乗る事にして居る。
総延長だけ見ると、鈍行列車だけでも乗りつぶしが出来そうだが、本数が少なく区間運転ばかりで、色々と手のかかる路線である。そこで、観光色を帯びた列車があるから、それの世話になり、たった半日で乗り通してしまいたいと思う。
秋田11時05分発、快速「リゾートしらかみ」3号に乗った。指定券を用意してある。気動車で、普通列車用のキハ48を改造して、お洒落な外観に生まれ変わったものを使用して居る。
個室になった喫煙所を見つけて入ろうとしたら、そばに車内販売の基地があり、売り子のお姉さんが営業の準備をして居る場面に出くわす。
暫くは鯉川で貨物と交換したりして奥羽本線の旅となる。東能代まで眼鏡をかけた女性車掌が案内をすると言う。これも五能線を旅する前の身体ならしみたいなもので、秋田で買った駅弁を今のうちに食べておく。この区間は、乗車済み故余裕がある。
東能代で座席を回転させる。列車の進行方向が変わるのだ。秋田発車時は最後尾の席で、オヤオヤと思ったが、海側かつ列車全体の最前列に化けた。
いよいよ、五能線である。まずは「能」の字の由来である能代で五分停まる。その間に、地元の能代工業高校が得意技にして居るバスケットボールに因み、ホームに設置されたゴールに向けてシュートが決まれば、秋田杉で造られたパするが貰えると言う遊びが催される。駅員が見本にやって見せると、一発で成功させた。
12時40分、左に日本海が見えて来た。ここから八〇キロに渡る付き合いとなる。
一七分後に青森県に舞台が移った。
春だと言うのにまだ荒々しい波と、彼等が造った赤茶色の岩々が、冬の厳しさに対抗する気迫の様に圧倒的で、私の心に強く攻めて来た。
それを見透かされて居たかの様に、12時59分から一分間と短い間であるが、徐行してくれる。もっとじっくり見てくれと言う按配だ。どうでも良い趣味的な事だが、こう言う場合の速度制限標識等は、どうなって居るのだろうか。
13時39分、深浦。二分停まる間に運転士の交代と、対向列車との交換をする。
ここは、江戸時代中頃から明治時代にかけて、北前船の寄港地として栄えたところである。そう思って構内を見渡すと質素で、北前船の代替として文明の利器である駅を造ったので、大事に利用して子孫たちへ受け継いで行くべしと言う静かな決意を感じられた。駅とは一体何かを考えさせてくれる。
この列車は快速だから、小さい駅には目もくれず、淡々とした表情である。驫木とか風合瀬と言った難読駅名は、観光客の目の保養にはならないから一切無視をして行く。
この辺りで、白神山地の緑とお別れをする。ブナで有名で、原生林の中に点在する十二湖にも行きたいが、毎度の事で乗りつぶしに徹した。観光地は逃げないから、次回はゆっくり遊べると言って、自身をなだめる。
いかにも日本海沿いに居るとわかる、殺風景な寒村が続く。この何も無いと言うのが、せかせかした都会人には羨ましくもあるが、住みたいとも思えない。旅行者の勝手な感想と言う、便利な言葉に逃げておく。
千畳敷で一〇分停まる。車掌が「散策をどうぞ」と言う。道路を挟んだ向かい側の海に、名前が示す様に岩が広場を成して居るから、見学が認められるのだ。乗り遅れない様に、発車三分前に汽笛を鳴らしてくれると言う。
言葉に甘えてホームに降りると無人駅で、本来指定券の途中下車は無効だが、車掌も居る事から、この列車から降りた乗客を把握出来るし、それよりも普通列車は上下共に暫く来ないから、別の場所に行きようが無いので問題が無いらしい。
千畳敷の岩をしっかり踏みしめて、一人だからすぐにやる事が無くなり、少し早目に列車に戻った。私の席の前に待合室があって、運賃表を見ると青森まで一六二〇円とある。もうそんなに進んだのかと、時刻表をめくると、既に半分である八六キロポストを通り越して居た。まず汽笛が鳴り、三分経ったらしく無事に動き出した。
ああ、私は今津軽を旅して居るのだ。15時04分から九分も停まって、秋田行「リゾートしらかみ」と進路を譲り合う五所川原は、地名を聞いただけで淋しさを感じる。これは、車内で聞いた津軽三味線も迫力ある演奏を聞いたあと故の、静と動、陰と陽みたいな対比による静寂であろう。津軽地方自体に一種の暗さを連想するが、初夏に近い皐月だ、構内を歩きまわる人影の多さが、私の墨を塗られた様な心がうすめてくれる。
陸奥鶴田の近くで、小さな男の子が母親に抱かれて、一緒に手を振る姿があって、ほほえましく見送る。
左側には、りんご畑と水田が広がって居る。15時26分着の板柳を中心にこの辺りが、日本一のりんご出荷量を誇るのだと言う。この先、川部まで左右にりんごの木が車窓を愉しく塞いでしまう。
りんごで思い出したが、昔貰った道路施設協会発行の地図で、東北自動車道仙台以北の「パート2」(手元のものは一九九一年版)の表紙写真が赤く実ったりんごで、それが妙に美味しそうだと思った子供の頃の話。
一三九キロポストを目撃した。津軽平野を淡々と、しかし心地良く走り続けて、15時28分川部着。五能線はこれで終わりだが、その余韻に浸るヒマを与えられず、進行方向が変わるので座席を回転させなければいけぬ。六分も停まった筈なのに、何時の間に発車時刻を迎えた。誰かが世界時計にイタズラをして、針を勝手に進めたらしい。
列車は、奥羽本線を南に戻って弘前まで行く。結局、車内でサンドイッチやお茶を買った。良い景色を味わいつつ、ただじっとして居ても腹は減るのだ。
弘前に15時52分到着。駅前のホテルへ早々と入ってしまった。

明けて五月一四日。七時半まで寝台の上でごろごろして、八時過ぎに朝飯を食べる等してのんびりと過ごす。
客室から外を眺めて居ると、列車の本数より路線バスの方が多く、活気があると思ったが、実際には朝の通勤通学時間帯だし県内第二位の都市だからと思われた。
今日の行程はゆったりして居るので、街を散歩してから弘前駅の改札を通った。
貨物取扱駅らしくコンテナが山積みになって居て、貨物列車が独特の大きな音を発して停車をする。ベルが高らかに鳴ったので驚いた。私鉄の弘南鉄道のもので、ステンレスの車体がのどかに発車して行く。地方鉄道の健気な姿を見て、同情の念が胸に去来した。
普通列車に乗っても良かったのだが、切符の効力を活かして特急の自由席を利用する事にしており、今日の旅は10時28分発「かもしか」2号で始まった。秋田には12時28分に到着する予定である。
車両は国鉄型で、車内販売も無い三両編成の小粒な列車である。奥羽本線の列車が少ないので、仕方なしに乗って居ると言った雰囲気の身軽な客が多く、まるで昔の急行列車を彷彿させる。
大館には「比内鶏の里」と書かれたパネルが立てられ、鷹ノ巣に大太鼓の飾りが置かれ、ぼんやり停車駅や車窓を眺めて居ると、二ツ井で既に一時間が経って居た。
昨日乗った「リゾートしらかみ」3号とすれ違いをした。これで一周をした事になる。秋田には時間通りに到着した。
降りたホームの端にある1番線まで歩き、二両編成の気動車に乗り込む。
これは男鹿線の列車で、12時53分発1133Dである。前寄りの車両に足を踏み入れると、ロングシートがさらりと客が埋まる程度だ。静かに時間を待つ客に向けて、女性の声の案内テープも静かに放送して居る。
羽州街道と船川街道の分岐点が由来の追分から、男鹿半島の入口までを結ぶ二六・六キロの路線である。追分まで奥羽本線を走り、この区間を何度も通るのは感心出来ぬが、その代わり色々な列車に乗ったので気にして居なかった。
私の携帯電話が鳴った。仕事の連絡で白けて不愉快になったが、肝心の男鹿線で無くて良かったと思い直した。世間は平日なのだ。
追分で「リゾートしらかみ」2号と出会った。1番線から発車をして、いよいよ男鹿線の線路に進入して行く。
出戸浜から天王までは、のんびりと落ち着いたところを走って行く。気動車がギアを中立にした時の静寂と軽やかなジョイント音のみが、優しく車内にこだまをする。
夕陽の松原と言うのがある様だが、私の背中のずっと後ろで、その気配すら気付かなかった。
天王で沢山の客が下車して、車内はますます物音が消えて行く。
鉄橋を一分余りで渡る。八郎湖と言って、干拓を免れた八郎潟の一部であり、その端だが大河の様に見える。
船越は片面しかない駅で、線路の反対側は鉄道林として杉が植えられて居る。この辺りは海からの季節風がとても強く吹くそうで、至るところに杉の姿が見られる。
水田の中央の盛土に敷かれた一条の線路上を、国鉄型気動車は急ぐ事なく走って居る。
そろそろと脇本の構内に進入をする。ワンマンカーなのだが、全ての扉が開いたので最寄りの出口から降りた客が居るらしく、運転士が「降りる方は一番前へお越しください」と放送をし、車内をドタバタと小走をした女性がやって来た。
その脇本を出て、寒風山と言う聞いただけで体がかじかみそうな山に見守られながら、楓では無さそうだは赤い葉が付いた大きな木が三本あって、屏風の様に見える民家が遠目ながら見事であった。
視界が暗くなったと思ったら、もう明るい。男鹿線でたった一つしか無い、「男鹿トンネル」を潜ったのだ。
羽立に停まって、男鹿13時51分着。無事に完走出来た。
かつてこの先に貨物線が続いて居た時代の名残りか、側線が六本もある大きな駅である。私たち九名が改札を出ると、駅員が扉を閉めてしまった。この駅では列車別改札をやって居るらしい。
駅前には銀行とチェーン型居酒屋、ホテルが一軒、車や人の姿も少なくずいぶんものさびしくて、最果ての街に来た風情だ。駅の売店までよろい戸を閉めてしまう。昼食を、と思ったがこれで秋田に戻るまで忍耐するしか無くなる。仕方が無いから小便をして、記念用の入場券を券売機で購入し、スタンプを押したりして居るうちに、改札が始まったので早速入れて貰う。
男鹿は「なまはげ」で有名なので、愛称として「男鹿なまはげライン」と命名し、宣伝して居る。行き先表示板(サボ)にもイラストが描かれてある。この列車で秋田までの道をひたすら戻って行く。
トンネルを味わい、脇本で四両編成と交換をし、各駅で数名ずつの客を乗せながら追分に付くと、ゼロキロポストを発見した。男鹿線とのお別れの合図みたいで淋しい。
秋田駅は矢張り大きな駅で、土産物を買う為に改札を出ようとしたら、色々と出口があるから妙なところへ出てしまい、最後の最後にばたついてしまった。汗までかいて居る。
駅弁も買って秋田15時36分発「こまち」24号に乗る。
志渡内信号場で701系普通電車と交換をし、長い長い仙岩トンネルを潜ると旅の終わりを感じた。缶ビールと高いつまみを奮発して、乗りつぶしを終えた事への祝杯とも、淋しさを紛らわす薬ともつかぬ酒を呑む。
仙台まで単独で走り、「はやて」を連結して東京まで突っ走る。
総武快速電車は帰宅ラッシュでまだまだ混んで居るが、市川まで二〇分の辛抱だ。20時25分に、懐かしい土地にやって来た感覚で、市川の雑踏を歩く。
夕食を兼ねて、行きつけの立ち呑み屋に顔を出して、沢山酒を摂取したので、自宅の玄関を開けたのは23時10分頃の事である。
二日間で合計、三〇一・一キロを消化出来た。しかし、奥羽本線の大曲と新庄の間に乗れる目途は立っておらず、おあずけになってしまった。
その区間に限らず、何処でも良いからとにかく乗りたい。
話の区切りが良いので、完乗への記録第二編はこれにて筆を置く事にしたい。


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