小説&まんが投稿
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:線路がある限り 作者:烏山鉄夫

第13回 琵琶湖周辺を旅する
旅に出ると思うとそわそわし、前日になると出発予定時刻まであと何時間か、指を折って数えてしまう。
平成二一年八月一九日、夏休みを貰っての旅行で、今回も同行するのは母で、家族旅行を兼ねて居るのだから、何時もの事として風に流して欲しい。
今回は琵琶湖の周りに遊ぶ企画となって居る。周遊きっぷを利用するので、余り上手とは言えないが、往復で東海道新幹線の世話になる。しかし、この頃乗車をして居ない「ひかり」が便利な点が、一種の抵抗に思えて楽しい。尤も車内では、興奮による寝不足を補ったから、小田原に停車し沢山の乗客があった事と、岐阜羽島で「のぞみ」に追い抜かれた事は知って居るが、名古屋の事は覚えて居ない。朝食に買った駅弁は旨かったが、あとはひたすら座席で大人しくして居た。
9時49分米原下車。新幹線改札口が混んで居て、周遊きっぷに日付入のスタンプを押して貰いたいので、外へ直接出る改札で特急券を渡して、普通の改札から再入場をした。
今回、観光は湖の南側に主眼を置き、乗りつぶしを兼ねて北端まで行くついでに車窓見物とする事にしてある。その北上の第一歩として、6番線から10時04分発141Mの近江塩津行に乗った。北陸本線の普通電車である。
坂田で車内精算にまわって来た車掌を見て、最初は高校生かと思った位に若々しかった。
田村で対向の新快速とすれ違った。この先の区間は、かつて交流電化区間であったのを、一九九一年に直流に切り換える工事をして、大阪から新快速電車が直通して来るようになり、今では福井県まで足を伸ばすようになった。このおかけで私が乗って居る車両も新型ではあるが直流電車である。
第一の目的地である長浜は橋上式の駅舎でうまれ変わって居る。
コインロッカーに荷物をあずけて身軽になると、街の散策を始める事にする。
長浜は鉄道ゆかりのある、その意味では古都とも言える街だが、その中核となるのが「長浜鉄道スクエア」である。入口の建物が長浜の旧駅舎であり、開業は一八八二年三月一〇日のことである。当時の様子を復元してあって楽しい。その奥に「北陸本線電化記念館」があって二台の機関車が展示してある。
一つは、ED70型1号機で一九五七年に登場した日本初の量産型(試験用では無く実用向けと言う意味)の交流用電機である。この機関車から交流用は赤い車体と言う伝統が始まったのかと思うと、その直方体を見る目も変わる。そしてもう一つは、D51・793号機で、どちらも運転台が開放されて居るのだが、折角だからとD51の方に座って記念写真を撮った。
これで満足をして、道路の向かい側にある「慶運館」に足を向ける。
一八八七年の明治天皇の京都行幸に合わせて、行在所(休憩所のこと)として建てられ、伊藤博文により命名され、その後庭園を造営した。昭和に入り国指定名勝となって長浜市に寄贈されたと言う。枯れ山水と芝生の緑が見事であった。建物は二階建てである。玉座として、白い一人がけのソファが置かれてある。ここに座って、疲れをいやされたのかと思うと、ある意味で人間らしさを感じた。神様とされても、人間と同じなのだ。皇室が愛され続ける理由は、ここにあると思われる。
最後に長浜城に登城すると、この街を独り占めした心持ちになる。長浜の人々は、戦国時代が流行の対象になっても、決しておごらずに明るく接してくれる。当然、心の中では鼻が高いのだろうが、そんな素振りも見せず偉いと思った。
「成駒屋」で食事をする。
駅に戻り再び荷物をぶら下げて、長浜13時35分発8145Mに乗る。二両編成の電車で、北上の続きに挑む。
琵琶湖から少し離れたところをほぼ一直線に敷設された線路の上を、新しい電車が軽やかなジョイント音を残して行く。
虎姫と言う、阪神タイガースがご贔屓の人にとっての名所に停車したが、普通の駅である。かつての縁起駅名と同じで、名前だけが一人歩きして居る様だ。
高月に停まる直前に警笛が鳴った。ミュージックホーンと言う、オルゴールに似た形式であった。
木之本では側線に入線をした。島式ホームが上下一面ずつの大きな構内で、後ろから追いかけて来る名古屋からの特急「しらさぎ」55号を先に行かせるのかと思ったら、何もしないで発車をした。鉄道好きの悲しい性だ。
戦国時代が流行と書いたが、それは複雑な人間関係や勝敗、戦術への興味は当然だが、戦場の地名の美しさへの評価もあろう。「ナベブタの戦い」、「ブス合戦」では様にならない。
余呉湖をちらっと見る。と言う事は琵琶湖の北端に居るのだ。湖はどこでも表裏がある。観光地として整備される岸と、そうでないところである。例えば富士の山中湖なら国道一三八号沿いは土産物屋やボート屋が華やかだけれど、道志みちが来る平野地区は比較的に静かな場所だ。琵琶湖も例外では無く、面積が大きいから余り意識しないのだ。
ここからトンネルが続くから、運転士がブラインドを閉めた。母は、意地悪をされたと思ったらしい。
本当の意地悪は、これからである。近江塩津まで二五分で着き、次は湖西線に乗るのに四〇分待たされる。降りた電車は、暫く停まったのち、わずかな客を乗せて米原へと走り去ってしまった。
乗り換えの為に階段を九段下ると平地になって居て、ベンチが並んで居る。また階段が四〇段あってようやく地下通路にたどり着く。母は「踊り場」のベンチで休むと言って立ち止まった。私だけでもと先へ進み、改札を出てみると地元高校生の集会所と化しており、わいわいと盛り上がって居る。それだけ見たら構内に戻り例のベンチに腰かけた。採光の為にトタン屋根になって居るのが却って熱い。風通しも良く無い。図上ではひっきりなしに轟音がして居る。特急列車の通過音で、上下線と米原方面と湖西線方面で、高頻度に列車を運行して居て通過ばかりするのに、そのすき間に普通列車を割り込ませてあるから本数が少なく、二重に苦しい。もともと私の様な乗り方をする人は少数なのだろうし、文句を言っても仕方が無いが、少なくとも居心地は悪い。
ようやく14時40分発の3481M新快速が来て安堵をする。湖西線の乗りつぶしを始める。明日までに乗り終える計画である。
湖西線とは、北陸本線のバイパスとして開通した路線で、全線が高架となっており踏切が一ヶ所も無い。
この辺りは車窓の眺望も良くない。長いトンネルが続くからであり、駅間距離も長いと見受けられ、快速運転をして居るのに次の停車駅がなかなか姿を見せぬ。
マキノとは気になる。何故片仮名なのかと思って居ると、近江今津が近付き徐行をする。連結作業をすると言って、車掌が、
「一旦停止します」
「三メートル移動します」
などと、安全の為とは言え細かく説明をしてくれる。この車掌はここで降りて、八両編成となった列車に新しい車掌が乗務をする。
このあと普通列車に乗り換える。最初は堅田を予定して居たのだが、乗り換え時間を時刻表を用いて再検討したところ、近江舞子が適当と判明し、早速計画を変更する。
近江舞子では六分の接続で、2851Mへ乗り換えを果たす。大好きな茶色の117系なので転換クロスシートになっており、進行方向左側のボックスを確保する。
15時34分発車。ついに車窓から琵琶湖の姿をみつける。つい数時間前まで対岸で遊んで居たのだ。
新旭で対向の普通電車とすれ違う。安曇川で貨物列車とすれ違う。複線だから速い。
部活帰りらしい男子高校生が五・六人ではしゃいで居る。いかにも夏休みらしい。
国鉄型車両の重厚な電動機の調べを二〇分間堪能して、トンネルに挟まれた二面四線の駅に15時59分下車。送迎車に揺られて、今日は雄琴温泉に投宿をした。部屋から眺める琵琶湖も、露天風呂から見下ろす琵琶湖も、とにかく青々として佳景であった。

翌日。すっかり調子に乗って焼酎のボトルを開けたら二日酔いで朝風呂を楽しむ元気も無い中、鹿児島出身らしい(後で知ったこと)客室係のお姉さんに見送られて、おごと温泉駅に送迎車から降り立ったのは九時を少し過ぎた頃の事である。
おごと温泉発9時24分発湖西線2813Mで一駅だけ乗った電車は、湘南色の国鉄型車両だった。
その名もずばりの比叡山坂本の駅前から、路線バスに乗り、ケーブル坂本駅で降りて、これまた名前が示す通りのケーブルカーに乗り継ぐ。
「比叡山鉄道」と言って、長さ二〇〇〇メートル、最大勾配三三三パーミルと日本一が二つもあるケーブルカーで、乗降には事前連絡が必要だが途中駅もある路線だ。一九二七年の開通と老舗である。
片道と往復の運賃表示の隣に、定期券の文字が掲示されてあるのを発見した。この乗り物がただの物見遊山用ではなく、恐らくは僧侶等寺院関係者向けだとは思うけれど「公共交通機関」として活用されて居るのだ。
10時かっきりに登り始める。距離が長いせいか乗務員も乗り込み、子供を運転台のそばに立たせて、彼に話しかける形で色々と説明をしてくれる。
途中の二つの駅と二つのトンネルをくぐり、一一分でケーブル比叡山駅に着く。
比叡山延暦寺とは、この山全体がお寺になって居る。それで大きく分けて三つの地区で構成されており、東塔・西塔・横川と呼ばれて居る。今乗ったケーブルは東塔に発着をする。
これから山内を「ドライブバス」と言うシャトルバスを活用して、順番に見て行く事にする。
案内表示板が二五度と知らせて居る。麓は三〇度と言って居た。単純な山岳と見ると、低いようでも、登ってみれば高所で、修行者が簡単には逃げる事が出来ない位置に居る。
東塔を代表して、本堂に相当する「根本中堂」に参拝をする。延暦寺と言う「お堂」は無く、この山にある数々の建物の総称である。その意味では、見るもの全てが延暦寺のお堂と言う事になる。また、比叡山と言うのも山号なので、この山の地理的名称では無い。また山号の大本で、ここで修業した僧侶が自分の寺にも「ナントカ山」と付けたのが習慣になったものと思われた。
また「ドライブバス」に揺られて、西塔を見学する。歩いて居るうちに気分が悪くなって来た。二日酔いの罰である。暑いから汗となって、酒が抜けるかと思ったがそんな事は無かった。
最後に横川(よかわ)まで足を伸ばして、バスを乗り継ぎ、ケーブルカーで坂本まで下山をする。正面の窓の向こうに琵琶湖が見え、とうとう下界に戻るのかと、小さな感傷が起こる。そうとは知らぬケーブルカーは登りと同じ一一分で走って行く。
これから路線バスの世話になる。徒歩で二〇分位なのでたいした距離では無いが、暑くてしんどい。下調べの段階でこのバスに気が付かなかったので、バス乗り場の掲示を見つけた時は幸運に思った。車内から見た道は狭くて歩きにくそうに思えた。優雅にバスを利用して居るからそう見えたのか。
比叡山坂本の駅前を見渡した限りでは、飲食店が見当たらないので、次の目的地へ移動してしまう事とし、13時02分発2883Mに乗ってから、周遊きっぷのおかげで京都にも行けるので、湖西線の終点山科では乗り換えをしないと決める。
湖西線は国鉄型の宝庫と言う趣味的な意味は差し置いて、過ぎゆく景色も停まる駅名もみんな美しい。おとぎの様な路線だ。京の人が近江八景と言って琵琶湖を愛した気持ちがわかった。その湖西線も東海道本線に合流をするため、山科に停まるために、高架橋から坂を下って行く。こうして今回の乗りつぶしも終了となった。あとは観光に専念するのみである。
京都では、駅ビルのラーメンを味わった。
新快速に乗り、石山から京阪石山坂本線の小さな可愛い電車を利用して石山寺駅まで行く。京阪の緑の電車に乗るのは初めてであり、坂本から直接この電車で来られたのだが、湖西線と石山坂本線とどちらの乗りつぶしを優先させるかを迷ったが、結局周遊きっぷに顔を立てて、京阪は最小限に利用する事で決着させた。
それはさておき、歩いて一〇分位のところに石山寺がる。拝観券のことを「巡拝供養券」と名付けて、案内冊子を兼用した印刷物に仕立てて配布して居る。
ここは紫式部が「源氏物語」を執筆したところとして有名なほか、境内で印象を残す岩は天然記念物に指定されて居る。聖武帝ゆかりの真言宗の古刹である。
石段を登って本堂に至る。有名なのに、観光客の姿は少なく、その意味で穴場である。お寺の清らかさ、二日間のせっかちな観光のあとだったので、優しい気持ちになりゆったりとした良い気分に浸った。寺院に参拝してこの様な殊勝な精神を持ったのは久し振りだ。それもその筈で、再び京阪電車の姿を見たら、さっきまでの態度と反対に浮ついた顔色に戻るのだから、神仏だって呆れて私の願いなど聞き届けてもらえないのだろう。
石山に戻って、近江八幡まで二〇分電車に乗る。
駅から近いホテルに入ると、流石に疲れた。近江牛と酒。昨日散々呑んで暫くは不要と思ったのに、結局手を出す飲兵衛であった。夜は静かに更けて行った。

第三日目。
昨夜は横になったまま寝付けず、隣から届いて来る母のいびきばかり聞いて居た。それでも少しは寝たらしい。
近江八幡駅から路線バスに乗って、およそ一〇分の大杉町と言う停留所で降車ボタンを押した。
まずは、近江八幡の古い街並みを見学する。
日牟礼神社・白雲館・「しあわせ稲荷」を参拝したり見学をしたりして、近江商人の繁栄の象徴の様な旧宅を覗いて歩く。お堀があって川沿いに蔵が建つ光景は、美しくもあり、いにしえの人の生活を垣間見てしまった様でもあり、ただ見ただけなどと、簡単に言い表さない深い感慨を覚えた。
もう一度バスに乗って、長命寺に向かったが長い石段に恐れをなして、入口で引き返してしまった。そのまま近江八幡駅まで戻り、結局路線バスに乗りに来ただけの格好になってしまった。
電車で彦根へ移動をし、駅の近くの店でそばを食べた。
彦根駅から彦根港まで無料のバスに乗る。これから、琵琶湖に浮かぶ島を訪れるため船に乗る。五分程の道のりだ。
彦根港14時00分出港の「第六わかあゆ」丸は、西武系らしくライオンが描かれてある。竹生島へ往復三三〇〇円である。
所要四〇分かかり、かように琵琶湖は大きい事がわかる。船室から見た湖は、海と見紛う広大な水分の領域だ。全速力で走って居るのだろう、しかしゆっくり動いて居る錯覚を起こす。
上陸を果たすと、地形的では無く精神的に小さな島に思えた。琵琶湖がとにかく大きいので、比較対象として矮小に見えてしまうのだ。島の人が謙遜して小さいと言っても、人間は地球上ではちっぽけだから、所謂「いささか広うござんす」の感覚が起こるから、実際に歩けば大きくも感じられ、私がいい加減な訳では無く、神様が造り給うた自然とは実に不思議なものだと思ったに過ぎない。
屁理屈はさておき、本堂、三重塔、観音堂、この島の名の由来である「都久夫須麻神社」を順々に参拝して歩く。
かわらけ投げをやってみた。二枚一組で、片方に記名しもう一方に願望を記して、湖に立つ鳥居に向けて投げる。残念ながら全敗であった。
たった一時間の滞在で全てを見聞出来る訳も無く、今度は一泊しよう。そう言って約束を守ったところが少ないから、一応希望のみ記しておきたい。
竹生島15時41分発の船に乗る。遠ざかる島の趣は、海に浮かぶ島と遜色無く、後ろ髪を引かれつつ、視線を転じて湖水を眺めると、中央を横断してみたくなって来て、観光船で良いからやってくれないかしら等と、勝手な想像をして遊ぶ。
周囲の山々は残念ながら霞んで居たが、それが却ってこの湖の美しさを演出して居る。琵琶湖とは、日本人の心の故郷なのだ。
彦根駅から宿の送迎車を依頼し、待つ間にふらふらして居ると、花壇に小さなお城が建って居るのを見つけた。彦根城の模型である。
宿の前の道に気温を示す電光表示が見える。夕方二五度だったのに、夜中には二〇度に下がった。流石は水辺で、数字が小さくなるにつれて、酒のせいもあるが眠くなって来た。

最終日は土曜日である。九時半に予約をしておいた観光タクシーが迎えに来て、今日の観光を始める。
まず向かったのは彦根城である。勿論、昨日見た小型版では無く、本物の井伊家の居城である。実は、この城のマスコット「ひこにゃん」にお目通りを願うのが目的で、週末にしか登城しないと聞いて、逆算をして日程を組んだ。今日はあいにくの小雨なので、建物の中での謁見となったが、様々なポーズで写真撮影に応ずる姿が可愛らしい。
城の建物や敷地に階段が多く汗ばんだが、一歩外へ出れば雨と言うよりも風のおかげか、却って涼しく感じた。連日の暑さに比べれば、多少の湿気の方が心地良かった。
国道三〇七号線を快走して、「湖東三山」と呼ばれる寺院を巡る。
まずは百済寺。仁王門は三三〇メートルの位置にある。石段と迂回出来る坂がある。鐘を突かせて貰い、池の鯉にえさを与える。えさ代五〇円なり。えさやりを親子で楽しんで、駐車場に戻る。
続いて昼食に、ドライブインへ案内をして貰い、味付けの事(所謂関西のうす口)を運転手が心配してくれる。平気だから、首を縦に振った。
食後、国道を少し戻り秦荘町(現・愛荘町)に入り、金剛輪寺に足を向ける。入口交差点の信号機に設置された看板によると、「松尾寺」とあり、地元ではこちらの名で親しまれて居る様子だ。車なので直接接近し、簡単に詣でが出来た。
庭園の、何と言うのか知らないが、低木を丸く剪定したものがポツンポツンと連なって、まるで地面が泡を吹いて居るかの如き光景が、何となく印象に残った。
最後の山は西明寺で、甲良町に所在して居る。境内の木々がうすい紅葉をすでに始めて居た。案内人が説明をしたがって居るが、時間との勝負な側面があるので謝絶をする。尤も車に戻ったら、運転手に「ずいぶんハイペースですね」と言われてしまう。見るべきものは見たし、見落としがあれば再訪の口実になる。
とは言っても現実に時間が余ったので、運転手の提案で、急遽だが多賀大社にも寄る事が出来た。名の通り広い境内が心地良い。
こうしてドライブを終えて彦根駅で降りたのは一四時半である。囲いごしであるが、近江鉄道が展示して居る旧型車両を少し見学して、母が案内書で見つけて要望を言い出したところへ行く。時間はまだあるので了承する。
彦根駅から湖国バスの小さな車に乗る。本人は意識して居ないが疲れて居たのか、自動の案内テープが、
「ビール券をお取りください」
と言って居る様に聞こえ、そば耳を立ててもう一度聞いてみると、
「整理券をお取りください」
と何度も繰り返した。
およそ一〇分で目的の停留所に着いた。
天寧寺と言う五百羅漢が有名なお寺である。
入場料を支払ってお堂に一歩足を踏み入れて息をのんだ。沢山の仏様が並んだ姿の荘厳さは当たり前だが、電灯も蝋燭も無い室内に、障子越しに日差しがほんのりと入って来て、その雛壇に並んだ仏様の下段を優しく照らし上段に向かうごとに暗く見えるのだ。旅の最後を締めくくるのに適した、天上世界の拝観であった。
またバスに乗って彦根に戻る。散策がてら行こうとしたところに、道を迷って辿り着けず諦念して舞い戻ると、駅近くの食堂で夕食を摂った。
米原まで在来線に乗り、例の如く早目に新幹線ホームに入場する。もうすっかり暗くなって居るから、通過する列車の明かりが帯となって、何本も目の前を横切って行く。煙草を吸いにホームの端にある灰皿へ一人で行き、火を付けると、今もって謎なのだが迷子にでもなった様に、母が恋しくなって半分も吸わずに中央の待合室に急いで戻った。楽しい四日間が終わろうとしており、一種の淋しさを感じたのかも知れない。
18時54分発「ひかり」528号に乗る。
自宅の前に立つと、毎回の事だが安心する一方で、旅の終末を感じて不快になる。
乗りつぶしとしては、JR分一〇五・五キロが加算された。


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 小説&まんが投稿屋 トップページ
アクセス: 1061